第1章 偶然 1-1
才内裕翔は、一言で表すなら意気地なしだ。
挑戦する事から逃げに逃げて生きてきた。
そうなった原因が裕翔自身にあるのか、周囲の環境にあるのかはわからない。
ともあれ、裕翔は高校から大学へと進学を果たした。
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4月の初め。
地元東京の私立大に入学した裕翔は、入学式の次の日、学生課がある1号棟へと歩いていた。
キャンパス内には部活やサークルの勧誘で人がごった返していた。
裕翔にも勧誘の声は掛かったが、苦笑いで返し足早に歩き去った。
1号棟が見えた時、誰かがグッと裕翔の腕を掴んだ。
早歩きのせいで腕が引っ張られ、ひじの辺りがジンジンと痺れた。
「ちょお、待ってーや!」
裕翔の腕を掴んで男子学生が言った。
「自分めっちゃ無視するやん!」
「……え?」
突然の事に、裕翔はそう返事するのが精一杯だった。
「ゆうしょう君やろ? さっきのガイダンス、席割りが名前付きで貼り出されてたやろ? 俺、ゆうしょう君の隣やってん!」
「あぁ、そうだったんだ……」
「何やねんな!テンション低いわぁ!ほんでな、ガイダンス終わったら声掛けてみよー思てたら、ゆうしょう君すぐ行ってもたから慌てて追いかけてみたんよ!」
「そうなんだ 急いでたから気付かなかったよ」
「せやけど、名前読んでも全然振り向いてくれへんやろ? ほんで歩くん早いしやなぁ!」
「あ、名前なんだけど、僕、ゆうしょうじゃなくて、ゆうと、なんだ」
「そうかいな!もっと早よ言えや!恥ずいわぁ!何回ゆうしょう君って呼んだ思てんねん」
「ごめんごめん いきなりでびっくりしてたからさ、タイミング逃しちゃって」
「そーか?まぁええわ ほな、またな!」
「あ、うん、じゃーね」
そう言って1号棟に向き直る裕翔の腕を、関西弁の学生は再び掴んで引き止めた。
「ちょ待って!わかる!今のは俺が悪いな!相手見てボケなあかんな!」
「あの、僕今から学生課で手続きしなきゃいけなくて急いでるんだけど」
「なんやそうならそうと先言えや!ほな行こ行こ!」
「……うん」
要領が掴めないまま、裕翔は関西弁の学生と連れ出って学生課へと向かった。
「すんませーん!手続きに来ましたー!」
関西弁の学生は学生課に入るなり大声で言った。
「静かにしなさい で、何の手続きなんだい?」
学生課のカウンターに居る初老の男性職員が応えた。
「いや、俺やのうて、こいつなんですわ! ほら、ちゃんと用件伝えな!」
そう言って、関西弁の学生はひじで裕翔を突いて促した。
「もう!わかってるから黙っててよ!」
裕翔は振り払う様に一歩前へ出た。
「あの、奨学金の手続きに来ました」
「はいはい、じゃあ、書類を用意するからお待ちください」
妙に視線を感じて居心地の悪さを感じた裕翔は、さっさと手続きを済ませ足早に学生課を後にした。
「ちょお、置いてくなやー!」
「やだよ、恥ずかしいなぁ!」
「何やわからんけど、悪かったってー!」
「大体君は何で付いてくるんだよ!」
そう言って裕翔が振り返ると、関西弁の学生はニヤニヤしながら裕翔を見返した。
「裕翔君、いや、裕翔!俺と友達になってーや!」
「はぁ?」
「はぁ?ってなんやねん!人が友達になろー言うてんねんで!」
「友達って、なろうって言ってなるもんじゃないでしょ」
「そうか? まぁええやん!ほなこれから俺と裕翔は友達や!」
「まぁいいけど、君名前は?」
「あれ、言うてなかった? 桜木航や! よろしゅうに!」
「航君だね 僕は才内裕翔 よろしく」
「航君やのーて航でええて! 呼び捨てにせえや、水くさい!」
「うん、わかった!」
しばらくキャンパスを歩いてから、航が言った
「ほんで、裕翔は今日これからどないするんや?」
「今日の講義は終わったし、これから帰るけど 航は?」
「俺も今日は終いや! ほな裕翔ん家行ってええか?」
