第十五話 魔王城の午後 その1
あの一件から既に三日が経過していた。いや、三日も経過している。にも関わらず、この身体の怠いこと……
麗らかな魔王城の昼下がり。今、俺の目の前には魔法陣の描かれた真っ平らに加工された石板があり、その上に鍋が乗せてある。そしてその中では、卵粥が美味しそうに湯気を立てていた。
「こんなもんか」
石板に取り付けられている摘みを捻って発動していた熱の魔法を止め、塩を振って味を調える。
なんつぅかこの城って、城ってこと以外異世界感無いよなぁ。これもう完全にIHだし、鍋も前の世界のと殆ど一緒だし。てか取っ手の部分がプラスチックじゃなくて木製の所為でこっちの方がグレード高い気がするまである。
スイッチ一つで部屋の照明は点くし湯も沸くし、空調すら動く。十分に発達した科学技術は魔法と見分けがつかないとは言うが、長い年月を重ねてやっと手にした技術と同じものが鎧着て戦ってるような時代に普通に存在するというのは、なんとも言えない気持ちにさせられる。
「家彰様、出来ましたかぁ?」
そう言って俺の手元を覗き込むのは、小さなラミアだ。この前キツが姫から助け出したラミアのミッケはこの食堂で働いていたらしく、助けたお礼も兼ねて色々と教えてくれている。主に、消化の良い食べ物で且つ魔王様が好きな物、だ。
にしてもお礼って……別に俺が助けたわけじゃないけどな。
まぁ、教えてくれる分には甘えておこう。しかし、小柄なミッケがエプロンに三角巾を付けていると、給食当番みたいで微笑ましい限りだ。
「うん、こんなもんでどう?」
「――ええ、良いと思います」
俺から受け取った匙で一口味見したミッケが満足そうに微笑む。
「じゃあ、これで完成?」
「はい。こっちの器に移して、さっき切ったハーブを添えれば完成です」
ミッケから器を受け取り、そこに卵粥をよそって刻んだハーブ――と言っているが明らかにこれ大葉だ――を振りかける。何となく、この一手間だけでちゃんとした料理っぽい見た目になるのだから凄い。
「では、運ぶのにこのお盆使ってください」
「ありがとう。ミッケがいてくれて助かったよ。こんな状況じゃ他の人には聞けないしな」
魔王様が放った戦術級広域魔術の傷跡に加え、不安要素が取り除かれた地下牢の修繕という一大事業に城の皆が取り掛かっている今、食堂は常に腹を減らした猛者達が犇めいている。今だって、休憩を取るオーガがもの凄い勢いで皿から料理をかき込み、リザードマンが弾力性抜群の漫画肉と格闘している。
ん?竜牙とグレイか……ハンパ無ぇ数の皿積んでんな……フードファイトか?
竜牙もグレイも、お互いの傍に食べ終わった食器を積み上げ、ひたすらに食べ続けている。食器の返却はセルフなのであり得ない光景というわけでは無いが、ちょくちょくと見物人もいるようで、何気に盛り上がりを見せていた。
ちょっと気になるけど、今はこっちのことだな。
まぁこんな中で主力のシェフ達にお粥の作り方なんて訊けるわけもない為、どうしようかと考えていたとき声をかけてくれたのがミッケだったのだ。
いやぁ、ホントに助かった。味が濃いだけの男の料理なんて、弱ってる女に出せるわけないもんな……
「いえいえ、私なんかでお役に立てたなら何よりです。と言いますか、家彰様が魔王様にお料理作るなら、呼べば皆手伝ってくれますよぉ?」
「いや、それはそれで心苦しいし……」
ミッケに頼んでいる時点で結局邪魔しているのだが、そこは最小限だと信じたい。
「家彰様、私たちは皆魔王様に仕えてるんですから。この城にいる叡魔は皆、誰も魔王様が喜ばれるのを拒むなんてことありませんよぉ」
言いたいことは分かるが、とはいえここに来てる奴らは腹が減ったから来てるんだろう。
そういう生理的なところまで曲げてってのは魔王様も本意じゃ無いだろうしな。まぁ、空気読まずにフードファイトしてる奴らもいるにはいるけど……
気付けばギャラリーが増えていて、二人の皿は1メートル近く積み上がっていた。この後腹壊す未来しか見えない。
「まぁ、覚えとくよ。あと、その家彰様っての――やめない?」
以前魔王様に呼ばれていたときもそうだけど、どうにもくすぐったい。幸い他の城の面々は気さくに呼んでくれるので問題ないのだが、どうもミッケのコレはこの前の一件が関係してそうな気がしてならない。
「――?家彰様は、家彰様ですよ?」
「ん――そうも純粋な目ぇ向けられるとなぁ……」
説明すんのも――なぁ?面倒くさいというか、恥ずかしい――は、違うか。
「ほら、様とか付けられるような奴じゃないし、俺……」
「何言ってるんですかぁ。魔王様の想い人なんですよ?」
うん、そう言うよね!だと思った!
