第七話 ハーフタイム・ラブ その1
目が覚めると、日の射す方角から、とっくに昼を回った時間だと分かった。
「おはよう。今朝の勉強はサボりじゃな」
ベッドの脇に椅子を置き、こちらを覗き込んでいたキツの第一声だった。
「おはよ。随分寝ちまったな……」
「あの程度で動けなくなるとは、まったく情けない奴じゃな。朝食は運んでおいたが、食えるか?」
昨日、あれからどのタイミングで自分が寝たのかも分からない。空腹感は感じるが、正直あまり食べられそうにない。とはいえ、せっかく用意しておいてくれたんだ。食べないのも悪いだろう。
「うん、ありがと。貰うよ」
身体を起こし、伸びをして着替える。筋肉痛で股の内側が痛かった。顔を洗うのも億劫ではあったが、昨日あの件で絞られ絞り取られたのは自業自得以外の何ものでもない。その反動を今表に出すのはよろしくないだろう。
「さ、どうぞ」
テーブルに戻ると、キツが椅子を引いてくれる。
「VIP対応だな」
「大好きな主様の為じゃからな」
テーブルの上には、真っ白な皿に乗った絵にかいたようなBLTサンドがあって、キツがコーヒーを注いでくれる。一口飲むと、まだ起き抜けで靄が掛かっていた思考がクリアになってくる。同時に、深いため息が漏れた。
昨日は散々だった。いや、あれはあれで楽しみはしたが……
「――すまん。昨日はやりすぎじゃったの……」
「ああ、いや、顔上げてくれって。元はと言えば俺の所為だからな……正直、見限られなかったことに胸撫でおろしてる」
あんな場面をバッチリ目撃されて、今もこうして隣にいてくれるっていうのは、もはや奇跡としか言いようがない。
「ふふ、今更あの魔王が主様を見限ったりはせんじゃろ。ベタ惚れじゃ」
その言葉に、思わず肩の力が抜けた。
「――そっか」
でも、後で謝りに行こう。こういうのはフォローが大切だ。
「それに、これでも男の性というのは理解しとるつもりじゃ。特に、シーナはそういうのに強そうじゃからの」
「あ――まあ、なぁ……」
昨日も上手い具合に手玉に取られてしまったからな。しかも二人が来たの知ってて誘って来たのだから怖い。今後は本気で注意しないといけない。
とりあえず、シスターというものの魅力に対処出来るよう気を強く持とう。
そんな風に前向きに思考を切り替えたところだった為、次のキツの言葉が一瞬分からなかった。
「じゃから、のぉ?主様――やっぱり、ワシじゃダメか?」
ふわっと、背中から抱き絞められた。静かな部屋の中に、小鳥の鳴き声だけが響く。
「――どうした?急に」
随分突然な話について行けず、少し考えてみた割に出たのは素の反応だった。
「――……」
「――どうしたの?」
背中から回された小さな手に、自分の手を重ねる。そして問いつつ、言葉の意味を考える。キツが至らないことなんて無い。辛いとき、居てくれるだけで励みになった。こっちの世界に来てからは、何も知らない俺を支えてくれた。そもそも、今生きていられるのもキツのおかげだ。今まで、キツに至らないところがあるなど考えたことなどない。
――いや、考えなかったか?
考えすぎかもしれない。だが、そういえば以前ここに来たての頃にも、そんなことを言ってたはずだ。
「ワシが、先じゃからな」
「彼奴よりも――ワシの方がずっと前から、主様のことを想っておったのじゃからな」
確かに、そんなことを言っていた記憶がある。
「――昨日、ワシを抱いてくれたのは、彼奴がおったからじゃろ?」
やっぱり、そういうことか……
「ワシだけで迫ったときには、理由をつけては煙に巻かれた」
それも、覚えがある……
「シーナのように、ワシも迫ったはずじゃ」
迫られたな。そして、そのときも有耶無耶にしたな……
「ワシじゃダメかの?主様……」
昨日、二人に捨てられたくない一心から頑張ったのが、まさかこんなところで裏目に出てしまうとは……
心を――いや、魂を修羅に染めるより他は無い、か。まぁ、こっちの世界でそれが犯罪かどうかは分からないのだが――耳元でしゃくり上げる声が聞こえた瞬間、そんなことはどうでも良くなった。ペ〇と罵られようと、ここで動かないという選択肢を選ぶことは俺には出来なかった。
「ダメなわけないよ」
キツの腕を振り払い、そのままお姫様抱っこで抱き上げて、ベッドへと放り投げる。キツが軽いおかげで、俺の低いSTRでも問題なくカッコよくキメることが出来た。と思う。流石にここまで気障にカッコつけることなど滅多に無い為、これで良かったかどうかは正直自信が無い。
「あ、主様!?」
「途中でやめてって言っても……たぶん止まれないからな」
「――ああ、主様。ワシの全て、主様のものじゃ!」
そして俺はボロボロの身体で体力の限界に挑戦することとなり、次この部屋で目が覚めたときには、ぽっくりと日が暮れてしまっていた。
***
「でもよかった……キツと二人で、ちょっとやり過ぎたかもって反省してたんです」
再び身支度を済ませて夕食を食べた後は、キツに悪いとは思ったが、心配しているであろう魔王様の部屋へと来ていた。
