十 ファン対グレイス
『駄目だ、ボクの試合だぞ!』
一糸纏わぬ姿で座り込んでいたウィズが、すっくと立ち上がり、思わず視線を逸らすフリをする。
すぐに自分のあられもない姿に気付いたウィズは慌てて腕で隠して座り込んだ。
今現在、俺の考えている事はウィズへと全て伝わってしまう。
だったら分かるはずだろ、ウィズ。
俺はグレイスの卑怯なやり口にも腹を立てていたが、何よりウィズを痛めつけたのが許せないということを。
だから、俺は言う。
『ウィズ、目標を見間違うな! ライトと戦うんだろ。今のボロボロの状態でライトの所まで行けるのか!?』
『……っ! でも……でもボクは卑怯なことは出来ない!』
『最初に仕掛けてきたのはグレイスだろ。あいつ、魔法を使ったんじゃないのか?』
黙ってしまうと言うことは、ウィズも魔法に気づいていたようだ。
『それにな、ウィズ。勘違いするな。これは特訓の一環だ。見取り稽古というのがある。すぐ側で俺の動きを見れて更に体感も出来るのだ。ライトと少しでもいい勝負がしたいのだろ?』
『…………わかったよ、ファン』
ウィズは納得してくれたようで、制御されていた体のコントロールが俺に完全に移る。
他人の体だからだろうか、どうしても動きに刹那の遅れがでるのため慣れない。
それでもコントロールが俺に移ると、随分軽やかに動けるようになった。
『ウィズ、しっかり見てろよ』
『ああ、一挙手一投足見逃さないさ』
まばたき一つしないぞと、ブルーサファイアのような瞳をカッと見開き俺とグレイスの戦いを見届けようとする。
『しかし、アイナス先生も魔法の使用に気づかないとはな』
『多分、気づいているぞ。アイナス先生は魔法が得意だからな。恐らくボクが何も言わないから対応しないのだと思う。その……厳しい人だから』
随分とアイナス先生の事を知っているのだな。
まぁ、例えグレイスの反則で勝ってもウィズは納得しないだろうし。
それに、今はウィズに少しでも強くなってもらいたい。
悪いがグレイス、ウィズの糧になってもらうぞと、俺は意気込む。
観客から野次が増し、いい加減逃げ回るのも飽きてきた俺は足を止め、グレイスと向かう合った。
さぁ、特訓の開始だ。
足を止めたことで俺が諦めたのかと思ったのか、無警戒に肩から突っ込んでくる。蹴り足を一瞬光らせて。
『ウィズ! まずは、おさらいだ!』
俺は右足を踏み出して、グレイスの右側へと移動する。無警戒に突っ込んできたことで、避けられたグレイスは体を崩す。
そのまま俺を通りすぎてしまえば背後はガラ空きだ。
そのまま俺は砕けて尖った木剣で脇腹をつっついてやる。
強く刺せる状況だったが、これはウィズの特訓も兼ねている。
折れたことで、鋭く尖り刺さりやすいがウィズの腕力を比較して無理なくつつく程度にしておく。
案の定というか、分かりやすいというか、グレイスはからかわれたと思い顔を真っ赤にして怒りだす。
「うぉおおおお!」と雄叫びを上げて力一杯片手で木剣を振り回してくるが、大振り、姿勢が悪い、握りも甘いと未熟過ぎる。
空振りした木剣の切っ先が地面に突き刺さると、そのまま右足で剣の根元を蹴り上げてやった。
握りが甘いためグレイスの木剣は意図も容易く空を舞う。
何が起こったかわからずに思わず「えっ!?」と気の抜けた声を上げて固まるグレイスに俺はニヤニヤと笑みを浮かべて木剣を拾ってやる。
「おいおい、しっかり握れよな」
ウィズの口調に合わせて話しかけると、俺は木剣を折り曲げて見せた。
剣の柄の方をグレイスに向けて放物線を描くように投げ渡す。
これで武器は互角だ、あとはグレイス本人を叩きのめすのみ。
そう意気込んでグレイスへと一歩踏み込むとアイナス先生が両手を広げて割って入ってくる。
「そのままの武器だと非常に危険です。二人とも武器を取り替えてから再開です」
出来ればその判断は、早くしてほしかった。俺は不満を露にして渋々他の先生が持ってきた木剣に持ち変える。
俺が折れた木剣を返すのを見計らってか、背後から風切り音が聞こえると首だけ横に曲げて飛んできた物を躱す。
『ウィズ、ありがとな』
『チラチラこっちを見てたからな。何かしてくるかと思っていた』
グレイスは折れた木剣を俺に投げつけたのだ。
すぐにアイナス先生に注意される。
俺はグレイスに対して背中を見せていたが、隣のウィズはグレイスをずっと見ていたのだ。
仕切り直しはこれで終わりだ。俺は再び木剣を正眼の構えを取ると、アイナス先生を間に挟み俺とグレイスが対峙する。
「はじめ!」
アイナス先生の掛け声で、グレイスは相変わらず猪のように突っ込んでくる。
単純だな、ウィズの構えは綺麗だった。ということは教え方が悪いわけではなく、グレイス自身の問題だな。
『ウィズ、これがあの足裁きの応用だ』
俺は右足を前に踏み込み左足を引き付けると同時に、脛に一撃を与える。
「ぐっ!」とグレイスは苦痛に顔を歪めて、すぐに俺の居る方向に顔を向けるのだが、そこに俺は既に居らず、再び脛の一撃に苦悶の表情を見せる。
『今のわかったか、ウィズ』
『一挙手一投足見逃さないって言ったろ。引き付けた後の左足の爪先の向きが右足と逆を向いていた』
『正解だ。引き付けた後、爪先がお互いに逆を向いていると次の一歩の体重移動が、スムーズなんだ。