「でもほら、それってさ?別に俺が偉いわけじゃないしさ?」
「――?」
そんな可愛らしく首傾げるなよ……まぁいっか、面倒くさいし。その内慣れるだろ。魔王様のときは交換条件があったからなぁ……
「あ――まぁ、それが呼びやすいならそれで良いか。じゃあ、俺は魔王様のとこ行って来る。助かったよ、ありがとう」
「いえいえ。また何か手伝えることがあれば言ってください。私に出来ることなら何でもしますよ!」
そんな言葉を交わし、俺は作った卵粥を持って魔王様の部屋へと向かった。
とりあえず、ロリッ子趣味に目覚めたときにはお世話になろう。
***
魔王様の部屋を訪れると、長大なベッドで上半身を起こす魔王様と、その傍にシーナさんの姿があった。
「あら。魔王様、家彰さんが戻って来ましたよ」
「――え?あ、家彰さん!あの、えっと……」
「じゃあ、私はこれで失礼しますね。ごゆっくりー」
シーナさんが何か吹き込んだのか――というか吹き込んだのだろう。彼女の言葉に魔王様が真っ赤になって狼狽えている。そのまま俺と入れ違いで出て行こうとするシーナさんに、そういえばと一応確認をしておく。
「あの二人、まだ起きない?」
「ええ。お姫様も、もう一人も」
「そっか……生きてはいるんだよな?」
あの日からカンナ姫も、あの姫からキツが引き抜いた少女も、共に目を覚ましていない。カンナ姫は助けた際には覚醒していたが、その後眠って以降、一度も起きていない。
「当り前です。礼拝堂で休ませてますし、待ってればその内起きますよ」
「そりゃそうか。ま、起きたら呼んでな?」
「夜中でも叩き起こしに行ってあげますよ。では」
そう言って、今度こそ部屋を出て行くシーナさんを見送り、魔王様のベッドの傍にある椅子に腰を落ち着ける。シーナさんが先程まで使っていたものだ。
「さ、ミアラ。卵粥作って来たよ。食べられそう?」
「家彰さん、あの、私……えと……あの――」
本当にどうしたんだろう?シーナさんに何かを吹き込まれたにしても、真っ赤な顔でしどろもどろになる魔王様は可愛いがどうにも異様だ。
お粥持ってなけりゃ抱き締めてたな。惜しい……
「えと……あ、あーん」
やがて、何を思ったのか魔王様は餌を強請る雛鳥のように口を開けた。いやまぁ、何を思ってって、意図するところは一つだろうけど。
こういうシチュエーションもありっちゃありだな。
「うん、冷ますからちょっと待って」
自分の膝の上に用意した盆。そこに乗っている器の蓋を開けると、美味しそうな湯気が立ち上った。俺は中身をひと匙掬い取って、ふーふーと息をかけて冷ます。
うん、これアレな。今度俺が倒れたときやって貰お。
「はい、あーん」
「あ、あーん」
俺が言うと、真っ赤な顔で素直に続けて口を開ける魔王様に匙を差し出す。と、パクッと食いついて、嬉しそうに咀嚼する。もう一度同じことを繰り返しても、魔王様はパクッと食いつく。
――ヤバい。これ可愛い。シーナさんもたまには良いことするな!
