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第二十九話 許し

 そして勿論、放課後の話題はそれだった。


 図書室に入るや、やはり彼女は窓際の日が当たる机に行儀悪く座っていた。

 しかし普段と違うのは、俺と目が合えばいつも歯を見せてニッとするのだが、今日はそれがなかったことだろう。


 恐る恐る慎重そうに、上目遣いで聞いてきたものだ。


「あいつ、また何かしたの? それとも、あたしが何かしたせい……?」

「心当たりとか、あんのかよ?」

「全然ない、けどさ……」


“ムカつく”――こいつは俺の前で、何度も中村についてそう言っていた。


 何かしたか? 知る限りでは……ふむ、確かにこいつが俺をクラスに引きずり込まなければ、こうはならなかったのかも知れない。おそらく俺は今でも教室の端っこで一人、つまらん誹りを受けながら勉強していただろう。俺が多少なりともクラスで立ち位置を得てしまったがために、


 だがそれだって、橘が悪いことをしたというわけでもあるまい。

 俺はそのせいで少し疲れたがな、うん。


 まあ隠しても仕方ない。俺は昨日あったことを話した。

 中村が性懲りもなく笑ってきたこと、それで何人かのクラスメートが俺に味方するなどと言ってきたことも。


「……フクザツ…………」


 その言葉通りというか、彼女は悲しそうにしょんぼりうつむいていた。


 ほんと似合わねえな、そういう顔……。

 放課後のこの時間、こんなムードになるのは初めてだ。


「橘は悪くねーだろ、何でそんなに後ろめたそうなんだ?」

「だってさっ。こんな事になってるのに、それでもまだあいつがムカつくっていうか。これっておかしいこと、かな……?」


 橘は言葉で言い切れない事がある時、こうして制服の腕の部分を引っ掴んでくる。

 今日はかなり強めだ。それだけで言いたいことが分かる気がした。


“未だにキミが嫌われてるとか、ほんとないわ……”

“どうしてお前は、そこまで気にするんだ?”

“はぁ? キミは大事な人だし、嫌に決まってるし”


 それで俺は…………もし仮に、橘が例えばクラスでイジメなんぞを受けていたらと想像してみた。まあこの女に限ってはクソも想像がつかんのだが、そこは無理やりだ。


 自分でも不思議だった。普段はまず感じないような嫌な感情が、煮立ったマグマのように腹の深くから湧き上がってきたからだ。

 起こってもいないことで怒るなんて、どうかしてるっての。


「まあ、おかしくはねーよ……多分」

「でしょ? 今日のはやり過ぎだったけど、ちょっとジゴージトクじゃん。でもやっぱりやり過ぎだし気分悪いっていうか……だからさ、フクザツなの。あたし、どうなって欲しいんだろ」


 彼女はまたしゅんとした顔を見せると、やるせなさそうに袖を掴む手を緩めた。

 こいつは本当に純粋というか……思っていることが大体分かるというのも、きっとそういう所なんだろう。いつもなら見ていると微笑ましくなるのだが、複雑なのは俺だって一緒だ。


 もし橘が中村のことを許してやることができれば、またニタニタ笑ってくれるだろうか?

 クラスの奴らだってそうだ。これ以上、俺の為にしていることでこっちが気分を悪くするのはご免こうむる。


 周りには平和でいて欲しい。俺のことなんて気にせずに、穏やかでいたいものだ。


 しっかし、ジゴージトクか。まるでこっ酷い雷でも落ちてきそうな字面だな。

 まあ……物事がジゴージトクゆえに、俺にはちょっとしたアイディアがあった。

 しかしそのためには、俺の方から歩み寄ってやる必要があって……。


 はぁ、しゃーねーな。

 向き合うってのは多分、そういうことなんだろう。


「よし分かった。でも自業自得なら、尚更あいつを許してやれ」

「はぁ? ちょっと意味わかんないんですけど……」

「俺だってクソみたいな所はあったが、橘は許してくれた。そうじゃないか?」


 ここで橘が優しげに微笑んだので、何だか安心した。


「初めてのデートにジャージで来たりとか……ね」

「曲がりなりにも橘が友達であることを疑ったりとか、な」

「で、でもっ。それとこれとは別っていうかさ……純はすぐ謝ってくれたし」

「じゃあ、あいつが俺に謝ればいいんだな。あと純はやめろ」

「えへへ…………純」


 悔しかったらかれんと呼べってか。

 お前はもう小悪魔じゃない、世の中のぼっち野郎共に精神的異常を引き起こす一人前の悪魔だ。ほんとにそれ、脊髄に来るからやめて欲しい。言ってる奴が橘だっていうので効果が抜群過ぎる。


