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第二十四話 ステージ2

 最近の天気は珍しく俺に優しい。


 窓の向こうから家の中まで響いてくる雨のノイズ音が、ここ数日間は曇りだらけの俺の心を慰めてくれる気がしたのだ。まあ時期的に梅雨だし、そりゃ当然のように雨か曇りなんだけどさ。もしこれが季節外れの快晴であったならば、天気にすら悪態をついていたに違いない。


 近頃は色んなことが一度にありすぎた。

 ()()()のことも、そうでないことも。

 そのせいで胸の中が甘く悩ましく、ただ混沌としている。

 こんなんだから、帰宅した後も何をして良いものかさっぱりだ。


 いやお前は勉強してろよって話だろうが、どうにもやる気が起きない。この状態から復帰してノートを開こうと思う頃には寝る時間だったりするから、ガリ勉的にはアイデンティティー崩壊レベルで危ないのである。


 さりとてテストもあるし、どうにか机に向かわねば――と。

 いいこと思いついたゾ。よし、これならどうだろうか……。


 頑張れ頑張れできるできる絶対できる頑張れもっとやれるって、やれる気持ちの問題だ頑張れ頑張れそこだ! そこで諦めるな絶対に頑張れ積極的にポジティブに頑張れ頑張れ――


 はぁ……。止めだ止めだ、効果なし。

 こんなんじゃウィンブルドンでベスト8は無理そうだ。


 ――ここ数日は帰りが随分と遅くなった。

 単にクラスメートと仲良くなって、遅くまで遊んでいる――家族にはそう説明しているが、これじゃ真実の三割くらいしか言えてないんじゃないかと思う。


 真実では。

 ぐったり疲れて帰るハメになると知っているのに、性懲りもなく()()()に付き合っている。晩飯まで共にし、ほとんど中身のない会話をいつまでも続けた後に、わざわざ家まで送っていく毎日だった。


 断ればいいのに、どうしてそうしないんだ?


 一度だけ、本当に用事があって断った事があった。その時の橘の顔が頭から離れない。


『そっか、分かった。ごめんね……』


 そんな世界最後の日みたいにしゅんとされたら、もう二度と断れるわけないだろ……。

 笑えよ、と俺は思った。“ガリ勉に用事なんてあるわけないじゃん”って、いつもみたいにからかえよ。


 もうその事があってから何日も経つのに、未だに忘れられない――って。


 過ぎたことに悩みすぎだ、俺。こんなのキリないぞ。

 最近は油断しているとその日の昼にあったことで頭がいっぱいになるので、すぐにかき消す。だがどうせまた何か思い出すので、いたちごっこが延々と終わらない。


 なれば気分転換ということで、携帯用ゲーム機の電源を入れてソファーに寝っ転がる。

 だが、まるで風邪でも引いている時みたいに――すぐにそんな気分でもないと気づくや、スイッチを切ってテーブルに放り出してしまった。

 結局、何もせずに仰向けになっているだけ。


 どうしちまったんだろう、俺は。

 徹頭徹尾ぼっちだった一年の頃は、もっと心がまっさらと穏やかだったのに。


 と、無駄に悩んでいた所で助け舟が入った。


「ふんふん……。くんかくんか…………」


 全く気付かない俺もどうなのだろう――妹がソファーの下に潜伏していたのだ。

 我が身体の近くでしゃがみ込み、激しく鼻を鳴らしている。挙動不審だ。


「な、何だよ……?」

「むーん…………」


 相変わらず、(けやき)の目の隈は半端ない。

 元はそれなり以上に可愛らしく、線の細い顔立ちをしているのに。だがいかんせん根っこがズボラである。言葉遣いとかやたらぶっきらぼうな所とかも含めてまとめて治せば、多才なスーパー美少女に超進化しそうなものだ。


 だがその時の今回の妹はキッと目を細めていたので、隈も併せて怖いくらいだった。

 こいつの機嫌を損ねる行いをした覚えは無いのだが……。


「兄貴のその()()とやらってさ…………女?」

「……探偵のお嬢ちゃん、証拠はあるのかい?」

「ほーら、やっぱりな! ふんだ!」


 俺がクソ雑魚犯人っぽい返しをわざわざしてしまったせいで、更にこいつの表情は敵意で溢れた。

 やっぱ助け舟でもなんでもねーわ、お前。


「モテないガリ勉ぼっちと思ってたら…………おい、爆発しろよ」

「まだ爆発案件とは限らねーだろうが。俺、ガリ勉だぞ。近頃はテストも近いし……単にクラスで勉強を教えていて、その中に女子が一人居ただけって可能性も否定できん」

「いや……それはないわ」


 欅は自信ありげにそう言って眼鏡をくいっとさせると、


「犯人は金持ちで、かなり見た目に自信を持ってる。クラスの中心にいるようなリア充女かな? 八割方は明らかだね」

「お前はどこのベイカー街の住人だ。何番地だっつーの」


 ここに引きこもり名探偵ケヤキが爆誕した! 現場検証とか絶対嫌うタイプだな。


「はん。初歩的な推理だよ、ドクター一条?」

「む……認めるわけじゃねーが、とりあえず聞こうじゃないか」

「それ、高いブランドの香水が匂ってる。いいとこのボンボンじゃなきゃ、まず高校生じゃ使わないようなやつ」

「う、マジか……。つーか、なぜ引きこもりのお前が知ってる?」

「株主優待で似たようなのが色々送られてくんの。ま、使ってないけどさ」


 妹は得意げに、「へへん」と笑ってみせる。

 我が妹ながら、ちょっと遊んでやるだけですぐ機嫌を直す単純なやつである。おやつをあげた時の猫みたいだ。そして得意げに続きをまくしたてた。


 そうだ。乗せてやってるんだ、別に怖くなんてないぞ。


「兄貴が自分に移った匂いに気付かないのは、それだけその匂いに慣れてるってこと。慣れるほど頻繁に一緒に居て、しかも匂いが移るほど近くにいるというのは親密さを示している。最近の帰りが遅いこととも合致すんね」


