地下牢獄、血に染めて その2
「俺の中にある、魔力……か」
何となく、昔みんなで回し読みした漫画を読んでやっていたように、チャクラを練ってみたり、かめはめ波の構えをしてみたりしても、何も起こらない。そもそもに、この不快で気色の悪い呪詛の中、集中力など保てるはずもないのだ。
こういう非常時にこそ、力が目覚めるのがお約束だろうが……覚醒しろよ、俺!!
「やめとけ、魔力の扱いなんて一日二日で何とかなるようなもんじゃなし、そもそもここはお約束が通じるような世界でもねぇよ……」
勇者はどこか投げやり気味に言って立ち上がり、剣で空を切った。
「あと、アイツの相手は俺がする。聖剣が使えなかろうと勇者だ。女や年寄りを戦わせられるかよ」
「なぁ霊獣。勇者様の魔力をお主に譲渡することが出来れば、この状況を何とかすることが出来るのか?」
勇敢な勇者の姿に一瞥もくれず、魔王様はキツに確認する。
――ガキンッ!!
また、破壊音。今度は更に、何かが蠢くような、重いものを引き摺るような音が続く。アレがいた牢は長い通路の最端だった。普通に考えれば、そんな音が聞こえるはずがない。これは、アレに対する俺の恐怖が作り出した幻聴なのだろうか。ズルリ、ズルリと音が近づいてくる。否応なく焦燥感が駆り立てられるのを、気合で押し留める。
「ああ。さすればワシは人化し、陣を使える。あの程度消し炭じゃ」
「そうか……勇者様は異世界よりこの世界にいらっしゃった。そして、眷属の霊獣……勇者様、これを」
「――これは?」
魔王様が腰から外し、俺に差し出したのば、ファンタジーとは縁遠そうな、スチームパンク感のある、アンテナの生えた楕円形の機械だ。楕円の両端には何かのボタン。そして中央にはクロノグラフのように三つのモニターが並んでいる。何というか、お洒落なたまごっちのような形だ。
「マジックデヴァイス。異世界より来た勇者と、その眷属を繋げる為の道具です。と、元の持ち主は言っておりました。城には使えるものがいませんでしたので、詳しいことは分かりませんが、これが真に勇者様とその眷属を繋げるものであるなら、おそらく、魔力のパスもつながるはずです」
「マジックデヴァイス――マジヴァイスか」
受け取ったマジヴァイスを握り締める。どうやらたまごっちではなく、後発の対戦機能付きの方だったらしい。
「バッタもん臭ぇな……名前的には進化出来そうだけどな」
俺の手の中にあるマジヴァイスを覗き込んで、勇者は脂汗を滲ませながらも苦笑を浮かべた。俺に無駄な心労を掛けさせまいとする、彼なりの配慮だったのだろう。
「まぁ、やってみるさ」
使い方も何も分からない。が、こういうものはノリと勢いだ。そもそも打つ手のない状況なのだ。何をしてもこれ以上悪化することはない。螺旋丸もかめはめ波も出なかったが、こういった拠り所になる道具があると、何となく出来る気がするのだ。
「いくぞキツ!――人化だ!!」
キツに向けてマジヴァイスを掲げると、俺のイメージが反映されたのかそれとも初めからそういう仕様だったのか、そこからいくつもの光の棒が線路の枕木のように等間隔に照射され、キツの身体へと流れ込んでいく。同時に、背筋を冷たいものが駆け上がってくる。まるで命を吸われているような感覚。これが、自身の魔力を与えるということなのだろうか。
「これは……いける!これならやれる!人化!!」
キツの言葉に呼応するように、その身体が白い光に包まれ、そのシルエットは獣から人へと形を変えていく。そして、俺の全身から力が抜けて膝から崩れ落ちたとき、キツが纏う光が消えた。そこにいたのは狐ではなく、一人の少女だった。
「やった……成功、だ……」
「やりましたね、勇者様!」
倒れる身体が、また魔王様に抱き留められる。魔力が抜けたせいか、とても寒い。今は彼女の温かさだけが、確かな拠り所だった。
「なんだ、期待させといて幼女か」
喜びを滲ませながらも、勇者は憎まれ口をたたく。人化したキツは、勇者の言葉が示すように、人といっても10歳そこそこの、まだまだ幼い少女の姿だった。
「ふん、まだ魔力が足りんだけで、本来のワシの人化はそこの魔王など足元にも及ばんぞ?まぁ、そんなことはさておき、始めるぞ」
と、早速作業に取り掛かろうとするキツの身体に、勇者が外したマントを掛けてやる。本人は特に気にしてなさそうだが、流石に真っ裸は可哀そうだよな。
