二 ストーカー
俺の心が興奮しているのが分かる。自分の姿を見ることの出来る人が現れただけなのに、これ程嬉しいもなのかと。
期待は更に膨らんでいき、もしかしたら会話も出来るのではないかと淡い想いを抱く。
しかしこの姿だ。いきなり目の前に現れたり話しかけたりしたら、きっと驚いてしまうだろう。
タイミングを見計らって現れなければ。
俺は少年の視界に入らないように隠れながら様子を伺うことにした。
観察し始めて僅か十分。いくつか、少年には不可思議な所がある。
まず一つ、俺は少年と言っているが、その少年頭上に浮かぶ情報には“女性”になっていること。
名前もおかしい。
周りからはウィズと呼ばれているのに、情報には“リサ”となっている。
窓から差し込む日の光に照らされてキラキラと美しく輝くブロンドの短い髪。
遠目から見る横顔でわかるくらいに長い睫毛に、ブルーサファイアの様な瞳。
笑うとあどけなさは残るものの、愛らしい表情を見せる。
背丈は、周囲に比べれば小さい方だろう。
美少年と言えばそうだし美少女にも見える中性的な顔立ちをしていた。
ここは敢えてウィズと心の中で呼ぶことに俺は決めて、観察を続ける。
あまり離れすぎると見失いそうで、俺は時折部屋の中に入っては壁から頭をだけ出すようにして話かけるタイミングを見計らう。
すると突然、廊下を一人歩くウィズは、足早になり扉を開けて部屋へと入っていく。
もしかしてバレたのかと慌てた俺は廊下に出て、ウィズの入った部屋の扉を確認する。
木製の扉の上部には文字の書かれたプレートが。
“男子トイレ”
やっぱりウィズは少年だったのか、だがそれならば何故頭上の情報と違うのかと疑問を消えない。
ふと、今の俺は壁をすり抜けられるな、と頭に浮かぶ。
「いかん、いかん! 何を考えているのだ俺は」
邪な考えを振り払うように頭を振った俺は、一旦近くの部屋へと入り、トイレから出てくるのを待つ。
壁から頭だけを出して待っていると、ウィズがトイレの扉を開けて一瞬こっちを見た気がしたが何事もなく出てくる。
始めに見かけた部屋とは反対方向に進んでいき、角を曲がったのを確認すると俺は後をついていく。
慎重に曲がり角を確認すると階段があり、ウィズの姿がない。
上か下か。どちらかの階段を進んだと思われるのだが、果たしてどちらだろうか。
下だと出入口があるが、まだ人は多いので帰る時間には早いのではないだろうか。
建物内にいると踏んだ俺は、階段を上ることに決めた。
階段を上がると造りは二階と同じで、廊下まで出て見てみるがウィズの姿はない。
もう一つ上の階に上がる階段はあるので、上からしらみ潰しに探せば見つかるだろうと再び階段を上がる。
踊り場まで上がってきた俺が見上げると行き止まりになっているようだ。
しかし少し体をずらして見ると扉を見つける。
まだ先はあるようだと、階段を上がっていった。
「おい!!」
「ふぎゃあ!」
階段を上りきったところで急に声をかけられて、おかしな悲鳴をあげながら驚いた俺は壁の中へと隠れる。
「おい、出てこいよ! そこに隠れているんだろ!」
壁から顔だけを恐る恐る出してみると、足を肩まで開き腰に両手をあてて立つウィズがいた。
「どうして、ボクをつけ回す?」
「つけ回していない、つけ回していない。俺は話かけるタイミングを見計らっていただけだ」
「それをつけ回すって言わないか?」
顎に手をあて、よく考えてみる。ウィズが俺を認識出来るとわかってからずっとタイミングを見計らって後をつけて……トイレまで……
確かにつけ回していると言えなくない。
「真っ黒な人型の不気味なやつに、つけ回されるボクの身にもなれ」
「いや、ごもっともで」
反省しないといけない。確かにウィズからしたら不気味な影が後をついて来るは、壁から頭だけ出ているは、と堪ったものじゃない。
「お前、落ち込んでるのか?」
「え、俺の表情がわかるのか?」
「なんとなく……だけどな」
