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第十六話 ミアラの声 その1


 ソルトと面会した日の翌々日。俺達は真昼間から城の皆で食堂に集まって魔王様の回復を祝って騒いでいた。


「「「「「「「「「「かんぱーい!」」」」」」」」」」


 もう何度目だろう?どこかでそんな声が上がり、酒の入ったジョッキを叩き合わせる澄んだ甲高い音が響く。俺達人間組は良いが、マズルが邪魔をするガルル達ワーウルフは思いっきり口の端から酒を零しながら飲んでいる。


 でもある種こう――強引でも豪快に飲んでるのって見てて美味しそうに見えるよな。


 キツは未だ人化出来ずにいた為、流石にこういう場では可哀想だと思い今朝マジヴァイスを使って人化させようとしたところ、ルーンをルーンスキャナーに差したままなのをすっかり忘れていて、現在俺の魔力を吸いとったキツは中間体に人化している。


「魔王様。さ、もう一献」


 徳利を傾け、魔王様の乾いた杯を満たす。人間の村から清酒を買うようになってから、キツや竜牙がよく飲んでいる影響か魔王様もここのところお気に入りで、気が付くと徳利だけでなく立派な漆塗りっぽい朱色の杯まで用意されていた。


「ありがとうございます。では、返杯させてください」


 俺の手から受け取った徳利を、魔王様がゆっくりと傾ける。とぽとぽと子気味の良い音がして、俺の持つ杯に透き通った酒が注がれる。正直、想定以上に魔力を奪われた現状、あまり酒をグビグビいくのは危険な気がするのだが、美人のお酌というのはそれだけで抗いがたいのだから酷なものだ。


 現在、城のほぼ全てのメンバーが集まって騒いでいる。魔王様が目覚めたことが城内で共有された後、食堂担当の魔物達が昨日の内に御馳走を用意しておいてくれたのだそうだ。


 この活気、昨日はミッケに頼んで正解だったな。絶対邪魔したらダメだったろ、食堂。


 魔王様の快癒祝いと言うわりに、皆思い思いにこの場を楽しんでいる。シーナさんとリルフィーが二人でオペラっぽい感じの歌を歌っていたり、シュバルツがリザードマン達と卓を囲んで博打に興じていたり、竜牙が会場の隅でアラクネのリムと何か話していたり、キツが徳利のまま酒を煽っていたりと様々だ。


 最後のは自重して欲しい。


「――あの、家彰さん……」


 蛮行に及んでいるキツを止めに行こうとしたところ、スルッと魔王様の腕が俺の腕を絡める。そしてどこか儚げな潤んだ瞳が、じっと俺を見上げてくる。これで頬に朱でも差していれば完璧だが、そもそも血が青い時点でそこは期待できない。


 いや、今はそれよりも――


「どうしたの?魔王様」


 何かを言おうとしていることは分かったので、先を促して待つ。そんなに言いにくいようなことなのだろうか?魔王様は視線を彷徨わせ、何やら思案しているようだ。結婚でも切り出されるのだろうか?そもそも、魔物に結婚の概念が存在するのだろうか?


 うーん……でも、実際そうなら男から切り出さないとだよな……でも、結婚指輪とかそういう風習とかも知らねぇわ俺……ヤベ、そういうことはイの一番に調べとけよ俺……てか俺働いてないから給料の三ヶ月分とか最早……


「あの……少し、夜風に当たりませんか?」


「うん。行こっか」


 男からも女からも無い。時既に遅し。なら、今の俺に出来るのは魔王様に恥をかかせないことだけだ。たぶん、そこそこに重要なことだと思う。


 俺と魔王様は盛り上がる食堂からこっそりと抜け出し、夕日を映し出す崖下に広がる湖を眺める。茜色に染まった水面に波を立て、今日も人魚達は気ままにはしゃいでいる。


「風が気持ち良いですねぇ」


 風に遊ぶ髪を手で抑える魔王様の横顔は、どこかの美術館で飾られているような絵画を連想させる程綺麗で、答える言葉を忘れて思わず見惚れてしまう。


「すみません。せっかくのパーティーなのに、連れ出しちゃって」


「来たいから来たんだ。気にしないで良いって。そもそも、今日の主役はミアラなんだから」


「……ごめんなさい」


 やけに申し訳なさそうにしている魔王様の肩を抱き寄せると、こちらに身体を預けると共にもう一度謝られた。


「――どうしたの?」


 流石にパーティーから連れ出されたくらいで、そんなに謝られるような覚えはない。


「……そんな、貴方だから……」


 肩を抱いた手に不規則な振動を感じる。


 さて、これから一世一代の大告白の前で緊張してるのかと思ったけど、なら謝るかね?種族の違う私みたいなのに言われても迷惑だろうけど……みたいな?いや、もういい加減付き合いも長い。といっても、三ヶ月くらいだけど――毎日顔合わせてても普通のカップルがやるような痴話喧嘩が数回程度だ。共同生活に問題は見えないと思うけど……なら、何か悩みでも?


