人形戦記、あるいはその人形に神は宿るかを問う物語
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羽地が最初に彼女を見たときの感想は『人形のような少女』だった。
いい意味ではない。
確かに少女は人形のように整った顔立ちをし、グレイに近いアッシュブロンドの長髪を綺麗に切りそろえていた。流れる髪は色気があり、艶やかで、その人形のような顔立ちにも幾分かの魅力を与えていた。
だが、その眼には生気が見つからなった。
技術者たちが無菌室で組み立ててただろう多目的光学センサーはガラス玉のように透明だったが、そこに生きようとする活力は見つからなかった。
まるで羽地たちが中央アジアで殺し続けてきたドラッグで恍惚とした子供兵たちのように、その瞳は酷く虚ろなものであった。
「クソをするアヒルと言うのを知ってるか、羽地少佐?」
「ジャック・ド・ヴォーカンソンのオートマタですか?」
日本情報軍大佐の階級章を身につけた軍服の男が尋ねるのに、羽地はそう尋ね返した。羽地も日本情報軍少佐の階級章を付けた日本情報軍の藍色の軍服を纏っている。
ここが市ヶ谷の防衛省ならば違和感もない格好だっただろうが、ここは違う。ここは白衣を纏った研究者たちが慌ただしく活動する場所なのだ。
「作者までは知らん。だが、かつてフランス人はクソをするアヒルというロボットを作った。実際に食べた食べ物を消化して排泄するという触れ込みでな。まあ、実際は既に消化済みの食べ物をあらかじめ仕込んでおき、消化したように見せかけただけだが」
「ええ。その話なら知っています」
しかし、それが今回の任務とどう関係するのですかという質問を羽地は飲み込んだ。日本情報軍において詮索屋は嫌われる。日本情報軍の軍人は沈黙を良しとするのだ。
「この富士先端技術研究所でも同じものを作った。フランス人が作ったものより遥かに高度なものだがな。これは実際に食べたものを消化して、動力源に使うのだ。一種のバイオマス燃料としてな。人食いドローンを見たことは?」
「あります。あまり気持ちのいい光景ではありませんでしたね」
人食いドローン。非常時に戦場の死体をバイオマス燃料として活動するロボット。
「これは人は食わんが、これもあまり気持ちのいいものではないぞ」
大佐はそう告げると研究所の一画──厳重な電子キーでロックされた区画にIDカードと生体認証スキャナーを通して入室した。
「橋田大佐! まだ来るとは聞いてない!」
「ミミックは既に全て日本情報軍の所有物だ。あなたの研究もだ、真島博士」
白衣を着た酷く痩せた男──真島と呼ばれた男が告げるのに大佐はそう返した。
「し、しかし、この研究は……」
「改正緊急事態基本法に基づき、日本情報軍はこの研究と実験体を接収した。損失に対する補填は既に行われ、そしてあなたは決断した。あなたもこれからは軍属だ。軍のやり方に慣れてもらわなければ困るのだが」
「それでもこの研究は世界を変える可能性を秘めているのだよ?」
大佐がため息をつくのに、真島は必死に食い下がった。
「世界は変わったりしない、真島博士。世界はこれからもクソッタレだ。中国から流出した30発の核弾頭は依然として行方不明でどこで炸裂するか分からず、中央アジアの内戦は激化し、ロシアと中国はかつての同盟を再締結し、どこに火がついておかしくない」
大佐は煩わし気にそう告げた。
「それよりもミミックを引き渡してもらおう。あれは既に我々の物だ」
「……分かった。彼女たちを引き渡す」
彼女たち? 羽地はその単語に疑問を覚えた。
日本情報軍が手荒なやり方で民間の所有物を接収するのは、2060年代の日本ではごく当たり前の光景になっていたが、流石に人身売買にまでは手を染めていないはずだ。
「丁重に扱ってください。ボディは言われたとおりの軍用規格のものになっていますが、彼女たちの精神的な成長はこれからなのです」
そこで羽地はその少女と出会った。
人形のような少女と。
それはどこからどうみても人間であった。人間の少女であった。15歳前後の。
そう、それは人間の少女にしか見えなかった。
「羽地少佐。これがミミックだ。クソをするアヒルの最新バージョン。この4体からミミック作戦は開始される」
大佐はそう告げて人形のような少女を指さしたのだった。
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4台の棺を積んで喧騒とした市街地をRG-33装輪装甲車が進んでいく。
時折、遠くから銃声が響くが、装甲車を運転する羽地は気にしなかった。銃声は遠かったし、既に50回以上聞いている。この街の治安はそういうものなのだろうという判断が下され、自分たちの乗っている装甲車は先ほどから響いているカラシニコフの銃弾ぐらいではどうにかなるものではないという落ち着いた評価が下された。
「よかったんですか、真島先生。わざわざこっちに来なくてもデータは送りますよ。こんな街でも10GBのデータ通信ができるネットワークサービスはあるみたいですし」
羽地は助手席で銃声が響くたびに規定通りに装着されたヘルメットのストラップを確認している真島を見て、少しばかり同情しながらそう告げた。
「私は自分の目で見たいのだよ、彼女たちの発達を。私はあの哀れなロザリンド・フランクリンのように自分の研究成果を盗まれたくはない。それに、そう10GB。大いに結構。ネットサーフィンは快適だろう。だが、私の扱うデータは50PBに及ぶ。民間の回線では扱いきれない。研究したかったら現場に行くしかないのだよ」
ヘルメットのストラップを弄り終えた真島は次はボディアーマーを調べ始めた。真島の貧相な肉体ではまるで分厚いボディアーマーの方が主であるように見える。
「そうですか。では、ご自由に。ただし、分かっているとは思いますが、我々は民間軍事企業であって日本情報軍とは完全に無関係な存在である。そのカバーが剥げないように行動してください。カバーが剥げると国際問題になります。正規軍がポータル・ゲートを通過するのは横浜条約違反ですからね」
「分かっているよ。私は民間のネット技術者だ」
「そういうことで」
今現在、この羽地たちを乗せた装甲車が移動しているのは政治的に厄介な場所であった。それもそうだろう。そもそも、ここは地球ですらないのだ。
ここは剣と魔法が“支配していた”世界。異世界だ。
2030年代に超光速通信の実験を行っていた際に偶然発見された“ポータル・ゲート”という異世界の門で行き来可能な世界。歴史的に初の実用的な惑星間ゲートはポータル・ゲート・ワンとして東京湾に陣取っている。
未だにこの惑星の位置は不明だが、この地球環境と完全に一致したこの世界にはお宝が眠っていた。清浄なる環境と手付かずの資源というお宝が。
そして、今、この青少年の夢見た剣と魔法の世界は貪欲な巨大企業と横暴な民間軍事企業が支配する治外法権な無法地帯と化していた。
エネルギー。地下資源。食料。あらゆるものがポータル・ゲートの向こう側からもたらされ、地球は資源枯渇と気候変動の危機から救われつつあった。
異世界では推定1日に約150名の原住民が民間軍事企業の手によって殺害されている。反政府ゲリラも女子供も全部ひっくるめ約150名。この数を多いと取るか、少ないと取るかは自由だ。
その代わり気候変動は異世界の希少な地下資源で生産されてたナノマシンによる気候正常化作戦と同じく異世界の希少な地下資源で発展したクリーンな社会により、停止した。今ではオーストラリアで大規模な森林火災が起きることも、日本列島を大豪雨が襲うことも、北極でホッキョクグマたちが暮らせなくなることも、心配しなくていい。
地球は救われた。血にまみれた手で。
「それよりも本当にこんな物騒な街に事務所があるのかね?」
「確かに物騒ではありますが、一時期の中央アジアの都市に比べれば、私立の小学校並みに大人しい街ですよ。即席爆発装置の心配もしなくていいですし、対戦車ロケット弾が飛んでくることもないですし」
「しかし、先ほどから銃声が何度も……」
「あれは遠くからですよ。そうですね。300メートルは離れてます。恐らくは地図的に市街地のゲート付近で問題があったんでしょう。あれこれと説明するより銃声で黙らせた方が早いってのが、民間軍事企業のやり口みたいですしね」
「信じられないよ。300メートルなんてすぐじゃないか。こんな場所で研究をすることなど本当にできるのかね」
「拠点はしっかりした建物だと資料を見た限りでは判断できましたよ。ついでに銃声はしてますが、ピザの宅配サービスもやってます」
「日本人には理解できない環境だな……」
日本人だってアジアが大戦争にぶち込まれているのにオリンピックの心配をしてたじゃないか。同じようなものですよ、と羽地は思った。
市街地は銃声や罵声が響いている割にはクリーンだ。弾痕が刻まられた建物もなければ、クレーターの穿たれた道路もない。古びた建物と近代的な建物がモザイク状に入り交じっており、復興途中にあった上海を連想させた。
「さて、着きましたよ」
装甲車は真新しい建物の前で止まった。広さはなかなかに広い。高官のお屋敷ということが最も適当かもしれない。
張り巡らされた監視カメラと動体センサー、そして鉄条網の張られたとても高い壁のある、その建物は要塞のように思われた。
装甲車はその建物の鋼鉄製のゲート前で止まり、羽地はゲートを見張っている監視カメラにポータル・ゲート通過時に支給されたIDカードをかざして見せる。羽地自身のIDカードと真島のIDカードの両方だ。
羽地が装甲車を停車させたと同時にM2重機関銃がマウントされたリモートタレットが羽地たちを狙っていることには気づいている。
身分はさっさと明らかにしておいた方が身のためだ。この世界で命の価値は軽い。
監視カメラとIDスキャナーがIDカードを読み取り、事前に登録した顔写真と網膜のスキャンがナノセカンドレベルで終了すると、リモートタレットは狙いを定めたまま、ゆっくりと鋼鉄製のゲートが両脇に開き始めた。
「ふう。これで一安心だね」
「どうでしょうね。そうだといいのですが」
羽地はそう告げるとゆっくりと装甲車を開かれたゲートの中に進めた。
ゲートの中は天幕に覆われた車両基地がまず羽地たちを出迎えた。
ストライカー装甲車。MRAP装甲車各種。民間のSUVを装甲化したもの。そういうものが所狭しと並んでいた。
どれも地球での戦争終結で格安価格で中古市場からリースなりなんなりできるものだ。物珍しくもない。特にMRAP装甲車は腐るほど作られたので、もはや不良在庫をただでも引き取ってほしいと製造メーカーが言うほどだ。
幸いにして──そして、世界にとっては不幸にして──戦争の気配が各地でし始めていたことと、ポータル・ゲートの向こう側での急激な軍需の高まりから、軍需産業はようやく利益を計上することができるようになってきた。
軍需産業は儲からない。それが業界の合言葉になってから数十年。多くのメーカーが軍需産業から手を引き、新顔が現れては消えていった。
日本の軍需産業もほとんどお国のためのボランティアのようなものである。
だが、今の軍需産業にはにわかに降ってわいたポータル・ゲートの需要で中古市場が賑わい、また民間軍事企業へのメーカーの売り込みもあって、安定した利益を上げ始めている。特に銃器関係の市場は大賑わいだ。
「おっと。どうやらお出迎えのようです。降りましょう」
「私はゲートが完全に閉まってから降りるよ」
「賢明な判断です。そうされてください」
50口径のライフル弾にも耐えられる鋼鉄製のゲートはゆっくりと閉じつつある。
戦場ではどうあっても死ぬときは死ぬものだ。ここだって鋼鉄製のゲートがあるが、迫撃砲を撃ち込まれたらひとたまりもない。
そのような諦観を羽地が持つようになったのは中央アジアでの長い戦いの経験からだった。どんなに軍が兵士を守ろうとしても、兵士がどれだけ注意深くとも、兵士の経験がどれだけ豊富だろうと、死ぬときは死ぬ。
5名の戦友と自分の両手足を中央アジアで失った羽地はそういう価値観の持ち主だ。
「ようこそ、シェル・セキュリティー・サービスへ。羽地さん」
「初めまして。これからお世話になります」
羽地を出迎えたのは30代前半ごろと思われる女性だった。
明らかに鍛えられているのが、そのタンクトップと前をはだけたアメリカ海兵隊の迷彩服からもうかがえる。
「具体的な話は中で」
「その前に積み荷を降ろしていいですか? 真島さんが気にするので」
「ええ。構いませんよ」
そこで初めて4台の棺がこの醜い異世界の大地に降ろされることになった。
4台の棺の中の少女たちも、ようやくその真価が問われる時が来たのだ。
ミミック作戦という作戦において。
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ミミック作戦。
それが日本情報軍第101特別情報大隊第4作戦群第44分遣隊に与えられた任務だった。
「ここら辺でいいですか、先生」
「うむ。まずは彼女たちを起動しなければいけない。注文しておいた電子機器は?」
「こちらに」
「よろしい。私は私の仕事を始める」
真島はそう告げると床に並べられた棺──木箱から取り出され、本来の棺としての姿を見せている。高度な電子機器の固まりとしての棺の姿を──にコードやらなにやらを接続していった。
「自己紹介がまだでしたね」
「ええ。こちらもいきなり押しかけて申し訳ない」
「気になさらず。私は矢代京香。日本情報軍大佐です」
「失礼。羽地悠日本情報軍少佐であります」
「階級を呼び合うのはこれで最後にしましょう。私のことはボスとでもなんとでも呼んでください。カバーが剥げると致命的ですので」
「重々承知しております」
いくら昇進の早い日本情報軍でも30代の大佐などいない。よくて中佐だ。恐らくはもっと高齢だが、ナノマシンによるアンチエイジングを受けているのだろうと察しをつけた。だが、この考察を素直に喋るほど羽地は馬鹿じゃない。女性に年齢を聞くな、だ。
「しかし、第4作戦群第44分遣隊とはまた縁起の悪い部隊名ですね」
「あまりに縁起が悪すぎて、誰も実在を信じないというのが理由だそうです」
「いないことになっている部隊。日本情報軍が好きそうなことですね」
矢代はそう告げてため息をついた。
「それでミミック作戦というのは?」
「情報はこちらに。端末は安全ですね?」
「バックドアなしのレベル6の軍用の防壁と日本情報軍の雇ったハッカーの作った防壁の二段構え。安心していいですよ」
「それでは」
羽地が矢代にデータを送信したのと、棺が動いたのは同時だった。
棺のひとつの蓋が開き、中から少女が姿を現す。
衝撃吸収のためのポリマー素材の中で少女は眠っていた。頭から灰を被ったような少女は人間そのもので、それを見た矢代が目を真ん丸にしている。
「あなたたち、何を……」
「ボス。作戦概要を送っています。確認してください」
