第五十七話 ラブラブ肝試し②
「……このまま二人でさ、遠くに逃げちゃおっか?」
逃げに逃げた後で息を潜めていると、かれんが耳元に口を近づけてきて言った。俺たちは二人で大きな木に寄りかかっているが、手は繋いだまま。
「お前らはあっちを探せー! 俺らはあっちをー!」
「おう!」
……ほら、バレちゃう。身体を小さくしなきゃ。
向こうから聞こえる追っ手の声を聞いて、俺たち何を言うでもなく身体を寄せ合ってた。お互い汗だらけなのが、闇の中の熱気だけで伝わってくる。
ここに来るまで、くねくね道を曲がって追っ手を巻いた。
けど途中まではコース通りに突っ切って来たから、それまで隠れていた幽霊たちには姿を見られただろうし、ここもじきに見つかるだろう。だが、そのことがギャラリーを増やすに違いない。
そして……ひとまずは足音が遠のいた。
ふらりと泥道に戻ると、木々が開けた空間出た。ほんのりとした月明かりが、中央にのっそりと座る切り株を照らしている。
この辺りだ。見えやすい、いい場所だ……。
俺は一緒に座ろうと促すと、二人で身体をくっつけるように座った。こんなに密着しなくても、スペースなら十分にあるっていうのに。
「綺麗……」
「そう、だな……」
かれんはキラキラした目で上を見上げていた。
俺は余計なことは言わなかった。雰囲気だけに身を任せ、背中から腰にかけて手を這わせてやる。少女は何も言わず頭を肩に乗っけてくる。
そして沈黙を味わったあとに、冗談めかして言ってやるのだ。
「彼氏って、大体こんなんだろ……?」
んふふ、と吐息混じりの笑いが首元にかかった。
腰に当てた手を強く押し付けると、向こうもぐっと顔を寄せてきた。目が合う。口を小さく緩ませてくれたが、顔には切なさが染み込んでいる。
薄いTシャツ越しの接触で掻き立てられるのは、今はもう緊張じゃない。もう俺は我慢なんてしていない。
安心と、充足感。そして優しさ。
「純、マジ積極的……。さっきの仕返し……?」
「そうだ……」
「こんなことばっかりしてたら……マジメに好きになっちゃうよ?」
「ふふっ……。そりゃ効いてるな……」
ちゅ……と、挨拶代わりのキスで頬が熱くなる。
こっちは復讐のつもりで髪を撫でてやるが、却って俺の胸も茹で上がってしまうのだから諸刃の剣だ。
……と。
「おい、あれ、一条と橘――」
茂みの中から声がしたが、途中で押し潰れた。
今の俺たちの具合を見て、ズカズカと前には出てこられないようだ。それでいい。指をくわえて見ていればいい。
もう、逃げられない。だが俺たちに真面目な話も似合わないだろう。
だからあえて核心を突かずに……表面をくすぐるのだ。
「なあ。ゲーム、しないか……?」
「したい……。なになに? あたしら、どーなっちゃうの……?」
「今からお互いの良い所を言い合って、ちょっとでも今より好きになったら……罰ゲームだ」
「や……。それ、いい……。純とゲームとか、いい思い出しかないもん……」
「罰ゲームは、何か相手の喜ぶこと一つ……」
「やるやる……。超喜ばせるし……」
「何だよ。負けたら、だぞ」
辺りから緊張感を感じ取った。
きっとこいつも気づいている。空間が一秒ごとに息を呑んでるってことを気づいているんだ。見られてる。そう知りつつ、二人で知らんぷりをする。
それでもなお止められない。知ってなお、二人だけの世界に入り込んでいく。
「んじゃ、俺から――」
……橘かれんの良い所。
一つ選ぶなら、何を言えばいいだろう? 可愛すぎる整った相貌か? いつだってみんなに振りまいている笑顔か? どこに居たって目立つ、流れるような金髪か? 違う、そうじゃない。
俺が今ここで彼女を受け入れてしまったのは、やっと本当のことを理解したからだ。
「かれんは優しい、よな。いつだってイジってくるけど……優しい。優しすぎて、俺が嫌がると悲しそうにする」
ずっと一緒にいて、分かったんだ。
あの日こいつが目の前から居なくなって、俺が何を失ってしまったのか。
「だから俺もなるたけ嫌がらないようにって、いつも思わされちゃうんだ。お前の優しさが俺まで優しくしてくれた。……こんな温かい気持ちになるの、初めてなんだ。代わりなんて、どこにもいない」
せがむように、俺の白Tが引っ張られる。
逃げてきた後だからか、かれんの金髪は乱れ気味に波打っていた。言葉を惜しむように唇はぴくぴく震え、感情が溢れそうなくらいに目は潤んでいる。
“心配しなくていい”……俺が頬をさっと指で撫でて伝える。
“綺麗”だ、とも。けれどただ綺麗なだけなら緊張するだけだ。正直、こいつの見た目が良すぎることで心労が耐えないってのも、あながち嘘じゃない。もう少し普通の顔をしてれば良かったのにって、愚痴りたくなることもある。
けど、それでも、だ。
「優しい人なら、きっと他にもいる。でも、本当に俺の胸の中までしっかり届かせてくれるのは、かれんだけなんだと思う。相性っつーか、何って言えばいいんだろな……。お前のおかげで、少しだけまともになれた気がするんだ」
かれんの隣が、俺にはいいんだろう。
他の誰よりも……な。代わりなんて、居ないんだ。
その一言で俺の気持ちは届いただろうか?