「伊達に勇者ではないの。気配り出来る男はモテるぞ」
ニカッと笑って、キツは地面に指を走らせる。すると、その軌跡に白い光が残り、円を中心とした複雑な図形を描いていく。その最中、ピチャりと水の音が響いた。先程からずっと頭の中に響いていた何かを引き摺るような音は、今や耳で拾えるレベルとなっている。呪詛の声も、大きく、ハッキリと耳を汚染してくる。
「――しゃさま……ゆうしゃ、さま……シンじて、のに……ワタ、の、ゆう、しゃ……」
恨み、辛み、嫉み……怨嗟の声が、だんだんと近づいてくる。
「――っ、もうここまで来やがった!バアさん、あとどれくらいかかる!?」
「急いどるがあと5分くらいはかかる!」
「上等だ!そのくらい楽勝で稼いでやらぁ!!」
廊下の先に、異形が現れる。ボンレスハムはそのままに、まるで魚のように両目は半ばまで飛び出し、開かれ牙をむき出しに、涎を垂れ流す口。そして――勇者に対する絶望故だろうか、真っ白に染まった髪。まさに、吐き気を催すような異形。それが、常人の三倍はあるかという程太く、そして短い脚を前後させて迫ってくる。ズルリ、ズルリと引き摺られるかつてドレスだったものは薄汚れ、まるで墓場から戻った死者の装束だ。
猿の手でも使ったか……どっからどう見てもバケモンじゃねぇか。
そんな怪物から俺達を守るように立ち、勇者が剣を構える。その身体が震えているのは、おそらくみんなが気づいていた。だからだろう。
「すみません、勇者様」
魔王はゆっくりと俺の背を壁に預ける。勇者を助けに行くのだろう。共通の敵を前に敵同士が手を組むというのはお約束だが、随分とお人好しな魔王だ。やっぱり今後敵として見るのは無理っぽい。だから――
「魔王様」
「勇者さ――」
離れて戦場に行ことする魔王様の腕を取り、引き寄せて俺は唇を奪った。
「怪我、しないでくださいね」
気障なことこの上ないと自分でも思うが、これが俺のやり方なのだ。異論は認めない。
「勇者様――妾絶対、貴方をお守り致します!」
信じられないとばかりに自身の唇に指を滑らせ、実感が伴って来たのか遅れてその顔を真っ赤にし、大声でそんな宣言をして勇者の方へとスルスルと進んでいった。
「止めてくれるなよ、勇者。これでも魔王の矜持があるんでな。それに、リーチは私の方が長い。援護は任せろ」
「ニヤケちまってよぉ。見せつけてくれるぜ、まったく」
呆れたとばかりに勇者は肩をすくめた。魔王様はどうやら、その長い尾を使って勇者の後方支援を務めるつもりらしい。異形との距離はまだ遠い。移動速度を考えれば実際に交戦するのは3分もないだろう。
「そうじゃの。まったく、主様がこんな軽い男だとは思わんかったぞ」
「あ、ははは……」
陣を描いているキツから、白い目が向けられ、俺は日本人らしく曖昧な愛想笑いで返しておいた。
足手まといは足手まといなりに、な。
「――しゃさま……ゆうしゃ、さま……ナゼ、魔オウ、と……」
呪詛の声が近づいてくる。
「へへ……とんだラストバトルだ。テメェら、上手くやれよ?」
「ふざけるな。魔王以外の者にやられる勇者など有り得んだろう」
死を覚悟したようなことを言う勇者を、魔王が叱咤する。そんな姿に、異形の姫はその飛び出した目を見開いた。
「ゆ、しゃ、ま……ゆうシャア、マ……ウ、キエエエェェェェエエエエエエエエエ!!」
異形が狂ったような奇声を上げながら、ドスン、ドスンと音を響かせながらこちらへ駆けて来る。
「じゃあ、俺が迎撃の一発目を貰うぜ!」
勇者が駆けだし、異形が振り上げた腕らしき部位を、光を奪われた聖剣で斬り飛ばす。
「よし!十分にこっちの攻撃は通じるぞ!」
「――ならば!!」
勇者の言葉を受け、その攻撃を受けて後退る異形に向け、魔王はその蛇身を以て薙ぎ払い、更に後方へと追いやる。即席にも拘わらず、抜群のコンビネーションだ。近づかれる度にこのディフェンスをしかければ、問題なくやり過ごせるだろう。
「ユ、しゃ、ゆ、シゃ……魔、オう、許……な、い――グ、ヴァァァァアアアアアアア!!」
勇者と魔王に弾き飛ばされた姫だったモノは、その身体故に片腕を欠いた状態では立ち上がることも儘ならず、唾液をまき散らしながら怨嗟の叫びを上げる。
――くっ……やっぱキツイか……