人身売買か何かの片棒を担がされたのかと矢代が動揺するのに羽地が軍用規格のタブレット端末をトントンと音を立てて指さす。
「……ミミック作戦。人型アンドロイドを利用した軍事作戦が可能か否かの実験……」
「そういうことです。あの子は人間そっくりに見えますけれど、中身は完全に機械です。俺のこの義手のように」
ミミック作戦の概要を読み解く矢代に羽地はそう告げた。
「そうだったわね。第4作戦群。それは偽装ではないわけね」
「第4作戦群。軍人のスクラップヤード。死にぞこない部隊。ブリキの兵隊作戦群。まあ、そういうことです。我々と彼女たちとの差は、母親の腹から生まれたか、研究所の組み立てラインで生まれたかぐらいでしょう」
日本情報軍第101特別情報大隊第4作戦群。
作戦中に四肢を喪失し、その四肢を軍用の人工筋肉と炭素繊維でできた四肢に置き換え、かつ背骨と骨盤を人工のものにすることに同意した軍人たちの所属する部隊。最初は実験部隊だったが、経験豊富な軍人と強化外骨格を装着せずとも同レベルかそれより高いスペックを示す肉体とが合わさり、実働部隊のひとつとなった。
だが、評判は羽地の語った通り。
第1から第3まで存在する日本情報軍の作戦群は第4作戦群を『ヘマをしでかして手足を失った哀れな連中』と見なしていた。それについては羽地も文句は言えない。実際に彼はヘマをしでかしたのだから。
そのヘマで失ったものが自分の手足だけだったのは幸運だと羽地は思っている。彼は部下を抱えた指揮官の身であり、彼には部下の命を預かる責任があったのだから。
「真島さん。準備、できました?」
「待ってくれ。今、自己診断プログラムを走らせている。ここに来るまでずっとメンテナンスポッドに入っていたから問題はないと思うが、万が一のこともある」
ミミック作戦の概要を読み続けている矢代を横に羽地と真島がそうやり取りする。
「終わった。XR00001A。起動だ」
真島がそう告げると眠っていた少女が目を覚ました。
瞼が開かれ青い瞳が虚空を見つめる。そして、実に機械的に上半身が起き上がった。
「まあ、可愛いわ」
矢代はタブレット端末から顔を上げて、そう告げた。
そうだろうか? と羽地は思う。
人形としては可愛いかもしれない。だが、人間としてはどうだ。
瞳の形をした多目的光学センサー。それは虚ろだ。ピカピカに磨かれて、輝いているが、その輝きは空虚な輝きだった。中央アジアで山ほど殺した子供兵たちにも瞳に輝きはあった。ただ、太陽の光が水晶体に反射して輝いているだけで、その瞳の奥は何もないがらんどうだった。子供兵の未来ががらんどうであったように。
「よしよしよし。問題なしだ。まずは彼女からだ」
「この子の名前は何というのですか?」
「ものとして扱うことのない姿勢には感謝する。だが、名前はない。現在この子を識別するのは個体識別番号XR00001Aだけだ」
「XR000……。普通の名前を与えられないですか?」
「もちろん、与えるとも。だが、与えるのは私ではない。彼だ」
矢代の言葉に真島が指さしたのは羽地だった。
「え? 俺がですか? 真島さんの発明品でしょう、この子?」
「私とて自分の作品に名前を付ける権利ぐらいは欲しいとも! だが、ミミック作戦においてこの子のバディを勤めるのは君だ。もっとも彼女に接する機会のある君が、この子の名付け親になるべきだろう。そうすれば両者の間の距離も縮まる」
「はあ……」
羽地は独身である。子供もいない。子供に名前を付ける機会など当然なかった。
それがいきなりロボ娘の名前を付けろと言われても『はあ……』というリアクションになるのは当然だろう。
そもそも名前なら一応日本情報軍が付けている。
ミミック01。
それがこの子の日本情報軍での識別名であった。
なんとか式なんとかかんとかという名称がつけられていないのは、これが正規の“装備品”ではなく、実験の段階にある非正規な装備だからという理由だ。
もっとも、ミミックの存在を明らかにするつもりなど欠片もない日本情報軍は永遠にミミック01をミミック01と呼び続けるだろうが。
しかし、羽地までこの子をミミック01と呼ぶわけにはいかなかった、期待の目で見ている矢代からして、この子にまともな名前をと思っている。真島は言うまでもない。
「あー。その、この子の扱いはどういう身分になるんでしたっけ?」
「それは君の把握しておく分野だろう。私は知らないよ」
「そうでしたね。ええと……」
いい名前が思い浮かばないのでひたすらに時間を稼ぐ羽地である。
「18歳のアルバイト学生? 正気でこんな身分を準備したんですか?」
「いますよ、アルバイトの学生。もっとも誰も護身用以外の銃は持たせませんけれど」
「それはまた」
地球での産業がそっくり異世界に移行すれば、それに従って雇用も異世界に移る。アルバイトをする学生たちもポータル・ゲートを通過して、将来の夢に向けて、基地内のコンビにやピザ屋、あるいはビルの清掃員として働くのだ。
「ってことは外人さんでもいいわけだ」
羽地はそこでひとつの名前を思いついた。
「アリスっていうのはどうです?」
「悪くはないと思いますよ。ジェーン・ドゥーとかじゃなくて幸いね」
流石にそんな死体安置所にいそうな名前は付けませんよと羽地は思う。
「不思議の国のアリスかね?」
「ええ。ああいう奇妙なことでもぐいぐい進む好奇心旺盛な子に育ってほしいというか。まあ、ロボットにそんな期待をするなんて無茶言っているみたいですけれど」
「そんなことはないとも! それこそが我々が開発したアンドロイドの真の目的だ! この子が自ら挑戦し、体験し、学習し、そして新たなものを生み出す。それこそが我々技術者が思い描いていたこの子たちの未来なのだ!」
「あ、ああ。そうですか。それは何よりで」
おいおい。ロボットが自ら考え、行動するぐらいの自意識を持ったら待遇改善を訴えたりしないだろうなと羽地は実に庶民的な感想を抱いた。
「では、これからアリスを対話可能な状態にする。言っておくが最初の印象が大事だ。この子たちは生まれたてのような状況だ。事前に社会常識などのデータは入力してあるものの、精神発達には一切手を加えていない。君がバディとして、保護者として、大切に扱い彼女の精神の発達が健全なものになることを祈る」
「責任重大ですね……」
ますます事態がややこしくなってきたぞ、と羽地は思う。
生まれたての少女の相手をできるほど羽地はデリケートな人間じゃない。日本情報軍の薄汚れた作戦に長年従事し、付き合ってきた相手は人権なんてクソ食らえな軍閥の指導者たちや、金さえあれば子供兵だろうと売り飛ばす武器商人たちだ。
羽地は純粋無垢な少女を相手にするには汚れすぎていた。
「XR00001A。全機能のロックを解除。羽地君」
「はいはい」
灰を被ったような少女は青い瞳で羽地を見上げた。
そして、ごく自然な──人間とまるで変らぬ動作で棺から起き上がる。
18歳にしちゃ、幼すぎだよな、と羽地は思う。
15歳程度が限界というその見た目の少女は首を傾げていた。
「初めまして、私はXR00001A。富士先端技術研究所製アンドロイドです」
「初めまして、XR00001A」
先にロボットの方が挨拶するのに羽地も挨拶を返す。
「XR00001A。今日は君に名前を付けることになった。君の名前はこれからはXR00001Aではなく、アリスだ。気に入ってくれたかな?」
「アリス。一般的な英語圏の女性名。不思議の国のアリスからですか?」
「そうだよ。君は賢いね」
「いえ。データベースにアクセスしてもっとも解答に近いと思われるものを選択しただけです。日本人の方でアリスという名前をもっとも知る機会があるのは不思議の国のアリスだと思われましたので」
そこでXR00001A改めアリスが黙った。
「こういうのはずるでしょうか? データベースへのアクセスは禁止されていませんでしたが、あまり推奨される行動であったようには思えません」
「君は君の能力で答えを探し当てた。ずるじゃないよ。人間だって外部記憶装置に頼ることが多々ある時代だ」
困った顔をするアリスに羽地はそう告げて頭を撫でてやった。
「さて、名前は決まった。お次は」
「まずは彼女と会話して、よければ本でも読ませてやり、情緒的な教育を。と言いたいのは山々なのだが、あいにく君の上官である橋田大佐から『一刻も早く、この装備を実戦可能なレベルにし、そのデータを引き渡してもらいたい』と言われている」
「つまり、彼女を兵士にするための訓練を始めろと」
「私としては断固として反対だがね。銃が撃てるロボットが欲しければ自動掃除機の会社から軍用ロボットを購入すればいいだけの話だ! これは何とも愚かしい行為だ! 我々がシェイクスピアのパトロンだったとして彼に演劇の脚本を書かせる代わりに、文字起こしの仕事をさせるかね? これはそれぐらい馬鹿げた行為だ!」
「落ち着いてください、真島さん。我々は人間の兵士を完全に代替する代物が欲しいんですよ。2010年からさっぱりデザインの変わっていないキャタピラ式のちゃちな軍用ロボットではダメなんです」
そうなのだ。
ミミック作戦で重要視されているのは『簡易な検査では人間と区別がつかない人型ロボット──アンドロイドを使用した諜報活動及び軍事作戦の実行の可否の判別』である。
日本情報軍は、いや日本という国家そのものが深刻な人手不足だった。
少子高齢化。そのツケが深刻になってきたのだ。
海軍は軍艦の省人化・無人化に熱心であり、空軍は高度なドローンを動員している。陸軍ばかりは歩兵が歩いて回るという作業をなくせず、その代わり砲兵や戦車といった兵科の省人化を徹底的に行っている。
情報軍も深刻な人手不足から省人化・無人化を図っていた。
だが、日本情報軍が担っている情報戦というものは人間の手が、ほぼ確実に必要になる。情報傍受であるシギントや偵察衛星や戦略級ドローンの運用であるイミントはAIに処理させることによって、大幅に分析官を削減できた。
だが、人間が人間から情報を得るヒューミントはどうしても人間が行わなければならない。ヒューミントから派生する暗殺については2010年代から流行りだしたドローンによる爆殺という手が使えないケース──人口密集地にターゲットがいるか、あるいはドローンを飛ばせない地域にターゲットがいる──が多くなり、これも人間の手で行わなければならなかった。
このような問題にどうやって対処するのか?
米中央情報局のように民間軍事企業を雇う?
論外だ。日本情報軍の作戦は高度な機密であり、日本情報軍内で完全に完結していなくてはならない。そのことについては日本情報軍のお偉方は偏執病のようになっている。身内の人間ですら日本情報軍情報保安部というゲシュタポ染みた組織に監視させている彼らが民間軍事企業のろくでなしなど雇うはずもない。
では、どうする?
解決策はシンプルだ。ロボットにやらせればいい。人間と区別のつかないロボットに任務をやらせればいい。万が一、ロボットがヘマをしたとしても自爆機能でもつけておけばこちらの関与は一切発覚しない。その上、ロボットなら外観をいくらでも偽装できる。
ナイスアイディア。
だから、日本情報軍はちょうどいいところにあった真島の研究を接収し、自分たちのために使おうと決定したのだった。
「だからといって、彼女たちのように未来のある子供たちを戦争の道具にするとは」
「ええ、ええ。実に遺憾に思いますが、これも仕事ですので」
子供兵なら散々使った。使い潰した。殺しさえした。戦場においては子供と大人の区別なく、レディース・デイなんてサービスもない。全ての人種において料金はいつも一緒。命で払うしかない。
そんなところに羽地は手足を失うまでいたのだ。
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……………………
「さてと。何から始めるか」
そこで助けを求めるように羽地が矢代の方を向いた。
「軍隊で重要なのは何においても規律よ。規律ある集団行動の出来ない一匹狼はお呼びじゃない。けど、その子とあなただけで集団の規律を作るのは苦労しそうね」
「そちらの会社の社員と一緒に行動するというのは?」
「こっちの社員はベテランよ。ただし、脳みそにナノマシンを叩き込んだ。それを15歳くらいの女の子と一緒に活動してくれって言われても、馬鹿らしいと鼻で笑うか、猫かわいがりするだけね。規律は身につかない」
「となると、少なくとも銃が扱えるようにはしておくべきですかね。まずは銃の基礎的な射撃を学習させて、それからそっちの社員と一緒に演習なんてどうです? 短期間育成なら実地に沿ってやらせるのが一番手っ取り早く、協力の必要性を学べるでしょう」
「可能な限り協力する。射撃レーンまで案内するわ」
「助かります」
矢代が告げ、羽地がアリスを振り返る。
「アリス。早速だが仕事だ。体はきちんと動かせるかい?」
羽地の場合、軍用義肢に転換してから3か月はリハビリの日々だった。だが、羽地にとって幸いだったのは、既に軍用義肢のデータがある程度集まっていたことだ。技術者たちが羽地の体型と行動に合わせて義肢がきちんと動作するように設定し、頭の中と人工の背骨に叩き込んだナノマシンに学習させた。
だから、四肢を義肢にしてもそこまでリハビリに時間はかからなかったのだ。実際になれるまでにかかった時間は1か月程度で残りの2か月は軍人としてのリハビリだった。
ならば、実際のところ、動いているところを見たことがないアリスはどれくらい動けるのだろうか。まさか、真島のような技術者にとって、今となっては驚くこともないロボットの二足歩行ができないとは思っていなかった。
「大丈夫です。歩行可能です」
アリスはそう告げると真島があらゆる部分に取り付けた棺のケーブルを慎重に避けて、本当に人間そっくりの動作で羽地についてきた。
「流石は最新のロボットね。人間と区別がつかない」
「ええ。全く以て驚かされます」
アリスの動作を見て、矢代と羽地が感嘆の息を漏らす。
「彼女が動けるのは当然だ。データの蓄積がある。羽地君、君も軍用義肢の使用者らしいが、我々の世界にはプロのパラアスリートから一般の怪我人に至るまであらゆる人間の義肢についてのデータベースが存在する。身長、体重、年齢、社会的地位、頻繁に行う動作。そういうものに分類された義肢の動作についてのデータベースが存在するわけだよ。それを私は彼女たちに学習させた。学習だ。インプットじゃない。彼女たちにデータベースを閲覧させ、もっとも自分に適した動作環境を選択させ、さらにはそれを発展させ、彼女たちがまさに人間と同一の仕草を学習するまでにした。もちろん、これが人間の行う些細な動作でも精神の発展においては──」
「分かりました。分かりました。凄いですね。本当に凄いです」
真島が喋るままにしていたら羽地は軍学校の講義を思い出しそうだった。
「では、射撃レーンへ。銃はどうします?」
「こっちの銃事情ってどうなっているんですか?」
