第五十一話 左遷
純はぼっちだと思ってた。
だから独り占めできると、心のどこかで思ってた。
え、でもでも!
純がクラスに馴染んでほしいって言ってたの、あたしじゃん!
これ、すっごい良いコトなんだよ? 最初の頃は、ぼっちのガリ勉を遠くから眺めて……あたしが勝手に気になってるだけだった。クラスに溶け込んで欲しいって、本気で思ってたのはあたしなのに。
……『気にすんなっ。頼んできたのがお前じゃなくても、教えてたしなっ』
う……。やっぱ……ダメ、かも。
あいつ、優しいし何だかんだでスペック高いし照れてる顔可愛すぎだし、チューした時の口もめっちゃ柔らかいしハグするといい匂いしちゃうし、それに、絶対、絶対…………最高のパパになりそうだし。
普通に考えてさ、あいつがモテないわけないじゃん……?
純がいい人だってこと、もう知られちゃう。あたしが最初に見つけたのに、あいつの良いところが全部バレちゃうの……。
「も、ももこ。あたし、どうしよう……?」
「えぇ……? まあでも、クラスメートを助けてあげてるだけにも見えるし……。これで一条君も馴染めるんじゃないの? 本格的に」
「分かってんの……。それくらい別にいーじゃんって、あたしも思うんだけどさ……」
今はまだ、大丈夫だと思う。
けど弥生の企画、完全にクラスでカップル作る用だし! 純が目立てば目立つほど、他の子の目に留まっちゃう。好かれちゃうの。
何とかしなきゃ……!
あたしが手首を握ると桃子は困った顔をした。
でもマジ惚れしてるってことくらい、桃子もきっと分かってるはず。
純と会う前、あたしはずっといつもの二人と一緒だったから。それがいきなり、ずっと遊ばなくなっちゃって……男でもできたのかって、ずっと弥生に言われてた。
「えっと、整理するけど……かれんは一条君が好きで、それを知ってるのは私と弥生と、さっきのを見てた人だけってこと?」
「あれじゃ足りなかった! だって、まだまだあいつがフリーって思われてんだもん! ねえ、どうしよ。もっと見せつけなきゃ、ダメ? ……ボートの上でやってたみたいに」
「もうダメよ、あんなことっ! 友達の私ですら引いたのに……」
「ももこ。これ、初恋なの……。もし純とあたしがラブラブになったら、クラスはどんな風になると思う……?」
「……え?」
「たとえば、さ。毎日毎日、二人でみんなに茶化されたい」
あたしら二人は、クラス公認のラブラブカップル。
学校祭はもちろん、お姫様役と王子様役。劇の本番では、ガチでキスしちゃって、純からも先生からも怒られちゃったりして。
体育祭はきっと、あいつばっかり応援しちゃう。純って名前ばっかり叫んじゃうから、あいつはバッターボックスで顔真っ赤。
クリスマス会は二人で企画して、クラスのみんなを呼ぶの。だからプチ結婚式だねって、冗談で言われたりすんの。
あたしと純なら、きっと明るいクラスにできるよ?
他の子でも純の彼女はうまくできるかも知れないけど、それでもあたしじゃなきゃダメなの。あたしじゃなきゃダメな理由、きっとあんの。
全部言い終わると、桃子は恥ずかしそうにしながらあたしをチラチラ見た。
「……うう。まあ、確かに私もかれんには幸せになって欲しい、けど……」
「でしょでしょ? ももこ頭いーじゃん。何か……ない?」
「……ある、けど、うう…………。恥ずかしいなあ、もう……。よりによってこんなこと、私が思いついちゃうなんて……」
「……なになに? ももこが憧れてたシチュエーション、みたいな?」
「そ、そんなんじゃないわっ! えっと、ほら……ちょっと耳かして?」
「うん……」
……。…………。
桃子って、意外と大胆なこと考えるんだ……。
◆◇◆
青空の彼方に、雲がもこもこ集まっている。
海パン姿の哀れなガリ勉は、コンクリートの桟橋の上、ただ海に竿を何本か並べていた。投げ釣りって退屈だ。準備さえしてしまえば後は静かに待つほかない。
『こほん……。えっと、一条君。料理の準備、できることはこっちでしとくから』
他の班のテントを組んでやっていたところで、天授院さんが俺を左遷したのだ。
まあこの作業自体はひじょーに俺らしく地味というか、もちろん釣りも素人程度には知ってはいるし、断ることもなかった。
まあ隣に座ってるのが橘かれんでもなきゃ、もっと落ち着けたのだろうが。
「…………ふーんだっ」
すっごくわざとらしく、橘は顔をぷいっとさせた。どういう状況だ。
機嫌が悪いアピールにしてはあざとすぎる。いやそもそも、俺のせいで機嫌を損ねたのならわざわざここまで付いては来なかっただろう。
何だっていうんだ? ツッコんだほうがいいのか、これ?
