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第四十三話 クラス旅行

『純、会いたい……。好き……』


 あいつの声が、目よりずっと奥で心地よく反響している。

 知ってる。これは夢だ。夢の中で夢だと気づいてしまうって、よくあることだ。

 場所も、自分も、何一つはっきりしない。

 ただ見慣れた金髪の少女と、むき出しになった自意識だけがその空間にあった。


『こんなに好きなのに、何で居なくなっちゃったの? ばかぁ……』


 そんなことを言われれば、混じり気のない幸福感が湧き出てくる。

 しかし、直後に覚えたのは罪悪感だ。俺の頭は夢の中であいつに何を言わせているんだ? もしや心のどこかで、こんなのを望んでるってことなのか? 本気であいつに、()()()()対象として求められていたとでも?


 俺自身は一体……何を望んでいる?

 あいつが俺の身体に触ってくることは、もう二度とないってのに。


『もう、幸せにしてあげるからっ。いい加減、あたしのこと好きになってよ……』


 夢の中で、あいつは頬を膨らませていた。

 ただ、よく『むー!』と言いながらやる、あのわざとらしい怒り顔じゃない。目をうるませながら必死に訴えてきている。今にも泣き出しそうだ。


『このままじゃ、純のこと嫌いになっちゃうよ?』


 ……それだけは、嫌だ。


 何でもしてやるさ。恥ずかしいこと、何でも言ってくればいいだろ。

 それと、この間は雰囲気でキスなんてして悪かった。バカな俺を許してくれ。今でも信じられないんだ。まさか自分があんなことをって。

 だから、本当にごめん。許してくれ……。


『や……。やっぱムリ。嫌いになれない……。ごめんなさい、純……愛してる』


 俺だって、お前を嫌いになんかなるものか。

 少女を肩から抱き寄せようと、手を伸ばし――


「は……!」


 布団の上で目を覚ました。

 早い時間、まだ青い朝だ。

 俺もすっかり早起きに慣れてきたらしい。こののどかな海辺の田舎に来て、もうかなり日にちが経った。五日目にもなる。


 つまり、橘と最後に会ってから二週間以上は経ったことになる。どうにかなってしまいそうだ。あいつが居ないってだけで、こんなに焦ったような気持ちになるなんて。

 ……寂しいって、こういうことなのだろうか?

 あいつがひっついた後に残る優しい体温が、今は底に落ちたような空虚感に取って代わられている。昨日も寝苦しいくらい暑かったのに身体は中から冷え切っているみたいだ。


「ん……っ」


 小松君が横の布団で寝息を立てていた。

 俺のこんな呆けた姿、知ってる奴にバレれば恥ずかしさだけで悶え死ぬに決まっている。


 ……やばい、もう限界かも知れない。会いたい……かも。


 何、会いたい? 会いたい、だと?

 会ってどうするっていうのだろう。どうせ合わせる顔もない。

 ふん、まるで三年周期くらいに流行るダサいJ-popみたいだな。俺は自嘲気味にバタッと布団に倒れて天井を仰いだが、もちろん何の慰めにもならない。


 多分、働き足りないのだろう。

 こんだけ頑張ってるのに、俺はまだ引きずっているっていうのだから。

 ともかく何もないまま、ゆっくりと時間だけが過ぎ去っていた。こんなに汗と疲労感にまみれた夏休みは初めてだ。


と、部屋のふすまが開いた。


「お、純は早起きに慣れたみたいだな。偉い偉い」


 小松君の姉さんが、感心したように口を緩ませている。

 こんなカオスな胸の内では素っ気ない会釈しかできないが、この人は気にせず笑顔だ。しかし、どうしたものか。きっとまだ朝六時も回っていないだろうに、普段通りのホットパンツ姿ときた。


「ちゃっちゃと支度しな。そのぼけーっとした弟も起こしてやって」

「は、はあ……」

「さ、行くよ! ……今日の仕事、すっごい多いから」


 そう言う彼女はやけに機嫌が良かった。鼻歌を歌っていたくらいだ。


「ふぅーん。楽しみ楽しみ♪ 良いこともあるもんだね~」


 何……? 楽しみとは?


 いや……ここに来て何日も経つが、今日ばかりは変だ。

 まず朝昼と客室の掃除ばかりしている。今まではずっと、厨房の手伝いとか買い出しとか、そんなんばっかりだった。


 仕事がすっごい多いというのも偽りなく、一つの部屋が終われば次の部屋へ、マスクをつけた俺と小松君で掃除をして回る。全部で十にも及ぶので、これもなかなかの重労働だ。それ自体は構わない。どうせ今は働きたい気分だ。

 ……ただ宿泊客、昨日出ていった家族を最後にすっからかんだっていうのに。

 ……ただでさえ、民宿業の方は繁盛してなさそうだったのに。

 なら一体、俺は何をさせられている?

 今だって厨房は忙しいだろうに、どうして?