「えー……どうかな……」
「あ、実家か? ほなご家族に迷惑やな」
「いや、1人暮らしだよ ってか<ご家族>って、変なとこ几帳面なんだね」
裕翔が笑いながら茶化すと、航は歯に噛んで答えた。
「やかましいわ! ほな裕翔んち行こか!」
「もう、わかったよ でも何も無いからね」
「かまへん、かまへん!」
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キャンパスを出て5分ほど歩くと裕翔の住むアパートに着いた。
赤い外観の三階建てで、各階にワンルームが2部屋ずつ。
少し狭いが1人暮らしの学生が住むには十分な広さだ。
「なんや普通やなぁ……」
航が呟いた。
「そりゃそうでしょ どんなの想像してたんだよ」
「いや、もっとボンボンみたいな部屋を想像してたわ」
「なんで?」
「そら、言うてウチの大学ってそれなりに難関やー言われてる大学やろ?」
「うん」
「その大学で、学費全額免除の奨学金貰うてるんやろ?」
「うん」
「って事は結構勉強できるって事やん」
「どうなんだろ」
「だから 金持ちのボンボンかと思うたんや」
「ごめん よくわかんない」
「まぁええわ!」
「うん じゃあ、とりあえずコーヒーでも飲む?」
「ご馳走になりますー」
カップにインスタントの粉末を入れ、湯を注ぐと狭い部屋中にコーヒーの香が広がった。
「はい インスタントですがどーぞ」
「いえいえ、お構いなくー」
コーヒーを飲みながらの2人の会話はもっぱら、どの講義を履修するかの話だった。
「それにしても、なんか肩透かしやなぁ」
「そうだね もっとバリバリ法律の勉強をすると思ってたよ」
2人が通う法学部は、1年生の間は専門科目も少なく、必修科目以外は学部が関係ない一般科目の講義しか履修できない。
確かに、法学部を志望して入学した生徒にとっては少し肩透かしかもしれない。
「まぁええわ、とりあえず講義の時間割は完成やな」
「うん、なんだかんだほとんど同じだね」
「そらなぁ、別に法律以外は興味ある講義なかったからなぁ」
「そうかなぁ? 面白そうな講義も沢山あったのに」
「そうか? 法律以外の勉強するなら法学部の意味ないやん」
「そんなに法律の勉強したいんだ」
「まぁなー」
履修要項をペラペラと口惜しそうにめくりながら、航は虚に答えた。
「ほな、ぼちぼち暗なってきたから帰りますわ!」
「うん 下まで送るよ」
「おう!」
階段を降りてアパートを出た裕翔は少し肌寒い気がして腕をさすった。
「陽が落ちると流石にまだ寒いなぁ」
「天気の話なんて 意外と航は年寄り臭いね」
「うるさいわい ほな!お邪魔しました!」
「うん、じゃあまた明日の講義……」
裕翔が言いかけた所で女子学生が目に止まった。
「どないしてん?裕翔?」
女子学生に気付いていない航が裕翔に尋ねた。
裕翔が固まったままで居ると、女子学生は裕翔たちの方へと歩いて来た。
「あのー」
女子学生の声をかけられ航が振り向いた。
「ここにお住まいの方ですか?」
女子学生が尋ねた。
「いや、俺は住んでないんですが、こいつが」
航は話しにがら裕翔の肩をポンと叩いた。
「そうなんですね! 私、この間ここに越してきたんですよー!」
「そうなんやぁ! 学生さんですか?」
「はい! そこの明政大学の1年生です!」
「おー!俺らも明政の1年やねん!俺は桜木航って言うねん で、固まってるこいつが才内裕翔ですー」
「あ、私は三上真優って言います!」
「おう!よろしゅうにー!」
「はい!よろしくお願いします!」
挨拶を交わして、真優はアパートへと入って行った。
「なんや裕翔 女苦手なんか?」
真優の姿が見えなくなったのを確認して、航は裕翔に声を掛けた。
「いや、そういう訳じゃなくて……」
「そうか? ほな、俺も帰るわな!また明日ー」
「うん、また明日ね」
航を見送った裕翔は、部屋に戻るとベッドに腰掛けた。
「同じ大学だったんだ……」