第二話 犬との出会い
『鬼』退治の旅に出てから十日ほど。
今日は日差しがじりじりと肌を焼く日だった。
そんな日のこと、僕は春の村から遠く離れた夏の村に立ち寄った。
その場所は、今までに見たことのないくらい、とても大きな町だった。
太陽にも負けないくらい、黄金色に輝く城が見える。
その城を中心とした町には、たくさんの鉄の家が隙間なく並んでいる。
町の中を歩いていると、ところどころから様々な声が聞こえて来る。
「うちの茄子は日の本一! 見てちょうだい! お客さん! この色艶!」
「この秋刀魚! 食べればわかる! もう他の店でぇーはー買えなくなぁるよぉっ!」
「いい牡丹肉が手に入った! さあ! 残り三切れしか余ってないよぉ!」
八百屋さん、魚屋さん、肉屋さんの店員さんが、自慢の商品を大声で勧めている。
町には人が溢れ、人の発する熱が、この町を活気づかせていた。
「ひゃー、人が多いなあ。こんなにお店があるんだ。あっちの方にあるのは、団子屋さんとお茶屋さんかな」
僕はこの光景に、思わず独り言をつぶやいていた。
「おう! 兄ちゃん! お上りさんかい!」
あまりもキョロキョロと辺りを見回していたからだろうか。
陽気な豆腐売りのおじさんが話しかけてきた。
「そうですね! 春の村から来ました」
僕は正直に答える。
「春の村ぁ!? ずいぶん遠くから来たものだなあ! 馬にでも乗ってきたのかい?」
おじさんが驚いた様子で質問してくる。
「いえ、徒歩で」
僕は再度、正直に答えた。
「歩きぃ!? 根性あるなあ! 兄ちゃん! 観光ならやっぱり『夏乃城』がおすすめだぜ! あの荘厳さは天下一品でえ!」
おじさんはすごく楽しそうに語ってくれる。
見てみたい気持ちはある。
しかし、やらなければならないことがある。
「いえ、観光ではないんです。『鬼』についての情報が欲しくて」
おじさんの提案は魅力的だが、僕の目的は別にあるのだ。
「お、『鬼』!? あんたお侍さんかい?」
「違います。でも、『鬼ヶ島』に行くために情報が欲しいんです!」
おじさんの裏返った声も気にせず、僕は手掛かりを求める。
「うーむ。力になってやりてぇ気持ちは山々なんだがよぉ。詳しいことは知らねえなぁ。あっ!そういえば……」
「何か知っているんですか!?」
僕はおじさんの思わせぶりな言葉に食いつく。
「……大した情報じゃあねえんだがよぉ。この街の近くの小せえ山に、『鬼』が出たらしいぜ。野良犬が一匹食われたらしい」
「犬……ですか……?」
僕はこの街に来て初めて、『鬼』に関する情報を手に入れることができたのだった。
******
おじさんに簡単にお礼を言った後、僕は件の山を登っていた。
人の手が入った様子のない、荒々《あらあら》しい獣道。
木々が葉っぱたちを所狭しと茂らせて、青々とさせている。
様々な声を持つ蝉たちが、大合唱を行って、時折吹く風と野鳥の声が、涼やかな癒しをくれる。
そんな道を黙々と、僕は一人で進んでいった。
「うーん。山のどこかっていう情報だけじゃ、さすがに厳しかったかなあ」
山の頂上にたどり着いた僕は、竹筒から水を飲んで、一息ついていた。
頂上付近では、大きな岩と黄色い花たちしか見当たらない。
もちろん、人の気配はないはずだ。
「…………」
しかし、なぜだか先ほどから、僕は何者かの視線を感じていた。
「だんっ」という音とともに、岩の陰から茶色い塊が飛び出してくる。
その塊は僕に飛びかかり、鋭い牙をひらめかせた。
「わあ! 危ないなあ」
僕はすんでのところでそれを躱し、尻もちをつく。
「おまえ何者だ! 『鬼』なのか!? わん!」
茶色い塊が、問いかけてくる。
「違うよ! 僕は桃太郎! ただの人間だ!」
僕は立ち上がって、必死に弁明する。
「ただの人間が、俺様の一撃を避けられるわけないぞ! ぐるる!」
茶色い塊は、犬だった。
多分、犬種は柴犬。
「うーん。そう言われてもなあ。それより君はなぜ人の言葉をしゃべられるんだい?」
僕は、茶色い犬くんに不思議に思ったことを聞く。
「そんなことも知らないのか! なら本当に人間なのか……? わおん……?」
犬は完全には納得していないようだったが、とりあえずは、うなるのをやめてくれた。
「世の中には『妖力』って不思議なもんが溢れているんだぞ! それに影響を受けた動物は、大きな知恵や力を手に入れるんだぞ! わん!」
犬くんが、僕の質問に丁寧に答えてくれた。
「……なるほど。じゃあ『鬼』は? 『鬼』も何かの『妖力』を受けた動物なのかい?」
僕は、犬くんに再度問いかける。
「何言ってんだ? 人間も動物だろ! わん!」
僕は再び、尻もちをついてしまった。
******
——わん! わん!
