第二十七話 スクールカースト③
肝が冷えるとはこのことだ。
俺と橘はバサッとベッドから立ち上がって、点呼を受けた新兵のようにその場で背中をピンとさせる。
「どういうことかね、これは……?」
長い黒髪の担任が低い声でそう言うと、室内の空気は凍りついた。
まだクラス替えから日も浅いし、この教師とまともに話すのはこれが初めてだった。しかしなんたる威圧感か。この人は背が高く目つきがやたら鋭いので、一目でぎゃふんと言ってしまいそうで恐ろしい。
それも保健室で恐ろしい鬼教師に怪しい現場を押さえられる男女――ヤバいシチュエーションではないか。俺は誓って何もしていないがな。ちょっと成り行きからベッドに並んで横になっていただけだ。
だが……それでは白石先生は納得しないだろう。
いっそパンチ一発で済ませてくれれば手っ取り早いのだが、このご時世そうもいかない。むしろもっと面倒な仕打ちが待ってそうで辛いものだ。
「はて……そもそも橘がここに、だと…………?」
――ごくりとつばを飲むと、静寂がちくりと肌に突き刺さってくる。
つーか目、怖ッ! 一体、何マン軍曹なんだ……!?
ハードにいびって来そうだな、うん。『口からクソを垂れる前と後にサーと言え!』とか、『貴様らは人間ではない、両生動物のクソをかき集めた程度の値打ちしかない!』とか。
チビりそうどころか、財布の中身が全部こぼれそうだ。
あ、でも今日の持ち合わせは千円もないから買収は出来ねーんだどうしよう。
あれっすか、臓器とかでいいっすか? 私の膵臓を食べてください。
……などと言えるはずもなく、背の高い女教師はよろりと歩み寄ってくる。
まずは入口から近い方に立っていた橘の前に立った。
金髪女は「いやあ……」と笑ってごまかそうとしているが、先生は冷たい鉄仮面フェイスを崩さないので雰囲気は重くなるばかりだ。
「随分と楽しそうだったな……?」
「えと……えっと…………一条君が頭打ったって聞いて、お見舞いに来たっていうか……」
「ふむ……」
うつむき加減に答える橘。
そだよな、そんでもってお前がダイブしてきたんだよな。俺は単にここで養生していただけなので、残念だが責任を一緒に持ってやることは出来ん。一人で破滅せい。
だが……ここで橘が発した一言で、先生はあらぬ方向に暴走した。
「それで……ちょっと遊んでました…………」
ちょっと遊んでたって何だよ全然伝わんねーよ。
というか『遊ぶ』という動詞自体ちと意味があやふやなので想像の余地が半端ない。本当は少しバカ話をしていただけなのだが、ちょっと良からぬ方向に考えられそうな言葉でもある。
実際、我らが白石先生も、
「何……!? 遊んでいた、だと…………?」
と、ぷるぷる震えながら顔を赤くしている。
「遊んでいたとはその……このようなっ、保健室という場で、二人っきりで何やら良からぬことをあんなことからこんなことまで…………」
……ん? これは様子がおかしいぞ……?
何か空気が変わった。さっきまで感じていた軍曹級の威厳がパッと吹き飛んだ気がする。
それにしてもこの教師、少し慌て過ぎじゃないのか?
遊んでいた、で何を想像したのかは知らんけどさ。というか何を想像した。
だが何にせよ、この人も大人の女性である。ちょっといかがわしいことを思い浮かべたにしては、あまりにも大げさな驚きように見えるのだが……。
ちょっと残念な臭いがするゾ。同類なので見破れる、俺は詳しいんだ。
「おい、一条ッ……!!」
「はいぃ!」
「事の次第を説明しろ!」
物凄い形相でこちらの目の前に立った恐怖の白石先生。
つーか近い、近いって! 鼻息も荒く、目がガン開きだ。
でも説明って……どうすればいいんだ? ちょっと恥ずかしいんだが……。
「えぇ……。ちょっと話してただけですが……」
「いいや、橘は遊んでいたと言っていた! 何か後ろめたい行為をこのような場所でしていたのではないのか! ただ話しているだけの状態を遊んでいたなどと言うはずがなかろう。話していたと言えばいい話だからな!」
「いやいやそんな! 事実無根です!」
「事実だと……? 事実を言えば、貴様らはそ、そそそっ……添い寝をしていただぞ!」
「まあ確かにそう見えたかも知れませんがそれは……」
「あわわっ! やはりあれは添い寝だったのか、何とも不埒な……!」
いつものクールな感じはどこ行った。先生は「保健室で添い寝……だと……」と声を漏らして、目をパチパチさせた。
橘は困った顔でへらへら笑っているだけで何の反論もしてくれない。いや確かに隣に寝ていたけどさ、物事には何でも文脈ってものがあるでしょうに……。
「ふ、ふふ、不純異性交遊だっ! これからも貴様らを見張っているからな……」
結局、先生は真っ赤な顔をしてドスドスと走って行ってしまった。
まるで真面目くさった感じの子供を怒らせてしまったようだ。何なんだ、うちの担任。ちょっとポンコツ感のあるやり取りだったな。少し変な一面を見てしまったぞ。
そして最後に、橘は恥ずかしげに後頭部を掻くと、
「いや~、まいっちまうよね……」
「うっせーわ!」
残念なことに処罰の反省文は俺にも降り掛かってきた。
その日のホームルームの後、来週はテストだというのにA4用紙を十枚も受け取ってしまった。必死に弁解しようとしたのだが言い分は書面でしっかり示せということらしい。白石先生の眼は血走っていた。
「いいか一条、あくまで無罪だと主張するのなら事の次第を克明に示せ。遊んでいたとはどのように遊んでいたのか、どのくらいの距離で何を話していたのか、私が来てなかったらどうなっていたのかもだ」
「先生……すごく鼻息荒いです」
「荒くなどないッ! これは重大だ、いいな!」
「はい……」
この人、大人の女性なのに童貞感が半端ない。結婚とかしてんのかな……。
俺は密やかにそう思ったのだったが、ともかくもそんなわけで放課後は反省文を書こうということになったのだ。
しかし橘は変わらずご機嫌だった。
お前のせいでお互いA4十枚なんだぞ、どうしてそう嬉しそうなんだ。俺はそう聞いたのだが、
「だってさ、意味分かんないじゃん(笑)。あたしら仲良すぎて怒られたのに、やっぱり反省文も二人で仲良く書いてんでしょ?」
「む、形の上ではそうなるかな……」
「それって怒られる度に仲良くなってるってことじゃん♪ だったらもっと怒られるようなこと、したくなるんですけど」
「やめろ……あれは流石にやり過ぎだ」
「やっ……あんなんでやり過ぎとか言わないで…………。困るから」
何に困るんだ、まだエスカレートさせる気か。あんなんでも頭がフットーしそうだったからね俺。
つーか、そんなんだから目つけられるんだ。
今まで教師に対してだけは優等生っぽく振る舞って平和にやって来たのに、どうしてくれるっていうんだ。