 ――『キミはさ……あたしがどうすると、幸せになるの?』


 橘のむすっとした顔が小さな笑みに変わるだけで、こんなに胸がいっぱいになる。幸せ……になる。マジでどうかしてるって、こんなの。頭が熱くて、変になるんだ。


 だが、これで決まりだな。ケジメだ、俺なりには。


 さて……果たして、次の昼休みも中村は一人だった。

 元は俺の席だった神立地なあの場所で、寝ているのか起きているのか机に突っ伏していやがった。


 ふむ。教室には実に四十人近くもいる。


 つまり誰もが例外なくクソみたいな部分を持っている。

 とはいえ、それが発露する度にあんな扱いを受けなければいけないなら、ここにいる全員にとってどれだけ酷い学校生活になるだろうか。

 もしああいうやり方が自業自得なら、てめーでボロを出した時に許してもらえないのも自業自得だ。でも、許さないということまでお互い平等に交換しあうだなんてどんな青春ディストピアだっての。


 なので、これは哀れみでもなければ優しさでもない。

 そんな息苦しい教室が単に嫌なだけだ。

 別に橘のためでもなければ、まして中村のためでもない。


 だから俺はクラスの奴ら見ている前で立ち上がり、孤島のように切り離された中村の席までそろりと歩いていった。深呼吸だ。緊張するほどのことじゃないだろ、こんなの。


 ――はん。俺がこいつを許すんだから、お前らも許してやれよな。

 

「おい」


 俺はそう言うと、丸めたノートで中村の背中を後ろから軽く小突く。


 中村は……中村(なかむら)蓮斗(れんと)という名の男子生徒は、細長い目で、流行りっぽい黒縁メガネをかけていた。そりゃあ顔は既に知っていたけど……こんな事を少しでも気にしたのはこれが初めてだった。

 そして、まだ俺にとってクラスとはそんなものだった。

 それが変われば、今よりは楽しくなるのだろうか?


「は……な、何だよ…………?」

「よう」


 奴は半身でこちらを向きながら怯えた顔をしていた。目元が震えてすらいた。だがそんなこと知るか。こっちの勝手な事情で、お前には今日付けでクラスに生還してもらおう。


 思えば…………橘と最初に話した時も同じくらい脈絡なんて無かったものだ。それを思い出すとおかしくて、少し頬が緩んだ。


 一条が中村に話しかけた――教室はにわかに静かになったが、俺は気にせず続ける。


「教科書、出せよ」

「は……? 何だよ、突然。意味分かんねーし」

「良いから、出せ。昨日お前がマズった、あの問題。あんな下らないことで笑われる方が意味分かんねーだろ。何とかすんぞ、これから」


 彼は辺りをキョロキョロした後に、疑るように目を細める。


「どういうつもりだよ……?」

「べっつに。言わなくても、大体分かってんだろ」


 これは中村にとってはチャンスだ。分かっているだろう。

 別に今すぐ謝れというのではない。ことさら和解しようというのでもない。

 元々がそんな深刻な問題じゃなかった、それをクラスに示してやればいいだけの話だ。


「何か暇そうだったから、さ。嫌なら帰るが……?」


 少しの間、沈黙が流れた。

 彼は何か困っているように目を泳がせ、言いづらそうに口を尖らせる。


 だが一人を嫌悪して、一人でいるというだけで軽蔑するような奴だ。

 中村に選択の余地はなかった。ひょっとすると意地になって来るかと思ったが、その辺は俺とはやはり違う人間のようだ。


「その、一条…………なんか悪かった」

「はぁ? 教科書出せって言ったんだが。いきなり謝られてもな」

「お、おう……」


 まあ、それだけだ。

 けどその日以降、こいつの席には元の友人二人が戻ってくるようになった。お互い変に突っかかることもなくなった。


 そうなのだが……その日の俺は面倒事が上手く収まって機嫌が良かったのか、こんな事を口走ってしまった。


「中村、お前……明日の一夜漬け大会に来いよ。こんなんじゃ落第すんぞ」

「は、はあ!?」

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