自身の中の魔力を失ったからだろうか、戦わずに身体を投げ出しているだけだというのに、姫の呪詛の叫びに身体の末端から感覚が無くなっていく。魔王様は目に見えて影響を受けてはいないが、勇者は剣を地に突き刺し、震える身体を無理やり従わせているようだ。
「奴の魔力が膨れ上がっておる。勇者、お主は下がれ」
「――へっ、まだまだ……こんなオイシイ場面で勇者が寝てられっかよ」
勇者は無理やりに剣を引き抜き、正眼に構える。足の震えは止まってはいないが、その目は死んでいない。俺とはえらい違いだ。
「――ブ、ベぎャ、ぼベぎゃ、べゴ……ヴぁァぁああアアあああああアアアあ!!!!!!」
もう、言葉から意味は読み取れなかった。姫だったモノの斬り飛ばされた腕の断面が沸騰したように泡立ち、その泡沫を突き破って幾本もの触手が伸びる。それらは絡み合って一本の太い腕を形作り、先端のみ手を形成することなく、イソギンチャクのように蠢いている。その長さは本体の三倍以上もある。
「悪趣味な……魔物となる人間は何度か見てきたが、ここまで醜悪なものは見たことが無い」
あまりの光景に、魔王様がその綺麗な顔を顰める。
「まさに邪神だな……バアさん!あとどんくらいだ!?」
「もうしばしじゃ!踏ん張ってくれ!!」
「――ギャばァ!!」
魔王の触腕が伸びる。先程とは比べ物にならない高速の攻撃を、勇者は目の前ギリギリで受け流す。
「あっぶね!?」
圧倒的な反射神経と技。この男が本当に魔王と戦う勇者なのだと、今更ながらに納得させられる。その後に迫る追い打ちも、一合、二合と勇者は確実に捌いていく。
この調子なら、キツの術が完成するまで時間が稼げる!
そう思った。が、現実はそう甘くないらしい。勇者に払われた触腕が先程と同様に、再び彼をターゲットに伸びる。また払われる。そう思った矢先、触腕が二股に分かれた。片方は勇者へと伸びて先程と同様に弾かれ、残るもう一方が伸びた先。
「しまった!?ガッ――!!」
反応が遅れた魔王様が触手に絡めとられ、そのまま姫だったものの方へと引き摺られて行く。
「――クソッ!魔王様!!」
俺は咄嗟に動こうとして、結局身体に力が入らず倒れてしまう。情けなさに、食いしばった歯が鳴った。
情けなさ過ぎんだろぉよ、俺!!
「放せこのッ!無礼者!!」
魔王様を捉えた触腕が更に分岐し、姫だったモノを打ち据えようとしていた彼女の尾まで締め上げる。
「おいおいおいおい、ちょっと手詰まりじゃねぇか!?」
助けに行こうにも、勇者も触腕を捌くのに手一杯でその場を動けない。
「えぇい!ワシがフォローに回る!!」
「待て!!お主はそのまま続けぃ!此奴の魔力支配はおそらくこの空間が密閉されとるからだ!穴を穿てば勝機は――カハッ!!」
魔王様を助けようとその場を動こうとしたキツを、魔王様が押し留める。だが、そんな彼女の脇腹に、触腕の一本が突き刺さった。
「魔王!」
「魔王様!!」
身体が動かないことがこれ程までに悔しいものだと初めて知った。何とか身体を前に進めようとしても、四肢に力が入らない。みっともなく這って進んでみても、あまりに遅すぎる。
「大丈夫、です、勇者、様……!妾の中、土足で踏み込ん、のが、運の、尽きだ……」
こちらに心配をかけまいとしているのだろう。魔王様が青い血を流した口元に強気な笑みを浮かべた瞬間、ビクりと姫だったモノが波打った。その隙を見逃さず、勇者は自身に向かってきた動きの鈍った触腕を斬り飛ばし、そのまま魔王様のところへ駆け出そうとした瞬間、即座に再生した触手に再び阻まれてしまう。
「馬鹿者!そんな状態で魔力垂れ流す阿保がおるか!!」
「やめろ!!此奴、私の魔りょ、吸って……どの道、もう長――保たん!!」
キツは陣を描くのを中断して右手に青い炎を出すが、またしても必死の形相の魔王様が制止する。
「こっちは俺が何とかする!バアさんは一秒でも早く終わらせてくれ!!」
勇者は何本も迫ってくる触手を切り払いながら、何とか相手との距離を詰めていく。
「――!!もうあと1分もかからんからな!死ぬなよ、二人とも!!」
キツは捨て台詞のように言って自分の作業へと戻る。皆が自分のやるべきことをしている中で、俺は何も出来ない。好意を持った相手のピンチに、ただ転がっているだけだ。流れた涙を、拭うことも出来ない。
なら……せめて――動け!!