犬の鳴き声が聞こえる。
「わん! 大丈夫か! わん?」
「……ああ、ありがとう。犬くん。随分落ち着いてきたよ」
「急に倒れたからびっくりしたぞ! わん!」
思いがけない衝撃で、少しの時間、放心していたようだ。
『鬼』という生き物は元々、《《人間》》である。
その事実で、両の腕が一気に重くなったような気がする。
このままでは駄目だ、と思った僕は気分転換のために、犬くんに話しかけた。
「そういえば、犬くんはどうしてここに? ここが君の住処なの?」
「違う! 俺様は旅の途中にここに寄ったんだぞ! わん!」
犬くんは元気に答えてくれる。
「僕はこの山で、『鬼』が出たって聞いてここに来たんだ」
僕は、犬くんにここに来た理由と経緯を伝える。
「ぐるる! 『鬼』! あいつはどこかに行ってしまったぞ! わおん!」
犬くんが怒気をはらんだ声で言う。
「わおーん! あいつ! 俺様の兄貴を食いやがったぞ! わん!」
犬くんの遠吠えを聞いた僕は、胸の痛みを感じていた。
「それは……。辛かったね……」
僕の陳腐な慰めに、犬くんが反論する。
「弱肉強食は野生の掟! 仕方ないぞ! わん!」
犬は明らかに強がっていた。
「でも悔しいぞ! 俺様何もできなかったぞ! 兄貴が逃がしてくれなったら……。わおーん……」
「…………」
僕は、牙を強く噛み締め、眉間にしわを寄せる犬くんに、かける言葉を見つけることができなかった。
——カン!!! カン!!! カン!!!
突然の大きな鐘の音に、背筋が伸びる。
「村の方からだ。何かあったのかな」
僕は不安になりながらつぶやく。
「とことん世間知らずだぞ! おまえ! これは『鬼』が出た合図だぞ!
わん!」
犬くんはそう言い残し、とんでもない速さで、獣道を駆け下りていってしまった。
「あ!? ちょっと待って! 僕も行くよ!」
僕は犬くんを追いかけて、全力で走って下山したのだった。
******
「はあ、はあ……。すごいな……。まるで鋼の森だ」
急いで山を下りて、夏の村に到着した僕は、思わず感嘆した。
数刻前に訪れたきらびやかな町並みが、幻のようだ。
すべての店の商品は片付けられ、鉄の戸は閉まっている。
人っ子ひとり見当たらない。
なんとも寂しい光景だったが、村の中心にある広場で、犬くんと何か大きな生き物が戦っている様子を確認できた。
『鬼』だ。
春の村の『鬼』の耳は、緑色をしていた。
この『鬼』の耳は、青い。
僕は犬くんを手助けしようと、広場へ向かって走って行った。
「避けろ! わん!」
突然、犬くんが近づいてきた僕に向かって叫ぶ。
——瞬間、水の塊が飛んでくる。
ばしゃっ!!
「……っ!? うぐっ……」
手の平くらいの大きさの水の塊が、みぞおちに直撃した。
どうしようもない痛みで、僕はうずくまる。
「あぁっ? 当たったよなぁ? 何でまだ人の形をしてんだぁ? ……まあいいか——」
不思議そうに言う『鬼』を、僕は睨みつけた。
「——もう一度撃てば」
ぼんっ!
『鬼』の太い腕から、水の塊が勢い良く飛んでくる。
「わおーん!」
犬くんが僕にぶつかってきた。
ばっしゃん!!
