02 きっかけ
「いやぁ……まさかね……」
やって来たのはビレイム公爵邸。ずっと森の中で一人寂しく生活して来た自分にとっては、その壮観すぎる景色にただただ呆気に取られるしかなかった。
「貴方は命の恩人です。特別なことは出来ませんが、お礼くらいはさせていただきたい」
「いや、大したことでは……」
「何をおっしゃいますか。あのような森の中で長年研究されてきたともなれば、さぞ高名なお方に違いない」
「いやいや、本当に才能もなく……」
「またまたご謙遜を……まぁそこは深く詮索はしないでおきましょう」
「ははは……」
ダメだ。完全に勘違いされてしまっている。
なんでこんなことになった……。
◇
今日もいつもと変わらない。住処になった森を巡回してその日の食い扶持を稼ぐ生活を送っていた。
もうこんな生活を続けて何年も経つ。幸い森の中は俺の研究を邪魔するものはいないし、それまでに集めた文献と道具で様々なことができる。
消耗品だけはたまに買いに行くことがあるが、それ以外は人を見ることも少なかった。街に出れば森でとれたものを持ち込んで消耗品のための日銭にしていた。
だというのに今日は、久しぶりに人に出会ってしまった。
「なんでこんなところに……」
俺の嘆きでもあるし、おそらく目の前にいる身分の高そうな人間とその護衛たちの嘆きでもあっただろう。
人里から離れた山の中ではあるが、ここは一応俺でも生活ができる安全な森のはずだ。
だというのに彼らを追っていたのは、細長い身体を漆黒の鱗を纏うリザード。ただのリザードなら護衛がいれば問題はないのだが、これが普通のリザードでないことは明らかだった。
「変異種……しかも黒竜……」
知識のある人間であれば誰もが死を覚悟する相手だ。
危険度B級。武装した兵士およそ100人に相当する戦力が必要な魔物。数人しかいない護衛にそのような力はないだろう。
誰もが死を覚悟する相手。まさに命からがら逃げてきたことがその姿からうかがえた。
「見てしまった以上……助けないのは寝覚めが悪いな」
収納石からスクロールを一つ取り出す。
予め魔力と術式を組み込んでおくことで私のような魔力のない人間にも魔法を使わせてくれる便利な道具だった。
もっとも、魔力があればかからない金を毎回かけて魔力を充填してもらう必要があるというのは如何ともしがたいものがあったが。
「まあ、魔力があればこんなこともしようと思わなかったか」
スクロールを準備してからもう一つ、収納から液体を取り出す。
「当たってくれよ!」
放り投げたビンは綺麗に黒竜の背に命中した。良かった。日々の狩猟の成果だな。的がでかいだけという話もあるがそれはそれだ。
「当たりさえすればあとは……」
火の魔法の応用。
火属性の持つ能力のうち、温度を司る分野にのみ特化させたスクロール。
「ギャウッ!?」
「引いてくれよ……」
液体の中身と合わせ、黒竜にとっては信じられない寒気を味わっているはずだ。それこそ、冬眠に遅れたと錯覚するくらいには。
「なんだこの魔法は?! 一体どこから!?」
「このような魔法見たこともないぞ! 見よ! 黒竜が慌てて逃げていくではないか!」
「凄まじい……黒竜をたった一人で……」
妙に熱のこもった視線を向けられてしまった。
本当にすごいやつは逃したりせずに仕留めるんだが、命からがら逃げおおせてきた彼らからすればそのような発想には至らないのも仕方なかった。
「助かりました……」
「いえ、ではこれで」
「そんな! せめてお礼をさせてください。このまま命の恩人に何も持たせず帰ったとなればビレイム家末代までの恥にございます」
「そんな大げさな……ん?」
「どうかなさいましたかな?」
改めて追われていた男を見る。
ハゲ上がった頭に片方が焼け落ちているがいかにもなカールした髭。そして何より、ボロボロになりながらも存在感が消えない高価そうな衣服。
「ビレイム家……?」
「いかにも。この周囲を治めさせていただいております公爵家のものにございます」
「公爵……」
どこかで聞いたことがあると思ったら……。王家の血筋だぞ、それ?
「さぁさ、馬車も失いまして足もございませんが、是非屋敷まで……」
「いやぁ、私は……」
「我が家は王家から独立した魔法使いの一族です。貴方様のような高名な魔法使いをお呼びできたとなれば一族の誉れ。代わりと言ってはなんですが、蔵書もそれなりのものです。是非ご自由に見ていただければ」
蔵書……。
なるほど……それは気になる。
「では参りましょう」
「あ、あぁ……」
なし崩し的に屋敷についていくことになってしまった。