季染め師
まだ雪が残る頃、微かに漂う清々しさを感じさせる香りを感じながら、あたしは姉様に連れられて、今にも崩れそうな工房に来た。
「おじさま、今年もお願いできますか?」
姉様がその工房の戸を叩き声をかけた。しばらくすると、閉ざされた戸が開き、同時に軽やかな音色を響かせた
「おやおや、もうそなたの季染めを行う頃になったのか。季節が巡るのは速いものだ」
戸の向こうから、姉様を見上げるこの家の住人はどう見ても……
「ほら、あなたも挨拶をしなさい」
姉様につつかれて、その家の住人に慌てて挨拶をしつつ、あたしはこれからこの住人にしてもらうことが、本当に出来るのか心配になってきた。
「おやおや、そちらのお嬢様は初めましてじゃな。季染めのクエバだ。さあ二人とも中に入って。そなたらが織った布を拝見するとしよう」
あたしの心配をよそに、クエバと名乗った者に言われるがまま、姉様は織った布を出す。姉様からあなたも出すのよ。と小突かれ、慌てて織った布を出した。
クエバはそれぞれの布を広げ、掌で撫でていく。
「ふむ、こちらは流石と言わざるを得ない。こちらは、初めにしては上出来。少々粗いところがあるが、仕立と着方で何とかなりそうだ。
さて、さっそく染めていこうか」
水が張られた大きな壺に、姉様とあたしが織った布が放り込まれ沈んでいく。と、同時にクエバは奥の方に姿を消した。
「姉様、本当にあの方に季染めをお願いして大丈夫なのです? だって……」
「心配しないで。彼はこの辺り一番の季染め師よ。もうすぐ季染めが始まるわ。静かにクエバの技をご覧なさい」
姉様の囁き声が終わるのと同時に、クエバが大小違うビンを持って奥からやって来た。クエバは先程の壺の縁に立ち、手にしたビンの中身を入れていく。大ビンの中から白色が滝のように壺の中に落ちていき、もう一つの小ビンの蓋を開け、指先を浸した。
「ふむ、このくらいじゃろ」
赤色に染まったクエバの赤い滴が落ち、たちまち白色の水が薄紅色に変わり、壺の中から心が弾むような香りが満ち溢れてきた。
クエバはにこりと笑顔を見せ、姉様とあたしが織った布が薄紅色に染まった水から引き上げ、間を開け並べている棒に布を巻き付け、一気に水気を絞っていく。絞られた布から溢れた薄紅色の水が、下の壺の中に戻っていった。
そうして絞られた布は、隣に離れた水場に放り込まれ、水の中で桃色に染まった布が広がっていく。
「凄い……」
「もう少し濃い色の方がいいか?」
あたしは首を横に降って答えようとして、慌てて言葉でその意思を伝えた。
「後はこれを乾燥させて仕立師に渡して、出来上がりまで後半月といったところか。お代はいつもように季染めの元になる色で」
「季染めの元の色?」
「ああ、ご覧の通り、わしの目はほとんど見えぬ。じゃが、色、特に季節を彩る色は想いとか、温もり、生命の息吹などといったものを生きる者達の心に呼び起こさせる。その感覚をこのわしの元に持ち帰っておくれ。その感情が次の季染めの色になるからな」
あたしは桃色に染まった自分が織った布を見る。これがやがてあたしの装いとなり、季節を彩る花弁となる。これを来たあたしを見て、皆はどう思うのかしら。なんだかドキドキしてきたわ。
「おお、さっそく季染めの色が溢れてきておるの。うんうん、初めてにしては上出来」
クエバはニコニコしながら、あたしの胸から溢れる透明な煌めきを空のビンの中に移していった。
「では頼んだぞ。季を彩る者達よ」
こうして、その日はクエバの工房を後にした。やがてクエバの言葉通り、半月後に仕立てられたばかりのドレスが、ウグイスがあたしの元に届けにきた。
あたしはさっそくそれを身に纏い、外へと飛び出した。頬を撫でる空気、糸紡ぎのホワホワの塊に似た物が頭上を横切る。そして、あたしの胸から溢れた煌めきに似た輝きを放つ。
「あ、杏の花が咲いているよ」
「どこどこ? あっ、本当だ!」
あたしを見上げる者達から、溢れる煌めきが放出されていく。あたしはその煌めきを、精一杯受け止めた。