「えっと、橘……。俺、何か変なことしたか……?」
「べっつにー。……純に人気出てきたなーってさ。もうぼっちじゃないんだね、って」
「……さっきの。遠くから見てたのか?」
「うん……」
橘は……それでも怒っているわけではないようだ。
だが、切なげに目を細めていた。自然と座っているポジションも寄ってきて、肩が触れ合うような距離になる。手を繋いでしまうのも暗黙の了解だ。
ひっそりとした場所だった。
もちろん同じ海岸にいるわけだが、この桟橋に来るまで結構歩いた。
つまり、まあ、いつも通り二人っきりというか。お決まりのシチュエーションだったわけで……。
「あたし、変だよね……。今もちょっと心配しちゃってる……」
こいつはせがむような顔で、言ってくるのだ。
何だよ、バカかよ……。クラスの奴らをちょっと助けただけだ。何を心配してるんだか。
ちょっと笑いそうになりながら、俺は長い金髪に手ぐしをしてやる。
そうすると、二人の間の静けさが深まってくる。
心と心が触れてしまいそうな距離感で。でもまだ触れそうで触れないままを楽しんでもいたくて。何にせよ、こいつは本当のバカだ。ラブラブハグ友達なんて、二人もいてたまるかってんだ。
「ふふっ、何心配してんだよ。助けたっつったって、誰も何とも思っちゃいない。俺にひっついてくるド変人は、後にも先にも橘だけだっての」
「な、なによー……」
「昨日の夜にラブラブハグ友達って言われたやつ、さ。ちょっと前なら拗ねて怒ってた。なんで怒らなくなったんだろーな、ほんとに」
自分でも信じられない。
至近距離で橘と見つめ合っているのに、今はこんなに落ち着いている。
……思えば、クラスメートがごみごみしているなかでテントを張っている時。
……人混みなんて抜け出して、こいつと二人になりたいって思ってた。
それが今では何だ?
ちょっと他のクラスメートと話しただけで、まるでヤキモチ焼いてるみたいに口を尖らせてさ。どんだけ童貞野郎の心にブロー入れりゃあ気が済むんだか。
昨日、この胸のムズムズを嬉しさと認めた。
その時点で勝負アリだったのかも知れない。
「純……。髪、くすぐったい……」
「ご、ごめん。自重する……」
「だめ、やめないで……。たくさん撫でてくれないと、安心できないの……」
目が合った時、最初に湧いてくるのは優しい気持ちだ。
そりゃあまだ恥ずかしさもあるけれど。受け入れられてるんだって今では思っている。だからこんな素敵な女の子の前でも、胸を張れる。
穏やかに撫でるほど距離が近くなる。
気がつけばパーカーを羽織った水着の少女が、腕の中に収まっていた。
外はこんなに明るくて暑いのに、胸の中はすっかり優しさで温まっているのに、まだ人の温もりが愛しく感じる。
ゴクリ……とつばを飲み込んだ。
「純……。ねえ、あたし、まだキミの一番?」
「ふん……。もちろんだ」
「だめ。ぶっちぎりで一番がいい。ねえ、言いたいこと、分かってくれる……?」
分かる。分かりかけている。
二人っきりになりかけた世界で、俺は……。