木製の大きなシステムデスクと、ラミアの長い身体をのびのびと伸ばせる大きなベッド、ソファーセットに、壁に沿って並ぶ本棚。観葉植物や少しの小物を除くと、あまりに部屋に色気がなく、女性の部屋にお邪魔している感覚が薄いのが残念だ。魔王様からしたらこの城全部が自分のものなんだから、今はこういう部屋を使ってるだけって認識かもしれないが。
「いや、俺の方こそ見限られなかったことに安心してる」
本当に優しい魔王様だ。こうなると自分の酷さが身に染みてくる。
「ふふ、私が家彰さんのことを見限るなんてこと、ありえませんよ」
二人並んで座ったソファーで、魔王様が頭を預けて来る。嬉しいことを言ってくれるが、言葉に甘えることなく気を引き締めて行こう。
「あはは……そう言ってもらえると助かる」
「でもだからって構って貰えないと、拗ねちゃうかもしれませんけど」
冗談めかして言って微笑む魔王様は天使のようだ。魔王なのに。
「そんなこと言ったら、構い過ぎちゃうよ?俺」
「むしろ望むところです。長く魔王をしていると、そういうのに飢えちゃうんですよ」
冗談を被せる俺に返す魔王様は、どこか遠い目をしている。
「そういうもんか?」
「気の置けない相手がいませんからね。私たち魔物は、力が全てなところがありますから、魔王になったが最後、祀り上げられちゃって。だから正直言って、今私すっごい楽しいんです。家彰さんがいて、キツがいて、竜牙にシーナに。魔王が勇者に救われるなんて、皮肉ですよね」
そう言って困った笑みを浮かべる顔も可愛いが、このとき、魔王様がとても儚く感じられて、俺はその肩を抱き寄せて言った。
「いいんじゃないか?魔王を倒すのが勇者なら、美女を救うのも勇者だ。俺は戦ったりは全然だけど、ミアラと一緒にいることは出来るから」
名前呼びは固辞したところではあるが、こういうときは名前で呼んだ方が響くと思った。
まぁ、地下牢獄でもベッドの中でも、もう何回も呼んでるけど。
「家彰さんは凄いですね。私の夢、叶わないって諦めてた夢も、簡単に叶えちゃうんですから」
「――夢?」
「昔倒した勇者のパーティーの一人が、持っていたんです」
そう言って立ち上がった魔王様は、自分のデスクから辞書のような分厚さの一冊の本を手に取り、差し出して来る。正直よく分からなかったが、とりあえず受け取る。パラパラと捲ると――
「勇者の冒険譚――かな?」
魔導書でもなんでもなく、何の変哲もない物語の本のようだ。読んだからといって、性格が熱血漢になることもなさそうだ。
にしても、今更だけど言葉も文字も、人と魔物で共用なんだな。てことはどこかの時点で文化が共有されてたってことだよな……いや、今はそんな考察するときじゃないか。
「はい。勇者が魔王を倒して、お姫様を助ける。そんな物語です」
「魔王様も、そういうの読むんですね」
魔王が倒される物語。それを魔王様は、どんな気持ちで読んでいたのか。
「寝る前に何となく読み始めたんですけど、衝撃を受けました。物語の勇者がカッコよくて、救われるお姫様が羨ましくて……でも、私は魔王ですから。倒される側の存在ですから……そんな風に思ってた。でも、私の勇者様は私を助けてくれた。私と一緒にいてくれるって言ってくれた。もう一度言います」
ソファーの隣に座り直し、しっかりと俺の目を見て、最高の笑顔で、彼女は言った。
「勇者様、お慕い申し上げます」
強くなろうと思った。どんな相手にも負けない程に。こんなテンプレートな物語に憧れる、どこにでもいるような女性を守ることが出来るように。胸を張って、彼女の勇者だと名乗れるように。
「絶対放さないからな。三行半突きつけられても、ずっと一緒にいるからな」
俺は魔王様の唇を奪い、そのまま押し倒す。数時間前に体力の限界に挑戦したばかりだというのに、今の俺には自分を止められそうにない。
「それこそ、望むところです」
そして俺は、全てを開放した。
***
翌日、太陽の光に目が覚めると、そこには見慣れない天井があった。昨日は別に酒に酔っていたわけでもないのだが、やけに霞掛かる思考が、ゆっくりと鮮明になってくる。
そっか。ここ、魔王様の部屋だ……
「おはようございます、家彰さん」
シャワーを浴びたのか、ほのかに髪を濡らした魔王様が二つ用意したカップに、サイフォンからコーヒーを注いでいる。なんとも幸せ過ぎる光景だ。しかもテーブルセットでなくソファーテーブルなのでVIP感まである。今度アラクネのリムさんにお願いして、魔王様用のスーツを作ってもらおう。胸元が開いた美人秘書風のヤツだ。それが揃えばもう無敵だ。
「おはよう、ミアラ」
ベッドから身体を起こそうとして、身体中がダルいことに気が付いた。みると、未だに薄っすらと身体にウロコの跡が付いている。情熱的なのはいいのだが、行為の最中尻尾でぐるぐると締め付けて来るのは出来ればやめて欲しいものだ。
とはいえ、たぶんあれ種族としての本能っぽいし、言い出せないんだよなぁ……
「コーヒー、ブラックでいいですか?」
「うん、ありがとう。先に洗面所借りていい?」
部屋の主に許可を貰って、さっと身支度を整えてソファーで待っている魔王様の隣に腰を落ち着ける。