「どうしたの?ミアラ。悩みがあるなら言ってみ?俺が出来ることなら……あ――ビックリする程少ないかもしんないけど、力になるから」


 ……自信が無くても言い切れる男になりたい。


「家彰さんは本当に優しいですね……もう、甘え癖がついちゃいますよ?」


 憂いの上に困ったような笑みを貼り合わせ、魔王様が見上げて来る。


「好きな相手に甘えられるまでになれば、かなり良い線だと思うけど?」


「――そういう返し、ズルいですよ……」


「普通の返しだって。だから、甘えてくれたら嬉しいんだけど?」


「……」


 しばしの沈黙。トンっと、胸を押されてその反動というわけではないが魔王様が一歩分離れて、俺達はお互いに向かい合う。こちらを見つめる顔には、相変わらず憂いが浮かんでいた。


「――……」


 魔王様は口を開こうとしては、思い止まってまた閉じるを繰り返す。余程言いにくいことなのだろうか?


 夕日をバックにこのシーン……使い古された告白シーンに思えるけど、どうもお約束通りにならないしな、この世界。さて、何が飛び出すか……


 随分長いこと待った気がする。やっとこさ魔王様がポツリ、ポツリと話し出した。


「いくつも、可能性を考えました……どうにか乗り越えられないか。無視することは出来ないか。私の力で何とかすることは出来ないか……でも、ダメでした……」


 だが、その言葉は要領を得ない。


「もう少し猶予があれば、有効な策が浮かんだかもしれません……でも、今は一つしか思いつきませんでした」


 そう言って、魔王様は言葉を切る。


 乗り越えられず、無視できず、魔王様の力でどうにも出来ない。で、猶予が無いと……何この怖過ぎる単語の並び。詰んでんじゃん。


 しかし、かなり真面目な空気の中で申し訳ないが、雰囲気のある空気だっただけに肩透かし感が否めない。そんなこちらの気持ちなどお構いなしに、魔王様は意を決したように表情を引き締めて爆弾を放った。



「――私、第十七魔王ミアラは、サ国への侵攻を決定しました」



 サ国への進行、だろうか?サ国に向かって進む?なんて、アホみたいな現実逃避はいいとして、たぶんもなにも、あんな真面目な顔で言っていたし、侵攻の方だろう。つまり、戦争を仕掛けるということか――



 何故に突然!?



 何とか口から飛び出すのは避けられたが、この疑問はカッコつけて訳知り顔で流して頷ける程軽いものではない。


「侵攻、な……まぁ、そりゃ悩むよな……あ――なぁ。ちなみになんで、サ国との戦争を決めたんだ?」


 よし、理性的に訊けた!にしても、ホントに何で今このタイミングでサ国に……姫の件か?勇者送って来てることに対して――は、今更だし……そもそも、戦争の話は出てたけど、カンナ姫が起きる前にこんな強硬的に決めるなんてのは……


「そうですね……まず、何から話せば良いのか……」


 そんなに込み入っているのか。まぁ、単純な理由で戦争なんざ起こされたらたまらんけどな。いや、異世界感はあるけど……


「結果から言うと、サ国が異界の者に支配され、ウ国の武力制圧を計画していることが分かった為です」


「異界の者……召喚された勇者が国を?」


 サ国のウ国への侵攻。それ自体は予想の範囲内だ。なら、異界の者とは?とりあえず勇者というのが分かりやすい可能性ではあるが、なら普通に勇者と言うはずだ。


 態々異界の者なんて厨二臭い呼び方したってことは、別者なんだろうな……


「いえ……どうやらサ国は、勇者の世界――家彰さん達の世界とは別の世界との道を開いたようなのです」


「別の世界?」


 というか、前に居た世界から限定で召喚されてたのか勇者。もっといろんな世界から呼ばれてると思ってた。


 まぁ、それにしちゃ竜牙もシュバルツも話合うなと思ってたけど。


「そこが何処なのかは、私にも分かりません。ですが、そこに住む生物は人に寄生し、その人を――あの姫のようなバケモノへと変貌させてしまうのです」


「――それはヤバいな」


 あんなバケモノが他にもいる――と?


