第三十話 ウノ大会
それでその一夜漬け大会とやらが、ちゃんとした勉強会だったかって?
毎日、橘と放課後でやっているみたいに?
冗談じゃない。こいつらにテスト前くらいは頑張ろうという気概は微塵もなかった。
橘邸の広く小奇麗な居間には二十人以上が集まり、それはもうカオスだった。
土曜日の午後はピザを頼んでのホームパーティと化したのだが、趣味のバラバラなクラスの面々がいざ集まって何しようかとなると、できることと言えば……。
「……ん、ドロー4」
「ああああっ!」
部屋ではウノ大会がおっ始まっていた。
というかこの家デカっ!
リビングの天井は高く、南側は一面ガラス張りとかなりモダンな作りだ。もしかすると骨川家、風間家、はたまたマルフォイ家とすらいい勝負なのではなかろうか。
ちなみに今やっているのはウノ大会予選で、俺たちは部屋中にグループで分かれて細かく散らばっている。どうもこれは橘とその一味が事前に企画していたらしく、ということは元々勉強する気は無かったということなのだろう。早く家に帰って勉強したいフォイ……。
「やっぱ一条……まだ恨んでんだろ、色々」
そしてその中村は、俺にドロー4を喰らって、悔しそうに口を尖らせていた。
しかし……こいつも教室ではもっとデカイ声で喋っていたものだが、まだ後ろめたいのかちとしょんぼり気味だ。俺はそれが気に入らなかった。別に仲良くなりたいわけじゃないが、面倒な感情はこの際きっぱり切ってもらいたいものである。
と、他のグループがどっと笑い声をあげた。部屋は随分と賑やかだった。
俺はその喧騒に紛れて、冗談っぽく答える。
「さあな。例え恨んでるにしても、ウノ一回分くらいだ」
「ははっ、何だよそれ。意味分かんねーし」
「つまり、今のドロー4でチャラってことだ」
中村はそれを聞いて、控えめに口を緩める。
それで昨日のやり取りを見ていた近くのクラスメート達も、安心したように笑みを作ったのだった。
しかし問題は、俺たちの予選グループには男しかいなかったことだろう。
今のやり取りで辺りの雰囲気が多少和んだところで、話題は変な方向に行ったのだ。
「お前らってさ……誰、狙ってんの?」
近くに居た男子の一人が突然そう言った。
彼は女子陣の方を見て、何やらニヤリとしている。品定めでも始めようと言うのだろうか。
うへぇ……。
ありがちなんだろうが、この手の話題は専門外だ。俺のぼっちハートがそう叫びたがっている。
ぼっちであるか怪しくなった今でも、中身はそうそう変わらん。見れば、隣の小松氏も苦笑いしているではないか。友達すら期待していないような奴が、狙うも何もないっての。
だが、血の結束で固まった童貞ブラザーズは意気揚々と話し始めた。
まるで今日ここに来たのは女子にお近づきになるためだとでも言うように。
「俺、実はさ……分かってる問題なのに、わざと委員長に聞きに行ったことあるわ。優しく教えてくれる感じがたまんねぇわー」
「氷堂さんとかも美人よなー。アンニュイでお洒落な感じっていうかさ」
「つーかこのクラス、なにげに女子のレベル高くね!? 他にも……」
女子の名前を次々に挙げ始める童貞B。
よく口に出して恥ずかしくならんなこいつら。
「何と言ってもさ……橘さんとか」
その名前が出ると、俺の身体はひとりでに固まる。
同時に、遠くにいた橘としっかり目が合って……こちらに小さく手を振って、いつもの明るい笑顔を見せてきた。心臓が飛び出そうなほどバクバク言う。自分が喋っているわけじゃないのに、聞かれていやしないかと心配になる。
「えー、でもあの子は絶対彼氏いるって。ちょっと美人過ぎ」
「てかこの家デカっ! あんな派手な見た目でお嬢様とか……? 今、親とか居ないのかな?」
「男の噂しか聞かないけど……経験人数とかヤバそう」
ドキッとした。本当はどうなんだろうか、と。
あんな純粋な奴が? それとも、純粋だからこそ……?
