第一話 誕生日と旅立ち
むかしむかしのこと。
春の村という小さな村に、おじいさんとおばあさんが、仲良く暮らしていました。
ある日のことです。
おじいさんは
「さてと、冬の備えのためにも、もうひと狩り行って来ようかの」
と言って、山に柴刈りへ。
おばあさんは
「それじゃあ、わたしは汚れていたものを洗いに行きますね」
と言って、川に洗濯へ。
二人はそれぞれ、別の場所へと向かいました。
おじいさんは、山へ着くと一生懸命に柴を集めだしました。
おばあさんは、川へ着くと頑固な汚れと戦い始めました。
おばあさんが、しつこい脂汚れと死闘を繰り広げているときのことでした。
「どんぶらこ、どんぶらこ」
なんということでしょう。
とっても、とっても大きな桃が、川の上流から流れてくるではありませんか。
「こんなに大きな桃食べきれるかしら」
おばあさんは、その桃を家へ持って帰ることにしました。
おじいさんは、家に帰ってきてとても驚きました。
「ひゃあ。こんな大きな桃、はじめて見たのう」
おばあさんも、頷きます。
「わたしもですよ。とりあえず割ってみましょうか」
そう言って、おばあさんは大きな包丁で、桃を割りました。
「なんじゃこれは。種には見えんのう」
桃の中から、木の箱のようなものが出てきました。
「何でしょうね」
そう言って、おばあさんが木の箱を触ると
「おぎゃあ! おぎゃあー!」
と、赤ん坊の泣き声のような声が聞こえてきます。
「な、なんじゃあ」
おじいさんが腰を抜かしました。
「あらまあ。男の子ですよ。おじいさん」
木の箱を開けたおばあさんが、言いました。
——つづく。
******
「——そんなこんなこともあったのう」
おじいちゃんが上機嫌そうに言う。
「あれから、もう14年も経ったんですねえ」
おばあちゃんが懐かしそうにつぶやく。
「いまだに信じられないよ。僕が桃から生まれたなんて」
僕の誕生日になるたびに、この紙芝居は始まる。
毎年、おじいちゃんとおばあちゃんはそれを会話の種にするのだ。
「桃太郎。元気に育ってくれてよかったわ〜」
「そうじゃのう、そうじゃのう。桃は丈夫に育ったわい。村で一番の上背と力持ちじゃからのう」
おばあちゃんの言葉におじいちゃんも同意する。
「ありがとう。おじいちゃんとおばあちゃんのおかげだよ」
僕は二人に素直な感謝の言葉を伝える。
「そりゃそうじゃ」
「あらあら、おじいさんったら。うふふ」
「あはは」
僕たちが、楽しく会話をしていた時のことだった。
「『鬼』が出たぞー!!」
家の外から村長の悲痛な、とても焦ったような叫び声が聞こえてきた。
******
「ギャッギャッギャ! 小さい村のわりに、結構溜め込んでやギャる! それに、この腕輪気にいったギャ」
満足そうに、下品な笑い声をあげている生き物がいた。
大きな体と耳の色以外は、ほぼ人の姿の化け物。
『鬼』だ。
「ああ、お母さんの形見が……」
「しっ! 黙っとれ。殺されるぞ……」
涙を浮かべる少女を、村長が小声で諭していた。
「おい! そこのお前!」
「は、はい! な、何かありましたでしょうか」
『鬼』が叫び、村長が返事をする。
「ここにいるので、全部ギャア?」
『鬼』はキョロキョロと辺りを見回して言う。
「は、はい。あ、あなた様の命令通り、村人は全て集まっています」
「金目のものもこれで全部ギャア?」
集められた金品が積まれて、小さな山のようになっている
「は、はい」
『鬼』の確認に村長が答える。
「まあいいギャ! これだけあれば十分だギャ! おい! おまえ!」
「えっ……? わ、私ですか……?」
村長のすぐそばで俯いている少女が口を開く。
「そうだギャ! おまえ! オデの相手をさせてやる! 光栄に思えギャ!」
「ひっ!」