 久しぶりに、俺はこの世界を心の底から怖いと思った。というか、あの姫関係以外はこの世界、良い所なんだよな……いやでも、まさかそんな理由だけで――ん?道を開いた?


「まさか、その寄生生物が他にも?」


「そのまさかです。サ国の王は既に寄生されています。奴は異界から仲間を呼び寄せ、自身の周囲の人間を次々と寄生させているんです。早く滅ぼさないと、このままじゃ……」


「この城も、危ないと?」


 俺が引き継いだ言葉に、魔王様は黙って頷いた。


 いや、もはや魔王城で暮らしてる時点で伝統的なRPGからは逸れてたけどさ……つっても、モンスターズとかもあるしアリだと思ってたけど――次はパニックものか……俺苦手なんだよなぁ……


「――私は、城の仲間を守りたい……」


 俺を軽い現実逃避から引き戻したのは、そんな魔王様の言葉だった。


「ミアラは優しいな。俺も役に立てるか分かんないけど、出来る限り力になるよ」


 俺の気休めの台詞に、魔王様は静かに首を横に振る。涙がその頬を流れた。


「――違う……」


 それは今にも消え入りそうな、掠れた声だった。


「ミアラ?」


「あのバケモノに魔力攻撃は効きません。剣や斧も、あの回復力の前には無力です……」


 ――ああ、何となく予想はついた。


 だから最初に、ごめんなさいか……


「泣かないで。大丈夫。俺とキツでやってみる」


 俺がそう言うと、ミアラは涙で潤んだ両目を見開いた。つまり、俺の想像は正解だったというわけだ。


 キツには、巧く伝えないとな……でもまぁ、頼って貰えるってのは嬉しいもんだ。昨日から始めた仕込みも、早々に出番がありそうだし。


「――私、貴方に、死んでくれって、言ってるようなもの、なのに……」


「適材適所って言葉もあるよ。俺達にしか出来ないんなら、それはもう仕方ない」


「でも、でも……」


「むしろありがとう。ミアラに頼られるなんて、光栄だよ」


 これは正直な本心だった。今までマトモに役に立てなかった。与えられるばかりだった。そんな風に書くとちょっとカッコイイが、結局のところヒモだった。


 なら身体を張れるチャンスがあるなら、むしろ願ったり叶ったりだ。まぁ、正直スケールが抱えきれないくらいにめちゃくちゃデカいけど。


「――家彰さん……ごめんなさい……ありがとう……!」


 女を泣かす男は最低だ、等と言われているが、とはいえこうして感極まって泣く美人というのは――暴力的に可愛いものだ。


 好きな子にこんな顔させるとか、俺の経験値も相当なもんだな。少なくとも前世じゃ辿り着けなかったし。


「楽しい毎日を守るってのは、大事だもんな」


「あー!もう!そこは愛してるよとかもっとカッコいいのあったでしょう!!」


 そんな怒声が後ろから響き、魔王様を抱き寄せようとしていた手を止めて二人で振り返ると、何人ものデバガメが城の扉の影から溢れ出しながらこちらを覗いていた。ちなみに、声の主はシーナさんだった。


 すげぇな、俺等あんなのに気づかん程盛り上がってたのか……


「いやぁ、映画のワンシーンみてぇだな!まぁきな臭ぇ話は置いといて、死亡フラグ回避も兼ねて先に式上げとくか?」


「いや、どちらにしろそれはフラグだろう」


 竜牙にツッコミを入れるシュバルツというのは割とレアな気がする。酒が入っているからだろうか?


「というか、ワシの承諾も無しによくもまぁそこまで流れでカッコつけられたもんじゃの?」


 そんなキツの言葉には、呆れこそあれ気分を害している様子は微塵も無かった。だから、確信を込めて訊く。


「でも、キツはついて来てくれんだろ?」


「――間髪入れずに答えよったな……とりあえず、ワシも混ぜろ!」


 こちらも酔っているらしく、こちらに飛び込んで来て、俺とミアラをぎゅっと抱きしめた。


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