 ヒエッ……。これは穏やかじゃない。

 やめろやめろそんなガチった推理、全部バレんだろーが。推理モノのドラマがマイブームか何かなのか、こいつは。


「兄貴が自分から行くはずがないので、向こうはかなり積極的。そして兄貴は嫌なら突っぱねるので、両思い。香水に加えてこの髪の色も併せると……相当派手な見た目。余程自信がなきゃここまでしないよ、多分」


 欅はニヤけながら――俺の制服に引っ付いてた一本の長い髪を指でつまむ。

 俺は青ざめたのを見てか、一層こいつの笑みが広がった。


 冗談じゃない……俺の証拠処理は安定してガバガバじゃないか。


「積極的で派手な見た目……以上を総合すると、明るいリア充女だと推察される」

「……」

「はーん、髪がくっつく仲ですかー、そうですかー。それで服まで一緒に選んでもらったと」


 妹はこれまでになくドヤっていてた。

 Q.E.D証明完了ってか。どんなマインドスキャンだ。


「…………」

「ちょっと……? ね、何か言ってよっ!」

「………………今からちょっと爆発してくる」


 俺が部屋に逃げようとすると、妹は後ろから引っ張ってくる。


「待てー! アリカ叔母さんに話してほしくなけりゃ全部白状すんの!」

「は、別に仲良くねーし!? そんなので推理した気になってんじゃねーよ!」

「犯人はみんなそう言うの! 観念せい!」


 結局、ほとんど吐き出したんだけど。


 まあ、いっても妹の推理が全部が全部合っているとは限らんがね。

 両思いだと? それは流石に飛躍しすぎだ、ホームズ。

 勉強を教えて仲良くなった……までが今言える事実であり、それ以上は全て解釈の域を出ない。事実と解釈は厳格に区別できねば学問はやっていけないゾ……と念押ししたのだが。


「はん、鈍感かよ」


 欅はジトーっとした目で見てきた。

 こいつがって言うより、最近は誰が相手でもこんな目で見られがちである。俺、何か変なこと言ってるものかなあ?


「じゃあ聞くけど。向こうがその気だと知れたら、どうすんの?」

「……知らん、俺には荷が重い…………」

「はぁ……あちらさんも変な奴つかまえたもんだね。ま、その人が家に来るなら教えて。あたしは会いたくないから部屋で閉じてますのでー」

「心配すんな、まず来ねーよ。お前が心配するような間柄じゃねー」

「…………どうだか」


 最後にそう言った欅は、少し不満そうに口を尖らせていた。


 とはいえ休日は未だにこいつと過ごしているわけで――それがこれから変わるとでも思っているのだろうか? 確かに最近になって少し物事はおかしくなったが、俺の根っこが変わったわけじゃない。


 むしろ、そういういつも通りな時間は貴重になっていた。

 心労が溜まるばかりの日々の中では、最後の逃げ場のような気がしたからだ。


 でも鈍感? 欅よ、それは少し違うのだ。

 確かに、信じられないってのも大いにあるけどさ。

 それ以上に好かれてる自分みたいなのを、認めたくないのだろう。クラスで頼られてる自分。みんなに構われている自分。


 そういうのも一切合切まとめて、何か胃がよじれるものを感じた。

 らしくないだろ、とか。恥ずかしい、とか。荷が重い、とか。一言じゃ言い表せない特大の違和感のようなものが、俺を殺しにかかっていた。


 ……。…………。

 そして妹が部屋に戻った後、ふと思い出したことが一つだけある。


 橘の家の前。すっかり遅い時間だ。

 俺たち二人が歩む夜道の終着点がここだった。

 今日は曇り空だったけど、晴れていれば星が照っているものだ。

 

『じゃ、また明日な』


 俺がそう言ってから彼女が袖を離してくれるまでの間――一瞬であることは確かだが、手を離してしまうだけの時間にしては随分と長い――三、四秒くらいだ。


 虫の鳴き声だけが響く。微かな夜風が、汗を乾かしてくれた。


 その僅かな一瞬で、俺たちは確かに何かを伝え会っていた。

 へらへらしている金髪女の笑顔も、この瞬間だけは決まって絶えてしまう。そして――最近になって見せるようになったあの儚げな顔で、何か訴えかけてくるのだ。


“やーだ、行かないで。もうちょっと一緒にいたい……”

“ははっ。また明日、会えるだろーが”

“明日、学校来るよね……?”

“行くって、何を心配してんだよ”

“来てよね、マジメに……。ばいばい”

“ばいばい”


 そして、手を離すその瞬間――


“ガリ勉、XXXX……”


 あれだ――表情だけじゃ分からないこともあるものだ。

 深読みは良くない。とんでもない間違いを犯してからでは遅い。


 だがそうやって考えるのも、それはそれで何かから必死に逃げている気がして、やはりそんな弱々しい自分も大嫌いで。

 そんな悩みを抱えておきながら、とりあえず優しい顔をしている自分も大嫌いで。

 全部知ってて向き合えない自分などは、もう一番大嫌いで。


 結局、どこに目を向けても八方塞がりだった。

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