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第三十八話 一日XX⑤

 その後も、止まないイチャイチャが続いた。


 こんなに外で遊びまくった日、今までにあっただろうか。

 仲良過ぎる女の子と手をつなぎながら、計画もなく街を歩いて。

 ケラケラと笑いあって、たくさん触れ合って、挙句の果てにはプリクラなんて撮ったりして。

 そしてそれを、素直に楽しいだなんて思ったりして。


 だからこそ、すっかり冷えた夜道は寂しさが募る。

 橘はとぼとぼと隣を歩き、ちと言葉少なだ。露骨なほどに歩調が遅くなって、俺もそのペースに合わせてやる。彼女の家に近づくほどに、更に遅くなった。

 すると、歩きながら何やら心配そうにちらちら目を合わせてきて、


「純……。その、さ……今日のデート、楽しかった?」


 名残惜しい。

 そんな彼女の思いが、繋いだ手を通じて伝わってくる気がして。

 俺は“楽しかった”と答えてやる代わりに、ゆっくりと握り返した。そうすると彼女はにこやかに微笑んでくるので、俺はもう……。


 可愛い。可愛すぎる。恥ずかしくて、嬉しい……。

 信じられるか? 俺はまだ、あと少しだけ、こんなに可愛い子の彼氏でいられる。毎日ずっと一緒だったのに、やっとその嬉しさを理解できるようになった。


 今日、手を握った。腕も絡めていた。

 それに、あの試着室でのことも……こんなのは、普通じゃありえないことだ。冷静になればなるほど、 とんでもないことをしでかしたことに気付いて鼓動は加速した。

 明日になった後に、本当に元に戻れるのだろうか?


 と、橘が立ち止まる。何かを訴えるような潤んだ目だった。


 分かってる、心配するな。俺だって、このまま帰るつもりもない。

 こうなれば、最後の一秒まで俺で遊ばせてやるんだ。


「……そこに公園、あったよな…………」

「もう、ばか……。何であたしの気持ち、全部分かっちゃうのさ……?」


 昼に会った時と同じように、ベンチの上で並んで座るガリ勉と金髪女。

 多分、今の俺たち二人には、これで十分なんだ。映画にも、遊園地にも、カラオケにも、行く必要はなかった。ただ一緒にいさえすれば、それだけで何時間も潰せるのだから。学期中は毎日一緒だったってのに、どうかしてるよ。


「えへへ~。一日……彼氏…………♪」


 ぐったりとこちらの左腕に身体を倒してくる俺の一日……彼女。


 こいつ、楽しそうだった。俺なんかと一緒でもこんなに楽しそうなのだ。それを思うと、まだまだ嬉しい顔が見たくなる。まあ耳は噛んでやれないかも知れないが、俺はさっきの仕返しをしてやることにしたのだ。


 俺は引っ付かれている方の腕を軽く振りほどくと、橘の肩を抱き寄せるようにして……手を彼女の頭に伸ばすと…………なでなで、と。


「きゃ……」

「む。嫌だったか……?」

「や……。あたしがキミのこと拒むわけ無いじゃんっ。続けて……?」


 細やかで長い髪だった。きっと手入れが大変な髪だ。

 大事に触っているというのが伝わってか、橘は華奢な身体をぐぐっと寄せてきた。なので片手で抱き寄せるような格好になって、自分で始めておいて恥ずかしくて仕方ない。


 彼女は言葉にならないような高い声を漏らした。

 嬉しいってことなのだろうか……? 撫で続けると、「はぁ……」というため息のような音に変わっていく。


「朝にラブラブしてた時、名前で呼んでくれたね……」

「ラ、ラブラブ……。イチャイチャじゃなくてか……」

「うん……♪ お昼はさ、可愛いって言ってくれた」

「やめろっ。思い出させるなっ」

「今は、撫でてくれてる。ほんとはね、ずっとこうして欲しかったの……。純、まだハズいの? 可愛いなあ、もう……」


 目と目が合って、ゴクリと。

 夜の公園で二人っきりの恋人同士。こんな馬鹿げたシチュエーションのせいだ。

 緊張は粉々に砕かれ、視野が狭まっていく。世界に俺と彼女しか居なくなって、早く元の世界に戻らなきゃ帰ってこれなくなる……。


 しかし、もう遅い。

 冷たい空気の中で身を寄せ合っていた二人は、熱に浮かされていたのだろう。少し考えれば次の日から気まずくなるのは明らかなのに。おそらく、この魔法にかかったみたいな雰囲気に飲まれていたのだろう。