「味、どう?大丈夫?」
「すごい美味しいです。でもごめんなさい……家彰さんにこんな迷惑かけちゃって……」
「迷惑なんてないよ。そもそも、俺を助けようとしてくれたのが原因なんだし」
そう。魔王様が今こうして床に伏しているのは、あの姫との戦いの際に俺に魔力を譲渡したことが原因なのだ。
聞いた話によると、俺が受けた傷を治す上で、俺自身の“回復魔法を受ける為の魔力”が足りなかったのだそうだ。回復魔力を使う為の魔力というならまだしも、受ける為の魔力というのはどうにも納得いかないが、回復魔法というのはあくまで対象の回復力を爆発的に強めるものであって、それを受けた相手が相応の体力やら魔力やらを使って傷を修復するのだそうだ。
とまぁそんな中で、俺はカンナ姫戦で魔力を使い切っていた為回復魔法の効きが悪く、このままでは死んでしまうと思われたところに、魔王様が魔力を分けてくれたことで一命を取り留めたということらしい。
しかし、ここにもまた補足が存在する。魔王様も奥義を発動していた為に魔力が少なく、かといって魔力の譲渡は高等技術で誰でも使えるものではない。どうしようとなったところで魔力譲渡に対してルーンが反応したのを見たキツが機転を利かせ、ルーンをルーンスキャナーにセットして効果を増大させたのだそうだ。結果、ルーンによってブーストの掛かった魔力を受けて俺は回復。逆に魔王様はほぼ全ての魔力を絞りつくされ、気を失ってしまったのだ。
で、今朝やっと目覚めたというわけだ。てか回復魔法の説明長いな……しかもこんな性能だとゲームみたいに戦闘中気楽に使えねぇよ……回復はアイテム一択だな。
「いえ、そもそもあのとき天井に居た刺客の気配に気づけていれば、家彰さんがあんな怪我をすることはなかったんですから……」
「いや、でもそもそもアレは俺がもうちょっと動けてたら防げたもんだしな……」
「いえ、未知の敵と敵対しているにもかかわらず警戒を怠った私のミスです」
「いや、ミアラは十分よくやったって!むしろ俺が――って、これ一生続くヤツだわ」
まぁこういうイチャイチャも良いっちゃ良いが、このまま続けたら喧嘩になるやつだ。それに、やっぱりイチャつくなら笑ってて欲しいしな。
「そうですね。じゃぁ――あーん」
こういうとき、しっかりこっちの意を汲んでくれる魔王様は良い女だと思う。そしてまた赤い顔で口を開ける魔王様に冷ました匙を差し出す。
それから、魔王様が寝ていた数日間の出来事を伝えていく。どうせシーナさんが全部伝えてるんだろうし、それほど大きな何かが起きたわけでも無いけれど、俺は魔王様と時間を共有していく。その内卵粥は全て無くなり、魔王様を寝かしつけようとしたところ――
「その、まだ身体がダルくてシャワーを浴びたりは辛いので……身体拭くのを、手伝って貰えませんか?」
そんな爆弾を放り込まれ、ご要望に応えたところ結局途中で軽い運動を挟む羽目になり、再び汗やら何やらを拭いて魔王様を寝かしつけたときには、窓の外から夕日が差し込んでいた。
あのとき、翌日に目ぇ覚さなかったときは本気で寿命縮まる思いだったけど……これだけ元気なら大丈夫かな。
「――ふぅ。お疲れ、魔王様」
幸せそうな寝顔の魔王様の髪を撫ぜ、俺は照明を消して部屋を後にした。
さて、頼まれた仕事をこなすかな。
***
再び食堂へ戻り、今度は普通に日替わり定食を用意してもらい、それを持って目的地へと向かう。
にしても、地下牢獄が使えなくなってどこに軟禁してるんだろうとは思ってたけど……
どうやら地下牢獄は、姫が捕われていた場所を含めて3つ存在するらしい。それに今蛭子様を祀っている祠のある地下室を含め、それぞれが城の四隅に配されているらしい。
正直、そこまで間取り気にしてなかったな……そもそもにデカいもんな、この城……
「しかし、あんなことがあって完全に忘れとった……」
「まぁ、事が事だったし、仕方ないって」
道すがら出会って合流した狐姿のキツと共に廊下を進む。
目的地は、これだけモノローグを垂れ流したのだから予想はついているとは思うが、地下牢獄だ。魔王様のお見舞いの際に頼まれたのは、現在軟禁しているウ国の勇者、博多野ソルトの食事に関しての確認だった。
ソルトがこの魔王城へ来た深夜にカンナ姫が暴走したりサ国の姫が復活したりとイベント盛り沢山だったことに加え、魔王様が昏睡状態から目覚めたのが今日だ。魔王様と一緒に初日の尋問に参加したキツも、完全体進化の反動で今もまだ人化が出来ないような状態だ。薄情な言い方かもしれないが、出会って数時間程度の相手のことなど忘れてしまっていても仕方ないだろう。




