第二十八話 スクールカースト④
しかしそういう馬鹿みたいなやり取りがあったからか、はたまた単に頭を打った影響なのか――俺はと言えば、何か大事なことを見落としていた。
橘と隣になってからというもの、気が休まることがない。
金髪女との関係もそうだが、それだけじゃない。クラスのこともそうだ。
それにしてもここ数日は、色んな奴と話していた気がする。試験の前の週になってやっと教科書を見始めたような奴らが、この教室には多すぎる。んで何がビックリかって、本当に初歩的な部分から教えなきゃいけなかったことだ。こんなんじゃ今から教えた所で赤点を回避できるのかってレベルだが、それを口に出して言えば諦めるだけだろう。
そして、こやつらスーパー落第ブラザーズには一つ特徴があった。
それは、勉強の話をしているのにちょいちょい話がそれるということだ。
「へー、一条君ってワンオケとか聴くんだ。今度カラオケとか呼んでいい?」
「え、あ……うん」
色んな奴らがいた。
忙しい運動部、暗そうな文化部、ゲーセン通いが日課になっているようなユルい帰宅部とかも。派手な奴、地味な奴、遠慮がちな奴、逆にズケズケした奴も。無論そいつら全員とってわけではないが、結構な人数と知り合いになった気がする。十人ちょっとくらい。
「デュフフ……一条氏もアニメ見てるでござるか。今度コミケとかいこうず」
「えぇ……。あっついのやだよ……」
色んな奴がい過ぎた。
なのでクラスメートの名前を覚えるのには努力が必要だった。家に帰る毎に、名簿を確認しながらその日話した顔を思い浮かべなきゃ忘れてしまうほどだ。まあ今みたいに時代錯誤プラス場違いな口調を叩きつけられれば忘れるなという方が無理だがな、うん。
つーかお前ら、今度今度と言い過ぎだっての。
待っていてお誘いが来た試しないから、そういう挨拶なんだと思ってまうわ。
ただ遊びに行くかなど関係なく、昼休みに一人にならないってだけで異常事態だったのだが。
テスト前とはいえ、俺の席の近辺は左隣の天授院さんの分もあってか非常に賑わった。この学校、やたら赤点には厳しいらしいからな。こいつらもここまで寸前で必死になるとは思わなかったけど。
これでぼっちを名乗ろうものなら本物のぼっちに怒られそうな気がするよ。テストが終わるまでの命だろうけどな、多分。
「一条さ、橘と一緒に白石ちゃんに怒られてたけど、何かあったの……?」
おじさん、君のような勘の良いガキは嫌いだよ。
というか、ほらー、いずれ尻尾掴まれるぞこれ。どういう経路で気取られるか分かったものじゃない。例えば反省文の文面を読まれれば大スキャンダルだろう。考えるだけで胃が痛いので徹底的に管理せねばなるまい。
とまあ、勉強を教えるどころか話が逸れまくりだった所で。
下らないことをたくさん話していたのだが、俺は突然のことで驚いた。
「一条さ……気にすることないからな、あんなやつのこと」
クラスメートの一人がそう言ったのだ。
何か俺を心配でもしているような、真剣な口ぶりだった。
でも……あんなやつ? 俺は聞き返したのだが、
「中村のことだよ! 昨日も馬鹿みたいにお前のこと笑いやがってさ。怪我したってのにあれはないだろ……。前も一条の悪口ばっかり言ってたし、何が気に入らないんだろうな」
正直、俺は忘れていた。
気にするなと言われても、最初から気にしていなかった。
「多分、みんなお前の味方だよ。世話になってるしさ」
「はぁ……そりゃどうも」
だから、こういう腑抜けた返事をしまうのも無理なかった。
だが確かに思い返してみれば、奴はあの時ゲラゲラ笑っていた。『ハッハッハッハッ……』って腹を抱えて、日頃の鬱憤が晴れたみたいに。
だがそもそも、どうして中村は昼休みに静かになった……?
俺にはそれが想像もつかなかった。そしてふと奴の方を見た時――俺はハッとした。
彼は自分の席で――かつては俺が使っていた窓側最前列のぼっち席で――独り机に突っ伏していたのだ。周りの席は全て空いていた。奴だけが教室の端っこに取り残されている感じがした。
いやいやお前、何人か友達いたろ。仲違いでもしたのか?
だが彼のサイドに立っていることが多かった二人は、窓側に集まった別のグループに加わっていた。ともかくも、奴は一人でいた。事情は何も知らんが。
そして俺は対照的に……もう一人ではいられなくなっていた。
幸か不幸か、少なくとも中村が小馬鹿にしていたような一人の状態ではない。
まあ席の位置やらテストやらの関係があってのことだが、ともかくこのせいで色んな奴と話す事になっていた。頼られて、恥ずかしいことに感謝までされて。
だがこいつらとどれほど仲が良いかは別にしても、軽んじられている感じは少しもしなかった。
まあ中村の方も、たまたま今日はそうだっただけだろう。
あいつも明日になれば普段通りに三人集まってゲームでもしているに違いない――と思った所で。俺は次に起こったことでハッとさせられた。
それは五限の数学の授業だった。
「……答えは1/4です」
奴は単純に解答を誤った。だがこの程度のミスはよくある。
俺もたまにやるし、普通ならさらっと流していたくらいのことだった。
しかし、だった。
クスクス――――と。
わざと手で抑えたような笑いが、徐々に教室中に広まった。誰が笑ったのかもよく分からない。しかし教室の前の方だったり横の方だったりから、嘲るような笑いが聞こえてきたのだ。
教師が「おい、笑うんじゃない!」と怒鳴るまで止まらなかったほどだ。
俺は心底困惑した。
一体全体何がどうしたっていうんだ。あまり気持ちの良いものではなかった。笑うべきことでもなければ、笑えるほど面白くもなかった。
もしかして、俺とのことがあってか?
仮にそうだとすれば、どういうわけか胃がよじれる感覚を覚えた。無論、俺が悪いとは思わないが……多少なりとも原因を作ったのは確かなわけで。俺のせいでクラスにヒビが生えているというのが何ともやりきれない、微妙な気分になる。
そして何より、こういう寄ってたかってというのも好きではなかった。
胸の中が嫌にむしゃくしゃした。
俺は――近頃は一人の女のことで腑抜け過ぎて、自分の足元が見えていなかったのだろう。また中途半端なことに、俺はその女ともクラスとも、少しも向き合えちゃいなかった。
しばらくすると笑いが収まる。
前の席の橘がこちらにちらりと振り向いて、心配そうに表情を曇らせながら、“何かあったの?”と目だけで聞いてきた。