これは嬉しい誤算だった。俺にだって感情くらいは幽霊になった今でも残っている。
会話するなら、表情などは重要なのだ。
「じゃあ、お前はボクと話がしたくて、つけたんだな?」
俺はこくこくと頷く。会話が出来るという喜びの表情で。
「悪い幽霊じゃないんだな?」
再びこくこくと頷く。そんなつもりは一切無いと真剣な表情で。
「魔物でもないんだな?」
三度こくこくと頷く。自分は人間だったと伝えたくて。
「わかった。じゃあ、もう行っていいぞ」
違う、そうじゃない。俺はただウィズと会話をしたいだけだと、言いたかったのだが。
そもそも行ってもいいと言われても、俺には記憶もなく知人も友人もおらず行く先などない。
俺は、自分が倉庫で目覚めて記憶も何もなく行くあてもないと言葉で伝えた。
やはり表情だけではなく言葉で伝えることも大事なことなのだ。
「そう……なのか? うーん、どうしよう……」
ウィズの困った顔を見て、思わず俺は微笑む。
見ず知らずの、それも得体の知れない俺のことを真剣に考えてくれている優しさに。
それに考えながら伏せがちな視線をする仕草が、なんとも可愛らしい。
「ついていっちゃ駄目か? 学校に興味があるんだ」
「うーん……悪いヤツじゃなさそうだし……仕方ない。大人しくしてろよ」
「ありがとう、ウィズ!」
学校にも興味があるのは嘘ではないが、折角俺を認識出来るウィズがいるのだ。
もう、一人は嫌なのだと思ったのが本音だった。
「はぁ、どうしてこんなことに……って、ちょっと待て! 何でボクの名前を知っている?」
しまった。俺は、つい嬉しくて名前を呼んでしまっていた。
周囲がウィズと呼んでいたから、とでも言うべきか。
だけど、俺なんかのことを真剣に考えてくれたこの優しい少年に、嘘を吐きたくない。
俺は、ウィズの頭上に情報の文字列が浮かんで見える事を正直に話した。
初めは半信半疑といった感じだった。
ウィズの話では、他の人はそんなものは見えないという。
この情報の文字列は俺にしか見えないみたいだ。
名前[リサ・オーウェン]
種族[人間]
年齢[十二]
性別[女性]
宗教[無し]
技能[初級剣術][初級魔法][初級槍術][人心掌握][魅了][準魔法][魔力補正レベル1][〓〓〓]
ウィズの情報を俺が読み上げていくと、性別の所で「わかったから、やめろ!」と怒られた。
やっぱり少年の格好をしているだけで、何かワケがあるのだろう。
怒るということは、ウィズにとって性別は琴線に触れるということらしい。
しかし技能の所が一箇所、二重線で消されてあり読めない。
初めて見たので気にはなるが、正直、今はウィズと話が出来ることが嬉しくて考えるのを止めた。
ウィズに再三「他言無用だぞ」と念を押されるのだが、俺には無駄な忠告だ。
「大丈夫、会話が出来るのはウィズが初めてだから俺には友人も知人すらいない。いや、友人は一人いるか」
ちょっと照れながらウィズをおずおずと指差すと、ウィズが憐れむような目をしてこちらを見る。
「ゆ、友人じゃないのか……?」
恐る恐る聞くが、ウィズは困った顔をするだけ。
俺の中では既に友人枠なのだが、ウィズは違ったのだろうか。
やはり会話に表情は、大切な事だと確信する。
そうすれば俺が今こうして話せることが、どれだけ嬉しいのかウィズにも伝わったはずだ。
突然大きな金属音が耳をつんざき、答えは聞けなかった。
どうやら扉の向こうから鳴っているみたいで、俺は思わず耳を塞ぐ。
「ヤバい! 始業の鐘だ」
この扉の向こうに大きな鐘が設置されており、時間を知らせるようになっていると、ウィズと初めて会った部屋へと向かいながら教えてくれた。
「大人しくしてろよ」
部屋に到着すると俺に小声で話しかけてくるウィズ。
大人しくと言われて俺は黙って頷いた。
窓際の席にウィズが座ると、俺も窓とウィズの机の間に立ち、これから何をするのか期待に胸を膨らませる。