「あれやこれやと仕入れてあるわ。うちのオペレーターたちはHK416自動小銃が共有装備だけど、SCAR自動小銃もあればACR自動小銃もある。6.8x43ミリSPC弾仕様のものもある。カラシニコフもいろいろと。表向きは全てID登録されているわ」
「表向きは、ですね」
この異世界では当初、銃火器で武装していたのは地球の人間たちだけだったが、企業同士の資源争奪戦が激しくなるに従って、武器を現地住民に流して、他企業の行動を妨害するなどの行動に出る企業が出始めた。
企業は銃火器が隅々まで行き渡り、ここが地球の紛争地帯と変わりなくなるのを恐れて、地球から輸入される武器にはID登録を行うことを決めた。今では民間軍事企業が使う武器は全てID登録されたものだ。
だが、今でもID登録されていない武器弾薬は存在する。
このシェル・セキュリティー・サービスにおいてもそのような武器弾薬が貯蔵されている。それも少なくない規模で。個人防衛火器サイズのサブマシンガンから対戦車ミサイルまでの分野において。
というのも、このシェル・セキュリティー・サービスは日本情報軍の秘密作戦に使用するダミー会社だからである。ベトナム戦争中のエア・アメリカよろしく、政府が軍事目的で作った会社なのだ。
設立理由もエア・アメリカと同じく、非合法作戦を実行するため。異世界という安全保障上の理由から軍事組織が入ることが禁じられている地域で、日本情報軍が軍事作戦を行うためにシェル・セキュリティー・サービスは設立された。
主な任務は他の民間軍事企業の監視。異世界でごろつきたちが何を企てているかを監視するのが主任務だった。民間軍事企業とは言え、戦闘ヘリや戦車で武装した集団が東京湾に浮かぶメガフロートにある門のすぐ向こう側にいるというのに、日本情報軍は安全保障的観点から危機感を覚えていた。
異世界においては地球の国家の影響力は小さく、民間企業の影響力は絶大だ。門の向こうで企業帝国を作り上げた巨大企業すらある。巨大企業こそが主権を有し、民間軍事企業という名の軍隊を従えた帝国は傀儡に過ぎない現地の政府を裏で支配していた。まるで1980年代に描かれたサイバーパンクの世界のように。
国家を守ることを任務とする日本情報軍にとっては苛立たしい事態だ。介入しようにも軍を送ることはできない。だから、少なくともその企業帝国の影響が日本国に及ばぬように、監視の目を光らせていた。
「しかし、それだけ装備が整っているということはここの仕事は儲かっているんですか? それとも本国からの送金で?」
「普通の仕事もしてますから。要人護送や輸送車列の護衛。それから建設現場の警備などですね。ここの民間軍事企業は大抵六大企業のどれかにつくのですが、我々はその隙間で細々と目立たぬようにやっています」
「六大企業?」
「アロー、アトランティス、大井、ホライゾン、トート、メティス。貪欲な地球企業の代表者たち。企業帝国を作っているのもこの六大企業ですよ。地球ではあまり報じられていないの?」
「あまり報じられていないですね。そもそも民衆が異世界に興味を失っています。PR企業が散々『異世界は退屈でつまらない場所です。ただ、投資する価値はあります』と宣伝したせいですかね。今の日本人の大半は自分が満たされていれば、どんな政権だろうと、どんな社会体制だろうと受け入れる主義ですし」
「アジアの戦争の時代から日本人はずっとそうですよ」
その時代のことを知っているということはかなりの歳だなと思う羽地だった。
アジアの戦争にケリがついたのは2030年代。それから泥沼となった中央アジアの混乱が2060年代になっても終わっていない。中央アジアは30年近く混乱した状態にあるのだ。
「まあ、今のところ企業帝国はこの世界で帝国を繁栄させるのに熱心で、地球にまで帝国を広げようとは思っていないようです。もっとも、金融市場は彼らに牛耳られ始めているかもしれませんが」
世界が違ってもここでの支払いはアメリカドル。企業帝国を築き上げ、膨大な利益を計上する六大企業が地球の金融市場を無視するわけがない。
金融市場が地下でどう動いているのか。支配の手はゆっくりと地球に伸びていないのだと言い切れるだろうか。
「まずは武器庫へ。使用する武器を選択してください」
「了解」
武器庫は地下にあった。
どうやらこの建物は元からあったものではなく、後から建てたものらしい。だが、当初から軍事目的で建てられたものではなく、地下の弾薬庫はワインセラーを改装したものだった。ワインは一本も残っていないが、棚はいくつか残っていた。
矢代はIDカードと生体認証スキャナーで弾薬庫のカギを開けると、羽地とアリスを武器庫に手招きして入れた。
「ご希望は?」
「5.56x45ミリNATO弾のメインウェポンと45口径のサイドアームってところですかね。ヘルメットとボディーアーマーって子供向けのあります?」
「悲しいことにあるのよ。ここでも子供兵を使った作戦を想定しているから。特に現地雇用の子供は土地勘があるから、ドローンと併用して使われるの。いくらドローンが進歩しても、現地住民の力を借りるというのはなくならないのです」
「ああ。そうでしょうな」
子供兵。子供兵。子供兵。
羽地が失った戦友のうち2名は子供兵に殺されている。ひとりは爆薬を胴体に巻き付けた子供兵の自爆で。ひとりは子供兵のフルオートで放った7.62x39ミリ弾がまぐれ当たりして、右目を貫き、弾丸が脳に達したことで。
「昔ながらの名銃はいかが? HK416自動小銃。日本情報軍特殊作戦部隊の装備だったアサルトライフルよ。流石に年代物だけれど」
「この時代まで使われている信頼性がある。これにしましょう」
「サイドアームはUSP自動拳銃でいいかしら? それとも女の子にこれは大きすぎる?」
「大丈夫、じゃないですかね。どうでしょう?」
「9ミリパラじゃダメ? 45口径にこだわりがあるの?」
「アメリカ人と付き合いが長かったせいで45口径信仰になってしまって。大口径弾はある程度の問題を解決してくれますし」
「そういうことなら言うことはないわ」
羽地は義肢にしてから常に強化外骨格を装備している状態になり、大口径だろうが何だろうが気にしなくなっていた。その体でどうせ叩き込むならデカい弾に限るというわけだ。アメリカ人と付き合いが長くても大口径信仰は移らない。
「アリス。使い方を教えるから射撃レーンに行こう」
「HK416自動小銃。H&K社が2001年にM4自動小銃の改修を請け負い製造された自動小銃。使用弾薬は5.56x45ミリNATO弾。ガス圧動作方式で作動。また羽地様の持たれているタイプはHK416C。サブコンパクトモデル」
「データベースを参照したのかい?」
「はい。基本的な操作方法についてデータベースを参照しました」
「それは心強いがまずは俺が教えるからその通りにやってみてくれ」
「畏まりました」
アリスは頷く。
「それから羽地様ってのはやめてくれ。羽地さんとか羽地先輩とかでいいよ」
「先輩。同じ組織内の先任者に対する呼称ですね。畏まりました、羽地先輩」
「冗談だったのに……」
矢代の方から冷たい視線を浴びながら羽地とアリスは武器庫を出た。
「あ。ACOG光学照準器とレーザーサイトもあります?」
「EOTechのホロサイトもブースターも何でもあるわ。この武器庫だけでちょっとした戦争ができるってところね」
「なら、両方ともお願いします」
武器庫にはアクセサリーの類もたっぷりと保管されていた。アクセサリーはアクセサリーでもアリスぐらいの年齢の子供が喜びそうなキャラクターグッズのようなアクセサリーではなく、銃器の補助部品だが。
「取り付け方を教えよう。これはこうやるんだ」
ピカティニー・レールにACOG光学照準器とレーザーサイトを取り付けて見せる羽地。
「少し力がいるけどできるかい?」
「やってみます」
アリスは自分の分の自動小銃に光学照準器とレーザーサイトを取り付けた。
それはベテランがやるように手慣れた仕草だった。
「……アリス。それもデーターベースで?」
「はい。軍用義肢着用者からのデータベースへのフィードバックです」
「どうやら君は簡単に射撃技術を習得できそうだな」
何もかもデータベースを参照にされては人間の脳みそしかない羽地よりも賢いかもしれないアリスだ。羽地にとっては楽な生徒になるかもしれない。
しかし──。
羽地は思う。
また俺は子供に銃を持たせるのかと。
……………………
-
……………………
射撃レーンは屋外に設置されていた。
土嚢が積み上げられて作られた射撃レーンには木製の的が置かれている。その先にはコンクリートの壁だ。壁には弾痕が大小、刻まれている。中には50口径のライフル弾によるものと思われる大きさのものもあり、コンクリートはコンクリートでも、中に鉄板が仕込んであるのだろうと思わされるものだった。
「じゃあ、そこで見ていてくれ、アリス」
「はい、羽地先輩」
「先輩かあー……」
迂闊なことを未発達の精神を有するロボットの前で言うべきではないなと心の底から思った羽地であった。
「じゃあ、まずはマガジンを装填して──」
射撃にはいろいろとコツがある。
そのコツも時代時代で変わっていくもので、2060年代になると脳みそにナノマシンを叩き込み、VR環境で演習を行うようになって、そこでまた新しい射撃のコツが生み出されていた。特に民間でも射撃に熱心な国であるアメリカではいくつもの射撃のコツを生み出していた。
だが、基本的に守らなければならないルールは3つ。
自分に銃口を向けるな。友軍に銃口を向けるな。弾が入っているにせよ、そうでないにせよ銃口を撃たなければならない目標以外に向けるな。
それだけだ。
羽地はこれを徹底してアリスに教え、射撃のコツについていくつかレクチャーした。
「では、アリス。やってみるといい」
「はい」
アリスはHK416自動小銃を手にすると射撃レーンに立った。
そして、手慣れた仕草でマガジンを装填し、初弾をチャンバーに送り込む。その仕草は初めて銃に触れた人間とは思えないほど習熟していた。彼女を知らない人間ならば、もうすでに何度もこの訓練を行った人間だと思えるだろう。
そのまま銃を構える。携行性を高めるために小型化された自動小銃はアリスの小柄な体にはちょうどいいサイズだった。あの後でついでに調達したフォアグリップを握り、肩にストックを当て、光学照準器を覗き込み安定した姿勢を取る。
そして、セミオートの単発射撃で木製の標的を射抜く。
銃に振り回されているという印象はない。むしろ、銃を正確にコントロールしている。日本情報軍に入隊したばかりの新兵よりもずっと優れた射撃が行えている。単発で人型の目標の頭と胸を正確にダブルタップで、羽地のやったように撃ち抜く。
「お見事」
「凄いわね……」
羽地はただただ感心して拍手し、矢代は呆気に取られていた。
「これもデータベースの蓄積、って奴ですかね。ここまで人間とそっくりというか、完璧な動きをされると、驚きますよね。しかし、子供向けの自動小銃の取り扱いなんてデータベースにあるんですかね」
「それは彼女の学習の結果だ」
そこで声を上げたのは後からやってきた真島だった。
「学習? データベースを参照したとかじゃなくて?」
「もちろん、データベースは参照している。参照したうえで学習しているんだ。考えてもみたまえ。15歳ほどの義肢を持った子供がライフルを振り回すデータなんて、いくらなんでもあるはずがないだろう。彼女はデータベースの中の君たち軍人のデータを参照し、それを自分の体のサイズと義肢のスペックに応じて適応させたのだ。これこそが彼女たちがただの軍用ロボットとは違う理由だ。彼女たちは挑戦し、学習し、発展させる。今でこそデーターベースを参照しているが、やがては自分でデータを収集して独自の行動に発展させることが可能になるだろう」
「なるほど」
今の軍用ロボットも学習はする。だが、基本的にその学習能力が限定的だ。人間のように学習して、そこから何かを生み出すまでには至っていない。
2010年代には2045年近くには技術的特異点を迎えて、人間より優れたAIがさらに優れたAIを生み出すという再帰的な事象が発生し、人間は機械の生み出すもので生活していけると言われていた。
だが、技術的特異点は2045年には訪れなかった。2060年代にもまだやってきていない。結局、地球は人間が生み出す機械が、人間にプログラミングされて、それ以上のことはなさなかった。
しかし、どうだろうか。
目の前にいるアリスは自分たちで学習し、発展させ、自らの手で新しい生産物を生み出している。このまま彼女が学習を続けたらどうなるのだろうか? いずれは人間を超える存在になるのではないだろうか?
「まるでSF小説の世界ね。人間に紛れられても区別がつかなくなりそう」
「そうなるのが目的なんですよ、ボス」
日本情報軍としては彼女が何を生み出そうと関心を持つまい。だが、彼女が人間のように行動でき、人間と区別がつかない点は非常に高く評価するだろう。それこそがまさにミミック作戦の目的であるのだから。
「人間と見分けが付かなくなったら、反乱を起こしたりして。そういう映画を見たことがあるわ。確か1980年代の映画で、2049年代にフルダイブ式のVR映画になったわよね」
「そういう発想はやめてもらえないだろうか! SFと実際の科学を混同するのは! SF作家と科学者の間には絶対的な違いがあるのだ! SF作家は科学で音楽を奏でる音楽家だとしよう。ならば、科学者は楽器を作る楽器職人だ。どちらが高等かは言わない。パン職人とケーキ職人が優劣を競わないのと一緒だ。そもそものジャンルが異なる。だが、言っておこう。音楽は確かに大衆の耳に響くが、その音楽の根底には楽器職人たちのたゆまぬ努力があり、その楽器なくしては音楽家は何も奏でられないし、音楽家たちは耳に心地いい音楽を奏でるのに懸命だが、科学的事実は音楽ほどには優美ではない」
持論を述べると止まらなくなる真島だ。
「まあ、私自身1950年のロボットについてのSF作品がなければこの道に進もうなどとは思わなかったから、SF作家を貶めたいわけではないのだよ。ただ、SF作品は科学的事実を過剰に粉飾する傾向がある。ロボットの反乱だのAIによる核戦争の勃発など。それがいかんのだ。それらはすぐに大衆に間違った認識を与える」
真島はそう告げてため息をついた。
「彼女たちが脅威になることはない。ロボット三原則なんてものこそないものの、セーフティは用意してあるし、彼女自身がそれを望まない」
「望まない、ですか」
マグチェンジしながら射撃を続けるアリスを見て、羽地が呟いた。
彼女が人間と同様に進化するならば、人間と同じ不満を覚えるはずだ。働きたくない。人間に使われたくない。死にたくない。そういう不満を覚えるはずだ。
まして、アリスは日本国のために宣誓して日本情報軍の任務に就くわけではない。彼女は最初から“用途”が決まっていたのだ。生まれた子供の運命が生まれた瞬間に決定してしまっているようなものだ。これに不満を覚えないのだろうか?
