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第三十一話 二人

 それからというもの、広くしんとした居間に二人だけで残された。

 ()()()()になった。


 また橘が元気そうにしている所を近くで見られる。そう考えただけで、ただ理由もなく心が軽くなった。身体が背中から宙に浮きそうな、そんな感覚に近い。

 同時にそんなことを考えている自分が恥ずかし過ぎて、目の前の少女と目もまともに合わせられないのだった。


「えへへ……分かってくれて、ありがと」

「別に今更っつーか……。じゃあ、片付けんぞ」

「うん……」


 俺は……俺たちは、どうしてだろう? なぜだか気持ち急いでいた。

 早く片付けなんてつまらないことを終わらせて、二人で話したかった。

 みんなでワイワイやった直後だから余計にそう感じるのだろうか。


 でもそれを言うなら毎日二人で会ってばかりで、今日は特段話したいことなんて何もないはずなのに……やっぱりおかしいよ、最近。


 話そう話そうなんて思う時ほど、ロクなことにならない。

 話題はどうしよう、とか。話すことがあってもキョドったり、とか。変なこと言って嫌われないだろうか、とか。そんな心配ばかりが頭の中でとぐろを巻いてしまう。普段なら話そうとすら思わずに黙っているだけなのに。


 ――と、ふと遠くでカードを拾い集めていた橘と目が合う。


 何も言わずとも、橘は優しげに微笑んできた。

 たったそれだけで心臓がほとんど止まりかける。


 今日の彼女は、部屋着なのかジーンズにシャツとかなりカジュアルな出で立ちだ。

 それでもスタイルが良いからか、はたまた着こなし方が良いからなのか、自分が恥ずかしくなるほど大人っぽく見える。


 こいつ今日も……やっぱ可愛いな…………。


 ――気づけば顔が熱くなり、俺はとっさに下を向いた。

 近頃は言葉や目線だけで俺を悩ませていたあの女は、今度は雰囲気だけで殺しにかかってきているので窒息しそうだ。


 いかんいかん……精神を落ち着かせねば気取られる。

 よし見てろ、これならどうだ……。


 ここは長き修行で会得した上級職ガリ勉の超上級スキル、《今日の晩ごはんのことでも考える》を発動させる時だ。

 担任の先生に怒られてる時とか超有効だから、良い子のみんなは真似してくれよな!


 ほら、まだ家にはスパム缶詰がたんまりあったはずだ。じゃあ今日のメインディッシュは『スパム、スパム、スパム、納豆、スパム、スパム』なんてどうだろう。あ、でも納豆切らしてるわ。じゃあその代わりにスパム添えで……ってアホか!


