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第三十四話 一日XX①

 ぼっちを名乗れなくなってから、一体どれほど経つだろうか?


『ねえねえ、ガリ勉。今日もさ、勉強おせーて?』


 ある日、クラスの金髪ギャル・橘かれんに教えを請われた。

 それだけなら単なるイレギュラーで済む話だろうが、何せ相手が悪かった。まさに嵐のような春が始まったのだ。


 図書室の奥の椅子二つ、いつも並んで座っていた。

 決まって橘は笑顔で、俺はしかめっ面で。どういうわけか毎日、俺が遊び相手になっていた。


『ほれほれ、ガリ勉っ。ビクつくなって、童貞♪』

 あいつは横で頬やら脇腹やらを突っついて、勉強の邪魔をしてきたり、


『あっち向いちゃだめ。お願い、冷たくしないで……』

 俺が目を逸らさぬよう、柔い手で顎を押さえてきたりして、


『あのさ。あたし、やっぱり納得してないから。キミにウザがられても、なんとかするつもりだから。クラスでの、キミの扱い』

 かと思えば、俺なんかのために怒ってくれる。


 クラスでは見向きもされなかったのに、教室のリア充女王・橘のせいで、色んな奴と普通に絡むようになってしまった。長い年月をかけて必死に築いたはずのウォール・ボッチは粉砕され、今やすっかり跡形もない。


 そうやって、毎日毎日あの金髪女にイジられ続けた。

 いつになったら飽きてくれるんだ? 何がそんなに楽しい? そうやって訝っているうちに時間だけが過ぎていく。


 嬉しくなんかない、遊ばれているだけだ。

 いつだってそう言い聞かせてきたけれど。


 どうしてだろう? 何日かイジられなくなっただけでこんなにも胸が苦しくて、焦りが募ってしまう。

 思えば俺は、あいつを拒絶することだってできた。けれどしなかった。

 なぜって、俺が本気で嫌そうにすれば伝わってしまうのだ。そういう時、橘は本当に悲しそうに謝ってくる。


『ごめん、ウザくしすぎた……。マジで……ごめんなさい…………』


 そんな女の子をどうやって拒めというのだろう?

 これほどズルい女、他にいるだろうか?

 結局、飽きるまで遊ばせてあげるしかないのだ。


 だからこそ、夏休みの最初の日曜日。

 最初に橘の顔を見た時なんかは、俺はドキッとした。いつもとは何かが違った。


「あ、やっと来た……」


 待ち合わせ場所の、朝の駅前広場。

 会ってすぐ見せてくれるはずの普段のニタニタ顔を、今日は見られなかった。

 それで一瞬、俺は不安に思ってしまったくらいだ。もしや何か良くないことをしてしまっただろうか、と。しかしすぐに杞憂と知った。


 安心したように顔を緩ませて、目も少し潤んでいる。

 何だよ、まさか嬉しい……のか?


「純……」


 やめろ、下の名前で呼ぶな。俺にそんな顔を向けるな。

 元気出せよ。いつもみたいにニヤニヤしながら言えばいいだろ。“あたしと会えなくて寂しかったんでしょ?”ってさ。

 そうすれば、顔を真っ赤にして答えてやるんだ。“別に……”って。


 今日の橘は、白レースの薄いブラウスに黒の短いスカート。

 長い素足を高い青空の下に晒し、豊かな金髪が派手な光沢を放っている。肌は相変わらず透き通るように白く、ニコッと笑えば上にある太陽よりもずっと輝いて見える。


 彼女はこっちが近づく前に、あいつはヒールの音を鳴らしながら駆け寄って来た。最初のデートの時に比べて、今では面と向かうだけでもすごく近い。

 肌ツヤや、まぶたの動き、赤く染まった頬……全てが目の前にある。


「ちょー待ってた……」

「む、一応時間通りだっ」

「そうじゃなくてさっ……。ずっと会えなかったし。辛かったの……」


 ……ダメだ。

 実際にこうして会えば、一人で悩んでいたのがバカらしくなる。

 こいつの感情が表情を通して伝わってくれば、俺も寂しかったんだって思い知らされる。自然と穏やかな気持ちになって、つい表情がゆるくなってしまう。


「ははっ、お前なあ。ずっとって、空いてたのただの三日だぞ」

「三日は長すぎっ。毎日あたしの前に現れてよ。全然、足りてないもん……」


 もしかして、俺もまるっきり同じ気持ちなのか……?

