第三十二話 オス猫みたいな男の子
一条純――あたしは、あのオス猫みたいな男の子に恋をしていた。
今日もいつものむすっとした顔で、後になって思い出せば悶そうなくらい優しくしてくれた。今日もいつもの恥ずかしそうな顔で、あたしに笑いかけてくれた。
そして今日は、あんなに長い間ずっと見つめ合っていた。大好き……。
多分、これは初恋だった。
恋なんてもう何度かしたと思ってたけど、間違いだった。
だって、この心が熱く溶けて無くなっちゃうような感じは、生まれて初めてだもん……頭がヘンになりそう。
「ばいばい……」
あたしの口から、小さくお見送りの言葉が溢れる。
けどもうそれが聞こえないくらい、彼は遠くを歩いていた。
暗くなった夕日の道で、あいつの丸まった背中がどんどん小さくなっていく――
やばい、どうしよう……。
大好きだよって、今日も言えなかった。毎日、今日こそは言おうと決心するけど……いつになったら言えるようになるの?
もう月曜日まで会えないよ……胸が苦しい、寂しいよ…………。
――と。
純は頭だけでこっちに振り返りながら、恥ずかしそうに手を振ってくれた。
遠くからでも、“心配するな、すぐ会えるから”って。あいつが言いたいこと、全部分かるような気がした。
あたしの想いがまた通じた。あいつの想いも通じてくる。
やだ……こんなの、嬉しすぎて泣きそう。マジで通じ合い過ぎ……。
愛溢れてくるよ……。
けど神様、あたしたち二人にだけ赤い糸使い過ぎじゃん? 前世とかも含めてさ、ぐるぐる巻きにし過ぎだよ。ちょっと糸の節約も覚えなよ。
でも、もしそうならお願い神様……今度こそ伝えて、あたしの想い。“だいすき”の四文字。これが届いてくれるなら、もう二度と恋なんて出来なくていいから――
純はすぐツンとした顔になって、また歩き始めた。
ばか……肝心の時だけ全然伝わってないじゃん。鈍感男。
でも、早く告らなきゃ他の女の子に取られちゃうよ? そう考えただけで気が気じゃないのに、やっぱり口では言えなかった。
じゃあ今すぐ走って、あのガリ勉カタブツ男に抱きついて――あたしのファーストキスを押し付けてやれば?
……やだやだ! 絶対嫌われるし、バカじゃん!
ほんとどうしちゃったんだろ……あたし。最初の頃は冗談で童貞とか言ってバカにしてたのに、辛いよ……。
重い切なさを引きずって家に戻ると、そのまま部屋のベッドに寝そべった。
枕に顔を押し付けて、世界で一番大好きな人の胸だと思ってみたりして、その温もりをぎゅっと抱きしめた。
ふと自分の髪をいじってみる。
毎日手入れを欠かしてない自慢の金髪なのに、今は全然自信がない。あいつに優しくなでて欲しかった。綺麗な髪だって、言って欲しかった。可愛いねって、耳元で囁いて欲しかった。
今まで、クラスで一番可愛いと思ってた。学年でも余裕で一番だと思ってた。
それなのに、あいつだけ……あいつだけ、全然ちやほやしてくれない。ムカつく。
――あたしみたいな女の子、タイプじゃないのかな?
――ただみんなに優しいからあたしにも優しい、それだけなの?
――もしかして、実はちょっと嫌われてる?
はぁ……これじゃ、童貞はあたしじゃん。
心配しすぎ。今日もあんなにイチャイチャできたのに。
それでも、もし純に拒絶されたらと思うと…………やっ、それ以上はだめよ、かれん。思っただけで死んじゃいそうになるから。
だめだめ、無理にでも笑ってやんなきゃ……!
あたしがしょんぼりしてる時の、純の顔を何度も見たじゃん?
そういう時はいつも、あいつ、悲しそうな顔してた。
そしてちょっと恥ずかしそうに、ただの気遣いかも知れないけど……優しくしてくれる。
愛しすぎて、そのまま抱き付きたかった。好き……。
でも、どうやったら“好き”だなんて言えるんだろう……?
いや――あの人たちは、どうして“好き”だなんて言えたのだろう……?
……。
…………。
『橘、君が好きだ。僕と付き合って欲しい』
素直に嬉しかった。
好きだなんて言われて心が動かない女の子はいないと思う。その時は胸がムズムズして、一日中そのことばかり考えたりした。
『は、はい……』
それはちょうど一年前、相手は爽やかでかっこいい二年の先輩だった。
テニス部のエースで、いつでもみんなの憧れだったから――
『お似合いだよ、橘さん可愛いし』
……あたしって、可愛いんだ…………。
昔から女の子も、男の子も、みんながそう言ってくれた。
一度も言われない日は多分なかった。おかげで自信がついて、明るくなれた。友達もたくさんいるのもそのお陰だと思う。周りにも、毎日たくさんの人が集まってくれる。
『お似合いお似合い! ほんと、美男美女だよねー』
ふーん、可愛い子はかっこいい人と付き合うものなんだ……。
なら、やっぱり良いカップルなのかな……?
なんか、みんなに認められてる気がして嬉しかった。あの先輩と付き合ってるあたし、みたいな。
なのに……
『いいじゃん、キスくらい。もう一ヶ月も付き合ったのにさ』
『や……。やめて、下さい…………!』
その目は、ギラギラとくすんでいた。
一目でこの人は違うと気付く。それから二度と、彼と口も聞けなかった。嫌いになったってよりも、すぐに逃げなきゃ大事なものが無くなると思ったから。
でも、あたしはどうやって好きになればいいの……?