 はぁ……。こんなんじゃ話しても醜態を晒すだけだな。我ながら情けないったらない。


 なので深いことは考えず、作業を続けた。

 そんなこんなですっかり辺りを片付けると、ソファーにどさっと腰を落とす。

 勝手な独り相撲で勝手に疲れた俺は、がっくりと肩を落としてしまった。


 クラスのいざこざも片付けたし、後はテストだけだ。


 今日は大人しく帰ろっかな…………と思った所で。


 右からでも左からでもなく、背後からの奇襲だった。


「やぁー!」


 長い金髪が目の前をひゅんと翻り――橘が真後ろからソファーに跳びかかって寝っ転がると、俺の膝に顔を(うず)めてきたのだ。あまりに突然だったので俺はビクついた。

 彼女はくるりと仰向けに寝返って、俺と目を合わせてくる。


「な、何してんの……?」

「ガリ勉に膝枕されてるの……♪ キミは何してんの?」


 ニコりと歯を見せる橘。

 さらさらとした金髪が腕にあたってきて、くすぐったかった。


「……別に、俺は…………」

「あ、すぐに答えられなかったから罰ゲームだかんね!」


 そう言うとこいつは俺の顔まで片手を伸ばして、頬をくいっとつねってきた。

 なにこの何してんのゲーム。すげえ恥ずかしい……。


「うぅ、はなしぇ……。つーか、どきぇよ!」

「やーだ……。なんか、どいたら帰っちゃいそうな雰囲気だったし……」

「最初からそんなに急いでないっての……」


 彼女は表情を和らげると手を離してくれた。まるでここなら安全だと言わんばかりに、俺の膝の上にぐったりと身体を預けている。全身がだらりとしていた。

 温もりが直に伝わってきて、横でも向きたかったのだが、


“やだ、逸らさないで。ずっと見つめてて……”――彼女の目はとろんとしていた。


 異様な雰囲気だった。

 静かな空間の中で、ぽつりと二人っきり。緊張して、でも心がそわそわして……。


 思えば、こいつといると話題のことなんて考える必要はなかった。

 やり取り自体に中身や目的がなくても、今までもきっと俺たちは、ただ一緒にいるだけで何かを伝えあっていたからだ。甘くてもどかしい何かを。


「ちょっと話したい。今日はパパもママも居ないし、もう少し居て……?」

「う……だが晩飯時までだ。携帯ないし、家にも連絡できんしなっ!」


 うん、と膝の上でしょんぼりと頷く橘。

 緊張と安心が入り混じった空気感の中で、彼女は囁くような声で話し始める。


「キミ、優しかったね……。昨日のこと」

「やめろ。あれはそんなんじゃない……」

「ずっと怒ってたあたしがバカみたい……。えへへ、みんなに優しいツンデレさん。そういうとこ、ちょー好き。好き過ぎ」


 好き――これで流石に目を合わせていられなくなった。そんなに深い意味じゃないはずなのに、この二文字は今の俺には刺激が強過ぎる。

 心は迷走に迷走を極め、おバカな逃げ道はもう使えそうになかった。

 なのだが……とっさにそっぽを向こうとすると、顎をガッと掴まれる。橘の白く柔らかい指が肌に食い込んできた。


「や……あっち向いちゃだめ…………優しくして」

「ご、ごめん……」

「キミのこと、もっと知りたい。あたしのことも、知って欲しい。こんなに仲良いのにお互いのこと全然知らないとか、ないわ……」


 それからした話は……見ようによってはしょうもない話だった。


 俺は叔母と妹との三人暮らしであること。両親はワケありで今は連絡すら取れないこと。妹が引きこもっていること。それでも何だかんだで、三人して気楽にやっていること。特別でもなんでもないこと。


 とまあ他愛もない話だったのだが、それを聞いている橘の顔は印象的だった。

 ほっこりと、嬉しそうに、安心し切った笑顔で時々頷いたりした。

 彼女は俺の妹に会いたがった。賭けてもいいが合わないぞと言ったのだけれど、絶対仲良くなれると言って聞かなかった。


「ほら……俺のは大体言ったぞ。お前のも聞かせろよなっ」

「えへへ……♪」


 そりゃあ、家から察しがついたが……。

 こいつの両親はとんでもない仕事人間らしいよ。父親は上場企業の重役。母親はファッションブランドを立ち上げたデザイナーで、ここ半年はミラノに滞在中。今はほとんどお手伝いさんと二人暮らしだとか。


 寂しいけど、その分だけ友達に頼った――と。


「彼氏もいたことあるけどさ……その…………そんなに仲良くしてないよ? お願い、信じて。色んなウワサ、流れてるらしいけど。むしろキミとの方がずっと仲良いくらいっていうか……」


 せがむような目で、胸のあたりを引っ張ってくる橘。


 お前、どうして今その情報を今出した……?

 別に疑ったりしてないし……でも…………俺の方が仲良い、だと?


 それって、彼氏より親しいガリ勉ってことはつまり…………彼氏より親しいガリ勉ってことじゃねーか。もう意味分かんねーよ。


「き、聞いてねーんだよそんな事。なんでわざわざ報告すんだっての」

「だって、知っといて欲しいと思ってさ……」

「俺には管轄外だっ。まして過去のことなんて」

「でもキミは、ちょっと相性良すぎじゃん……? 一緒にいるだけで仲良くなれそうっていうか、ほんとに……」


 楽しいよ。橘は最後にそう付け加えた。

 胸が暖かい気持ちでいっぱいになった。お互いのことをずっと知らなかったけど、今日のこの短いやり取りですら遥かに親密になったような、嬉しすぎるような……。


 こいつの昔の男? 知るかよ。

 俺と橘の関係? 今はどうでもいい。

 今は……彼女は、俺の近くで満足そうにしている。それで十分な気がした。これからも一緒にいられるなら、どんなことで悩んでもいい気がした。今日も昨日と同じように会えたこと自体が、底なしに幸せだった。


 そして、こいつと一緒にいて自分が変わってしまうなら構わないとすら思えた。実際、もう既に結構なくらい変えられたと思う。

 橘のためなら変わってもいい……そんな感情、何って名付ければいいのだろう?


 その後、俺たちはお互いに微笑み合った。

 いつもの、あの家の前での別れ際までの間は、何も言葉を交わさずにいたものだ。

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