 だからこそ、真昼を過ぎて日が傾いてきた時。


「真面目な話、どうしたっていうんだ? この部屋もさっきの部屋も、酷くホコリだらけだ。ずいぶん長い間、客が入っていないようだが。ん……どうした、小松君?」


 俺は何となく、思ったことを口にしただけのつもりだった。

 しかし相方の小松君の方を向くと、彼は一瞬だけ目を見開いたかと思えば、ビクついて目を逸らすのだった。


「ひ、ひぃ……っ。僕は、僕は何も……」


 ぷいっと、窓の方を向くクラスメート。

 これは明らかに怪しい……。

 てっきりこの民宿を売っぱらう準備をしているだけかと思ったが、もしそうなら俺に隠すこともないはずだ。


 俺は一歩だけ小松君に近づくと、彼は二歩退く。

 では次に二歩詰め寄ろうとした所で、畳に尻餅をつかれた。


「ぼ、僕じゃないんだ! 許して!」

「まだ何も言っとらんだろーが……」

「初めての友達だもん、裏切ったりしないよ……。でもなんって言うか、ぼくもびっくりしてるっていうか、姉さんには昨日知らされたばかりですっていうか…………氷堂さんが」

「氷堂が、何だって? もしかして言っちまったのか、俺がここに居るって」

「う……」


 一秒ほどの沈黙が流れた。

 小松君の表情が震えると、俺にもその恐れが伝染するような気がして、


「怜! 純もー! 降りて来なさーい!」


 下の階から、凛々花(りりか)さんが声を張り上げてくる。

 すると、目の前の相棒は青ざめた。だが呼ばれたからには仕方ない。俺は戸惑いつつも頷いて、一緒に来るように促す。

 そして……俺は、見知った顔を見て顔を歪めた。


「お、一条君も居るじゃーん。マジでいるー! えー、ウソかと思ってた!」


 飯塚……。サッカー部の……。だが、それだけでは終わらない。

 玄関から入ってくる奴は、彼だけではなかった。


「一条君、久しぶり。生きてたんだ」


 クラスでもう一人のサッカー部員、荻野の姿も。

 二人共、髪の毛のキマり具合は健在のようだ。


「しぃ……っ。ねえ、かれんにフラれたってマジ?」

「は、はあ!?」

「……クラスで噂になってる」


 こればかりは俺か橘以外からは漏れようのない情報のはずだ。

 一体全体、何が起こってるっていうんだ? まるで宇宙全体が俺をいじめに掛かっているとしか思えない。一度にイベント起こり過ぎなんだよ。どう対処しろってんだ。


 他にも、ぞろぞろ……と。

 顔も名前も頑張って覚えたクラスメートが玄関を通る。


「はいはい、みんな入んなー! うまい晩飯、用意してっから!」

「小松さん、これって……」

「君らのクラスメートに決まってんじゃん。怜から聞かなかった?」

「い、一条君。ぼくは……」


 おい、まさかこれは……。まずいぞ、この流れは……。


「あら一条君、こんにちは。弥生が言ってたけど、本当に居たのね」


 にっこりと、天樹院さんが大人っぽく笑えば…………そろりと。

 今回の件の黒幕が、あくびをかきながらひょうひょうと登場する。


 いっつも机で寝そべってばかりな、やる気なし系のギャル。

 グレーがかったショートボブがお洒落な、橘の友人。


 学期中は席が近いからそこそこ話してはいたが、それでもよく知っているわけではない。だが相手は俺を見るや、不満そうに冷たい目線を送ってくる。じぃーっと。


「……よう、ポンコツ」

「な、何だよ……」

「ポンコツじゃん? 今日日スマホの電源切ってる高校生とか、聞いたことないんですけど」


 しかし氷堂は……次第に顔をニヤリとさせた。

 どうやら俺が青ざめているのが楽しいようだ。


「ま、今それはいーや♪ 一条がここに居るって言われたから、クラス旅行も楽しくなると思ってね。一条も参加できて、一石二鳥じゃん?」

「おいっ! 俺がここに居るなんて誰が漏らした、そんなことっ」

「あ……あと、これも風のうわさでさー。……かれんにフラれたって?」

「は、はあ?」

「ごめんね……。傷心中のトコ悪いけど、連れてきちゃった。かれんー!」

「う、うん……」


 橘かれん。派手な金髪の少女。こんだけ人数が居ても、異彩を放っている。

 最後に彼女が入ってきて、男女混合で総勢二十にも届こうかというメンツが、民宿のそこそこ広い玄関を埋め尽くした。


 だがその姿を見て、俺は何を思っただろうか?

 恥ずかしいとか、クラスに変な噂が流れちまったとか、寂しかったとか。

 いずれにせよ、俺がその唇を奪ってしまった――いや、奪われたのだろうか? 今となってはもう、思い出せもしない――相手がそこに立っていたのだ。心配そうに、陰った顔で。

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