十一 ウィズ対ライト
ライトの試合が意外と長引いていた。時間稼ぎを続けているのだろう。
独特な匂いのする医務室のベッドで眠るウィズの隣にいながらも、観客席の声は俺の耳に入ってくる。
今はブーイングが続くことから、ライトは避け回っているのだと推測出来る。
今の試合よりも、余程ウィズと万全にやりたいのだろう。
隣で治療を続けていた綺麗な女性は、終えたのか医務室から出ていこうとすると、日の光に反射してキラキラと輝かせるブロンドの長い髪に目が行ってしまい、その女性の頭上の情報を見てしまう。
“シャルロット・オーウェン”
名前に何処か聞き覚えがあったが、女性が出ていってしまうと俺は別のことに気を取られた。
奇しくもウィズと二人きり。眠っているウィズに入れる好機だ。
俺は手を伸ばすが、思い直して途中で止めた。
きっとウィズに怒られる。
それに俺からは体から抜け出すことは出来ないし、入ってしまったら俺の考えはウィズに筒抜けになり起こしかねない。
何より、ウィズは本来女の子。寝ている女の子を襲うみたいで、気が引けたのだ。
「その手はなんだ?」
「え、あ、あはははは……おはよう、ウィズ」
色々考えていたらウィズの目が開いており、俺を睨むように見つめてくる。
俺は腕を引っ込めて笑って誤魔化してみたが、バレてしまいこっぴどく怒られた。
「全く……勝手に入ろうとするなよな。それで何で入ろうとしたんだよ」
「えっ……と、食べ物を味わえるかなって……」
この体になってから俺は空腹を感じないが食べたいという欲求が無くなった訳ではない。
屋台を見て回ってみて、ちょっと食べたくなったのだ。
「はぁ……そんなことかよ。…………大会が終わったら、ちょっとだけだぞ」
ウィズの言葉に、俺は自分に無いはずの目を輝かせて、両手を挙げて医務室内を飛び回る。
医務室の扉が開いたのはそんな時だった。
「ウィズ・オーウェン君。決勝、大丈夫かね?」
先生とおぼしき三十代くらいの痩せ細った男性がウィズの様子を確認してきた。
「大丈夫です。行けます」とウィズは、ベッドから起き上がろうとするのを、男性は手で制止した。
「決勝は三十分後。呼びに来るので、まだ寝ていなさい」
そう言って痩せ細った男性は、再び扉を閉めて出ていった。
ウィズに体調を確認するが、今はそれほど辛くはないみたいだ。
あの女性が使っていた魔法のお陰だろうか。
俺は、魔法ってのは凄いのだなと話すがウィズにはピンと来てないらしい。
先ほど女性がウィズに魔法らしいものをかけていた話をする。
しかし、ウィズがピンと来ていなかったのは、魔法のことではなかった。
「ここの医務室の先生は、さっき来た男の先生だぞ」
だとしたら先ほどの女性は何者なのだ? 確か名前はシャルロット・オーウェン…………
「うわあああああっ!!」
「どうした? ファン!」
俺としたことが迂闊だった。聞き覚えがあるに決まっているではないか。
「ウィズ! シャルロット・オーウェンって人に覚えは!?」
「母様だけど……どうしてファンが知っている!?」
やっぱりそうだった。俺はウィズに魔法をかけていた女性の名前がシャルロットだったと伝えると、ウィズは慌ててベッドから起き上がろうとする。
「待て、ウィズ。安静にしていないと駄目だ!」
「でも……でも、母様が!」
「落ち着け! ライトとの試合を万全で臨みたいのだろ!?」
今はライトとの試合に集中しろと諭しベッドから出ようとはしなくなったが、あからさまに動揺しているのがわかる。
まさかここまで心が掻き乱されるとは思っていなかった。
それに俺自身も少なからず複雑な想いを抱く。
初めは何故ウィズが、少年の姿をしなくてはならないのだと問い質したかった。
俺の声は聞こえないし姿も見えないのは分かっていたけれども。
ウィズは両親に邪険にされていると思っていたからだ。
しかし、こうして様子を見に来ているようだし、何よりウィズに魔法をかけていた時、あの女性の表情は慈愛に満ちていた。
俺は益々ウィズの性別を隠す理由が分からなくなるが、同時に自分探し、ウィズと冒険の他に、ウィズを本来の性別へ戻すという新たな目標が出来たのだった。
今は少しでも気を紛らわせるために、ライトへの対策を話すのだがウィズは心ここにあらずで、ずっとこちらを見ることはない。
「ウィズ、両親に少しでも良いところを見せたくないのか? 話を聞け」
余り勝ちに拘り過ぎるのは良くないが、今のままだと、上の空のまま負けてしまい後悔するのはウィズだ。
「ウィズ……」と、再度問いかけてようやくこちらを向いた。
「そうだな。うん、そうだ。母様のことは、後回しだ!」
色々考えて出した結論なのだろう、ウィズの目にやる気が満ちてきた。
俺がアドバイスを送ろうとしたその時、医務室の扉がガラリと開いた。
「ウィズ・オーウェン君。開始時間です」
ウィズは呼ばれると、「はい!」と元気よく返事をしてベッドから飛び起きると、体調を確認するために、二、三度ストレッチをしてみせる。
「行こう、ファン」
「ああ」
