第九話 家彰立つ その1
目が覚めると、いい加減見慣れた天井があった。上体を起こして窓を見ると、外は夕焼けで赤く染まっている。キツの完全体人化に魔力を使い過ぎて倒れたのが昼過ぎくらいだったはずだから、結構な時間寝ていたことになる。
「キツ――は、いないのか……」
部屋に気配はない。なら、まだ就寝するような時間じゃないということか。この世界には時計というものが無いようで、日が出てないと時間が全く分からないのがツライ。
にしても、起きたとき誰もいないってのは久しぶりだな……何かちょっと寂しい。
ここ最近は起きたら絶対キツか魔王様がいた。そんな状況に慣れてしまっていたらしい。良くない状態だ。有難みというものを常に噛み締めるようにしないと。
そんなことを考えていると、トントンと控え目なノックの音が響いた。
「はーい!」
「起きてたんですね。食事持ってきたんですけど、食べられますか?」
ドアを開けて入って来たのは、夕食を載せたお盆を持った魔王様だった。こんなデカい城の主が直接食事を届けてくれるなんて、どんなVIPだよとか思ったが、それよりも!
「あ、ありがとう、魔王さ――ミアラ」
普通に魔王様を魔王様と呼ぼうとしたら可愛らしく頬を膨らませたので、慌てて名前呼びにする。
まぁ、他に誰もいないし、二人きりのときくらいはいいか。
仮にも相手は魔王様だ。その部下の前で俺が名前を呼び捨てしていては、城の士気に関わるだろう。いや、俺と魔王様のことは城の皆知っているし、本人はそう呼べとずっと言っているが……しかし、前の世界で社会の荒波に揉まれていた身としては、どうしてもそういう部分を気にしてしまうのだ。自分の面子に拘り過ぎる奴は嫌われるが、他人の面子に頓着しない奴もまた、嫌われるのだ。
いや、そんなことよりもだ!魔王様が今、ピンクのフリフリエプロンを付けて給仕してくれているという事実!それが大事!マジで新妻感が凄い!!
「人間は疲れているとき消化に良い物を好むと聞いたので、お粥というものを作ってみました。初めてだったので、上手く出来ているかは分かりませんが……」
しかも手作りだった。久しぶりに顔が熱くなってきた。
「ううん、ありがとう。貰っていい?」
「はい。じゃあ、準備しますね」
準備とは何だろうか?魔王様は椅子をベッドの傍に移動させ、そこに座ってくるくるとお粥を冷ます為か器をかき混ぜる。そして――
「ふーふー……はい、あーん」
「あーん」
ああそうさ。恥ずかしがって抵抗するなんてムーブを行う気など欠片も無いとも。
差し出された匙を受け入れ、ほろほろと口の中で解けていく米を堪能する。今この時、俺はかつてない全能感に支配されていた。今なら、全ての事象が俺の意のままになる。そんな気がする。
まぁ、そんなはずなく、魔王様との甘い食事は十分も続かなかった
「後片付けを押し付けておいて、随分いい空気じゃの?」
そんな苛立たし気な声が入口から聞こえて来るまで、だ。
何か咄嗟に顔逸らしたけど――振り向きたくねぇなぁ……
「ほう、随分面白い趣向だな」
「じゃろう?実はこういったことには自信があっての」
何?こういうことって何??余計振り返るの怖くなってきた……しかもちょっと魔王様の声楽しそうだし。
今更だが、魔王様はドSだ。隣の国からお姫様を攫い、その弱みに付け込んで国からイケメンをかき集めていた魔王様が、Mなはずがない。嗜虐的な笑みを浮かべる姿が何とも絵になっている。今、俺の背後で何が起きているのだろうか……
「のう、主様?ワシと一緒に――堕ちましょう?」
「は?」
何か違う。耳元で囁かれた瞬間違和感が駆け上り、振り向いた先には――
「どうです?似てました?」
ものすごい楽しそうなシーナさんの顔があった。
「今のキツの声、全部シーナさんが?」
「似てました?私、ああいうキツさんみたいな可愛らしい声真似るの、得意なんですよ」
「うん……引くほど似てた」
まんまと騙された。そしてこれは弱みだ。キツに告げ口されたらまた面倒臭いことになること請け合いだ。
この人やっぱり聖職者じゃなくて悪魔なんではなかろうか……
「ふふ、嬉しい。私もまだまだイケそうですね。あ、お食事続けてもらって大丈夫ですよ?」
その言葉に、また魔王様がふーふーと冷ました粥をあーんと差し出して来る。正直、第三者に見られていては食べにくい――かと思ったが、あーんと応じてみると、これはこれでいいかもしれない。少なくとも、十人並みのルックスだった前世では経験できなかった味だ。