そしてそれを繰り返し相手を中心に円を描くように移動する。そうすれば今みたいにグレイスより先に俺は背後、背後に回り込んでいるってわけさ』
後の先、そして体重の軽いウィズには手数と常に動き回って相手を翻弄する必要がある。
俺は一度後ろに大きく飛び退き、グレイスと再び距離を取ってやると、突っ込むしか能がないのか顔を赤くして怒りながら同じような過ちを繰り返す。
俺はグレイスのすれ違い様に脛や手の甲を狙い木剣で打ちつける。
グレイスが俺を視界へ捉えるより先に次の一歩を踏み出して、グレイスの背後へ背後へと移動する。俺の動きに全くついてこれていない。
グレイスに対して半時計周りに動くだけでなく、時には右足の爪先の向きを外側に変えて時計周りに回り込む。
ただでさえ怒りで興奮しているグレイスは、もう俺がどちらに居るのか分からずに、文字通り棒立ち状態になっていた。
観客席からは、先ほどまでの野次の代わりに歓声を上げて興奮が冷めることはなかった。
何度となく脛と手の甲に打ち付けられたグレイス。
既に脛は内出血を起こしているのか脛は丸太のように膨らみ動けない。
手の甲も赤紫色に腫れており、今にも木剣を手放しそうだ。
一度距離を取った俺はグレイスに対して再びニヤニヤと、わざと嫌らしく笑みを見せてやる。
「くそぉおおお!!」とグレイスは怒るだけで足が一向に前へと出てこない。
笑みを消した俺は再び正眼の構えを取り、対面するが動かずにジッとグレイスの目を見たまま静止する。
いつの間にか観客席は歓声が無くなり静まりかえる。
グレイスには今の俺は相当大きく感じているだろう。
重く息苦しい空気を感じてかグレイスは過呼吸気味で大きく肩で息をし始める。
そして遂にグレイスの目から怯えの感情が垣間見えた。
「そこまでです!」
こちらから仕掛けようとする俺に気づいてか、アイナス先生は手を俺に向けて「ウィズ・オーウェンの勝ちです!」と高らかに宣言する。
観客席からは一瞬戸惑いが見えたが、誰かの拍手が起こると波打つように闘技場全体が拍手に包まれた。
気が抜けたのか、足の踏ん張りが効かずに尻餅をつくようにグレイスはへたり込む。
どうやら俺はアイナス先生を見誤っていたらしい。
ただ怖く厳しい人なのだと思ったが、グレイスの魔法の件もグレイスに対して自重を出来る人間になれるように見守っていたのかもしれない。
現に、この試合を終わらしたのは、グレイスが怯えて自暴自棄になる前に止めたとも言える。
タイミング的にも、グレイスの目に怯えが見えたのと同時だし。
ただ……やっぱりウィズには厳しいようにも思えた。
『あの人は、前からそうだよ。ボクには特に厳しい』
俺の考えていた事が伝わったウィズはそう言うが、その顔は不快に思っている顔ではない。
優しさと甘やかしが違うように、厳しさと突き放すのも違うのだ。
ウィズを鑑みての厳しさなのだろう。
グレイスは両脇を男性の先生二人に抱えられて退場していくが一度もこちらを見ることはなかった。
『いつまで、ボクの中に入っているんだよ! 出てけ!』
ウィズに引っ張られて俺が体から抜けると、ウィズと入れ替わる。
「……ったく、あ、あれ?」
ウィズは糸が切れた操り人形の様に足から砕け落ちる。
「ウィズ!」「ウィズ君!!」
俺とアイナス先生が駆け寄り声をかける。息が荒く、意識は朦朧としており自力で立てそうにない。
どうやら、ウィズのダメージや疲れは魂というかウィズ本人が全て負うみたいだ。
アイナス先生が、ウィズを運ぶために女性の先生を呼ぶ。
「ファン。ボクは……いいから、ライトの試合を……」
「しかし!!」
「大丈夫……これ……くらいなら……」
小声で俺に囁くと、そのまま意識を失い背負われて連れていかれた。
ウィズのことは、もちろん心配だったがライトの試合も気になる。
どっちにするか悩んでいると、ライトの名前が呼ばれて観客席の注目が闘技場内に集まる。
ライトは、嬉しそうな顔をしながらも、その目には充実した気力が感じられた。
ウィズに従い一旦試合を見ることにした俺は、大きく欠伸をしてしまう。
つまらないのだ。
対戦相手が振るう剣を紙一重で避けて、逃げ回る。
明らかな時間稼ぎ。
恐らくウィズの体調を少しでも回復させるためだろう。
ライトも粋なことをするが、それは相手に失礼ではないだろうか。
やはりというか対戦相手は屈辱を浴びせられ、その表情は怒っていた。
ライトの相手になっていないが、対戦相手もここまで勝ち上がったのだ。
上半身に攻撃を集めておいて、腰を落としライトの足を横に薙いで狙う。
いい攻撃に俺も当たる! と流石にそう思ったのだがライトの奴、軽々と飛び越えて簡単に避けてしまった。
おいおい、どれだけ視野が広いんだ。
俺は呆れると、もう見る必要はないと判断してウィズを探すことにした。
医務室というプレートを見つけると扉をすり抜けて中に入る。
真っ白な清潔なシーツのベッドに横になり眠るウィズ。
擦り傷などは何か薬を塗られており、隣では白く輝く光を常にウィズに向けて放っている四十代位の綺麗な女性がいた。
「これが、魔法か?」
俺は生前魔法を使えなかったのかもしれない。もし、使えていれば目の前の現象が魔法だと分かるはずである。
今はゆっくり休めよと、俺も隣でウィズの寝顔を眺めるのだった。