第六十一話 助け舟
俺の友人第一号である小松怜によると、高二の二学期というのは人生でも指折りのぼっち暗黒期らしい。
いやいやお前、そりゃあ言いたいことは分かるけどさ。
学校祭と定期試験が襲いかかってくるこの時期は、確かにぼっちには恐怖の数ヶ月といって差し支えないだろう。
一人の時間を堅持したい陰キャ勢にとって学園祭準備などは奴隷労働にも等しいし、一週間も家から引き離される修学旅行に至っては時間に加えて金まで取られやがる。このゴミカス固定イベント二連発は、一緒に居る人も、居る場所も、どう時間を潰すかすらも選ばせてくれない。
控えめに言って、なめとんのかってな。
だがそれとは別に、小松君は俺の友人である以上、ぼっち卒業でいいのではなかろうか。俺も、彼も、お互いにだ。ぼっちであることに起因する問題で苦しむことはもう無い。班分けだって前みたいに助け合えばいいのだ。同じ苦しむにしても、一緒に苦しむくらいのことはできる。
だから俺は、それほどためらわずに言った。
「俺がいるだろ? 一緒に乗り切ろうぜ」
しかし彼は、穏やかな童顔には似つかないしかめっ面でこう答えたものだ。
「もう、一条君ってさ。他人の目とか、ほんとに気にしないんだね」
「でなきゃぼっちにはなってない」
「ぼくは気にしすぎて、ぼっちになった。じゃあ例えばさ、修学旅行で班とか組んだりするじゃん」
「俺、小松君、あと誰だろ」
「橘さんとか。人数が足りないから、橘さんのお友達とかも」
「ああ、小松君にはな……。まあ辛い……か?」
「それでもやっぱり一条君は、橘さんを優先すべきだよ。彼氏だもん。違う?」
「まあ厳密な意味で彼氏かどうかは置いておくとして……そう、するんだろうな」
「そうすべきだよ。ぼくのことなんて、気にしないでさ」
我がぼっち仲間もとい普通の友達は、優しそうな顔をしながら小さなため息をつく。
何だか少しモヤッとする。
夏休みが終わって、教室の景色は変わった。過ごし方も変わった。うまく説明できないが、肌で感じる空気感が明らかに違う。
これまでならどいつもこいつも俺に無関心だったのが、今じゃある種の好奇の視線を向けられているような。
今にも話しかけられてしまいそうな、無駄に明るい雰囲気が――肌のすぐ近くに迫ってくる。本当にいつまで経ってもこういうことには慣れないが、向こうはそんなことに構いやしないだろう。
つまり、ちょうどこんな感じに。
「一条君…………今、いい?」
「はぁ? 飯塚? 何の用だってのっ」
気づかぬ内に俺たち二人の近くに来ていたサッカー部のお調子者は、周りを気にしているのかキョロキョロ見回した。そして何やら神妙な顔をして、立てた人差し指でしぃーと。辺りの席に他のクラスメートが居ないことを確認しているのか。
……まあその上で言うことがコレなのだから、まったく運動部って連中は考えることが野生レベルだったのだが。
「……もう、ヤッたの?」
「はぁ……。大して絡みも無い奴に近づいて、いきなり聞くことがそれか?」
「だってさ! みんな気になってんぜ……。橘さんとあいつ、どこまでいったんだーって」
飯塚は更に声を潜める。
「今日さ……男子だけでこっそり集まろって、みんなで言ってんの。カラオケやるって。一条君も、な! 一条君も、みんなと仲良くするチャンスじゃんよ!」
知らん内に、変な身分になっちまったものだ。
今の今まで、遠足で同じ班になったとか勉強を教えるとか、そういう口実つきの絡みならないわけじゃなかったけど。こうなると、どんどん引きずり込まれていきそうで。
ひょっとすると、それでもいいのかも知れない。
だがきっとこの道を進めば進むほど、小松君のような奴らとの距離は開いていく。別にそれ自体は全く悪いことじゃないのだろうが、どこかモヤっとする。