キツ、ありがとう。あと、騙されてごめん。
「で、シーナがここに来たということは、シュバルツの治療は済んだのだな?」
「ええ。魔力の欠乏だけなら寝てれば回復しますけど、溺れた衰弱が酷くて……まぁ、礼拝堂が本来の機能を取り戻した今となっては、時間さえあれば治療は造作もありませんけどね」
魔王様の問いかけに、シーナさんは笑顔で答える。どうやらシュバルツは無事らしい。良かった。これでちゃんと礼が言える。
「で、手が空いたので家彰さんの様子を見に来たんですけど――お邪魔でしたね」
「そうでもないさ。私達の二人きりの時間はこれからいくらでもある。気にするな。それに、私はあまり礼拝堂に長居出来んからな。たまにはゆっくり話したい」
二人きりの時間は確かにいくらでもあるかもしれないが、今このシチュエーションはかなりレアだと思うのだが……
まぁ、魔王様も気の置けない友人に飢えてたって言ってたしな。野暮は言うまい。
「ふふ、そう言って貰えると嬉しいです」
「あれ?そういえば魔王様、礼拝堂に入って大丈夫なの?」
魔王城に礼拝堂があるだけでも驚きなのに、普通魔物はそういうところに入れないと、他でもない魔王様が言っていた気がするが……
いや、映画とかだと教会に悪魔憑きを連れて来てから儀式とかしてたっけ。なら、教会に入れることは珍しいことじゃないのか?
「何言ってるんですか家彰さん。この前家彰さんが教会から連行されて行ったとき、魔王様も一緒に居たじゃないですか」
この前連行されて行ったとき?
『――すんません!調子乗ってました!!』
あの時か!そういや普通に魔王様いた!めっちゃ普通に礼拝堂入ってた!!
「あまりにも普通だった所為で疑問にも思わなかった……」
「さっきも言った通り、長居は出来ませんけどね。何と言うか、急激に魔力を吸われると言いますか……私はこれでも魔王ですから。ある程度は耐えられますけどね」
相性すら覆せるのか魔王様……いや、聞いてる限り別に覆しては無いけど。ていうか何でこの世界事ある毎に魔力吸われんだよ……
「まぁ、そんな状態で神聖魔法なんて受けたら一溜まりもないわけだが」
魔王様でも一溜まりもないんだ!?
「撃ちませんよ、そんなの」
魔王様に意味ありげな視線を向けられたシーナさんが、むっとしたような顔でそっぽを向く。なんとも可愛らしい仕草だ。
ていうか撃てることに関しては否定しないのな。
「ふふ、冗談だ。信じているさ、シーナのことはな」
「ホントですかぁ?」
「でなければ、礼拝堂ごと吹き飛ばしておるさ」
「うふふ、それもそうですね」
魔王様はシーナさんのことを友人と言っていたが、何気にブラックジョークを交えて話す程とは思わなかった。
「そういえば、キツさんはどうしたんです?こんな状況、魔王様に全部任せるとは思えないんですけど」
「そういえば、確かに……」
魔王様のエプロン介護に完全に意識の外に追いやられてしまっていたが、そもそもここは俺とキツの部屋なわけで、普通なら今隣にいるのはキツでないとオカシイ。なら――何故?
「キツなら今あの部屋の後処理の最中だ。今やってしまわんと元の木阿弥だとかでな。家彰さんのことを任されたのもその時だ」
「後処理?」
「ええ。突然部屋に入って来たと思ったら、ボロボロになったあの部屋に連れて行かれて、倒れている家彰さんのことを頼む、と。理由を訊いたんですけど、後で頼む、と。相当焦っていたようでした」
オウム返しの俺の確認に答える魔王様の眉間には、皺が刻まれていた。魔王様にとって、キツの姿は相当不可解に映ったということだろう。
「ああ、そういえばシュバルツさんを引っ張って来たときも、随分焦っていましたねぇ。私に預けてさっさと戻って行きましたから」
引っ張って行かれたのか、シュバルツ……今度礼のついでに、全力で労おう。
「ふむ……それでまだ戻って来ていない、か……少し様子を見て来た方が――」
と、魔王様は俺に視線を向けて来る。そんなの、流石に答えは決まり切っている。
「ごめん、お願い出来る?」
自分で行こうと思ったが、どうにも身体が動いてくれそうにないのが歯痒い。気を使ってシーナさんが自分が行くと言ってくれたけど、丁重に断った。あのごたごたの最中、キツが異教徒がどうたらと言っていたのを思い出した為だ。我が事ながら、ファインプレーだったと思う。