僕がいた場所を見ると、大きな穴ができている。
「あ、ありがとう……。犬くん」
「わん! いいから早く立て! わん!」
「あ、ああ!」
僕はなんとか立ち上がって呼吸を整える。
ぼん!ぼんっ!
今度は二つ水の塊が飛んでくる。
「わん!」
「うおおおお!」
ばしゃん!
犬くんが水の塊を避け、僕は水の塊を殴り飛ばした。
「はぁ……?」
「わ、わん……?」
『鬼』が素っ頓狂な声をあげ、犬くんは信じられないものを見たという目で、こちらを見つめている。
「桃太郎! すごいぞ! わん!」
こんな時にも関わらず、こちらを見つめる犬くんの目はすごくきらきらしていた。
「めんどくせぇなぁ……。せっかくこんなとこまで来たのに、誰もいねえしよぉ……。変な犬っころともどきもいるしよぉ……。くそがぁ……。腹減ったなぁ……」
『鬼』がぶつぶつと、不満を漏らす。
「そこの『鬼』!」
「あぁ……?」
僕の大声に、『鬼』が反応する。
「君が、この先、誰も襲わないと誓ってくれるなら! 僕は、君を退治しない!」
「何言ってるんだ!? わん!」
犬くんが驚いき戸惑いながら叫ぶが、構わず僕は話し続ける。
「君も元は《《人間》》なんだろう!? なら分かるはずだ! 誰かを傷つけちゃだめだ!」
「……おまえぇ、馬鹿なのかぁ?」
『鬼』がぼやく。
「おまえはぁ、他人に、肉を食うな、と言われて聞くのかぁ……?」
『鬼』が、そうやって聞き返してきた。
「今はそんな話してないだろう!」
僕は『鬼』の問いかけに答える。
「同じだよぉ。肉を食わなくても生きていけるぅ……。でも美味ぇから食うだろぉ……? 俺も同じだぁ。楽しいから殺して食うんだぁ……」
『鬼』が恍惚の表情で、自身の主義を主張する。
「世の中は強い奴が偉い……。当たり前だろぉ……?」
けたけたと笑う『鬼』の表情を見て、僕は会話という行為は無意味であることを悟った。
『鬼』と人は、別の生き物で、それぞれ独自の価値観を持っている。
『鬼』に、人の常識は通用しない。
そして『鬼』の考え方を正す術を僕は知らない。
そうやって無理やり納得する、しかない。
深呼吸して、僕は体の前に拳を構える。
「覚悟はできた。犬くん力を貸してくれるかい?」
「わん!」
犬くんが肯定の意志を、鳴き声と大きく振った尻尾で示してくれる。
「はぁ……。今日はしょぼい飯でがまんするかぁ……」
『鬼』が残念そうに言って、両方の手のひらをこちらに向けた。
ぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼっ!!!
「はあっ!」
「わん!」
僕は大量の水の塊を腕で払い、犬くんは華麗に水を躱す。
「くそっ! これじゃあ、近づけない!」
あまりの水量に思わず弱音が漏れてしまう。
「桃太郎! 見逃すなよ! わおーん!」
犬くんが遠吠えと共に、『鬼』に向かって駆け抜けていった。
まるで大雨が横から降っているような道のりを、あっという間に乗り越えていく。
「犬くん……! すごい……!」
僕はおもわず声を漏らす。
「ぐるるるう!」
犬が『鬼』のもとにたどり着き、がぶりと右腕に噛み付く。
「うっとうしいなぁ……」
『鬼』が左の手のひらを犬の方へ向けた。
水が止んだ。
どんっ!
僕は、力いっぱい地面を蹴って、大きく腕を振って、『鬼』めがけて走った。
驚いた様子の『鬼』が、こちらに左手を向けようとする。
だけどもう遅い。
「この距離なら届く!」
ぼがっ!
『鬼』が水を発射するより先に、僕の拳が、『鬼』の横腹を歪めた。
「……っ!? がっ……! 舐めるなよぉ! 糞餓鬼!」
『鬼』は苦悶の表情を浮かべ、つばを撒き散らしながらも、こちらに向けた左手をぶらさずにいた。
「わおん!」
犬くんが右腕を、さらに強く噛みしめる。
「ぎゃっ!」
『鬼』の体制が崩れる。
「もう一回!」
ぼごっ!
僕は『鬼』の顔面を、思いきり殴り飛ばす。
「…………っ!!」
どすんっ!
重い音とともに『鬼』が倒れる。
僕たちの勝ちだ。