生きている以上、不満は溜まるものだ。それが爆発するのが戦争であり、羽地たちが誘導してきた中央アジアの内戦なのだ。
人間と同等に思考するロボットが存在するならば、それは人間と同じように不満を蓄積し、やがて戦争になるだろう。真島の言う過剰に粉飾されたSF作品の世界となってしまう。真島の言うセーフティがどういうものかは分からないが、それが上手く機能することを祈るばかりだ。そう、羽地は思った。
「羽地先輩。訓練を継続しますか?」
「いや。自動小銃の取り扱いは完璧だ。必要ない。次は拳銃を試してみよう」
アリスが羽地の渡したマガジンを撃ち尽くし、チャンバーに弾薬が残っていないことを確認してから告げる。
アリスはどこまでも忠実に羽地のやった通りにやっていた。マグチェンジはベテランの兵士さながらの素早さであり、安全確認も怠らない。羽地としてはある意味では教え甲斐というもののない生徒だった。ここまで一度の動作で完璧にやられると、注意したり、教えたりすることはまるでない。
「拳銃の構え方は──」
アリスは一度教えるだけで学習する。拳銃についても同様だった。その手には些か大きなUSP自動拳銃で目標を撃ち抜いていく。
「他の子もこれぐらいの性能なんですか?」
「いや。個体差がある。すぐに学習し、発展させる個体もあれば、学習を念入りに行い、発展にも時間をかける個体もある。人間に個性があるように彼女たちにも個性がある。その個性こそが人間性を生み出すのだよ、羽地君」
「はあ」
軍としては全て同じスペックの“装備”が納入されることこそが望ましいだろう。この銃はこの部品の固定が甘いとか、この機関銃は他の機関銃と比較して熱に弱いなどということになったら、軍隊の基本である集団行動が行えない。
まあ、羽地が聞くところによれば2010年代の軍用ロボットには個性があったそうだ。というのも、その個性というのはステアリングが甘かったりして生じた他の製造品との違いだったそうだが。だが、心理学者に言わせればそのような個体差こそが、人間にとって機械を擬人化して考えるきっかけになるそうだ。
真島の語る個性というのもアリスたちの人間性を獲得するためというよりも、周囲が彼女たちをロボット扱いしないためのように思われた。
アリスと同型のロボットがこの射撃レーンにずらりと並んで、ナノセカンド単位で同じ動作をしている光景を想像すれば、アリスを人間として見るのは難しくなるだろう。
「覚えの悪い子もいるってことですか?」
「いいかね、羽地君。私は馬鹿なアンドロイドなど作っていないぞ。そんなものは自動掃除機会社に作らせておけばいいのだ! あの連中、私が愛するSF作品の名前をちゃっかり社名にしおって。今になってもまともな自動掃除機を作れないくせに!」
「どうどう。落ち着いてください、真島さん。どれくらい個性の差があるんです?」
「うむ。考える子はとことん考える。逆に考えない子はデータベースを簡単に弄る程度で済ませる。彼女たちの思考だけでチェスや将棋をプレイしたが、どの子も選択する戦略は異なっていた。まあ、今さらAIに人間がボードゲームで負けたからといって、特にニュースになるわけじゃないが」
ああ。負けたんだなと羽地は思った。
「振れ幅で言えば、アリスがもっとも標準的なステータスであるのだが、学習に時間をかける個体ならば先ほどのライフルの射撃でも30分ほど試行錯誤する子がいる。逆に学習に時間をかけない子ならばアリスより早くライフル射撃を行うだろう。だからといって学習に時間をかける子が劣っているわけではないよ。そういう個体の方がデータベースにいいフィードバックを返してくれる。時間のかかる分、出来は上出来というわけだ」
「ふむ。アリスが標準的なのですか。あれでも人間の軍人からすれば驚異的な学習速度のように思えますが」
「そうだな。標準的という言い方は適切ではなかったな。彼女は我々があまりパラメーターを弄らなかった個体だ。そのためにそういうことによる個体差は出ているだろう」
「はあ」
パラメーターとは何を弄ったのだろうか。
「ともかく、彼女たちは家電製品とは異なる。まして、ポンコツの自動掃除機などとは。私が求めていたのは人間そのものだ。目的を持って作られたこれまでの機械とは全く異なる『目的を自分で探す』機械が作りたかったのだ」
そこで真島がため息をつく。
「まあ、その結果がこれなのだが」
「同情します。可能な限り、真島さんの研究も手伝いますので」
「そういってくれて嬉しいよ。橋田大佐はまるで私の言うことを聞いてくれなかった」
橋田大佐は典型的な日本情報軍の軍人だ。
日本情報軍の利益は日本国の国益であり、日本情報軍の行動は全て日本国の利益になる行動だ。それがいかなるものであれ、日本情報軍は日本国に仕えており、日本国は日本情報軍のためにあらゆる便宜を図るべきである。そういう考えの持ち主。
羽地は日本情報軍は悪しきプロイセン的考え──日本情報軍のために日本国が存在する──に浸っているかのように思えてならなかった。
民間人から研究を取り上げ、自分たちでこっそり使うなど。
真島から研究を取り上げる決定をしたのは橋田大佐ではなく、もっと上層部の人間だろうが、橋田大佐はその決定に何の疑問も覚えなかったに違いない。彼は長く日本情報軍にいすぎた。自分たちが異常だなどとは欠片も思いはしない。
「羽地先輩。自動拳銃の訓練を継続しますか?」
「君に教えることなどないのではないかと思い始めているところだよ。次は手榴弾の取り扱いを学ぼうか」
「はい。私はまだまだ学ばなければなりません。羽地先輩からいろいろと教えていただきたいです。私はまだ未完成ですから」
「謙虚だね、アリスは」
その謙虚さが必要なのは日本情報軍という狂った組織だろうに。
……………………
-
……………………
アリスの歩兵としての初めての訓練は意外なほどあっさりと終わった。
自動小銃も、自動拳銃も、手榴弾も、発煙弾も、閃光発音筒も、どの歩兵の基本的な装備についても羽地が一度教えるだけで満点の成績を発揮した。
「基礎は上々。後は応用ですかね」
「キルハウスならあるわ。野戦の訓練は別の場所だけど」
「ここ、なんでもありますよね。どういう経緯でこの建物を?」
「元はこっちに越してきた実業家の邸宅──という形で日本情報軍が整備した建物よ。最初からセキュリティーについては念入りに作られているし、擬装も完璧。この核シェルター並みに頑丈な建物なら155ミリ榴弾の直撃にも耐えられるわ」
「なんとまあ」
どうりでいろいろと揃っているわけだ。地下のワインセラーも偽装か。
「けど、今日はキルハウスを使うのはやめておかない? あの子は生まれたばかりの精神の持ち主なんでしょう。最初から戦争漬けにするのもどうかと思うわ。私たちだって硝煙の臭いを知らない人生の時期があったわけだし」
「それもそうですね。午後は真島さんの研究を手伝いましょう」
そして、午前中のアリスの訓練は終わり昼食の時間となる。
「あの、真島さん。アリスに食べさせると不味い食べ物ってあります?」
「アレルギーがあるような個体を私が製造すると思うかね? 彼女はなんでも食べるとも。寿司だって食べるだろう。それをナノマシンが分解し、バイオマス燃料として彼女の動力源にし、同時に彼女の体を構築している有機素材の材料にする」
「では、同じ食事でいいですね」
羽地は戦場で人食いドローンを見ている。ロボットが人間を食って、バイオマス燃料にしている光景を見ているのだ。それならば普通の食事ができるアリスは驚くに値せず、昼食の準備に向かう。
「本当なら社員一同で歓迎したいところだけど、仕事が忙しくて。昼食は宅配ピザでいいかしら?」
「ゲートの方で盛大に爆竹を鳴らしている連中がいましたけど、本当にここまでピザが届くのですか? 外食した方がよくないですか?」
「あら。ここの宅配ピザは確実に届けてくれるわよ。ここの治安はそこまで悪くないの。現地住民をこのエリアからは締め出しているからね」
この街──シャルストーン共和国首都ティナトス。
六大企業による傀儡政権の支配する国家の首都。
現地住民の人権など微塵も顧みられず、地球からやってきた民間軍事企業のろくでなしがアメリカ海兵隊の戦闘服と日本製の強化外骨格を纏って、自動小銃で害獣でも相手にするように鉛玉をまき散らす。
ようこそ、素晴らしい新世界へ。
ティナトスは本来ならばシャルストーン共和国──かつては神聖シャルストーン王国という国家だった──の住民たちの都市だった。今でも一部の特権階級にとってはティナトスは彼らが暮らすことを“許された”街であった。
だが、この街の本当の主人はティナトス中心部に位置する国際経済センターというお上品な高層ビルに君臨している六大企業だ。
宅配ピザの恩恵が受けられるのも六大企業とそれに従う民間軍事企業の連中のみ。本来、ティナトスで暮らす権利を有するはずだった現地住民たちは『宅配圏外です』というわけだ。
「じゃあ、ピザにしましょう。メニューは?」
「これよ。好きなのを選んで。おすすめはハラペーニョ・メキシコ。でも、子供には辛いのは向いてないかしら?」
そう告げて矢代はアリスの方を見た。
「味覚については挑戦と学習を行いたいと思っていました。様々な味の料理が味わえれば幸いです。そのハラペーニョ・メキシコはどのような味なのですか?」
「そうね。ピリッとしてる。私はそれでも物足りないからチリペッパーソースを使うけれどね。あ、そうね。あなたたちには味覚に対する反応はあるの?」
「学習対象です。味覚そのものに対してどのように反応するか。それはこれから学習することです。皆さんの反応とデータベースを参照して、適切な反応ができればと思います。それはそれとして味覚には興味があります」
アリスは見るからにワクワクしていた。
自動小銃にはさしたる関心を示さなかったアリスも、ピザには興味を示していた。羽地としてもその方が健全であると思っていた。自動小銃に子供は興味を示すべきではない。子供が喜ぶのは初めて食べる食べ物であるべきだ。
「それじゃあ、注文するから。15分もあれば届くはずよ」
「楽しみです」
銃弾の中を宅配ピザのバイクが走っている様子を想像した羽地は、今になっては宅配はドローンが行うのだという一般常識を遅ればせながら思い出した。
この世界は歪だ。インフラもまともに整備されていないような紛争地帯で、優雅にインターネットとピザが楽しめる。羽地は中央アジアで彼が暮らした民間企業の建設した宿舎のことを思い出した。あそこも紛争地帯の隅っこにありながら、快適な生活が送れるようになっていた。
殺し合いの続く中央アジアで水をたっぷり使ったそうめんを楽しんだ記憶はまだ新しい。現地住民は水道インフラが破壊され、泥水をすすっていたのに、自分たちは水を文字通り湯水のように使って、そうめんを楽しんだのだ。
後ろめたいという感情はない。自分たちは本来そこにいるべき人間ではなかったのだから。羽地が宣誓したのは日本国であって、中央アジアの国々ではない。羽地は日本国のために仕事をする。国際貢献だろうと結局は日本国の国益のためだ。
それに兵士のメンタルケアの観点からしても、メリットはあった。血にまみれた戦争を繰り広げ続けている中央アジアの光景を毎日目にし、体験するよりも、対戦車ロケット弾の直撃にも耐えられる高い防護壁で囲まれた宿舎で過ごす時間があった方が、精神を病む兵士の数は少なかった。
そう、脳みそにナノマシンを叩き込んでいても、兵士は精神を病むのだ。2030年代のナノマシン万能論は今ではジョークでしかない。ナノマシンは確かに兵士たちを人工の殺意と抑制された恐怖心で機械的に働かせられるが、味方の死などの急性の精神的衝撃や、常に荒廃した世界を見続けることで生じる慢性的な精神的衝撃により、じわじわと兵士本来の精神が病んでいくという統計結果が出ている。
今は複合的な手法が主流だ。ナノマシンも使い続けるが、精神科医による兵士の“メンテナンス”や、日常の環境整備で兵士が使い物にならなくなることを阻止する。1ダースで500ドルの発展途上国の子供兵と違って先進国の兵士の値段は高いのだ。
だから、日本にいると思えることは重要だった。
あのそうめんを食べていた時、兵士たちの心は日本にあったのだ。
宅配ピザを食べているときも、外の野蛮のことは忘れられるだろう。
「真島さん。アリスにはどういうことをしてやればいいんです?」
「彼女を人間として扱ってもらいたい。機械ではなく人間として。ポンコツな自動掃除機と彼女では確かに大きな差があるだろう。だが、機械は機械だ。それを考えずに、本物の人間として扱ってあげてくれ。それが重要なのだ。彼女の精神の発育が人間と同等になれば、彼女にも権利が与えられると思わないか?」
「権利?」
「少子高齢化は深刻な問題だ。日本には今や若い人間があまりにも少ない。人工子宮による“国民量産計画”が倫理的な問題からおじゃんになって、政府は別の道を模索した。同時に私も別の道を模索した。日本は移民の受け入れを拒み続け、在留外国人労働者に限定された権利しか与えず、国連で叩かれている。まあ、それは我が国だけではないが」
「まかさ、彼女たちを国民にするつもりですか?」
「彼女たちが人間と同等の精神を持てば、彼女たちは人間の代わりが立派に務まる。彼女たちは国民として労働し、利益を上げ、税を納め、バイオマス燃料としての食料やメンテナンスパーツを消費する。そうなれば国民として立派に務まるのではないか?」
「では、彼女たちにも参政権を与えるべきですかね」
「私はそこまでは考えていない。だが、社会に彼女たちが貢献し、社会の一員としての自覚を持つのならば、それ相応の権利を与えるべきだろう」
外国人労働者ですら単純な労働力として扱う日本政府が機械に権利を与えるか?
この先生は夢を見すぎているのかもしれない。
産業の自動化はアリスのような高度なロボットを必要とせず進んでいる。農業も、工業も、サービス業もロボット、ロボット、ロボット。無人化は進み、どうしても外国人労働者を受け入れなければならないのはその根底をなすIT産業だ。
技術的特異点は2045年には訪れなかった。機械がより優れた機械を生み出し続ける再帰的現象は起こらなかった。
今も日本全国で稼働するあらゆる産業ロボットのデザインとソースコードを書いているのは人間だ。インドなどの国家で量産されたプログラマーたちが、システムエンジニアと一緒に納期を睨みつけてソースコードを書いている。
それは2010年代に比べればプログラミングは非常にやりやすくなった。新しいコードが開発され、AIのサポートがあり、小学生のころから子供たちはプログラミングについて学ぶ。だが、ロボットがより高度な活動を求められるようになり、ソースコードも複雑化してしまい、プラスマイナスゼロになってしまった。
AIは依然としてビッグデータに頼るばかりの能無しであり、AIにソースコードを書かせてみたら頓珍漢なそれが出来上がるというのが現状だった。
その点で言えば挑戦し、学習し、発展させ、創造するアリスたちは労働力になりえるのかもしれない。だが、だからといって権利が与えられるとは思えない。
「ですが、真島さんの研究は接収されてしまった」
「……そうだ。未来の可能性がなくなったのだ。私に研究を発表する機会を与えると橋田大佐は約束してくれたが、どこまで本当かは分からない」
未来の国民をロボットにするのか、あるいはそのロボットに暗殺と諜報任務を密かに担わせるのか。どっちも狂った選択肢だと羽地は思った。
人を殺すことすらも完全にロボットに任せてしまっては、人間はどうなってしまうんだ。戦場を飛び回るドローンですら、引き金を引くのは人間だ。そうでなければならないのだ。人を殺すということは責任ある行為なのだ。そして、責任とは権利あるものによって取られるべきなのだ。
完全にAI任せにして引き金を引かせた時、もしそれが間違った行為だった場合、いったい誰が責任を取る?
