短い夢だったわね(1/4)
「はあ……はあ……。ひどい目に遭った……」
濁流から必死の思いで這い上がったタロス王国軍の将軍、サハギンのギースは、固い地面の感触に安堵していた。
「おい……皆、いるか?」
ギースが後方を確認すると、百体あまりの部下が、彼と同じく疲れ切った様子で上陸している様子が目に入った。皆ギースと同じく、陸地でも水中でも活動できる魔物族ばかりである。
「……これで全部か?」
「そのようですね」
他にも激流から上がってくる者はいないかとギースは目を凝らしたが、無駄だったようだ。何とか陸地までたどり着けた部下たちと共に、ギースは近くの岩に腰を落とした。
「ギース将軍……これからどうするんですか?」
部下がぐったりとした様子で尋ねてくる。
「皆溺れ死んでしまって……残されたのは我々だけ……」
「ちくしょう、エーテル王国め、なんて運の良い奴らだ。戦わないで俺たちに勝っちまうなんてよ!」
口々に不満の声が上がる。
この部隊の者たちは皆、あの洪水がエーテル王国側が人為的に引き起こしたものだとは夢にも思っていなかったのだ。
ただ、自分たちが運悪く災害が発生した現場に居合わせて、全滅に近い被害を受けたと思い込んでいた。
「おい、静かにしろ」
不満を爆発させる部下たちに、ギースが苛立ったような声を上げる。
「俺は今、大事なことを考えてるんだよ」
「大事なこと?」
いつになく真剣そうな顔をするギースに、部下たちはギョロリとした目を瞬かせた。
「俺はな、これはまたとないチャンスだと思ってるってことだよ」
「チャンスって何のチャンスですか?」
部下たちはギースの言葉の意味が分からなかったようだ。
「戦力のほとんどを失って……しかも、魔王様まで死んじまったんですよ。俺たち、もう国に帰るしかないでしょう」
「ふん、馬鹿言え。今国に帰ったら、俺たちがどんな扱いを受けるか分からないのか?」
ギースが忌々しそうに腕組みした。
「まず歓迎はされないだろうよ。それだけじゃない。負け犬、腰抜け、タロス王国の恥さらし……。そんな悪口が飛んでくるに決まってる。せめて何か戦果の一つでも上げておかないと、国境の門も潜らせてもらえないかもしれないぜ」
「戦果って……無茶ですよ!」
部下たちは腕をブンブンと振り回した。
「何度も言ってますけど、さっきの洪水騒ぎで、味方のほとんどがやられちまったんですよ! こんな少ない戦力じゃ、エーテル王国とは戦えませんよ!」
「甘いな、お前たちは。だから万年一兵卒なんだよ」
ギースがしたり顔になった。
「いいか、今回のタロス王国軍の侵攻のこと、多分エーテル王国は事前に知っていたはずだ。見ろよ、この辺りに設置された逆茂木を。これは、最近作られたものだぜ。エーテル王国が、タロス王国軍を警戒してた証拠だよ」
ギースが辺りの岸辺にびっしりと備え付けられた柵を指差した。
逆茂木とは、尖端が尖った木の枝で作られた防衛設備のことで、彼の言うとおり、敵の侵入を妨害するためのものである。
この柵のせいで、ギースたちも中々岸に上がることができなかったのだ。逆茂木が途切れた場所を何とか探し当て、こうして上陸できたのは幸運なことと言えた。
「あの洪水はすごい騒ぎだったからな。エーテル王国も、何が起こったのかその内に知るだろう。それであいつらきっと、災害に巻き込まれたタロス王国軍は全滅したと思い込むはずだぜ」
「確かに水が引いた後は、死体がいっぱい流れ着いてくるでしょうし、そういうこともあるのかもしれませんね」
「ってことは、だ。エーテル王国はきっと敵はもういないと安心して、油断しているはずだ。だが……実際には、俺たちがこうして生き残ってる」
「分かりましたよ、ギース将軍! 相手が油断したところをやっつける……不意打ちですね!」
先ほどまで死んだ魚のような目をしていた部下たちが、にわかに沸き立った。「その通り」と、ギースが満足げに言う。
「後、これからはお前たち、俺のことは『ギース国王陛下』と呼べ」
「えっ、国王陛下ですか?」
「ああ、そうだ。お前たちも知ってるだろ? さっきの洪水で魔王様は死んだんだ。つまり、今タロス王国には魔王はいない。だが、いつまでも魔王不在のままじゃ困るから、新しい魔王が必要だよな? ……そこで質問だ。生き残った俺たちの中で、一番偉いのは誰だ?」
「そりゃあ、もちろんギース将軍ですよ」
「そのとおりだ。ってことは、俺が次の魔王になるのが道理だろ。しかも、俺はこれからあのエーテル王国に、ひと泡吹かせてやる男だぜ。こんな偉業ができるのは、魔王以外にいないぜ?」
「な、なるほど、言われてみれば……。でも、勝手に魔王なんか名乗っていいんですかね?」
「いいに決まってんだろ。何だ? 文句がある奴がいるならかかって来いよ」
ギースが剣呑な目で部下たちを見つめる。部下たちはゴクリと息を呑んだが、ここにいる中で一番強いのはギースであると皆分かっていたので、誰も逆らおうとはしなかった。
「そうだ、それでいい」
ギースは満足げに頷く。
「俺は今この瞬間から、タロス王国の魔王だ。それでお前たちは魔王直属の兵だ」
「お、おお……」
自分たちが大出世したと知った兵たちは活気づいた。ギースがニヤリと笑う。
「よし、そうと決まれば早速やるぜ! タロス王国新魔王の最初の事業だ。エーテル王国に乗り込むぞ、野郎共!」
ギースは皆を煽るように拳を振り上げた。