「死なぬ、さ……ゆ、しゃ、さま……」
「お前魔王だろうがよぉ!!気合入れろやぁぁあああああ!!」
「ま、オ……ぐゲ、ぐゲゲゲゲげゲゲゲげゲゲゲ!!」
魔王様の身体から、全ての力が抜けるのが分かった。勇者が叫び、姫の成れの果てが不快な嗤い声を上げる。おそらくだが、俺はこの嗤い声があまりにも癇に障ったのだろう。今までほとんど動かなかったというのに、動くことが出来た。たった腕一本だが、俺は右手を――握ったマジヴァイスを魔王様へ掲げることが出来た。
「ミアラァァアアアアアアアアアアア!!!!」
何とかなるとは正直思えなかった。それでも、期待できそうな奇跡はこれくらいだったのだ。だが、賭けには勝てたらしい。マジヴァイスが真っ白に光り、キツのときと同じようにゾゾゾッと怖気が走り、身体中から体温が奪われ、気が遠くなっていく。そんな中放たれたその光は一本に収束して魔王様へと届いた。その身体が――その手が、ギュッと握られたのが見えた。そして、奇跡は重なる。
「描けたぁぁあああああ!!狗に三歩、酉に一歩、丙を超えて、丑に抜けろ!救急如律令!!」
床に描かれた陣が白く輝き、その光がキツの身体を通って突き出された右手に集まり、階段に向けて開放された。――キンッと耳鳴りのような音が聞こえたと思ったら、白い炎が階段を潰す瓦礫を吹き飛ばし、そのまま1階まで抜け、城の壁まで砕く。そこから月明かりが差し込んだ。
「――よっしゃ!喰らえ、ブレイブスラッシャー!!」
ふんわりとだが金色の光を取り戻した剣から放たれた刃状のエネルギーが触腕を切り捨て、そのエネルギー刃に合わせて突っ込んだ勇者が落ちる魔王様を拾い上げ、姫だったモノを蹴り飛ばして反転する。
「早よせぇ勇者!」
そう発破をかけつつ狐に戻ったキツが、俺の襟を噛んで頑張って引っ張ってくれるが、ピクリとも動かない。
「みなまで言うな!!」
右脇に魔王様、そして左脇に俺を抱え、最後にキツがその背に飛びつく。そんな重装備にも拘わらず、勇者は破損した階段を駆け上がり、ついに俺たちは地下からの脱出を成し遂げた。
「まだまだ気を抜くな!入口を崩して穴を埋めるんじゃ!!」
「年寄りは人使いが荒ぇなぁ」
地下室の入口のある部屋から外に出て、俺と魔王様、キツを下ろし、もう一度勇者は部屋の中に入っていく。そして――
「いくぜ!ランドブレイカー!!」
地上に出たことで黄金の輝きを取り戻した聖剣を、技名と共に勇者が床に突き立てると、まるでその刀身を中心に雲の巣のような亀裂が床に走り、ガラガラと崩れ落ちた。もちろん、その前に勇者は部屋の外へ脱出済みだ。
「――ふぅ、これで一息だな……」
「まだまだじゃ!勇者よ、お主回復魔法は使えるか?魔王の腹を塞がんとならん」
「使えねぇが、それに関しちゃコイツがある」
そう言って勇者は腰にチェーンで繋いでいた小さな樽を取り外す。
「モールのおいしい水だ。傷ならこいつでわりと治る」
キュポンッといい感じの音を立てて栓を抜き、魔王の傷口にトポトポとかけていく。と、傷に反応した水がジュッと沸騰したような音と白い煙を上げる。おいしい水などと謳っているが、このビジュアルを一度見たら絶対に経口摂取したくない。
あ――でもめっちゃ治ってるわ。ファンタジーすげぇわ。
水と反応した部位からみるみる内に肌が修復されてゆき、最終的に綺麗に傷口が塞がった。
「ふぅ、あとは二人とも魔力の欠乏じゃが――お主はタフじゃな」
「――場の支配権、さえ戻れば、この通り、よ……」
魔王様は上体を起こし、顔を顰めて額を押さえているが、無事なようで何よりだ。
「まぁ二人とも動けるようなら重畳じゃ。皆集まって来よったし、トップとしての説明責任を果たすんじゃな」
「言いにくいなぁ……姫様が化け物になったって……アレ連れて帰れねぇってなると、もう国に帰れねぇよ……みんなに何て言お……」
「まぁ、かといってアレを嫁に貰うというのは、もはや罰ゲーム以外の何ものでも無いしの……」
キツの言葉に勇者が頭を抱えて月に吠え、魔王様が同情の苦笑いを浮かべる。
あぁ、やっとひと段落だわ……あ――楽しそうだ。混ざりてぇなぁ……