ソースコードを書いたプログラマー? 現場運用者か? それとも採用を決めたお偉いさんか? 誰もが責任を拒否するだろう。そして、間違った行為を取ったAIをどう処罰する? ソースコードの書き換えか? それは単なるAIの改善に過ぎない。
権利があるからそれを取り上げることで処罰できる。
アリスには権利はない。
だから、日本情報軍はその権利と処罰の問題を解決するために、バディを組ませた。アリスの引き金の責任は羽地が取る。アリスの引く引き金を、法的に引くのは羽地だ。
「ピザが届きましたよ」
「ピザ」
矢代が告げるのに、アリスが真っ先に反応した。
「ピザがどういうものかはデータベースで知っているんだろう?」
「ええ。ですが、データベースには味覚の詳細な情報がありません。舌癌で舌の切断を行った患者に移植された人工の舌から得られたフィードバックはデータベースにあるのですが、味覚に関する化学物質のデータしかないのです」
「それじゃあ、初めてのピザを味わってくれ」
「はい。ピザ、楽しみです」
アリスは楽しみだと告げても無表情だった。
「そういうときは笑顔だぞ、笑顔」
「ああ。そうでした。まだ感情と表情の同調が上手くいっていないようです」
そこで些かぎこちなく、アリスは笑顔を浮かべた。
「もっとこう柔らかに笑えないかな? こうやって口元を緩めて」
「難しいです。顔面の全体の機械化は事例が少なく、データベースにもあまりデータがないのです。ですが、こうして私が学習することで、データベースにフィードバックできますね。より人間的な表情が出来上がるかもしれません」
「そういうことを考えていると余計に表情が硬くなるぞ」
そう告げて羽地はアリスの頭をポンポンと叩いた。
「さあ、ピザを食べましょう。サイドメニューも頼んでおいたわ」
「ウーロン茶、あります?」
「冷蔵庫にいろいろありますよ」
「では、失礼して」
羽地は冷蔵庫を漁る。
「アリスは何がいいかい? 真島さんは?」
「私はピザを食べるときはダイエットコークと決めている。もっとも学生時代ほどには食べられないがね。この歳になると消化器官が弱るものだ」
「ナノマシンを使えば消化器官の最適化は行えますよ」
「保険適応外だ。そして、私の仕事は世間が思っているよりも稼ぎが少ない」
「へえ。科学者って儲からないんですか?」
「富士先端技術研究所はどういう形であれ、なんらかの結果を出さなければ1円も入ってこない。管理職になれば一定の給料はあるが、管理職になると研究から離れることになる。ジレンマだよ」
「そいつは辛い。この研究の扱いは?」
「不幸中の幸いか、日本情報軍が全額を負担している。私も給与を得る身だ」
そう告げて真島は羽地から受け取ったダイエットコークの蓋を開けた。
「アリスはどうする?」
「私もウーロン茶でお願いします。気になってきました」
そこで羽地ははっとした。
アリスの目の輝きに本当の輝きがある。
羽地たちが使い潰し、殺してきた子供兵とは違う輝きがあった。
「アリス……」
「羽地先輩?」
だが、見間違いだったのか、その輝きは次の瞬間には失われていた。
「ああ。悪い。ウーロン茶だな。それにしてもデカい冷蔵庫ですね」
「社員の私物も入っているから注意してね」
羽地は何事もなかったように冷蔵庫からウーロン茶を取り出す。
さっきのは気のせいだろう。
真島からいろいろと与太話を聞かされたから、そう思い込んだだけだ。
アリスは未だ機械の域を出ない。
……………………
-
……………………
Lサイズのピザとあまりにも頼みすぎな感のあるサイドメニューを摘まみながら、羽地は真島が目指すものはなんであり、日本情報軍が目指すものはなんであり、アリスを今後どう扱っていくかについて話し合った。
真島が目指しているものは人間と同等の存在となるアンドロイド。日本情報軍が目指しているものは人間と同等の働きをするロボット。両者は似ているようで本質的に異なる。真島は第二の人間が作りたいのに対して、日本情報軍は人間の形をした軍用ロボットが欲しいのだ。人か、機械か。その点は大きな差だ。
そして、その両方の目的を果たすためにはどうすればいいのか。
「社会見学ですかね」
羽地がそう告げる。
「社会見学かね?」
「アリスが人間らしくなるには多くの人間と接するのは一番でしょう。それなら外に出た方がいい。ここにいても接するのは俺、真島さん、ボスの3人です。それじゃあ、学習が偏ってしまうでしょう。3人のうち2人は軍人だ」
「それもそうだが、この街で社会見学かね?」
真島の心配しているのは、この腐敗と暴力を煮詰めたような街で、まともな人間と接することができるかどうかだった。
警告する前に発砲する民間軍事企業のろくでなしどもに、この国の住民を害虫か何かだと勘違いしている六大企業の人間。そのおこぼれにあずかろうとするあくどい兵器ブローカー。
羽地も思う。この街に道徳の教科書にできそうな人間が何人いるだろうかと。
聖書では『正しいものが10人』いたら神の手によって滅ぼさないと約束された都市がある。なお、10人すらもいなかったので滅ぼされた。
この首都ティナトスでも同じようなものだろう。真島はまだ知ることがないが、このシェル・セキュリティー・サービスも民間人を殺傷するような作戦に参加している。ここの社員が日本情報軍の関係者だと思えば、驚く必要もない。
「悪いことは悪いと教えればそれもまた学習に繋がるのでは?」
「確かにそうだが……。だが、この街で……」
真島はこの街に信頼を置けるとは思えていないようだ。
だが、反面教師という言葉があるように、間違っていることを間違っていると教えることもまた学習になる。『ああいう人間には絶対になるな』と教えれば、アリスもまたひとつ学習するだろう。
学習、学習、学習。それを考えるならばアリスをこんな場所に派遣した日本情報軍がそもそもの間違いだ。確かにここは戦闘経験を積むには持ってこいの場所だろうが、まともな精神の持ち主からまともな感情の変化を学ぶことはできない。
日本情報軍は最初からそのつもりなどなかったのかもしれない。彼らはアリスの精神の発育のことなどどうでもよくて、人間の代わり違法な死刑執行を行うロボットが欲しいだけのなのだろう。
「それで、この街のどこで社会見学を?」
「街をぶらぶらってのもいいと思うんですけどね。この街、公園とかあります? なるべくなら民間軍事企業の輩がおらず、どちらかといえばこの街でアルバイトをしているような学生たちがたむろするような公園」
「難しいわね。公園はテロの標的になりやすいってことで民間軍事企業が警備に当たっているし、学生たちは今日日公園に集まったりしないわ。ネットのVR空間でコミュケーションするの。その方が安全だから」
「何でもかんでもネットで済むご時世ですもんね」
思えばそうだ。
今の世の中、かつてのように学生たちが公園で会話に華を咲かせている光景など見ることはない。学生たちは学校に通うこともないし、公園で遊ぶこともない。全てはネット上に存在するVR環境で終わらせられる。
その方が感染症のリスクも低いし、いじめのリスクも低いし、トチ狂った通り魔に襲われる可能性も低い。全てにおいて安全なのだ。
今でも通学と制服の着用という昔ながらの教育体制を維持しているのは、名門校であり、そこに通う子供たちは最新のドローンの警護を受けて、安全に通学・修学している。
まあ、そんなわけで、この世界にバイトに来ているだろう学生たちとアリスが接する機会はないわけだ。現地住民のテロの可能性があるならば、学生たちはわざわざ外に出て、公園で遊ぼうなどとは考えないだろう。
ならば、どうする?
そう羽地が考えていた時、矢代立ち上がった。
「ええ。大丈夫よ。交代人員を派遣するわ。30分待って。それまでは今の人員で」
矢代がナノマシンが形成して張り付いた生体インカムでやり取りしていることは羽地にはすぐに分かった。彼もああして友軍とやり取りしていたものだ。表に見える装備ではないため、唐突にひとりごとを話し出したように見えるが、やろうと思えば矢代は言葉を発することなく、遥か遠方の相手とやり取りできる。もっとも遠距離と通信するには、外部機器の助けが必要になるが。
「何事です?」
「メティス・バイオテクノロジーの農業施設の警備に派遣していたうちのオペレーターが倒れた。テロなどの敵襲ではないわ。単なる食当たりよ。交代人員を要請している。そして、今ここで動けるのは──」
矢代が羽地たちに視線を向ける。
「あたなたちだけよ。やれる?」
「俺なら大丈夫です。ですが、アリスは……」
羽地は日本情報軍の特殊作戦部隊のオペレーターとして訓練を受けている。実際に人も殺した。確認殺害戦果329名。それだけの人間を公式な記録として殺害している。
だが、アリスは?
アリスはただ銃が撃てるだけだ。戦術的な立ち回りについての知識はないし、実際に人を殺したこともない。精神の発育がこれからだという彼女に銃を持たせて実戦の場に放り出す? 正気か?
また俺は子供を使って人殺しをするのか?
「私ならば大丈夫です。戦闘の際には学習モードを限定的なものにします。ストレスなどを回避するのに有効です。私も連れて行ってください」
アリスはそう断言し、羽地は真島の方を見た。
「私としては賛同はしかねるが、橋田大佐も日本情報軍上層部も、アリスを戦力化することを望んでいる。いずれはこういう仕事も引き受けなければならなかったのだろう」
真島はそう告げて返した。
「了解。上官が行けと言えば行くのが軍人というものです。そのメティス・バイオテクノロジーの施設についての詳細なデータをください。位置、警備範囲、予想される脅威、入手できる範囲内での図面全て」
「そちらの端末に送信したわ。確認して」
「確認しました。随分とデカい施設の割に警備人員が少ないですね」
「施設内には無人警備システムが存在しているわ。非殺傷兵器を搭載した奴がね。けど、地球のテーザー銃じゃ、この世界で薬物を使用した人間を止められないとのデータもあるわ。いざとなれば、有人の警備が頼りよ」
矢代は人間と称したが、正式には人間ではない。
非人類知的生命体。あるいは亜人。そう呼ばれる現地住民だ。
彼らが植物から調合する特殊な薬物を摂取していると、非殺傷兵器では止められなくなる可能性がある。ゴム弾や催涙ガス、スタンガンが効かないのだ。
そういう目標に対して有効なのは致死的兵器──昔ながらの鉛玉だ。
そして、無人警備システムには鉛玉は扱えない。権利と罰の問題。完全に無人化された兵器に殺傷能力のある武器は与えられない。
「改善してもらいたいものですね。では、行こうか、アリス」
「はい。羽地先輩」
羽地とアリスはバディを組み、装甲車で現場に向かった。
……………………
……………………
異世界からもたらされるのは何もレアメタルなどの希少金属だけではない。
食料もまた異世界から地球にもたらされていた。
しかし、昔ながらの平原を耕し、農作物の種をまく方法ではない。
完全自動化された食品プラントという名の工場で、この世界の食品は製造されているのである。LEDライトの人工的な照明と厳重にろ過され、栄養分がこれまた人工的に付与された水で栽培されるというよりも生産される食物が、羽地とアリスの向かったメティス・バイオテクノロジーの食料プラントだった。
「デカい施設だ」
「ええ。大きいです」
目的の建物は巨大だった。
ティナトス郊外に位置するそのメティス・バイオテクノロジーの所有する食料プラントは広さとしては代々木公園並みの広さがあり、そこに巨大な建物が鎮座している。
「これだけの広さの建物にいる生きた人間が30人程度しかいないとはな」
「産業の無人化の実現ですね」
「だが、これだけ少なくして非常事態に対応できるのかね」
火災、機械の故障、テロ攻撃。これだけの広さの建物ならばそういうものを考慮するべきであろう。機械とは依然として機械であり、それがエイト・ナインズ──99.999999%の精密性──で作られていようとも、複数の機械が作動し、そこにひとつの不確定要素が紛れ込むならば事故は発生する。カオス理論は2060年代でも現役の理論だ。
だから、どの機械の無人製造ラインにも、無人化された農作地にも未だに無人化という名に反して人がいる。ただ、起きるかもしれないイレギュラーに対処でき、機械には判断できないエラーに対処するための、デバッカーがいるわけである。
この恐ろしく広大な食物プラントを常に稼働させておくのに、警備人員がたったの1個分隊──10名の警備人員と20名の非武装職員だけで本当に人間は足りているのか?
確かに時代が進むごとに歩兵ひとりが担当する戦域は広くなった。かつては歩兵の担当する戦域は自分の目と武器の射程内だった。ファランクスという密集した陣形から戦列歩兵へと進化しても変わらず、後装式ライフル銃が生まれてからその距離はやや広がり、無線通信のやり取りによって戦域はさらに拡大した。
今では最新のハイテク装備と機械化によってひとりの歩兵が担当する戦域はフットボールスタジアム2個分になっている。歩兵ひとりひとりが装備する使い捨てドローンによって歩兵の目は広がり、車両や強化外骨格によって交戦可能距離は広がった。だから、たった10名でこの広大な施設を守るというのは全く以て無理難題というわけではないのだ。
この仕事を請け負った矢代は仮にも日本情報軍大佐だ。軍事的に不可能な仕事を引き受けるほどの無茶はしない、そう思われる。
だが、歩兵の戦闘距離が広くなったとしても、継戦能力は2060年代は頭打ちになっている。強化外骨格によって個人がいくら大量の武器弾薬を携行できるようになったとしても、人間弾薬庫になれるわけじゃない。武器弾薬が尽きれば、歩兵の戦闘力はそこまでだ。
ここに数百人の現地住民がテロや暴動に押し寄せたら、それこそ1993年のモガディッシュの再現となるだろう。
死体を引きずり回される光景を放送されるのは嫌だな。ましてネットにアップロードされたりはしたくないものだ。羽地はそう思った。
羽地とアリスを乗せた装甲車両は施設の正面ゲートに到着した。
「よう。ボスから連絡があった交代要員──っておい、そこの女の子はなんだ?」
「ボスの許可はとってる気にするな」
「気にするなってあんた……」
正面ゲートを警備していたシェル・セキュリティー・サービスのオペレーターはアリスを見てぎょっとした表情を浮かべた。
それも当然だろう。アリスはただの見学者の子供という格好じゃなかった。ボディーアーマーにアメリカ海兵隊の戦闘服、そしてHK416自動小銃とUSP自動拳銃を身に着けていたのだから。これは完全な戦闘態勢だ。
「畜生。ボスからは近々何かあるとは聞いてたが。これがその何かってわけか」
「そういうことだ。通っていいか?」
「ああ。ID認証が済んだら行ってくれ」
オペレーターはIDスキャナーを構えると羽地とアリスのIDをスキャンし確認した。
「オーケー。行ってくれ。悪いな。食当たりするような馬鹿がいて」
「ちゃんと循環型ナノマシンを使ってるのか?」
「その循環型ナノマシンがエラーを吐き出しやがったんだよ。おかげでフロアがゲロ塗れ。メティスの技術者はカンカンだ」
「ちゃんと定期メンテナンスを受けるように言っておいてやりな」
「ああ。もちろんだ」
オペレーターはボンと装甲車のボンネットを叩くと、正面ゲートがゆっくりと開いた。羽地は装甲車を慎重に運転しながら、駐車場に止める。給料がいいのか、あるいはこれ以外に趣味がないのか、駐車場は高級外車がいくつも止まっているのだ。
