金属バット
ヤンキーに憧れている。彼らに強烈な劣等感を抱いたこともある。
その気持ちと相反して、苛立ちもある。チャラチャラしやがって、とも思う。
なぜ憧れるのかというと、ある説が僕の中で浮上したからだ。それは、男らしさを極めた先がヤンキーなのではないか、という説だ。
ただ、ここで勘違いしてはいけないのはハロウィンで騒いでる輩と真のヤンキーは一線を画すという点だ。
彼らは、風貌こそヤンキーと酷使しているが全くの別である。
タバスコとマヨネーズぐらいの差がある。
ハロウィンに便乗して軽トラを倒すことしかできないような連中だ。
甘い。甘すぎる。「新任の先生か!」とツッコミたくなる。
真のヤンキーは日常的に軽トラを潰している。
ハロウィンという世間的な圧力を武器にすることでしかイキがれない連中とは大違い。むしろ、彼らは世間の圧力に金属バットを振り上げる。
ヤンキーに憧れる。
彼らに殴られたい。いっそボコボコにしてくれないか。
真のヤンキーの正義でもって、この僕にまとわりついたプライドをそぎおとしてほしい。
強さと優しさと正義、そして喧嘩上等。なんて男らしい。少年ジャンプを読んでも手に入らないものが、そこにはある。
僕は弱い。
ハロウィンで騒ぐことすらできない。人の視線と評価から徹底的に逃げてきた。自分は良識があると盲信し、何かと騒ぐ連中にジャッジをくだすことで上にたったつもりになっている。
彼らを鼻で笑っているつもりが、笑われていることに気付かない。