俺には初めての学校だ、勉強をするのは知っているが具体的に何をするのかは知らないのだ。
ベル音が鳴り止むと同時に、大人の女性が一人、部屋に入ってくる。
名前[アイナス・サハリン]
種族[人間]
年齢[二十七]
性別[女性]
宗教[ガーランド]
技能[初級剣術][中級魔法][準魔法][知力補正レベル3][魔力補正レベル17][指南レベル7]「縫製レベル28」
さっき俺と目が合い余所見をしていたウィズを怒っていた女性だ。
斜めに吊り上がった細いフレームのメガネをしており、目付きも鋭く情熱的な赤いショートヘアをしており、とても厳しそうだ。
しかも手には、良くしなる鞭まで持っている。
ウィズが小声で「先生怖いから静かにしろよ」と言ってきた。
鋭い目付きのまま鞭を手のひらで鳴らしながら威嚇するように黙って部屋の中を周回していくその姿に、俺まで思わず緊張してしまった。
ウィズを含む子供たちにはよっぽど怖く見えるのだろう。誰もが静かにしており、アイナス先生が近くに来ただけで緊張が走り、女の子の中には泣きそうにすらなっている者もいる。
緊張が緊張を連鎖させて、部屋の中は独特な空気に包まれていた。
ぐるりと席と席の間を一通り通り抜けると、再び教壇と呼ばれる場所へと戻ってくる。
「教科書。三十七頁」
たったそれだけ言い放つと子供たちは一斉に教科書を広げる。それもなるべく音を立てないようにだ。
静まり返りまるで葬式なような部屋の中では、ただアイナス先生の声だけ聞こえてくる。
ありがたい事に授業内容は歴史や地理みたいで、何も覚えていない俺にとっては非常に役に立つ話だ。
今、俺がいる国は、法国グランベールと言う小国。東西南北四つの大きな国に囲まれたこの国は、常に戦火に晒されてきた。
それも昔の話で、今では北と東の両国の和解に尽力したとして、残った南と西の国との国交を断絶した後、北と東の両国から守られる形で国を保っていると、アイナス先生の話に、俺は興味深く聞き入っていた。
時折ウィズが書くノートの中身を見るが、とても丁寧で綺麗な読みやすい字で書かれてある。
この辺は、やはり少女なのだなと、ウィズの前の席に座っている少年のノートの字と見比べて思った。
「授業は、ここまで」
アイナス先生の声と同時に鐘の音が鳴り響く。授業はこれで終わりらしく、子供たちは皆鞄に教科書をしまい、肩に斜めにかけて出ていく。
ウィズも教科書をしまい終えた鞄を肩にかけて出ようとするので、俺もその後を追っていった。
時折、ウィズの友達の男の子に「遊びに行こう」と誘われているが、ウィズは断りを入れて一階のたくさんの靴のある玄関にまで来る。
そこで靴を履き替えると建物を出た。
ただ、ウィズは他の子と違い門へとは向かわずに一部の子供と、同じ敷地内にある横長の四階建ての建物へと入っていった。
周囲には男の子ばかりで、ウィズより年上の子や逆に年下の子もおり、それぞれ様々な上着の色が年齢毎に別れているようだ。
ウィズと同じ真っ白な上着の子もちらほらと見かける。
二階へと上がり廊下の一番奥の部屋に入ると、俺も扉をすり抜け中へと入る。
部屋の中は机とベッドとクローゼットのみでシンプルな作りだが、どこか甘い匂いが漂う。
「おい! 何で寮までついてくるんだよ」
「ウィズともっと話がしたいし、行くところがない。何よりウィズと友達になりたい」
俺の寂しそうな表情が分かったのか、ウィズは困った顔をしていた。
「このまま放っておくと、万一見えるヤツがいたら騒ぎになるし……うーん、幾つか約束出来るか? 破ったら絶交だぞ」
俺は何度も肯定するように首を縦に振る。
「一つ、ボクが着替える時は部屋を出る。一つ、お風呂とトイレについて来ない。約束出来るか?」
「もちろんだ」
「だったら、居てもいいし、友達にもなってやる。ボクもお前には興味あるし」
こうして俺はウィズと言う少年? と出会ったのだが、この時はまだ、この出会いが偶然ではなく必然だったとは気づいていなかった。