「アリス。指揮官と会ってブリーフィングを受ける。だが、基本的に俺の傍にいて、俺が引き金を引く時に引き金を引いてくれ。常に俺の後ろにいること。勝手な発砲はしない。分かったな?」
「はい。羽地先輩」
まるで初めてのお使いだなと羽地は思う。
こんな子供を連れてきて、指揮官がキレないといいのだろうが。
「中も広いな」
「広いですね」
食品プラントの正面玄関はホログラフィック映像がメティス・バイオテクノロジーの宣伝広告を延々とリピートしている。大草原で風に靡く小麦畑の様子。とんだ誇大広告だ。彼らは畑など持っていないのに。正面玄関の構造は広大だが単純で、食料製造ラインと管理棟。そのふたつへの分かれ道があるだけ。
「指揮官は管理棟だ。無人警備システムもそこからコントロールされている。しかし、また高級品を備えたな。市ヶ谷の警備システムより厳重じゃないか」
羽地は軍用規格のタブレット端末に示された情報を見ながら、そう呟く。
2060年代の特殊作戦部隊のオペレーターとして脳に高度なナノマシンを叩き込んでいる羽地なら、いちいちタブレット端末の画面眺めなくても、情報を直接脳で把握することが可能だ。
だが、それだとカバーが剥がれる恐れがあった。
軍用ナノマシンは最新のものである場合、除隊時に摘出される。それから民間軍事企業に移籍するときは、民生用ナノマシンを叩き込まれる。民生用ナノマシンは軍用ナノマシンほど高度ではないが、許可を得たメーカーの製品なら痛覚遮断や感情抑制の措置が行える。
だが、軍用ナノマシンほどの性能はない。民生用ナノマシンの性能は限定的であり、軍用ナノマシンほどではない。
軍用品といえば頑丈なだけの時代遅れと思われがちだが、2060年代の現実は違う。軍は新しい形態を形成した。
軍学複合体。軍と教育機関、研究機関が一体となり、新しい発明品を生み出す。
安全保障上の脅威が急速に高まった2020年代から教育費は削減され、軍事費ばかりが増大した。その結果できた妥協の産物。
軍は大学などの教育・研究機関に金を出し、教育・研究機関は軍の要求する製品を発明しながら科学の進歩を進めた。
循環型ナノマシンは兵士の衛生上の問題を解決すると同時に、疾病を抱えた市民の健康管理を行えるようになった。だが、発明を最初に手にするのは常に軍であり、機密保持の観点から能力の限定されたものが市場に出回る。
だから、今の軍用電子機器の性能は民間のものを上回っているのだ。
この軍用規格のタブレット端末は流石に中古品だが、日本情報軍が使用しているものは民生用のタブレット端末の一世代先を行っている。
なによりアリスの存在がそれを物語っているではないか。
「さて、仕事だ。お行儀良くしててな、アリス」
「はい。羽地先輩」
羽地は指揮官が駐留する管理棟に入った。
……………………
-
……………………
「ボスから説明のあった増援か。理由は聞いてる。女の子については何も聞かない」
「ありがとうございます」
指揮官はやはり日本情報軍特殊作戦部隊のオペレーターだった。装備の装着の癖などからうかがえる。隠しているつもりだろうが、同じ日本情報軍のオペレーターからすればそれとなく分かるものだった。
「俺たちの担当場所は?」
「俺の、だろう。まさかその女の子を戦力としてカウントしているわけじゃあるまい」
「射撃の腕なら俺たちより上ですよ」
「冗談だろう?」
冗談なら面白かったんですがねと羽地は思った。
「まあ、どのみち空席はひとつだ。ここでは二人一組で活動している。君の相棒はあっちで腐っている奴だ。大町! 相棒が到着だぞ!」
「了解。全く、ゲロの臭いが取れないんじゃないですか、これ」
大町と呼ばれたオペレーターはウェットティッシュでしきりにボディアーマーを磨いているところだった。
ああ。奴には経験がないのだろう。目の前を進んでいた友軍が対戦車ロケット弾で吹き飛ばされ、ボディアーマーどころか全身に『友軍だったもの』を浴びた経験が。あのぬるりとした生暖かい感触を羽地は今でも思い出せる。
生命が生命でなくなる瞬間。ヒヨコをミキサーにかけた瞬間。
そんなものは経験しない方がいいに決まっている。
「って、その女の子はなんです?」
「聞くな。お前に知るべき権利はない」
「了解」
流石は日本情報軍のオペレーターだ。上官が探るなと言えばそこで思考を止める。軍人とはまさにそうあるあるべきだ。国家に忠誠を誓った身であるならば、思考すらも国家の判断に委ねなければならない。自由意志の介在する余地などない。
模範的な日本情報軍の将校ならばそういうだろうことを羽地は思った。
「じゃあ、よろしく頼むぜ」
「羽地だ。こっちはアリス。よろしく頼む」
羽地は大町と握手を交わすと、改めて指揮官の方を向いた。
「持ち場は?」
「第5ブロック。具体的な位置は大町が知っている」
「了解」
羽地ははアリスを連れて大町とともに持ち場に向かった。
「デカい工場に10名だけってのはぞっとしないか?」
「最初はマジかよって思ったけれど、今のところ何も起きてないし、何かあればこの設備の無人警備システムもあるし、と言い訳して安心しようとしている」
「2012年のベンガジにいたアメリカ人も同じことを思っただろうな」
「2012年? 大昔だな。歴史が趣味なのか?」
「軍事的失敗からは学ぶことがたくさんある」
人は失敗から学ぶ。いや、学ばなければならない。それが羽地の持論だった。
同じ間違いを続けるのは、それこそ学習能力不足だ。アリスのようなAIが学習するように人間もまた学ばなければならない。失敗学は明日の改善のために昨日の人間が犠牲になって作り上げられる学問だ。
昨日だろうと、10年前だろうと、100年前だろうと、失敗を顧みなければ同じことの繰り返し。また血が流れ、兵士たちが死ぬ。そして、運が悪ければ自分も死ぬことになる。死ぬときは死ぬという考えの羽地にとっても、避けられる死は避けたかった。
死ぬときは死ぬだろう。だが、進んで死ぬ必要はない。
「俺はどちらかといえば2051年のラタキアを思い出すね。ロシア人は肝心の航空基地の防衛にほんの1個小隊しか配備してなかった。そこを自由シリア軍に迫撃砲と対戦車ミサイルを叩き込まれて基地を制圧され、航空機を全て破壊された。哀れなロシア人が銃殺される様子がネットにアップロードされたのはよく見たよ」
大町は20歳代後半ほどだろう。彼がネットで銃殺されるロシア人を見たのは、未成年の時だったに違いない。将来の夢を決める時期に銃殺されるロシア人を見て、よく日本情報軍に入ろうと思ったものだ。羽地はそう思った。
羽地が日本情報軍に入隊したのは、単純に貧困からだった。
日本国は戦争の影響もあって、危機的な経済危機を迎えた。戦争による経済悪化は一時的なものだったが、一時的にとは言え、日本国民は不況の影響を受けた。
不幸中の幸いというかどうかは微妙だが、日本国のこの不況に対する政策は『この不況を乗り越えられるものだけが、乗り越えよう』というものではなく『みんなで等しく貧乏になろう』だった。
あの不況においても貧富の格差はそこまで広がらなかった。
だが、羽地の実家は等しく貧しくなった中でも、より大きく貧しくなった側だった。大学に通うための費用はなかったが、羽地は学ぶことを望んだ。だから、学費がかからず、給与がもらえるという軍学校に通うことにした。
軍学校。正式名称は国防大学校。旧防衛大学校だ。
羽地はそこで次世代の幹部としての教育を受け、陸海空情報軍のいずれかに進むかを選ぶ場面において、昇進が早く、それに伴い給与も他の軍より高額な日本情報軍を選んだのだった。日本情報軍の悪評は散々聞いていたが、それでも羽地は選んだ。
そして、中央アジアの地獄に派遣された。
「無人警備システムの信頼性は?」
「表向きは良くメンテナンスされてるし、安心と信頼の日本製だ。日本製のドローンが良く機能していたのは、あんたも知ってるだろう。中央アジアじゃあの玩具みたいなドローンに助けられたじゃないか」
「そうだったな。少なくとも中央アジアじゃあ、あの玩具もよく働いてくれていた」
玩具みたいなドローンでも、中央アジアでは役に立った。
だが、あれは無人のようで無人ではない。ちゃんとコントロールするオペレーターがいた。責任を取る軍人がいたために、致死的兵器が使えた。対戦車ミサイルからガトリング砲まで、あらゆる手段が使える。
だが、ここにある無人警備システムに人間が引くトリガーが存在しないことは確認済みだ。人間が引くトリガーが存在しないからこそ、無人機は敵を殺せない。
「そもそもメティスは最初は全て無人警備システム任せにするつもりで、民間軍事企業を雇うつもりなど欠片もなかったんだよ。それが警備の評価を受けたとき、非常時に対処する人員がいないのは問題とされ、メティスは渋々民間軍事企業を雇うことになったんだ」
「なるほどね。確かにロボット任せの警備ってのは落ち着かない」
「ロボットはあくまで補助。引き金を引くのは人間。異世界でもそれは変わらずだ」
大町の言葉にアリスが抱えていたHK416自動小銃を握り締めた。
「で、この馬鹿デカい施設じゃ何作ってるんだ?」
「世界食糧計画向けの食料だ。基本的な作物は小麦。それに合成ビタミンを組み込んで完全食にしてる。そいつを中央アジアやアフリカに運んで、ばらまくのさ。昔なら恵まれない子供たちのために募金をってやってたのが、今ではメティスがほぼ解決した。もっとも大量の金が世界食糧計画からメティスに流れているらしいが」
「そりゃそうだ。メティスは慈善団体じゃない」
メティスは悪名高い六大企業の一員。
世界の食糧事情を握り、それを政治的な圧力にさえ使える連中なのだ。
「さて、他に質問は?」
「ゲロはもう掃除済みか?」
「あーあ。そうだよ。掃除済み。清掃ドローンが片付けた。メティスの技術者は頭に来てたぜ。俺たちとの契約を打ち切るぞと脅してきやがった。俺たちほど紳士的な民間軍事企業もいないってのにな」
「紳士的な民間軍事企業って言葉が矛盾しているとは思わないか」
「おいおい。今は2060年代だぜ、相棒。改定モントルー協定で俺たちは政治的にホワイトな存在だ。お行儀よくしてれば紳士的さ。未だに民間人に向けて機関銃を掃射して知らんふりをするCPA17号命令気分の連中もいるがね」
「CPA17号命令を知ってるってことはあんたも歴史好きか?」
「この職に就くに当たって勉強したのさ」
CPA17号命令。悪名高い有志連合によるイラク統治下で下された民間軍事企業への免責特権。イラクの法に従わなくてもいいとされた民間軍事企業のろくでなしは好き放題に騒ぎまくり、そして大きく叩かれた。
それでも民間軍事企業はなくなりはしなかった。世界がいくら民間軍事企業の非人道性をあらゆる文句で批判していても、実際のところは民間軍事企業を必要としていたからだ。
世界中の内戦に介入する力と意志を失ったアメリカに代わって、存在感を発揮しようとする国連が、国家に代わって力を有するようになった民間企業に業務を委託して、各地の紛争を鎮圧しようと試み始めたのだ。その民間企業にはインフラを整備する土建企業も含まれていれば、現地に経済基盤を作る金融企業も含まれていたし、当然紛争地帯であるからにして民間軍事企業も含まれていた。
そのような企業の統合体によって、紛争のいくつかは終結に向かい、失敗国家から脱却しつつあった。もちろん、企業は様々な機会を見つけては貪欲に利益を貪った。それでも軍を派兵し、戦死者数を報じられることのなくなった先進国では画期的な試みとして評価された。評価されたのは国連ではなく、民間企業の方だが。
「戦争において軍隊が国家の占有物になったのは歴史的に見ればごく最近のこと。そもそも国家が武力を独占することで国家たらしめるという思想が生まれたのもごく最近」
「マックス・ウェーバーを知っている人間だったとは恐れ入る」
「からかうなよ。軍隊にいたなら分かるだろう。軍隊は急げ、急げ、急げ、そして待ち続けろだ。時間は腐るほどある。1919年のマックス・ウェーバーの講演記録をまとめたもの。職業としての政治の中の文句。1919年だぜ。ようやくそのころになって、国家が暴力を独占してないといけないって気づいたんだ。それ以前はどうだった?」
「ナポレオン戦争で国民国家の意識が生まれるまでは傭兵が幅を利かせていたな」
傭兵の歴史は長い。世界最初の職業は娼婦だろうが、その次は傭兵だろう。
「俺たちは自分たちのことを東インド会社だって思ってる。植民地を支配する民間企業。ああ。誰がどう見たって、ここは植民地だ。地球は征服し、支配し、搾取する。東インド会社がインドでやっていたようにな」
大町はそう告げてアリスの方を向いた。
「お嬢ちゃん。バイトか何か知らんが、こんなクソみたいな場所にいるべきじゃないぞ。ここから学び取れるのは暴力と腐敗だけだ。青春をそんなくだらない場所で過ごすべきじゃない。欧州にでも旅行に行ってみるのがいいだろう」
「欧州には興味があります。ロンドン塔を見たいです。データベースでは見たことがありますが、データベースには幽霊が出ると書いてありました。私は幽霊が見たいです。人間の魂が、脳のニューロン発火が止まっても残る物なのかどうか」
「おお。そうだぞ。ロンドン塔には首のない幽霊が出るらしい。それにしてもオカルトに興味がるとはな。趣味が合いそうな奴を何人か知ってるぞ」
「いえ。オカルトではなく科学的な魂のあり方についてです」
「なんだそりゃ。超心理学とかそういう奴か?」
アリスの発言に大町が首を傾げる。
「シジウィック発火現象のことです」
「ああ。それか。あれを魂と呼ぶかはまだ議論の余地ありだけどな」
魂。重さ21グラム。
それを魂と呼称するかは宗教と倫理的な議論が行われているが、人類の脳神経科学が脳のメカニズム全てを解明するに達したとき、それは発見された。
それがシジウィック発火現象と呼ばれるもの。人々が魂と呼ぶ存在。
ニューロンの発火とか異なる、別のエネルギーの思考への介入。
そのエネルギーの正体は未だに掴めていない。だが、人々がそれを魂と見なすにはあまりにも条件が整いすぎていた。未知のエネルギー。人類の脳にだけ宿る。そして、それは死後にゆっくりと形を失っていく。
今ではほとんどの行政機関が魂の有無で人の生死を判断する。無駄な延命処置は打ち切られ、魂がある限りその人権は尊重される。
「そうなのですか? 日本でも議論になっているのですか?」
「日本じゃ万物に神様が宿っているって思想があるのさ。それなのに猫や犬、あるいは植物には魂はありません。連中は主が人間に仕えるために作った存在ですって言われても、困るって話なんだよ」
「なるほど。万物に神様が宿るのですね」
そこでアリスは両手を叩いた。
「それならば私が魂を宿す可能性もありますね」
そのセリフに大町は首を傾げ、羽地はぎょっとした。
アリスが嬉しそうな声色でそれを告げたからだ。
大町はアリスがロボットだとは知らない。羽地はアリスがロボットだと知っている。大町は人間ならば普通に有しているはずのシジウィック発火現象を求めるようなアリスの言葉に疑問を覚え、羽地はアリスがロボットであるにもかかわらず人間だけが有するシジウィック発火現象を求めていることに驚いた。
羽地もアリスのことは高度なロボットだとは散々聞かされてきたし、実感していた。
だが、魂すら求めようというのか?
