第五話 ぼっちの週末
暗く埃だらけな妹の部屋は、控えめに言って世紀末な有り様だった。
大画面テレビの上で3Dキャラが複雑な舞踏を繰り広げ――
「ハッ、学校通いの温室育ちが! はよ死にさらせよーっ。ふーははははは!」
妹の欅はというと……元気だった。
あまり元気過ぎて、その丸メガネの光り具合も調子いいんじゃないかと思うほどだ。
「朝からテンションたっけーよ。ハイなのか? 高血圧なのか?」
「…………さっき塩分タブレット一袋開けてきた。勝ちたい」
「生き急ぎ過ぎだろ……。ちょっと水飲んでこい、水! 待ってるから!」
「や! 兄貴、どうせそうやって操作慣れする魂胆だもんね!」
土曜日となれば、俺たちのやることなんて一つしかない。
少なくとも半日は欅のゲーム遊びに付き合わされるのが常だ。とりわけ今週は人気作の格ゲー『クラッシュ・ブラザーズ』が発売されたので、徹夜で相手してやらなきゃならんことは必定。
この二十四時間耐久プレイ。体感はめちゃくちゃハードで、最早寿命を削っているのではないかと心配になる。
でも、それが嫌かって……? まさか。俺は密やかに燃えていた。
一方で欅は、そのまん丸い目に隈を溜め込むのが平常運転なくらいにはガチ勢ゲーマー。
他方で俺は、真面目にも高校なんぞに通っているようなクソザコ一般人。
当然腕の差は歴然で、大体どのゲームをやっても遅れを取ることが多い。
唯一互角以上の勝負になるのが野球やサッカーのスポーツゲーだが、そもそも妹のやりたがる分野じゃない。だがこの発売直後の人気タイトルなら……奴も興味を持っているし、まだ操作も慣れていまい。
つまり、貴重な白星を上げておくなら今しかないのだ。俺は普通に燃えていた。
ちなみに都市伝説によると、このゲームは友達の家に集まってやるシリーズとしてはナンバーワンの人気らしいよ。誰が相手になろうが、普段からこの妹を相手にしていれば負ける気がしないがな。
なのだが…………。
「おらおら、ロケラン喰らえやこの」
「は、効かねーし(笑)。兄貴は昔からやり方がワンパすぎなんよー」
「ぐぬぬ……」
はぁ…………。
ほら、あれだ……普通にコンディションが悪いなこれ……。
本当に良い言い訳が何も思いつかないほど、細かい指先の動作が乱れて、とっさの判断力も落ちていた。昼飯ということで休憩を取っている時、俺はカロリーメイドのチョコレート味を口に突っ込みながら考える。
どうもこの一週間は、色々ありすぎたかもな……。
色々っつーか、まあ主にあいつのことだけなんだけどさ。
勉強しかしていない俺が週の悩みを休日まで残しているなんて、らしくない。
これが自慢になるかは分からないが、大体のことは一晩寝れば忘れる質だ。
しかしそのはずなのに…………あの橘って女子は、意識の裏に突き刺さって抜けなかった。大体の時間は意識もしていないのだが、突発的に頭の中にふと浮かんでしまうので始末が悪い。その度に俺は、必死に勉強に集中しようとする。それしか逃げ道がないゆえに。
最初に思い出すのは決まって、彼女の楽しそうにニヤついた顔だ。
それと、花みたいないい匂いとかも……。
極めつけに、まるで挨拶みたいに身体を小突いてくる、あの手の柔らかい感触――って。
――と、俺は自分がとんでもない勘違いを犯しそうになっていることに気づいた。
血が出るんじゃないかってくらい、爪を手のひらに食い込ませる。
でも知ってるか――童貞の一条純クン?
あいつは単に人当たりが良いんだ。しかも誰に対してもそうだから、周りの男子はみんな勘違いしちまう。だからモテるんだよ、あの女は。
でも本当になんなんだろうな、あいつ。
遠足のこととかさ、一体俺にどうしろってんだ……?
と、欅が食事を終えたのか下から戻ってきた。
彼女は俺を見て、丸い目をぱちぱちさせて見せる。
「なんでチョコのブロックくわえたままなの……?」
「え、ああ、これはだな……」
なんだろう……俺が比較的気兼ねなく話せる相手と言えば、この高性能社会不適合者たる妹だけだ。ということは、万に一つ相談事でもあれば頼れるのはこいつしかいないことになるわけで。
まあ引きこもりだけどさ……信頼はできる奴だ。知性だって買っている。
だから俺は、ちと試しに聞いてみることにした。
「欅、お前……もしだ。いいか、もしもだぞ。もし……何の脈絡もなく仲良くしてくれる男子がある日突然現れたら、お前ならどう解釈する?」
欅はまたしても目を大きく瞬かせる。
そしてその表情を徐々に変えると、何か変なものを見るようなジト目でこっちを睨んできたものだ。
まるで“それをヒキニートの私に聞くの……バカ兄貴?”とでも言いたげに。
「それを私に聞くの…………クソ兄貴?」
「いや言うと思ったけどさ……」
大体あってたが、クソはねーよクソは。後で言って聞かせなきゃな。
ただこいつのジト目には、もう少しだけ意味があったらしい。
「何ー? 消しゴム案件ですか? 隣の女子の消しゴム拾ってあげて仲良くなっちゃった気になっているとか、そういうやつですかー?」
それ、全く違うようで本質的には外れていないところがギクッとさせやがるな……。
そんな俺の表情を見て、欅はため息と一緒に肩をすくめた。
「何があったか知らないけどさー、知ってる? 美少女と高い壺っていうのはセットなんだよ。気付かない内にむしり取られてるものなの」
「ほうほう……」
「大事なものむしられてからじゃ、遅いっしょ?」
妹は得意気にニヤリと、俺にゲームのコントローラーを差し出して、
「本当に信じられるのなんて、家族だけなもんだよ?」
しっかし、“美少女と高い壺はセット”か……。
俺は納得するあまり、素直に感服した。
流石に若くして引きこもりの道を選ぶくらいには人生経験積んでるだけのことはある。もうどっちが先に生まれたかなんて関係ねえよ。もうゲームの腕まで踏まえて、あんたが姉でいいんじゃないかな。
「じゃ、続きやろ?」
「お、おう。そうだな!」
――橘は月曜日も図書室に来るのか?
――遠足とかどうすんの?
色々と頭のなかでつっかかることはあったが――実はこれらの悩みも、この十八時間後くらいに全部消え去った。なぜなら冷える夜もずっと格ゲーに明かしていた俺たちは、二人揃って仲良く風邪をひいてしまったからだ。
月曜日、俺は学校の欠席を余儀なくされた。