ああ、だからシーナさん呼ぶんじゃなくて、シュバルツはキツが自分で引っ張って行ったのか。
「じゃあ、私はちょっとキツの様子を見て来ますけど――シーナは戻って来た竜牙を見てやった方が良いかもしれんな」
そんな魔王様の言葉に視線を辿ると、窓の外に竜牙らしき青い鎧を着た人影と――もう一人はアラクネだろうか?珍しい組み合わせが見えた。
「これはこれは、出迎えてあげないとダメですね」
聖職者、悪い顔してるなぁ……
「では家彰さん、大人しく寝ててくださいね」
そう言って、魔王様とシーナさんは二人して部屋を出て行った。最後に一人残され、俺はまたベッドに寝転がる。
まぁ、キツのとこには魔王様が行ってくれるみたいだし、俺はもうひと眠りして、回復に努めるかな。
***
次に目が覚めたときには既に太陽が昇っていて、またしても部屋にキツの姿はなかった。魔王様が様子を見に行ってくれていたし、大丈夫だとは思うのだが、やはり心配だ。
俺が若干怪しい昨日の記憶を頼りに件の部屋に行くと、ドアが開けっぱなしになっていて、部屋の中にポッカリと開いた地下に続く階段には、注連縄が掛けられていた。
こんなの、どっから用意してきたんだよ……
俺はゆっくりと、薄暗い階段を一歩一歩と降りていく。階段の先には、揺れる灯りが見えている。つまり、キツにしろ誰にしろ、人がいるということだ。いや、キツしかいなかった場合人はいないわけだが、そんな細かいことはどうだっていいだろう。
しっかし、階段に照明付けるか、せめて手すりくらいは付けないとな。
下に降りると、まず目に入ったのは綺麗に掃除された祠だった。次にバケツと雑巾。箒やその他掃除用具。そして最後にそんな部屋の中心で、丸くなって寝ている毛玉だ。
――ふぅ。まぁ、無事ならいいけどな。
あまり心配かけるなという言葉は、俺が言っていいものではないだろう。尻尾にマズルを埋めて眠るキツの傍にしゃがむと、ピクッと耳が動いた。が、一向に首を上げる素振りを見せない。
よっぽど疲れてたんだな……
部屋を見渡すと、祠だけでなく鳥居もピカピカだ。床は舗装されず土を固めた上に飛び石が並んでいるだけだが、そこも丁寧に箒をかけたのだろう。長らく人が入っていなかった空間にも拘わらず、埃が積もっていない。何より、あれだけバシャバシャ倒しまくったスライムの残骸が無い。
そういや――あの流木も片付けられてるか。
祠の扉はピシリと閉じられている。おそらく、あの奥に再び祀られているのだろう。一応お参りでもしておこうかと思ったが、そういえばあれにも礼儀作法があったことを思い出し、下手なことはしないでおくことにした。
作法間違って、またあのスライム出てきたら洒落にならないしな……
「――主様?」
「あ、起きたか。ごめんな?掃除、手伝えなくて」
「いや、無事じゃったんなら、それだけで十分じゃ」
それだけ言ってキツは大きな口を開けて欠伸を一つ。そして前足でクシクシと顔を掻く。何となく、猫っぽい仕草だ。
「何か手伝えることって、まだある?」
「いや、突貫じゃが一通りは終わっとるよ。シーナも手伝ってくれたしな。力場も安定しとるし、あとは日々の神饌と掃除を忘れずやるくらいかの。といっても異世界じゃし、肩肘張らずに週一とかで大丈夫じゃろ」
「随分適当だな……」
神様の扱い雑!
「冗談じゃて。これでも御使いじゃからな。こう見えて、敬意は忘れとらんよ。日々の手入れや神饌はワシがやるから、主様も城におるときは日に一度くらいお参りに来てくれんか?」
「ああ、それくらいなら」
実家は仏教だったけど。と思ったが口には出さなかった。代わりに参拝の作法を訊くと、そこまで肩肘張らんで大丈夫じゃと流された。柏手と黙祷で十分らしいので、俺は言われた通りにパンパンと柏手を打って、三秒ほど黙祷を捧げる。
「しっかりお祀りしておれば、蛭子様とて祟りはせん。それに、ご利益もあるしの」
「ご利益?」
「こんな世界じゃからな。戦力アップは大切じゃろ?」
「そりゃ重要だな」
もう二回も死にかけてるし。
「ああ、そういえば完全体の人化、おめでとう」
戦力アップという言葉で思い出した。随分と棚ぼたな形になってしまったが、改めて思い出すとやはり達成感がある。が、キツはそうでもないらしい。
「――ん?ああ、あのときか」
「なんだ、嬉しくないの?」
いつもならドヤ顔で無い胸張るのに。まぁ、今は狐の状態だけど。
「いや、嬉しいも何も、あんなんが完全体なわけなかろ?」
「違うの?」