「アリス。過度な期待はしない方がいい」
「そうなのですか? ですが、真島博士は見込みはあると」
「真島博士が……?」
正気を失ったのはアリスだけなのかと思ったら、真島まで狂気じみた考えに憑りつかれていることに羽地はぞっとした。
「一体、何を話して──」
大町が不審に思って羽地たちに話しかけようとしたとき、工場の鉄筋コンクリートの壁に大きな衝撃が走り、窓ガラスが完全に吹き飛んだ。
羽地はすかさずこれが120ミリクラスの榴弾の攻撃であることに気づいた。
「畜生。事故か?」
『司令部より全要員。お客さんだ。重武装の連中が来てる。手厚く歓迎してやれ』
生体インカムに指揮官の声が響く。
「最悪の一日になりそうだ」
羽地は窓ガラスを払いのけ、そう呟いた。
……………………
-
……………………
『敵集団。数は約400名。テクニカルと軽装甲トラックに分乗して接近中。なお、重迫撃砲の砲撃を確認している。そっちはこちらで叩く。施設にいる全オペレーターは非武装の職員の保護を最優先に応戦せよ。全銃火器使用許可。徹底的にやれ』
指揮官の剣呑な命令が響く。
「こういう場合の作戦は?」
「防衛線をまずは正面ゲートに設ける。それから正面ホールに下がり、管理棟を死守する。ここのロボットがいくら破壊されても保険が下りるが、人間は死んだら負債だ。生きている人間を最優先で守り抜く。もうじき正面ホール以外の場所のロックがかかる」
羽地がそう尋ねたとき、ガラガラと防弾シャッターが窓のあった場所を塞いでいった。他の窓も同じように塞がれていく。
「防弾シャッターは50口径のライフル弾にも耐える。俺たちは正面ホールに向かって正面ゲートに防衛線を作ろう。まだ敵の車列は到着していない」
「了解。行くよ、アリス」
羽地はアリスに移動を促す。
「分かりました、羽地先輩」
アリスは羽地に続いて移動する。
「こいつは酷い」
正面ホールは重迫撃砲の砲撃で、吹き飛ばされていた。幸いにして死傷者はいないようだった。だが、ガラスがそこら中に散乱し、酷い状況にはなっている。
「見学は後だ。さっさと仕事をしよう」
「あいよ。ドローンの映像からするとそろそろ接敵だな」
「クソッタレな害獣どもに鉛玉を叩き込んでやろうぜ」
害獣とは、と羽地は思う。
本当にこの世界の命は軽い。日本情報軍にとって友軍以外の命は常に軽いものだったが、ここにおいては軽いどころかヘリウムガス入りの風船のようだ。
シェル・セキュリティー・サービスは日本情報軍のダミー会社のはずであり、彼らは日本情報軍の人間であるはずなのだが、価値観という面については他の民間軍事企業と同等のようである。原住民など害獣に過ぎない。
羽地たちが正面ホールから正面ゲートにでるとそこには装甲車を使った急ごしらえのバリケードが構築されていた。車両にマウントされていたM2重機関銃やMk19自動擲弾銃が取り外され、車両のボンネットに三脚で固定されて射撃を行っていた。
「敵車列、なおも接近中。テクニカルは潰せたのか?」
「今、やってる! おい! カールグスタフを持ってこい!」
羽地が尋ねるのに、車列に向けてグレネード弾を浴びせている射手がそう告げた。
「カールグスタフ、準備良し!」
「引きつけてから先頭車両を潰すぞ。畜生、しぶとい蛆虫どもめ」
先ほどから軽快な発砲音でグレネード弾は車列に叩き込まれている。軽装甲トラックが被弾し、炎上を始めるが、その車両を押しのけて次の車両が迫ってくる。
「距離500!」
「引きつけろ、引きつけろ」
敵のテクニカルにマウントされた50口径の機関銃が射撃を始める。
不快な金属音が響き渡り、友軍の装甲車にライフル弾が命中する音がする。
「カールグスタフ、撃ち方始め!」
現場指揮官の号令で2門のカールグスタフが敵のテクニカルを狙って榴弾を叩き込んだ。テクニカルは爆発し、銃座にいた人間のパーツを空高くぶちまけると、炎上しながら後方の車列を巻き込んだ。
「よし。いいそ。今のうちに次弾を装填しろ」
現場指揮官は満足そうにそう告げた。
「発砲許可は?」
「許可する。害獣どもを始末しろ」
羽地は現場指揮官の言葉に眉を歪めた。
この手の価値観には暫くは慣れそうにない。
「アリス。俺が指示する目標を撃て。俺の攻撃に合わせてな」
「畏まりました、羽地先輩」
羽地とアリスがHK416自動小銃を構える。
「あそこに出た一団を撃て。攻撃のタイミングは合わせて」
羽地はそう告げて軽装甲トラックから降りてきた兵士たちに銃口を向けて引き金を引いた。タンタンタンとセミオートで確実に目標を仕留める。アリスの射撃も羽地の目標と被らず、的確に敵の兵士たちを撃ち抜いていた。
だが、一方的に撃てる戦場というのも長いものではない。
やがて後方のテクニカルが50口径ライフル弾を装甲車に叩き込み始め、紛争地帯ではお決まりの対戦車ロケット弾が盛大なバックブラストを噴き上げて撃ち込まれてきた。対戦車ロケット弾の方は敵の兵士の習熟度がいまいちなのか、ほとんどは装甲車に命中しなかったものの、装甲車の手前やゲート周囲のコンクリートの壁に命中して炸裂した。
驚くべきことにメティス・バイオテクノロジーはこの手の襲撃を想定したようであり、コンクリートの壁は対戦車ロケット弾の直撃を受けても崩れなかった。
「畜生。カールグスタフをもう一発お見舞いしたら下がるぞ。屋上の狙撃手が対戦車ロケット弾の射手を片づけないと装甲車ごと吹っ飛ばされる」
それでも対戦車ロケット弾は現場指揮官の目には脅威に映ったようであり、カールグスタフを放つための牽制射撃にMK48機関銃も加わり、銃弾をまき散らしながら、敵の射撃を牽制すると同時に、敵を仕留めていった。
そして、屋上にいる狙撃手だろうオペレーターの狙撃によって対戦車ロケット弾の射手が潰される。だが、射手の手から転げ落ちた対戦車ロケット弾を拾ってすぐに敵が射撃を行うためいたちごっこだ。
「狙って撃て。敵はこっちの40倍だ。弾薬切れは死を意味するぞ」
現場指揮官はそう告げてグレネード弾を叩き込み続ける。
「アリス。左手の敵集団に射撃」
「了解です」
狙って撃つという点ではアリスは極めて冷静に目標を銃撃していた。
的確に頭か胸が吹き飛ばされ、敵の兵士たちが倒れる。まるで縁日の射的のようにアリスは涼しい顔で1人殺し、5人殺し、10人殺し、20人殺した。
どこまでも機械的に淡々と。
「すげー嬢ちゃんだな。狙撃手の資格があるぞ」
「ありがとうございます」
大町が感心するのにアリスはマグチェンジしながらまた射撃に移る。
「カールグスタフ、敵のテクニカルを潰せ! 撃ち方始め!」
そして、撤退の合図となるカールグスタフが敵の最後のテクニカルを叩き潰した。
だが、それと同時に敵の放った対戦車ロケット弾がバリケードにしていた装甲車両に命中した。衝撃が周囲を駆け巡り、羽地は酷い耳鳴りがするのを感じた。
「アリス!」
「大丈夫です、羽地先輩」
アリスは無事だった。どうやら着弾を予想し、着弾寸前に伏せたようだ。
「負傷者はいるか!」
「こっちだ! 手を貸してくれ!」
羽地の叫びに大町が応じた。
「命に別状はないが、足をやられている手を貸してくれ」
「分かった。しっかりしろ。撤退だ」
羽地は負傷兵に肩を貸し、負傷兵を支える。
派手に被弾したように見えるが出血は思った以上に少ない。それもそうだろう。ナノスキンスーツが出血部位を押さえ込み、止血している。循環型ナノマシンも負傷に気づいて血管の抑制を行い始めているはずだ。
「下がれ、下がれ! 重装備は可能ならば持ってこい!」
現場指揮官は正面ホールに向かって撤退を指示する。
「アリス! ついてくるんだ!」
「了解」
アリスは炎上するバリケード越しに敵集団に銃弾を叩き込みながら、後退していた。返事をしながら指示した左側の敵集団に向けて正確無比な射撃を行う。
「嬢ちゃん! 射撃はもういい! 下がれ!」
「アリス。もういい。下がるんだ」
羽地の命令でアリスは正面ホールに向けて駆けだして、正面ホールに飛び込んだ。
「司令部、司令部。バリケードを展開してくれ」
『了解。それからいいニュースだ。敵の重迫撃砲陣地を潰したドローンがまだミサイルを下げている。そちらの指示で叩き込めるぞ』
「了解。レーザーで目標を指示する」
メティスの敷地外で活動していたドローンはシェル・セキュリティー・サービスの所有物だったのか。時代遅れのRQ-9リーパー無人偵察機がヘルファイアミサイルでも下げているのだろうかと羽地は思った。
「レーザー目標指示装置は?」
「こちらに」
「オーケー。新入り。あんたが一番正確に狙いを定めていた。あんたに任せる」
現場指揮官はそう告げて旧型のレーザー目標指示装置を羽地に渡した。
「了解。目標を指示する」
羽地は炎上するバリケードの向こう側で軽装甲トラックを突っ込ませてバリケードを突破しようとしている敵に狙いを定めた。
「目標に照射」
『了解。デカい荷物が届くぞ』
生体インカムを通じたやり取りの次の瞬間、ヘルファイアミサイルよりも派手な爆発が軽装甲トラックごとあらゆるものを吹き飛ばした。
「いったい何を叩き込んだ?」
『AGM-65Jマーベリック対戦車ミサイルだ。次の目標を指示してくれれば爆撃を継続する。お客様、ご注文は?』
AGM-65Jとは。あれは本来レーザーで誘導するものではなかったものを、近接航空支援のためにレーザー誘導可能にした代物だったはずだ。弾頭は136キロ。ヘルファイアミサイルとは段違いの威力だ。
だが、そんなものをぶら下げられる無人機とはなんだ?
「A-10攻撃機を無人化したものを使ってる」
羽地の疑問に答えるように現場指揮官が告げた。
「凄い機体だぞ。対空火器の攻撃にも耐えるし、凄まじい火力を適切に届けてくれる。頼もしい奴だ」
そりゃそうだ、と羽地は思う。
あれは空軍が廃棄したがっても陸軍や海兵隊の要請で2020年代まで現役で、航空優勢を確保したアメリカ軍の空から地上に名高いGAU-8アベンジャー機関砲で地上にいるあらゆるものをミンチにしてきたのだ。
それが無人化されてるとは知らなかったが、古強者の飛ぶ空なら安心だ。
羽地はそれから3回近接航空支援要請を行い、それによってほとんどの敵兵士が壊滅した。近接航空支援から漏れた敵の兵士は20名程度だが、それでも彼らは向かってくる。
「畜生。あの連中、銃すら持ってないじゃないか」
羽地は思わず毒づいた。
敵の兵士は戦場にはつきもののカラシニコフすら持っていなかった。持っているのはマチェットだけである。
「絶対に近づけるな、確実に頭を潰せ。あいつらは完全にラリってる。手足に当てたところで止まりはしないぞ。確実に殺していけ」
現場指揮官は慣れた様子でそう告げた。
「マチェットとは。ルワンダを連想させるな」
「ルワンダ? なんか関係あるのか?」
「1994年」
1994年に起きたルワンダ内戦ではマチェットで多くの市民が虐殺された。
だが、2060年代においては遥か昔の話だ。
「アリス。現場指揮官の言う通りに。確実に頭を狙って撃て」
「了解。目標を指示してください」」
「敷地内に入ってくる武装している連中全てだ」
羽地はそう命令を下し、バリケードとして展開した防壁を盾に敵に向けての射撃を始めた。マチェットを持って猛スピードで恐れもなく向かってくる敵に向けて、敵の頭に向けて、銃弾を叩き込む。
既に交戦距離は200メートル弱だ。どんな火器でも有効射程に入る。
「カラシニコフを振り回している奴がいる。仕留めろ」
「了解」
炎上する装甲車両に飛び乗り、カラシニコフを乱射する兵士の頭に一撃。
「羽地先輩」
「どうした、アリス」
「子供がいます」
アリスはそう告げて前方を指さした。
バリケードを乗り越えて侵入してきた兵士の中に子供兵がいた。
アリスより幼いだろう外観の子供が正面ホールのバリケードに向けて突撃してくる。
「構わない。撃て」
「了解」
アリスは引き金を引き子供兵の胸と頭に鉛玉を叩き込んだ。
「撃ち方止め、撃ち方止め。片付いたようだ」
遅ればせながら出てきたメティス・バイオテクノロジーの無人警備システムに組み込まれたドローンが敷地内の侵入者を探すが、どれも死亡しているのが確認された。
「とんだ1日だ」
「運が悪かったな。こんな襲撃滅多にないんだが」
「襲撃を仕掛けてきた連中に心当たりは?」
「鷲獅子旅団だろう。反地球主義者の中でも過激な連中が集まっている軍閥だ。旅団を名乗っているが、実際の規模は軍団レベルだと言われている。これだけの装備が調達できるんだから、その通りなんだろうな」
既に現場指揮官は正面ホールのバリケードの外に出ていて、カラシニコフを調べている。そして、ID登録がなされていない武器なのを確認していた。
「こいつらも結局はどこぞの六大企業が嫌がらせに仕掛けてきたものだろうさ。そうじゃなきゃ、テクニカルや軽装甲トラックなんてどこで調達するってんだ」
大町はそう告げてふうと安堵の息をついていた。
「アリス。平気か?」
「はい。ですが……」
アリスは駐車場とその向こうにある死体の山を見る。
「私は大勢の命を奪ってしまいました。これは不可逆な行為です」
「仕方ない。それが戦争だ。俺たちは戦場にいるんだ」
羽地は気のせいかもしれないがアリスの多目的光学センサーに悲しみの色が宿っているように思えた。
自分が得ようとしている魂を大量に失わせた。そのことへの後悔か。
「そうですね。これが戦争なのですね」
アリスは何の感情もこもっていない機械音声のような声でそう告げた。
アリスはいったい、この地獄から何を学んだのだろうか?
……………………
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……………………
「初めてのお使いの感想は、って気分じゃなさそうね」
「アリスにとっては酷い1日。俺にとっては日常の延長線ってところです」
夕方になって戻ってきた羽地が装甲車両の脇で私物のタブレット端末──私物とは言えど、防壁はかなり強固なものが導入されているし、何をネットでしていたかは追跡される──で彼好みの歴史小説を読んでいたとき、矢代がやってきた。
「目覚めて、名前を付けてもらったと思ったら銃の射撃訓練をやらされて、訓練が終わったその日のうちに実戦。どうかしてますよ。真島さんはがっくりしていたでしょう?」
「そうは見えなかったけど。彼はアリスの発育を見守る方針みたいよ。それがどんなことであれ、何かしらの学習になると割り切ったみたい」
「でしょうね。アリスと真島さんが求めているものは狂ってる」
「求めているもの……?」
矢代は羽地の言葉に首を傾げた。
「アリスが求めているもの。真島さんの求めているもの。それはシジウィック発火現象。もっと具体的に言えば魂です」
「アリスが魂を……? ちょっと待って。いくら高度でも彼女はロボットでしょう? 人間の脳にだけ宿るシジウィック発火現象を得られるはずがない」
「分かりませんよ。あれだけ高度で人間そっくりのロボットだ。それに俺たちはアリスの演算装置を見ていない。案外、人間の脳みそを移植してあるのかもしれませんよ」
「不気味な話になってきたわね……」
魂を宿した機械。
大町は神道の──というより日本の伝統的な考えである『万物に神が宿る』という言葉をアリスに告げていた。その言葉にアリスは酷く喜んでいた。だが、現実にシジウィック発火現象を有するのは人間だけだ。猫や犬という動物は微弱すぎて検知できず、植物においては全く検知できない。石など計測するだけ無駄な話。
では、ロボットはどうか?
少なくともこれまで開発されたスーパーコンピューターからシジウィック発火現象が計測されたという話を羽地は聞いたことがない。
では、アリスは?
アリスは一昔前のスーパーコンピューター並みの演算力を有しているものと思われる。そうでなければあれだけの学習能力とそこから派生する会話や動作を説明できない。彼女が人間そっくりに振る舞うにはどれだけの演算力が必要なのか、羽地は見当もつかないが、それが高度なものであることは間違いない。
少なくとも羽地が持っているようなタブレット端末では実行できない。
機械が魂を有する。
そのために必要なものはなんだ?
シジウィック発火現象が生じるのは複雑な人間の脳神経の複雑な活動が、特殊なエネルギーフィールドを形成することでなされる。そのエネルギーは微弱な電気的信号と磁場から形成され、脳の活動に何かしらの影響を与えている。
それは脳の全ての機能が解明されたとき、Aと入力すれば機能上Bと出力されるはずのものがCと出力されることで見つかった。超の上に超が付く超高性能の脳波計で、ようやくそれが掴めた。
では、機械が魂を得る条件はなんだ?