でも、そんなのあいつの自由だ。俺が気にするべきことじゃないのに。どうしても気にしている自分に気づくと、何だか少し悔しかった。あいつが話題に挙がったことで尚更意識した。顔を上げれば、きっとまた橘と目が合ってしまう。
「で、一条はさ。誰がタイプよ?」
う……この質問だって専門外だ。
自分を好きになる異性なんて万に一つもいるはずないと日頃から思っているような奴が、考えることはまずない問題だ。最初から諦めていた。それが長かったから、そもそも最初から望んでいたのかすら自分の中で怪しくなっていた。
彼女……か。今でも変わり過ぎたくらいなのに、そんなのができたらこれからどうなるのだろう。
でも、タイプ? そんなの、好きになればそれがタイプとしか言えんよ。
好きな女。長くて明るい金髪、花のようないい匂い……。
「あ、今誰か思い浮かべてるー!」
「う、うっせーし! そんなもんいねーよ、ばーか!」
金髪女の、あのニンマリ顔が脳裏から離れなかった。
好きなんかじゃない、ただ最近はよく一緒にいるってだけで…………本当だ。
そう言えば、今日はまだそんなに話してない。今日はまだ……はぁ。
「ま、一条は昨日いいトコ見せたしな。女子もそのうち近づいてくんじゃねーの」
「うっさい、ちょっと黙れっての……」
と、そんな他愛もないどーでもいい話を続けていた。
ここ最近は不思議な気持ちになることが多いが、今もまさにそうだ。
まるでクラスに入れてもらえた、みたいな。まるで修学旅行の夜にでもやりそうな会話じゃないか。柄にもないが、受け入れてもらえたのは素直に嬉しかった。
まあ、昨日のやり取りの意味を知っているのは男子だけなんだがな。
女子陣は俺と中村との間で何があったかなんて知らんはずだし……あいつ以外は。
――と。
そうやって安心し切っているといっつも奇襲がある。よりによって中村の野郎が折角許してやったのに裏切りおったのだ。
彼はニヤリとしていた。“かかったな、ポッター”とでも言いたげに。
「一条ってさ。この前、街で橘さんと一緒だったよな……」
~~っ! お前!!
その後ずっと詰問されたのは言うまでもない。
けど、本当に柄にもなかった。学校では一言も発さず家に帰る日々が続いていたのに今は……まるで違っていた。橘と出会ってからだろうか、何かが変わり始めている気がした。
地面に落ちた雨粒が、日差しで乾いていく匂い……そういう感じで。
そして、あれは遠足の用事で仕方なかったのだと納得してもらえるまでには帰る時間になっていたものだ。
一夜漬けどころか、夕方になればお開きムードになった。
部屋はワルプルギスの夜がやって来たどっかの街のように酷く散乱していた。みんなで片付けようという流れになりかけたのだが、橘は別に構わないと言う。
なのだが……ではもう帰ろうと踵を返すと、後ろから袖が引っ張られる。
その感触に、俺はすっかり慣れていた。どういうわけだか安心すら覚えた。振り返れば、金髪女が嬉しそうに微笑んでいる。
“ねぇ、片付け手伝ってよ?”
“構わんが、みんなにも手伝ってもらおうぜ。ゴミが多い”
“いいの、キミだけ残って。お願い……”
そんな心配そうな顔をされれば断れるわけがなかった。
こっちも、つい表情がほころんでしまいそうだった。もう少しで顔に出そうだ。“大丈夫、心配ない”って。しかも俺も俺で……今日もこいつと話せるんだと分かって、胸がホッとした。
でも、どうしてこんな気持ちに……?
「橘、トイレ借りていいか? お前らは先に帰ってろ」
俺は考える前に、帰りかけのクラスメート達にそう声を掛けた。




