第六話 荷物持ちさん
「うう……酷いじゃないか、一条君っ」
我がクラスのぼっち、つまり俺の同業者たる小松君は目を潤ませ気味にそう言った。
ついつい、この少年はそばかすゆえに顔立ちが幼く見えるなあなんてどうでもいいことを考えてしまう。俺もあんまりぼけーっとしてたので、一瞬何で怒られているのか忘れてしまった。
さて、俺に限っては、昼休みに話しかけられることはほぼ皆無と言っていい。
しかし今回ばかりは少し事情が特殊だったわけだ。遠足では自炊しなきゃならんし、それで昨日、どうも各班であれこれ話し合いをしていたらしい。
だがその時、俺は欠席していたので居なかった。
日曜日、妹の“美少女と高い壺はセット説”に妙に納得した俺は、その後のゲームで調子を取り戻して体調がぶっ壊れるほど熱中してしまった。最終的には妹相手にも五戦に二勝はできるようになり、昨日は成長した満足感と共に病床に伏せっていたわけなのだ。
だがそれはつまり、この弱っちい少年があのガチ目なギャル三人に囲まれながら話し合っていたという意味であり――
「あんまりだよ! あの中に、ぼくを独りにするなんて!」
「……もうね、本当に済まんかったって…………」
「ほんとに、もう!」
それはもう想像するだに恐ろしい絵面だ。
『陰キャとリア充女』の組み合わせが問題なのではなく、『陰キャ一人とリア充女三人』というのが大きな問題だ。
これは、無言の圧力で発言権が一切封じられるとかならまだマシな方で、もしその場にいたのが俺なら余裕でチビっていたことだろう。いやそれどころか、カツアゲされる以前に「これで勘弁してくださいッス。チッスチッス」てなノリで財布の中身が全部こぼれ出る、まで見える気がする。スクールカーストって怖い。
わざとサボったわけじゃないとはいえ、小松君には本当に悪いことをした。
それに遠足のようなことはこれからもあるだろうし、ぼっち仲間の機嫌は損ねたくない。俺は誠心誠意謝罪することにした。
「大丈夫か? いくら取られた? あれだな。俺も半分ぐらいは負担しなきゃだよな」
「別に、何も取られてないけど。ひたすら気まずかった……。三人が楽しそうに話してるところで、ぼくだけ近くでもじもじしてさ」
「そっか、だよな……」
多少オーバーな想像だったか。
まあカースト違いの連中というのは上下限らず本当に別人種で、油断するととんでもない想像をしがちだ。特にリア充なぞ「飲む、打つ、ヤる」が基本だろと俺なんかは思っちゃったりもするが、実際に面と向かって話すと意外に普通な奴だったりするので人は見かけによらない。
ただ今回の相手は橘かれんと愉快な仲間たちだ。
見かけによらないも何も、俺は相手がどんな輩かを知っている。
人をおちょくって生きているような連中だし、警戒しすぎるってことはないだろう。この小松君だって、これからどんな風に扱われるか分かったものじゃないのだ。
「んで、話し合いって……具体的に何したんだ?」
俺は恐る恐る聞いた。
「……一条君は居なかったし、色々勝手に決められちゃってたよ」
「色々?」
「鍋でパエリア作るって」
おやおや、これまた本格的なクッキングだ。
女の子主体のグループゆえなのか、なんだかちょっとオシャレですなあ。
でも俺、料理とかできんよ。
「それで、一条君は買い出し担当ってことになって」
「なんで俺がパエリアの材料知ってること前提なんだよ……」
「『あのぼっち頭良いし、どーせ全部知ってんじゃね?』ってさ」
「雑過ぎんだろ……。まずをもって、頭良いの認識からして雑だ」
まあそうは言ったが、レシピ調べりゃ大体は分かるか。
ってあれ? 色々いい加減な所を覗けば、意外と普通じゃないかうちの班?