機械が脳と同じような電気的フィールドを作れることだろう。そのためのハードウェアとはなんだ? そのためのソフトウェアとはなんだ?
機械は本当に魂を得られるのか。
シジウィック発火現象が今だ研究者たちによって研究中の課題であり、シジウィック発火現象を得られる存在が何ものかは分からないのだ。行政がシジウィック発火現象を基準にし、行政・医療活動を行っているのは先走りだろう。
今のところ、科学的に羽地たちがあれこれ言える状況ではない。シジウィック発火現象を研究している脳神経科学者にしたところで、機械にシジウィック発火現象が現れるかどうかを断言できる人間はいないのだ。
それの分からぬ羽地たちにとっては、ロボットが魂を有するというのは、日本人形に魂が宿るというような科学的というよりも、オカルトな話であった。
矢代が不気味な話だというのも、もっともだ。
「仮にアリスが魂を得たとしたらどうなるの?」
「単なるロボットとして扱えなくなる、かもしれないってところでしょうが。まあ、日本情報軍は機械が魂を得ようが、本来の方針に変わりはないでしょうがね。そもそも、そんな可能性があるならば、事前に把握しているはずです」
「真島さんが隠していた可能性は?」
「研究が真島さんの頭の中でだけ進んでいたのであれば、あり得るかもしれませんね。日本情報軍は研究を接収した段階で、真島さんと研究グループの端末を全て調べたはずですから。日本情報軍ならその手の調査でヘマをするはずもない」
「そうね。日本情報軍の作戦に参加することを許可されたんですもの。個人端末から家族の端末、友人知人の端末まで片っ端から調べたでしょうね」
「そう。であるならば、これはアリスの妄想かもしれない」
「ロボットが妄想するっていうの?」
「ロボットが魂を持つより現実的じゃないですか?」
ロボットは夢を見るのか。ロボットは妄想するのか。ロボットに感情はあるのか。
「アリス。何を夢見ているのかしら。人間と同じ存在になることなのかしら」
「人間になったっていいことなんてないんですけどね」
人間は他のものたちが憧れるほどの生き物じゃない。
人間は知性ある故に苦しむ。人間は感情があるが故に苦しむ。人間は社会性がある故に苦しむ。人間とは苦しみの連続だ。無知であるが故に、無感情であるが故に、社会性がない故に救われるものもあるだろう。
無知は力なり。ジョージ・オーウェル。時として軍人もそのような傾向に陥る。命令にただ何の異議も挟まず行動し続けることが、気持ちを楽にしてくれるからだ。
無能な働き者は軍隊にとって有害でしかない存在だが、それが楽な場合もある。特に民間人の暗殺を行い、内乱と虐殺を扇動し、子供を兵士として使う時などは。
それが自分の意志で行われたと思いたくないとき、兵士は無能な働き者となる。
時として何も考えないことが、思考を放棄することが幸せなこともあるのだ。
そういう意味では自らの意志で学習し続けなければならないアリスは苦難の連続だろう。今日のメティス・バイオテクノロジーの襲撃からも彼女は学習しなければならない。まだ幼い子供が兵士として死んだことからも、マチェットしか武器を持たない集団が上空から対戦車ミサイルを受けたことからも。
アリスに思考の放棄は許されない。学習を義務とする彼女は目の前の光景を、遠い国のことのように現実から切り離す日本情報軍式のメンタルケアはできない。
「何にせよ、酷い1日だったでしょう。ちょっとばかりケアが必要だと思います」
「手の空いている職員に歓迎会の準備をさせてるわ。少しでも楽しんでくれるといいけれど。辛いことの後にはご褒美があるって思ってもらわなくちゃね」
そりゃあ、学習というよりパブロフ犬ですよと羽地は内心で思いながら、矢代の後に続いて歓迎会の会場になる施設内に入った。
……………………
……………………
「ようこそ、シェル・セキュリティー・サービスへ!」
アリスの歓迎会は彼女には内緒で準備されたサプライズ・パーティとなった。
今日出会ったオペレーターのうち何名か──大町を含む──と別の現場で働いていたオペレーターたち。それからそのオペレーターたちにこの施設からドローンからの情報で指示を出す作戦管理官で任務中でないものが数名。
これら全てが日本情報軍が異世界に送り込んだ日本情報軍の軍事要員だ。
日本情報軍はどっしりと異世界に根を下ろしたようである。
「随分と可愛いお客さんだ。娘を思い出すよ」
「娘さんも同年齢で?」
「ああ。中学校に通っている。いや、今日日通っているとは言わないな。フルダイブVRで中学校の授業を受けているだ」
羽地は素直に妻帯者と子供のいる兵士を尊敬する。彼らは彼らの守らなければならないもののために戦っているのだ。羽地のように何の目的もなく、命じられるがままに行動している人間とは異なっている。
「あれを見たら、可愛いなんて言えなくなるぜ」
「あれってなんだよ」
「今日の戦闘。メティス・バイオテクノロジーに派手に仕掛けてきた連中がいたって話は聞いただろ。恐らくは鷲獅子旅団。そいつらをこの嬢ちゃんがバッタバッタと撃ち殺していったんだぜ。まさに機械的な射撃だったね」
「本当かよ」
「映像残ってるから見せてやるよ。ほら、端末だせ」
シェル・セキュリティー・サービスの社員たちはアリスがロボットだということを知らされていない。日本情報軍の秘密作戦が進行中だということしか知らない。アリスを起動させた棺や他のロボットの棺は施設内に作られた部外者立ち入り禁止の区画に、真島ごと移動していた。
情報は知る人間が少なければ少ないほど漏洩しない。情報管理の基礎だ。
だから、日本情報軍で詮索屋は嫌われるのだ。
だが、いずれは誰かが気づくだろう。
今日の映像を見れば、アリスが体のかなりの部位を機械化していることに気づくはずだ。そして、負傷などすれば、アリスの人間の皮は剥がれ、ロボットとしての側面が表に出るわけである。
秘密が漏れるまであと何日? 日本情報軍は秘密を知った人間をどうする?
羽地は考えるだけ無駄だと思った。
死ぬときは死ぬし、秘密がバレるときはバレる。
死ねば葬式を上げ、秘密がバレれば揉み消す。
対処はシンプルだ。
「こんな可愛い子が来てくれるなんて癒しー! むさいおっさんばっかりでこの基地の中まで汗臭かったし」
「んだよ。俺たちは現場で頑張ってるのにドローンの映像見てるだけの奴が」
「ドローンの映像と私の指示がなかったら、メティス・バイオテクノロジーのような自前の監視システムを持っている場所じゃない限り無能でしょ。それに今日は私、迫撃砲陣地2か所とトラック4台を吹き飛ばしたんだからね」
そう告げるのはそのショートボブの髪を明るい赤毛に染めた女性だった。
ああ。A-10を無人機にして操縦していたのは彼女なのか。
あの暴力的な火力と野獣のごとき機体を目の前の20代後半ほどのキラキラした女性と結びつけるのに羽地は少し時間がかかった。
「本当に可愛いー。妹にしたいちゃいぐらい」
「妹ですか? ご両親の養子に自分を?」
「うんうん。お姉さんが可愛がってあげるから!」
アリスは様々な人間の反応を学習していっている。
アリスは最初は奇妙がられ、戦場では褒められ、歓迎会では歓迎されている。自分に対する感情がころころと変わる理由も学習しつつあるだろう。
「アリスに親しくしてくれてありがとう。羽地悠だ」
「八乙女ソフィア。この子の保護者ってあなた?」
「そうだ。彼女とバディを組んでる」
「羨ましいなあ。作戦管理センターにも癒しが欲しいのに」
八乙女と名乗った作戦管理官の女性はそう告げてアリスを抱きしめた。アリスは八乙女の豊満な胸の中に吸い込まれている。
「ここでの仕事は長いのか?」
「半年目。ドローンを飛ばして、爆撃して、誘導して、指示を出して。毎日変わりない日々を送っているわ。ここの男どもはみんな魅力がないし。ボスぐらいよ。しゃんとした魅力のある人は。……あなたも割をしゃんとしているわね」
「どうもありがとう」
「けど、どうせここに数か月もいれば、他の民間軍事企業のろくでなしと同じになるわ。賭けてもいい。この子、大事にしてあげてね?」
「善処する」
「ダメ。約束してください」
「分かった。大事にする」
「オーケー。なら、お兄さんの方に行っていいよ、アリスちゃん」
八乙女はそう告げてアリスを解放した。
「アリス。気分はどうだ?」
「少し混乱しています。メティス・バイオテクノロジーの施設では奇異の目で見られていたことは自覚していますが、それが突然友好的になって……。やはり、今日の戦闘の結果故でしょうか?」
「それは関係ない。単純にアリスが魅力的なだけだ」
「私が魅力的……」
アリスは首を傾げる。
「そうなのですか?」
「そうだよ。これからは彼らもアリスの力になってくれる。戦友だ」
シェル・セキュリティー・サービスの面々は事情は分からなくても、アリスを無下にすることはないだろう。アリスはこれからどんどん成長する。人間らしくなる。兵士らしくなる。隣に居てほしいに存在になる。
「羽地先輩。少しお話があるのですが、いいでしょうか?」
「ああ。構わないよ」
だが、そこで思わぬ乱入が入った。
「は、羽地先輩!? そんなふうに呼ばせてるんですか! 私のことも八乙女先輩って呼んで、アリスちゃん!」
「八乙女先輩?」
「わー! キューンって来た!」
先輩という呼称はやはり失敗だったかと羽地は思った。
「それで話とは?」
「ここではなく外で」
アリスの歓迎会は当初の目的を忘れてただの飲み会になっている。日本情報軍の兵士がアルコールで酔うのは軍旗違反だし、循環型ナノマシンがアルコールを無害化するはずだが、彼らはこの場所で抜け道を見つけたらしい。
「それじゃあ、外に行こうか」
羽地はアリスを連れて、馬鹿騒ぎしているオペレーターたちから離れて、外に出た。そのことに気づいたのは羽地とアリスの様子を見つめ続けていた矢代だけ。
外にはプールがあった。軍事基地として設計され、建築されたこのプールにも何かしらの役割があるのだろうが、今は照明の明かりに照らされ、2020年代に流行ったナイトプールを少しばかりチープにした雰囲気を醸し出していた。
羽地とアリスはそこに向かうと羽地は芝生の上に腰かけ、アリスはブーツとソックスを脱いで足をプールに浸した。
「アリス。君は泳ぐことができるか?」
「機能的には可能です。ですが、未知の分野です」
その会話の後、気まずい沈黙が訪れた。
「アリス。話というのは?」
羽地が痺れを切らして直接アリスにそう尋ねた。
「私は本当に魂を宿せるのでしょうか?」
アリスはそう告げて羽地を振り返った。
その目は縋るような色が確かにあった。虚ろな子供兵のようなものではなく、助けを求めている真剣な色と光があった。
「真島さんに聞いてみないと分からない」
「真島博士は『万物に神様が宿る』という思想は古い思想だと言いました。かつては八百万の神々といって様々なものの神様を祀ったそうですが、今ではそういう思想を持っている人間はほぼいないと。私も自分で調べてみて、この思想が過去の思想であることを知りました。私にとっては救いとなる思想だったのですが」
「そうか。だが、真島さんは君が魂を宿すと信じているのだろう?」
今日日の若者に八百万の神々と言っても意味を理解できる子は少ないだろう。
確かにそれは廃れた思想だ。古臭い考えだ。大町が知っていたことすら驚くべき思想である。彼はもしかすると神社の関係者だったのかもしれない。
「真島博士はいろいろなことを信じて、私たちに託しています。私たちが魂を宿すこと。私たちが人間と見分けが付かなくなること。私たちがいずれは日本国の国民となること。私たちが魂と権利を持った存在になること」
アリスは淡々と語る。
「ですが、私はその託された真島博士の夢に応えられそうにありません。私は今日、大勢の人たちを殺しました。魂を奪いました。私は所詮は軍用ロボットに過ぎないのです。銃を持って、害となる人間を殺して、魂を奪う。それぐらいしかできない人形なのです。いくら人間そっくりに作られていても、人間にはなれない」
「アリス……」
「私は出来損ないの人殺しの機械。魂なんて得られっこない。これからも他人の命を奪い続けて、いずれはスクラップにされる。私なんて──」
アリスの頬に水滴が流れる。
「生まれてこなければよかったのに」
ああ。違うんだ、アリス。羽地は思う。
そして、羽地は後ろからアリスを抱きかかえた。
「羽地先輩……?」
「そういうことは言うものじゃない。君を生み出してくれた真島博士たちを侮辱する言葉だ。君は確かに戦争のために転用された。だが、本来はもっと静かな環境で、少しずつ発育していくはずだったんだ。恨むならば、俺たちを恨んでくれ」
「羽地先輩を恨むなんてことはできません。この感情は自己嫌悪です」
「自分を嫌うな。君は今日大勢の人を殺したと言った。だが、同時に大勢の命を救っている。足を負傷したオペレーターを搬送するには時間が必要だった。君がその時間を稼いだ。メティス・バイオテクノロジーの施設は設備は無事だった。あそこで育った食料は地球に運ばれ、飢えに苦しむ大勢の人々を救うだろう」
羽地はアリスの頭を撫でてやりながらそう告げる。
「戦うことは殺すことじゃない。誰かを守ることだ。君のあったことのない日本国の国民たちや、その他の国の人々の命を守ることに繋がる。それから最も身近な戦友を守ることになる。大町や今日出会ったオペレーターたち、そして俺。今日はアリスに救われた。お礼を言わなければならない」
「私はただ殺さなければならないと思っていただけで……」
「ああ。それでもアリスは戦友たちを救った。これからはただ銃を撃つ以上のことができるようになるだろう。戦術的な立ち回りを覚えたり、敵の心理状態を想像したり、人体の仕組みに詳しくなり救護の仕事ができるようになったりすれば、もっと大勢の人命を救えるようになる。そして、アリスは人間として認められていくだろう」
羽地は生まれたばかりの猫の子供でも扱うように丁重にアリスを抱きしめた。
「魂が得られるかどうかは俺にも分からない。だが、諦めるのは早すぎる。君は今日の出来事だけで全てを決めようとしている。君が賢いならば、もっと学習するべきだ。魂は案外近い場所にあるのかもしれない」
「そうですね……。参照するデータが少なすぎます。結論を出すには早すぎる」
アリスはそう告げてプールの水をぴちゃぴちゃと足で跳ねた。
「任務に前向きになれました。ありがとうございます、羽地先輩」
「お役に立てれば光栄──」
そこで見た。
羽地はアリスが満面の笑みを浮かべているところを。
目には希望を持った人間の輝きがあり、決して虚ろではなかった。羽地はその様子を固まったまま見つめていた。
「羽地先輩?」
「アリス。君が魂を得るのは不可能ではないかもしれないぞ」
羽地は思った。
アリスはこれから成長していくだろう。どんどんと学習し、人間らしさを身に着けていくだろう。そして、いずれはその多目的光学センサーが虚ろな光の反射だけではなく、人間的な輝きを常に輝かせ続ける時が来るだろう。
「頑張ろう、アリス。君が魂を得るまで」
「はい、羽地先輩」
シャルストーン共和国首都ティナトスは今日は銃声はしておらず、静寂が辺りを支配していた。
……………………