「今日のキミ、優しすぎ……。一日彼氏、効果ありまくりじゃん……?」

「む……。今日だけだっての…………」

「ねえ、もうちょっと甘えていい?」

「甘える……?」

「うん…………彼氏っぽいこと、して?」


 すると、またエスカレートした。

 橘は髪をかきあげて片方にまとめると、もう片方の頬をこちらに向けて突き出してくる。


「だってさっ……あたしばっかりしてたから、さ」


 何秒か経って、やっとその意味に気付く。

 さっきまで水着姿であそこまでやんちゃしたというのが、どうも服を着た彼女を大胆にさせ過ぎているというか……今すぐのたうち回りたい。


 しかし、もう引き下がれるはずがない。

 俺は恐る恐るゆっくりと、むき出しになった頬に口を押し付けた。


「ん……」

「あ……っ」


 俺の唇が柔くて白い肌に触れると……一秒だって耐えられそうにない。

 しかし離そうとすれば、膝のあたりで服を引っ張られた。せがむように身体を密着してきて、恥ずかしさのあまり顔が沸き立ちそうだ。


 そうして離れた時、橘の顔から笑顔が消えて悲しさがだけが残されたのだ。


「今日、もう終わっちゃう……」

「ああ……」

「明日から、あたし、元カノになっちゃうよ……?」

「こんなにベタベタは、できねーかもな……」

「ほんと、未練たらたらっ! 明日からどーすんのさ……」

「……明日なんて来ない。まだ…………今日だろっ」


 自分で言っていて恥ずかしい。

 しかし目を逸らしたのは一瞬で、すぐに橘の表情を見た。

 ……今の一言が嬉しいのか、笑顔混じりの目が潤んでいる。そうしてしばらく見つめ合ったままの流れで、倒れ込んでくる橘の身体を受け止めた。

 そのまま彼女の背中に手を回してあげると、嬉しそうな声が漏れてきた。

 彼女の嬉しさが俺の嬉しさ……このままでは、二人で溶けてなくなってしまいそうだ。


「ハグっ。ラブラブハグ……っ。やっぱ、いい」

「……俺は、彼氏っぽくやれてるだろうか」

「やばい……。いっつもキミで遊んでんのに、もう……」

「む、らしくねーな。俺で遊べばいいだろっ」

「もう、それ、無理……っ。キミのこと、そういう目で見られないかも……」

「な、なんでよ……?」

「だっ、だってさ。純……っ。その……」


 そこで言葉を切ると、沈黙。


 やがて橘は俺の胸を押してハグを解くと、悲しそうな目を向けてきた。

 俺も黙っていてはいけないと焦燥に駆られつつ、また金髪に触れようと手を伸ばしたが……言葉が見つからない。途中で止まってしまう。


 至近距離で目がちらちらと合った。

 橘は何かを言いたそうで、それでいて結局言葉にはならない。


「ね、ねえ……。あたし…………。純のこと……。キミのこと、さ……」


 ひょっとして、俺は肝心なことを見落としているのかも知れない。

 単に遊ばせてやろうと思っていた。

 今日は思いっきり楽しませてやろうとだけ思っていた。

 大事な人に心を許して、たくさん癒やしてあげれればどんなに素敵か……と。


 なあ、橘? 今までのも今日のも、悪意のない可愛い悪戯……じゃなかったのか?


 俺が黙っていればいるほど、少女の表情は不満の色が強くなり、我慢できぬといったように必死さを増してくる。


「~~っ! 純……。純……っ! あのね……っ」

「か、かれん……」

「はぁ、はぁ……。純…………ごめん。ごめん……なさい」


 数秒間、俺たちの間の沈黙が処理不可能な切なさで埋め尽くされて。

 彼女の艶めかしい唇がピクリと動くと……。


 その日最後の記憶。

 それは唇に直接触れてきた、柔らい刹那…………そしてその直後。少女の、後悔が刻まれた表情だった。

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