『鬼』の命令に、少女は小刻みに震えていた。
「そ、それだけはご勘弁を! 何卒! ご容赦願います! お金や食べ物ならいくらでも差し上げますので!」
村長は『鬼』と少女の間に立ちふさがり、懸命に語る。
「……そうだギャ、食いもんは欲しいギャ」
村長の必死さに、『鬼』は納得したように見えた。
「それも貰うギャ」
「……は?」
村長が素っ頓狂な声をあげる。
「全部貰ってやるギャ! 全部寄越せギャ! ほら! 早く来いギャ!」
そう言って、『鬼』は少女の腕を掴んだ。
「きゃあ!? た、助けて! お父さん!」
泣いて助けを乞う少女。
「や、やめてください! 娘だけは! 娘だけはどうか!」
一心不乱に懇願し、『鬼』の腕を掴む村長。
「いい加減うざったいギャ! 離せギャ!」
払っても、払ってもすがり付いてくる村長に、『鬼』は痺れを切らす。
『鬼』は大きく腕を振った。
「びゃ」
一撃だった。
短い声とともに、村長の上半身と下半身が切り離された。
「……っ!? 嘘、嘘よね……? おとーさん……?」
ぷつん。
力ない少女の声に、僕の中で何かが弾けた。
立ち上がり、『鬼』に向かって走り出す。
「桃太郎!? だめよ!?」
「桃! やめろ!」
おばあちゃんとおじいちゃんの制止の声が聞こえた気がした——。
————なぐる。なぐる。なぐる。なぐる。なぐる。なぐる。
「————もういい。もうやめろ! 桃!」
どこからか、おじいちゃんの声が、聞こえる。
その声で、僕は意識を取り戻した。
手に生暖かいナニカを感じる。
血だ。
血だけじゃない、僕は生き物であったナニカ——赤い塊を握っていた。
「うわっ」
慌てて、僕はそれを手放す。
そのナニカ——『鬼』だったものが、声を発する機会はもう二度と訪れなかった。
******
「——僕、村を出るよ」
「……どうしても?」
僕の言葉に、おばあちゃんは納得がいかないようだった。
「……うん。決心できたから」
「そうか……。寂しくなるのう」
おじいちゃんも納得はできていないようだった。
けれど、僕の覚悟を汲み取ってくれたように思う。
「ごめん。ふたりとも」
——昨晩のことである。
村長のお葬式が執り行なわれたのだ。
僕たちは慣れない服に身を包み、家族三人で参列した。
村人たちの視線が、僕に向けられる。
恐怖、嫌悪、畏怖、狼狽。
明らかに、僕を見る目が普段と違っていた。
無我夢中《無我夢中》で『鬼』を倒した僕に、好意的な人もいた。
「すかっとしたぜ」
木こりのお兄さんが言ってくれた。
「お前さんがやってくれなければ、他の村人の命も危うかったかもしれん」
占い師のおばさんが言ってくれた。
だが、それだけだ。
家族以外で僕をかばってくれた人は、その二人だけだった。
ほとんどの村人は、僕を恐れ、目を合わせようともしなかった。
「ひっ。ち、近寄らないでくれ」
露骨に避ける人もいた。
「まるで『鬼』みたいよねえ」
「やめなさいよ。聞こえちゃうでしょ。ぷくく」
陰口を叩く人もいた。
「最初から! うう、最初から、あなたが! ぐすっ、戦っていればお父さんは死なずに済んだのに!」
これが一番きつかった。
針のむしろとはよく言ったものだ。
全身が痛い。
見えない何かが、常に突き刺さっているようだ。
その日に行われた会議で、僕の村からの事実上の追放が決まった。
反対票は、おじいちゃんとおばあちゃんの二票だけだった。
——旅立ちの準備が終わり、僕は少ない荷物をもって入り口の前に立っていた。
「いつでも帰ってきて良いからね」
「そうじゃ! あんな奴らの言うことなんて無視すれば良いのじゃ!」
「ありがとう。でも、そんなわけにはいかないよ」
おばあちゃんとおじいちゃんの言葉を、僕はやんわり否定する。
「閃いたぞ! ばあさん! 儂らも一緒に出て行くってのはどうじゃ!」