『ずっと気になってました』
『一目で好きになりました』
『橘さん、付き合って下さい』
かっこいいとかかっこ悪いとか関係なく、みんな同じだった。
好き好き言われ過ぎて、好きってなんだか分からなくなった。
キスどころか手を繋がれようとしただけで……自分がその人を本当はどう思ってるのか、まったく分からなくなった。ついに可愛いと言われて喜んで良いのかも、分からなくなった。
あたしって、可愛いだけなの……?
あたしのこと、ほんとに見てくれてる……?
結局、一月も続いた人は誰もいなかった。
それでいつからか、告白は全部断るようになった。
こんなの恋じゃない……よね?
褒められすぎて、みんなに本当はどう思われてるのか、あたしがみんなをどう思ってるのか……ちょっとだけこんがらがった。恋愛なんて疲れるだけよ。友達とワイワイしてるだけで十分。
そんな時だった、あの男の子と出会ったのは。
その人は最初、必死な目をしていた。とても焦っていた。
学校と駅の間の通学路――同じ学年のネクタイだったけど、見たのはそれが初めてだった。
『おい、あんた……あんたでいい……! 携帯、持ってるか……?』
何があったのかと思えば、その人の腕の中にはぐったりとした猫が抱えられていた。腕から血が流れている。車にでも轢かれたのだろうか?
大体のことは一目で分かったので、あたしはすぐにスマホを突き出したけど、
『おい、早くしろ!』
『ご、ごめんなさい……!』
その人は力をこめてそれを引っ掴んだ。
明らかに焦っていて、真剣な目で、鼻息も荒かった。それでもスマホの向こうに語りかける口調は冷静で、何だかすごい人だと思った。
『頼む……もうちょっと、頑張れよ…………』
そして……澄んだ目をしてた。
別にその時はただ、普通にいい人で大人っぽいとしか思わなかったけど……。
何かが変わったのはその後だった。
その男の子、一条純と同じクラスになったのだ。
話しかけようと思った。この前のこととか、色々聞きたかったし。
でもあいつは――ずっと一人だった。
一人で、勉強ばかりしてた。聞けば学年でもガリ勉で有名だったらしいけど、知らなかった。とにかく、すごく話しかけづらかったのを覚えてる。
実際、誰も話しかけなかった。気にもされてなかったみたい。
それなのに、あたしだけその人のことが無性に気になって……どうしてだろう? 普通にいい人だったのに、どうして一人でいるんだろうと思った。
いつも真剣な目で、真面目そうで、肩に力が入ってて……そんな様子から目が離せなかった。
あの人、どんな声だったっけ? どんなことを話すんだろう? 趣味とかは?
ちょうど勉強にも困ってたし……じゃあ、あいつに頼ってみればいいじゃん?
そんなわけで、夕日が差し込む図書室…………だった。
初めて話しかけた時、すごく困ったような顔で、
『な、何だよ……?』
嫌そうな顔をしながら、それでも優しくて、真剣に教えてくれて……そんな男の子を見てると、心がくすぐったくなった。
からかうと面倒くさそうに顔を歪めて、なのに全然怒らないし。彼がいざ疲れてそうにしてると、こっちも構ってあげたくなって……癒やされた分だけ、癒やしてあげたかった。
それが癖になって、自然と毎日通い詰めることになった。
『にししっ……童貞、また勉強おせーて♪』
『うっせービッチ、今日は手短にしろよな』
『やったっ!』
最初からそうだったわけじゃないし、いつからそうだったは今では思い出せないけど。
図書室であいつと二人っきりになると、胸がいっぱいになる。
悩みとか、全部まるっと吹っ飛んじゃうの。
家に帰ってニヤニヤ出来るような思い出が、たくさんできた。
純の恥ずかしがった顔を思い浮かべるだけで、胸がきゅんきゅんしちゃう。
恥ずかしがり屋で、面倒見が良くて、真剣な目をした男の子。
疑り深いけど、慣れればデレデレな、オス猫みたいな男の子。
多分……これが本物の恋なんだよ。
胸を張れる気がした。
あたしが好きになった人は、こういう人なんだって。もっとかっこいい人なら他に居て、多分頭のいい人も他に居て、同じくらい優しい人もいる。
それでもこの人は……上手く言えないけど、全てが特別だった。
甘え過ぎて、嫌われてない……よね?
ちょっとしつこい……かな?
不安は今も止まないけど。
それでも月曜日にまた会えれば、きっとまた穏やかな気持ちになれる。ニヤニヤも止められないと思う。またたくさん、仲良くしたいよ……。
あいつの側にいれば分かる、ここが居るべき場所なんだって。
……愛してる。付き合いたい。結婚……して欲しい。
あの時、キスを明け渡さなくて本当に良かった。まっさらな心と体で、本当に好きな人にぶつかれるから。
あ、あと! 可愛いって言わせたい!
告白とかキスとか……あたしが純の好みじゃなくても、それでも絶対惚れさせてやるし。
マジで……負けない…………。
あたしは気を持ち直して机に向かった。
そのためにまずは、あいつとのテストの賭けに勝たなきゃいけない。
もし勝てば……考えるだけで楽しくなるようなことを、あたしはこっそりと考えていた。
とりあえず高二一学期編ということで、第一章はここで終わりとなります。
読者の方の暖かい声援に恵まれ、ここまで書くことが出来ました。感謝の気持ちでいっぱいです! ありがとうございました!
これから夏休み編に入る予定ですが、プロットなども作るので何日か時間を下さいませm(_ _)m
おそらく、次話投稿まで一週間はかからないと思います。
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