 別にどこにも逃げない。すぐに安心させてあげたかった。


「まあ、その、もしほんとに寂しいならさ……」


 しゅんと訴えるような顔を見て、俺は思わず手を前に突き出した。

 ……バカかよ、橘が繋いでくるとでも思っているのか?

 しかも、こんな臭い台詞が頭をよぎるなんて……。


「寂しいなら、いつでも呼べばいいだろっ。俺なんかでよければ、飛んでいくから。世話になったお前が相手ならそれくらいやるっつーか、その……」

「や、ばか……。いきなり何言ってんの……?」

「うっ、訂正だ。ちょっと言い過ぎた……」

「だーめ、あたし聞いちゃったもん。たくさんキミを呼ぶの、夏休みの間ずっと……」


 金髪女はぐっと近づいてきて……突き出した手を握るどころか、腕にギュッと身体を絡ませてきた。ここでやっと調子が戻ってきたみたいだ。いつものようなニタニタ顔で、俺の頬を指先でいじいじしてくる。


 沸き立つような恥ずかしさが、顔面まで血流を押し上げてきた。


 通る者みんな見てくるような場所で、こんなにべったり……。

 俺たちの関係、見ず知らずの奴らにきっと邪推されている……。


「純の赤くなった顔、ちょーかわいい。あんな恥ずかしいこと言っといてさ、自分で照れちゃってんの?」

「……後悔してる」

「ねえ? 夏休み始まったばっかで、早速デートしてる。……何でだろーね?」

「む、それは……っ」


 街の中心部ド真ん中で、橘の素肌が腕に擦れている。

 身体の柔らかさが伝わってくるほど、橘のイタズラ顔に恥じらいの色が混じってきた。こんな真夏の熱気の中にいるのに、肌を伝うのは冷や汗だ。


 う、これは……さすがに…………。


「ねえねえ? どうしてあたしら、デートしてるんだっけ?」

「……や、約束だからだ」

「ふーん? どういう約束……?」

「い、今更それを俺に言わせんのかよっ。やめろ、約束通りやってんだろ……」

「だーめ。もっかい聞きたいの……」


 さて、実は今日のデートにはルールがあった。

 事の発端はテストの点数で賭けをして、それに負けたこと。元々は、合計点で負けた方が勝った方の言うことを何か一つ聞くという取り決めだった。しかし、


『良いのか? 普通に勝つぞ。一教科でも俺に勝てたら、とかでもいいけど』


 つまり完全に自業自得というわけだ。

 橘は見事、国語の点数で俺に勝利してみせた。

 勉強を教えたのは俺だが、負けたのも俺だ。

 嬉しいのか悔しいのか分かったものじゃないが、橘の要求は無慈悲なものだった。


「それは、その…………か、彼氏だからだっ。一日だけなっ。クソ、なんで俺がこんなことをだなあ……」


 ……いつもの図書室で、その要求を伝えた時の橘の顔を想像されたい。


『……夏休みの最初の日曜日、空けといてね? 一日だけ……一日だけさ。あたしのマジの彼氏になんの』

『えへへ、罰ゲーム♪ 次のデートでメロメロにしちゃうし……』


 罰ゲームは彼氏としてのデート。

 嬉しくなんか……ない。そう自分に言い聞かせるほど、目の前の少女はニヤけてくるのだ。ほんとお前、いい性格してるよな。


「純、全然嫌じゃなさそーだけどー?」

「必死に勉強教えてやったのに、この仕打ち……」

「えへへ、ありがと……ね?」

「ふん、なーにが“ありがとう”なんだか! いっつもいっつもガリ勉をいじめて、そんなに楽しいのか……?」

「今日はさ、今までで一番楽しませたげるし。あたしの、一日彼氏さん♪」

「うう、やり過ぎだ。ガリ勉女……」


 三日ぶりに橘と会えた。それで胸の中の何かが弾けた。

 あいつが俺に会えてこんなに嬉しそうで……やばい。いっそ認めてしまいそうだ。俺も橘と一緒にいられて、とてつもなく嬉しいんだってことを。

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