「あら〜、いいわねえ。それじゃあ、すぐに準備しなくっちゃ」
「だめだよ! そんなの! 一番近い村でも歩いて八刻はかかるんだから。気持ちはすごく嬉しいけど」
おじいちゃんとおばあちゃんの提案を、今度はきっぱり否定する。
「くう! あと十年若ければ! ばあさんを担いででも、何日だって歩いて見せたものを!」
「悔しいわ〜」
「あはは。大丈夫。絶対、『鬼』の親玉を倒してきてここに戻ってくるから。気楽に待ってて」
そう。
昨晩の会議で決まったことは、表向きには僕の追放ではない。
この国のどこかにある『鬼ヶ島』にいるとされる『鬼』の親玉を倒すこと。
それが、僕に課せられたお役目である。
無理難題を押し付けて、体良く追い出したかったのであろう。
正直、このままこの村にいても、心がすり減っていくだけだと思う。
だから、ちょうど良かったと考えることにした。
「ちゃんとご飯食べるのよ。お野菜もお魚も〜。偏った食事はだめよ〜」
「そうじゃのう。桃は放っておいたら、肉とだんごしか食べんからのう。きのこと蜂蜜は絶対に口にせんからなあ」
「大丈夫。しっかり栄養のことも考えるよ。きのこと蜂蜜はまた今度でお願い……」
おばあちゃんとおじいちゃんの心配事を、僕は受け止める。
「早寝早起きを心がけるのじゃぞ。朝は早く起きて、夜は早く寝るのじゃ。健康は睡眠からじゃ」
「寝る前には歯磨きしないとだめよ〜。起きたらちゃんと顔を洗うのよ。目やにがつけっぱなしになっていることが、よくあるんだから〜」
「気をつけるよ。しっかり寝るし、歯磨きも顔を洗うことも忘れないようにするね」
おじいちゃんとおばあちゃんの助言を、僕はしっかりと心に刻む。
「誰の言うことでも信じちゃだめよ。世の中には悪い人がいっぱいなんだから」
「桃は誰の言うことでも信じるからのう……。それにすぐ安請け合いしすぎじゃ!」
「そんなことないと思うけど……。でもしっかりと考えてから動くね」
おばあちゃんとおじいちゃんの懸念を、僕は忘れないようにする。
「それから、それから、ええと……」
「他にもあるぞい! あれとこれじゃ……」
「…………」
しばしの間、沈黙の時間が続いた。
「……おばあちゃん、おじいちゃん。僕、そろそろ行くよ」
これ以上は駄目だ。
ここから離れたくない気持ちが抑えきれなくなる。
「……桃太郎」
おばあちゃんは真剣な顔をしている。
「何? おばあちゃん」
僕も真剣な顔をして尋ねる。
「忘れないでね。たとえ、どんなことがあっても、あなたが、どんな人になっても、わたしたちは、あなたを、誰よりも、愛しているわ」
「……うん。分かってる」
「桃!」
おじいちゃんは豪快に声を出す。
「何? おじいちゃん」
僕も努めて明るく振る舞う。
「儂らは家族じゃ! 何が起きようと! それは絶対に変わらん! この国の全員が敵になってもじゃ! 儂らは! 儂らだけは! 桃の味方じゃからな!」
「うん! ありがとう」
水分の流出が止まらない。
止める気もないけど。
三人ともひどい顔になりながら、何とか別れの挨拶を済ませる。
「びっでぎまず!」
「おう! ぜっだい! がえっでぐるんじゃぞ!」
「まっでるがらね〜! いっでらっじゃい!」
僕は誓う。
この村に帰ってくるためじゃない。
二人のために戦って、二人のもとに帰ってくるんだ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
時間の都合がよろしいようでしたら、評価をいただけると嬉しいです。
ブックマーク、いいねをしていただけると、大変ありがたいです。
☆による評価をいただけると、幸せになります。
皆様の応援や感想が創作の励みになります。
これからもよろしくお願いいたします。