第五十五話 友達
「かれんのこと……好き?」
その質問で俺の心臓は凍りつく。だが、それも一瞬の話だ。その一瞬の後で、冷たい血が濁流のように全身に押し流れて焦りが募ってくる。
この、うるさすぎる心音。
周りに聞こえてはいやしないだろうかと、一人でビクビクしたりして。
質問の答えは舌先まで出ていた。
しかし具体的な言葉になるまで、俺は瞬間の中をさまよい続けた。
「どう、なの……?」
氷堂は腕を組みながら挑むような顔で笑いかけてくる。
しかし面白がるようでいて、目の奥には値踏みするような冷たさが流れていた。
「何だよ、その質問……。今の話の流れ的に、意味分かんね―っての」
言いながら、俺は情けなくて隠した拳を握りしめる。
好きか、どうか。
自分でもハッキリさせようとはしていた。していたはずなんだ。
しかしその質問はいつだって「俺はあいつをどう思っているんだろうか?」だ。「好きかどうか」ではない。この二つの隔たりは小さいだろうが、同時に世界そのものほどにも大きい。
好きか、どうか。
好きか嫌いか、でもない。もしそういう聞き方なら、好きと言えるまでに大して悩みもしなかっただろう。まさか嫌いなわけはない。だったら消去法で好きというしかない。これじゃあ言わされているのと同じだ。いくらでも言い訳が立ってしまう。
好きか、どうか。
よし、一条純よ。お前の如きヘタレ野郎には何日与えても答えは出ないだろう。むしろ時間があるほど逃げ道を探してしまう。だから、単に、現実だけを見ようか。
あいつのことが頭から離れない。
ふと今日はいつ会えるんだろうかって気になってしまう。
毎日毎日、嫌な顔もせず勉強にも帰りにも付き合ってクタクタだ。
挙げ句にあいつのせいで、こんな辺ぴな場所まで逃げてきた。
あのガリ勉ぼっちがそこまでした。そこまでになってる。
俺が橘を好きか、だと……?
橘が近くまで戻ってきている。
急かされるように、しかしたった一つの答えを絞り出した。
「好き……だ」
「……聞けてよかった」
「ふん……。満足な答えだったかよっ」
「そりゃもう」
今回の仕掛け人がニヤリと悪巧みっぽく笑う。
「次も今みたいに男らしく、できる……? かれんじゃなくて、一条がもっとみんなに良く見える感じで」
「次? 何の話だ……?」
「……楽しみにしてるから」
「純ー! あ、やよい。純と何話してんのさー!」
「かれん、走らないの……!」
橘と委員長が駆け寄ってきた。
目が合うやニッコリしてくれる。いつもそうだった。これを見るようになってから、学校では柄にもなく気持ちが明るくなった。見られない時は、ことさら暗くなった。
「ごめんごめん。かれんの彼氏持って行ったりしないから、心配しないで?」
「や……。彼氏とか、何か他の人に言われるとハズいね……」
「やっとかれんが彼女さん、か……。お幸せに、ね?」
氷堂は橘の肩をポンと叩いて、向こうに去っていった。
んで、俺たちの班だけが残される。調理中の俺と小松君。戻ってきた橘と天樹院。俺と橘とのあれこれがあっただけに、この間が気まずいんだが……。
微妙な空気を感じ取り、四人で目配せした。
橘が顔を赤くしながら「えへへ……」と髪をいじる。さっきは公衆の面前でやらかしてくれたくせに、ちょっとは頭を冷やしたらしい。
“えっと、どっしよっか……♪ ここでもイチャイチャ、する……?”
“しねーよ、ばか……”
“だよね……。二人に悪いし?”
「えっと、じゃあ、色々あったけど……。つ、作りましょっか……」
「あ、ああ……」
やっとのことで気まずさから抜け出して一息ついたのは、やはり端っこで晩飯にありついていた時だ。
各班で持ち寄ったものが輪に並んだテントの真ん中に集められ、一種の立ち食いパーティーのようになった。大体の奴らは、真ん中の灯りの周りでワイワイしている。
夜がそこまで見えてくるような、紫色の水平線を眺めていた。
好き。本人の前でないとはいえ、言ってしまった。本当だろうか? 好きだとして、一体どこが好きなんだ? 問いは残り続けているが、言ってしまったからには嘘にはしたくなかい。
――『どうして一条なんだろーな……』
ぽつんと座っていると、ふとその一言が頭について離れなかった。
みんな俺を見ている。俺がどういう奴だか、初めて意識して目を向けている。見られている。橘の相手に相応しくないと、思われている……。
そんなの心底どうでもいいと、前の俺なら思っていたのだろう。
しかし今問題なのは、俺がどう思われるかじゃない。俺と橘が、どう思われるかだ。こればっかりはどうにかしなきゃ、あいつの隣に立つ者としてあいつを守れない。
「だい、じょぶ……?」
そろりと、小さな人影が薄い存在感でやって来た。
「小松君か……」
「ははっ。やっぱ、ここでも一人なんだね。隣、いい……?」
座ってきたので、二人で紙皿の上の肉やら何やらをムシャムシャさせる。
さて、ぼっち仲間だ。もう世間的にはぼっちを名乗れなくなっても、それでも橘に中身まですり替えられたわけではない。俺は俺のまま。小松君を目にすると、そのことを思い知らされる。
「一人だから……なんかな?」
「え……?」
他人に相談している自分に驚いた。だがそれでも、俺は続けた。
「一人だからダセーと思われてる。今までそんなこと、考えたことなかった。どうだってよかった。好きに言ってろって、本気で思ってた」
小松君は驚いたように目を見開いたかと思えば、体育座りで折りたたんだ足に顔を乗っけて、「ふふっ」とはにかむ。
「な、何だよ……?」
「相談してくれたからさ。やっと友達になれた感じがして」
「その……友達、だろ。ふん、何だよ……好きって言うより百倍簡単だなっ」
「一人でも、橘さんは仲良くしてくれた……だよね?」
「…………まあ」
「だったらさ、変わることないって。一人でもいいじゃん。一条君のありのままな感じ、みんなの前でぶつけてあげればいいんだよ」
「はあ。ぶつける、ねえ……」
「覚えてないの? みんなお化けになって、見てるんだよ……?」
「あ……」
クラスの友人第一号が愉快そうに笑った。
同じように、先程の氷堂の顔がチラつく。“次も今みたいに男らしく、できる……?”って、あいつはそう聞いてきた。
橘は脳天気だ。俺が黙っていれば、また遊んでくるだろう。
そうすればこっちは更に受け身になるだけ。あの金髪女がイチャついてくるだけで俺がムスッとしているだけでは、クラスの連中からすれば反応は変えようがないだろう。
だが“次”は、どうだろう?
もし俺が、もう少しだけリードしてあげれば……?
はぁ……。よし。
思い出せ、この前の一日彼氏だった時を。見せてやろう。俺が調子に乗ればどうなるか。クラス中を、その、その、だなあ……。
まあ見てろ……。
イチャつき具合で最高記録を叩き出せば、奴らも夜の恐怖で沈むだろう。