皮肉にも、ここで助け舟を出してくれたのはあいつだった。
「ほら、一条君。ははっ、今日もなんだね。行ってあげなよ……?」
と、小松君がニヤリとしながら袖を引っ張ってくる。
指差した先には、教室のドアの辺りから笑いかけてくる橘だった。
「純、遅れてごめんね? ご飯、食べにいこ?」
「ああ、そだな……」
そして更に皮肉なのは、こうして橘と二人っきりになろうとすればするほど、無駄な注目を浴びてしまうってことだ。ただまあ最低限の礼儀として、今の俺たちが人前で昼飯を食べるわけにはいかないのだろうけど。
◇◆◇
これからはできうる限りはコソコソしていようということで、かねてより二人っきりになれる場所を探していた。
そしてその答えは、二人っきりの勉強では、もうない。
その代りに、校舎の陰にある暗いベンチだった。
近くにテニスコートがあるので、コンコンと確かな音がこちらまで響いてくる。
早々とサンドイッチを平らげた俺たちの目的は、昼飯などではない。あくまで二人っきりの時間を楽しむことだ。
大きな建物とよく響くテニスボールの音に隠れるようにして、身を寄せ合った。
「学校祭期間になると、こうはいかねーぞ」
「そだよね……」
細やかな金髪が肩の上に寄りかかり、俺たちは示し合わせたように手を握り合う。
「授業中じゃさ、こんなことできないもんね……」
「……」
「ふふっ。純、無口」
橘と一緒に座っているのにそっぽを向いて黙るのはご法度ってところか。
金髪女がぐっと近づいてきて、口を頬に押し付けようかという寸前で……止まる。
隣を向けば、小馬鹿にしたような笑顔を向けてくれるから、俺はいつものしかめっ面で返してやった。
「ちゅー、してほしかった? 期待しちゃってた? えへへ」
「ふん。どのみち学校じゃ、俺としても微妙だっての」
「うん、そだよね。でもね、油断したらちょーし乗っちゃいそう。夏休みのこと、まだ忘れられないの。キス……」
「…………した、けどさ。ここで同じようにはできねーだろ」
「ふーん。じゃあさ、できるならしたいの? あんなこと……ね?」
「ノーコメントだっ」
ここまでなら今まで通りと言えただろう。
こいつがからかってきて、俺がムスッとして。
前なら、二人っきりだと意味もない世間話で時間を潰していた。どうせ趣味が合うわけでもなし、それくらいしかすることもない。
でも今は……その時間は、もっと耐え難い沈黙で塗りつぶされる。
俺の立ち位置が変わり続けているように、俺たちの関係性も昨日と同じじゃない。少しずつ、何とも言えない感じにジリジリと前に進んでいる。
手をつないで、黙っているだけで一秒、一分と。
沈黙すらも甘く胸をくすぐってくる気がした。
口を開けば俺の感じている淡い気持ちが外に漏れ出してしまいそうで、何の言葉もかけてやれない。でも橘の方も似たような感じで、まるで喋るのを我慢しているみたいだ。
何を考えている? 何でお前まで、そんなナーバスそうなんだ?
橘……あの言わずと知れた橘かれんが、少しだけ恥ずかしそうに、気まずそうに、俺から目を背けた。恥じらい混じりに。
俺はそれを見て、頬が熱くなる。
「純、ばか。くすぐったいし……」
「おい、どこも触ってないだろっ」
「違うのー! 見つめられると、あのね……胸がきゅんきゅんって。はぁ、何か、変なこと言ったよね。ごめん、忘れて。あたし、ヘンになっちゃった……」
一番困るのは、そんな仕草を見せられる俺の方だ。
夏休みが終わってからというもの、何もかもが不安定だ。まあこいつの気持ちを察してしまう寸前で、今度は昼休みの終わりを告げるチャイムが助け舟を出してくれるのだが。
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