少女の頬を一粒の涙が伝った。“おい、そんな顔を見たかったんじゃないぞ”……俺は笑ってそう伝えるが、無駄のようだ。
「はぁ……。もう、負け……。ラブラブハグしたげる……」
「ははっ……。ちょ……っ。分かったよ、はぁ……」
密着感の奥にある温かさが、その奥にある嬉しさに変わった。
馬鹿げてる、どうかしてる。あの俺が、こんなことに慣れてしまっただなんて。抱き合いながら、微笑むことができてしまうなんて。
ふと冷たい風が俺たちの汗をかすめ取ると、後に残ったのは一箇所に固まった二人分の体温だけだった。
身体を離すと、互いに名残惜しげな目で見つめ合う。
奥で誰かが「きゃ……」と小さな声を漏らした。だがもう止められない。知っているか、今俺は調子に乗っているんだ。
「純……。あたしのハグで、喜んだ?」
「喜ばない奴なんて、いないだろ……」
「やめて……。純以外にもしちゃうみたいな言い方……。他の人の話なんか、したくないもんっ」
「ふふっ、ごめんごめん。でも、これで罰ゲーム成立だな」
「だめ、もっかい……。純、まだそんなに喜んでないもんっ」
熱のこもった吐息が、至近距離で俺の耳を麻痺させた。
ついこちらの息も彼女の耳元で漏れてしまう。それに呼応して、吐息だけで存在を確かめあった。
離れた時、お互いに笑顔で溢れていた。かれんはそのことで満足したらしく解放してくれたが、ゲームはまだ終わりじゃない。
「ん、あたしの番」
「あんま恥ずかしいこと、やめろよな……」
「やーだ。純が考えたゲームでしょ?」
んふふ、と悪戯めいた笑みが戻ってきた。
近い。とても近い。けど今は遠ざけまい。俺は直で向かい合いながら、しっかりとその目を捉えた。
「えへへ、純のいいトコ? 全部、じゃないの……?」
「それがアリなら、俺もそう言ってたっての……」
「ほら、それ……。気づいてないの? どんどんデレデレになってる……。全然フキゲンになるポイント見えないってゆーかさ。会えば会うだけキュンキュンしてくる……」
「ぐっ……」
「こんな人、他にいない……」
小馬鹿にした笑みが、儚げに崩れていく。
「あたしと会って優しくなれたみたいに言ってたけどさ。きっと、純は元々いい人だったんだよ……? どんどん仲良くなれそう。まだ、まだ、足んないの……。純……」
「かれん……」
「こんなに優しくし合える人、生まれて初めて……。必ずね、今日は昨日より仲良しになってんの……。きっと明日も、そう……」
トクン、と心臓が鼓動を打つ。
あの柔らかい唇がすぐそこにある。ずっと誤解を解きたいと思っていた。
『あたしのファーストキス……。純に押し付けちゃったの……っ』
嫌なんかじゃない。そりゃあ驚いたが、決して、嫌なんかじゃなかった。
まるで俺がその瞬間、1ミリでも嫌いになってしまったみたいな……そんなの、絶対ありえない。
俺は決めた。
俺がかれんを好きなんだと、俺自身が決めたのだ。
もう決めた。
やることは一つだった。
「負けだ……。これじゃあ痛み分けだな……」
その唇を視界に捉え……一瞬で奪う。
かれんの驚いた声が小さく漏れたが、すぐに抵抗は緩んで身体ごと預けてくる。脳みそが痺れて溶けそうになるが、こらえる。
ルールはルールだ。負けたなら喜ばせなければならない。
夜の中で擦れた後、一度離し、彼女の顔がせがむように陰を濃くした。
もちろんこれで終わらない。俺はお代わりのキスで、今度は身体を強く抱きしめた。熱く甘く切ない永遠が、俺たちを飲み込みにやって来た。ずっと閉じこもっていたい。ここに、二人だけ、世界が終わるまで二人だけで……。
……。…………。
「ファーストキスはキミで、二回目も三回目もキミ。四回目から、最後まで、全部キミがいい……」
「俺もだ……」
「純、今日もたくさん仲良しになれたね……?」
「だな……」
「またこのゲームやりたい……。罰ゲームでチューしたい……」
五回目が済む頃には、辺りから気配が消えた。
その後は時間も気にせず、世界から切り離されたこの場所で、言葉もなく余韻に浸っていた。
あ、発売より1ヶ月経ったということで、本作品の電子版がAmazon等で解禁となっておりますよ!電書派の方々、お待たせ致しました!
ちなみに電子版特典SSはですね、“テストの結果が出て、かれんさんに「勉強付き合ってくれてありがとう」を精一杯表現される”っていうような内容になっております。楽しんで頂ければ幸いです。