担当するといってもパシリだけだ。俺が買い出しに行くということは、となると料理係は他にいるわけで、何だよ意外に楽できそうじゃん。
……などと考えていたのが、放課後までの話だった。
学校行事なんてぼっちや根暗には大概拷問でしかないが、これが想定よりも楽できるとあっては機嫌は良くなるもので。かといって鼻歌を歌っていたわけではないが……そのままのテンションで図書室に行った。
――そしていつもの場所に、橘は居た。
今日はいつもほど勉強するモチベはないのだろうか。
彼女は豊かな金髪を片手でいじりながら、窓の向こうを物憂げに見ている。
外はすっきりした青空だった。
この部屋はグラウンドとは逆方向なので、運動部の掛け声は、響くというよりは遠くで微かにこだましているという感じ。音もなく、人気もごく僅かにしかないこの部屋は――不思議と、学校の他のどの場所からも――あるいは喧騒からも、隔絶されている印象がある。
と、橘は俺に気づいたようだ。
「あ、ガリ勉……♪」
彼女は目をぱちりと丸くしてこちらを見てきた。
だがしばらく顔に笑みを広げた思うと――突然何かを思い出したように、人を責めるようなジト目に表情を変えて、
「…………ないわ」
「何だよ? 昨日休んだことなら悪かったっての」
まあ、こいつも一応は同じ班だしな……。俺も話し合いには出れなかったわけで。
それに、勉強を見てやれなかったってこともある。
小松君に謝ったのとはかなり意味合いが違うのだが、それでも申し訳ないと思わないでもないのだ。
「身体は大丈夫なの……?」
「何も問題ねーよ。じゃ、さっさと始めるぞ。今日はどの教科だ?」
だが俺がすたすた近づいていくと、橘はこっちに手を突き出してきた。
何だろうか……よこせ、と言っているみたいに。
え……? これ、もしかして…………。
「カツアゲ……?」
「違うし……! ばーか! ガリ勉のばーか!」
橘は不満げに腕を組みながら、ぷくーっと頬を膨らませる。
いったい他に何を出せば正解だったというのか……。
「スマホ! ライン! 普通に心配してたのに、連絡つかないから!」
「ああ、そういうことか……」
「別に遠足のことなんかいいよ。まあ……休んでくれたおかげで好き放題だったし。でもこういう時に連絡取れないとか…………ないわ」
「ちょっと学校休んだだけじゃねーかよ……」
なるほど。しかし、これはちと困ったな…………。
「でもないんだ、これが」
「ないって、なにさ?」
「ほんとにないんだ。スマホも、携帯も。持ってたことがない。一度も」
橘は軽く絶句したのか、一瞬固まる。
それはもう、「マジで?」とも「嘘つけ、早く出せ」とも返されなかった。
その代わりに、彼女はやはり責めるような視線をこちらに向けて、
「…………ほんとないわ、童貞」
「童貞かどうかは関係ねーだろうが!」
もうこいつ、童貞って口に出して言いたいだけなんじゃないかな。
しかし驚くのは無理ない。
今時、高校生で持っていない奴は学年中を探してもそうそう見つからないだろう。
でも、あれだぞ……スマホ持ってないと、いいことが沢山あるんだこれが。
まず連絡先がスカスカすぎて劣等感を覚えるとか、そういうの全く無いしな。
ちなみに、クラス替え直後にありがちな連絡先交換タイム的な時でも堂々としていられるから素晴らしい。だって、最初からないんだからしょうがないんだもんな。
「むしろなんで持ってないの? みんな持ってるよ? 化石なの?」
「質問に質問で返すようで申し訳ないが、なんでぼっちに必要だと思うんだよ? 単に俺には必要ないんだ。親に止められてるとか、そういうの一切ないからな」
「なら、早くどっかと契約して。もうぼっちじゃないし。あたしがいんじゃん」
「はあ? 自慢じゃないけどなあ、こちとら契約してもお前ぐらいしか登録する相手いないからな。一人のために料金払うつもりはねーよ」
「お願い」
「ねーよ」
「マジで、お願い…………」
橘は俺の袖先を雑に引っつまんで、むすっとした目でこちらを見つめてくる。
ぐっと身体を引き寄せられるので、匂いまで香ってくる。どうもこいつは、日によってかける香水が違うようだ……って、なーにどうでもいいことに気づいてんじゃ俺は。
でもなんなんだろう……何度もあった構図だが、未だにこういう直視には慣れない。
こういうことをされる度に心臓がぎゅっと絞られる気がするのは、ほんと辛い。どんな顔をして何を見ればいいのか、本当に分からなくなるんだ……。
なので俺は反射的に目を反らして、答える。
「……いつか、近いうちな。契約したら教えるって」
「うん、まあよし。頼むよ、ほんとに」
近いうちだ、いつとは言ってないからな。
一年後とかでも大体は近いうちだしな、うん。そうだろ。
しかし――本当に裏をかかれたのはここからだった。
その日の勉強が終わった頃、橘は機嫌を直してくれたのか、いつものにんまりとした笑顔で俺の背中をぽんと小突いた後に言ったものだ。
「ねぇガリ勉? じゃあ土曜日、十二時に駅前ってことで」
あまりにも脈絡がなさすぎじゃないか?
俺は表情だけで聞き返した。“何言ってんの?”と。
するとこいつは、どういうわけか勝ち誇ったように口を緩ませる。
「えー、聞いてないの? 買い出し、ガリ勉が行くってことになってるから」
「買い出し係なのは知ってる。そんなん、一人で行けるぞ」
「あのさぁ、キミ一人に任せるわけないじゃん(笑)。レシピとか決まってるんだし。あたしがついてくこと前提なんですけどー」
う、確かにそれは一理あるが……。
それにしたって、お前最近、俺にちょっかいかけ過ぎじゃねーのか?
休日まで進出してくるとは思わなんだ。
ほら、もっと色んな男子に事業展開しろよ。このままじゃビッチ産業的にまずいだろって。
――というかこいつのビッチっぽい噂、どこまでが本当なんだろうか?
「まーそういうわけだし、土曜も風邪とか絶対やめてよね? 荷物持ちさん」
「はぁ……。参考までに、もしまた何かの間違いで風邪引いたらどうなるんだ?」
「休み時間、毎日みんなの前でめっちゃ絡むから。嫌でしょ? 知ってるんだよ、もう」
「行きます行きます。ええ、お供しますとも……」
「よろしい♪」
というわけで、以上が週末の予定を埋められてしまった顛末である。
でもこれ、欅にどう説明してやればいいだろうか?
「ふふ……マジで楽しみ。そうじゃない?」
「えー、あー、そうっすね…………」
「はは、照れんなってのっ」
こいつの前では本当にどんな顔をすればいいのか分からないもので。
それは何日たっても、変わりそうになかった。