二つ返事をして俺とウィズは医務室を出ると闘技場へと向かうのだった。
既に闘技場の真ん中にはライトと審判のアイナス先生がいる。ウィズは、気合いを入れるために頬を手のひらで叩くと真剣な顔付きに変わり中央に向かう。
ライトはウィズと目が合うと、晴れやかな笑顔を見せてくる。ライラには悪いが今のライトにはライラとの約束など頭になく、ウィズとの対戦が楽しみで仕方がないようだ。
「ウィズ」
俺はその事をウィズに伝えようとするのだが、ウィズはライトと同じ顔をしている。野暮なことはよそうと俺は伝えるのを止めた。
「ウィズ、真剣勝負だ!」
「もちろんだよ、ライト!」
二人はアイナス先生から木剣を受け取ると、互いに少し距離を離れて構えを取った。
「ウィズ。ライトとは後の先同士だ。絶対に自分から仕掛けるなよ! 我慢するんだ」
俺はウィズの横に位置取り、アドバイスを送る。黙って頷いたウィズは、集中力を増していく。
気合いもいい、集中力もいい。
少なくとも普通の同級生相手なら負けないだろう。
ただ、ライトが相手でなければの話だが。
静寂な中、観客も対戦する二人もアイナス先生の開始の合図を待つ。
「はじめ!!」
アイナス先生が手をクロスさせて、開始の合図を叫ぶと観客席は一斉に歓声で包まれる。
ウィズもライトも正眼に構えてピクリとも動かない。
後の先同士だと、あり得る状況だ。
しばらく我慢していた観客達も、動かない二人に痺れを切らし野次を飛ばそうとざわついた、その時。
先に動いたのは、ライトだった。正眼に構えたまま真っ直ぐに距離を詰めてくる。
チャンス到来だ。
ウィズを見てみるとしっかりと集中を途切れることなく、ライトを見据えていた。
ライトは無駄な動き無く、ウィズの左肩を袈裟斬りで狙う。
右足を大きく踏み込むと爪先を内側へと向け、左足を引き付けて、ライトの右に回り込みながら脛を狙うウィズ。
「ウィズぅ! 退がれ!!」
ライトの前試合が俺の脳裏に浮かぶ。
ライトはウィズの剣を素早く飛び越えて体を捻ると、先ほど放っていた袈裟斬りを、そのままウィズを狙う横薙ぎに変化させた。
「うおっ!」
俺の声に反応したウィズの目の前にライトの剣が素通りしていく。
咄嗟に反応したウィズも大したものだが、俺が驚いたのはライトの方だ。
ライトの構えも隙が無く、型に沿った剣術を使うものばかり思っていたが、先ほどの一撃は、奇をてらったものだった。
何より、後の先を取ったウィズに対して、更に後の先で反撃してくるという荒業。
これはライトの強さを大幅に上方修正しなければならない。
少し動いただけのウィズの背中も汗でびっしょりと濡れている。
賭けに……出なければならないといけないかもしれないぞ。
「ウィズ、作戦変更だ! こちらから仕掛けるぞ。それと、ぶっつけ本番だが、さっきの俺の試合を覚えているな! 行け!!」
「左足の奴だな、やってやる!」
後の先を取ってくるライトに対して、真正面は不利だ。
背後、背後へと回り込み、グレイスほど筋肉質ではないライトの体ならウィズの力でも攻撃すれば、ダメージはあるはずだ。
そう思っていた。
完璧ではないとしても一度見ただけでやってのけたウィズの才も凄いと思う。右足とは逆の向きに爪先を向けた左足を引き付けつつ、更に一歩踏み出しライトの背後に回り込む。
すぐさま、木剣を背中に向けて振り下ろす、ウィズ。
が、ライトのやつ踏み込んでいた足を滑りぎみに回転させて半身にして躱しやがった。
(がああっ!! 後ろに目でもついてるのか、このライトは!?)
俺が頭を掻きむしり悔しがっている間に、そのまま反撃してウィズの脇腹に袈裟斬り気味の横薙ぎが入ってしまう。
「ぐう…………っ!!」
距離を取り、強烈な一撃を貰った脇腹を押さえて苦悶の表情を見せるウィズ。
ここまで差があるものかと、体勢を立て直したウィズの隣に戻り、ライトを見る。
ライトは剣をだらりと下げて、少し残念そうな表情をしていた。
「本気出せよ、ウィズ!! 俺を舐めているのか!?」
歓声で掻き消されない声の届く距離まで、構えもせずにライトが近づき言い放つ。
俺もウィズも、ライトが何を言っているのか初めは気づかなかった。
「グレイスとの時みたいに本気を出せって言ってるんだよ! あのときに比べて手を抜いているのはバレバレだ!!」
ライトは珍しく怒っているのは、戦いたいのはウィズではなくグレイス戦の時のウィズだってことか。
つまりは俺だ。
ショックを受けたウィズは、剣を握る手に力が入り過ぎて震えている。
手だけではない、悔しくて、悔しくて、小さな肩も小刻みに震える。
試合中なので、涙は見せないがウィズは心の中で泣いていた。
ライトにとって、自分は眼中に無いと言われたのだ。
何よりライトを満足させれない自分の力量の不甲斐なさに。
「ファン………………代わってくれ。ボクじゃ……ボクじゃ駄目みたいだ……」
そう口に出すのも無念だろう、ウィズ。
だけど、きっと君は、この事を糧にして強くなれるさ。
俺は一言「分かった……」とウィズに告げた。