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第二十二話 プロモーション

 もう六月も終りが近い。

 テストが目前だというのに、教室でも勉強しているのは俺と小松君だけだ。まあ公立の自称進学校だしな。それでもそのぐらいユルい方が自分の好き勝手に勉強ができるので、偏差値の高い学校を選べば良いというものでもないのである。


 それで相変わらずというか、L字ブロックのでこぼこガールズはその日の昼休みも賑やかだった。例によって俺の前の橘が身体ごと横を向き、左の氷堂が後ろの天樹院の机に脱力気味に突っ伏している。


「海とかどーよ? 水着とかそろそろ着たくない?」

「うっせーよDカップ。かれんほど乳ねーんだよ当てつけかよこんちくしょー」

「やー! ここで言うなし、弥生のばかぁ……」


 おやおや、三人して夏休みの予定でもお考えか。

 実にこの学校らしい。実際、こいつらだけじゃなしに教室全体がそんな雰囲気だった。誰がやったのかは知らないが、学級掲示板には近隣の祭りのポスターだとか、夏休みまで後何日だよーとか、そういうのばっかりが貼られている。


 確かにこういう空気、明らかに俺とは合っていないけどさ……。

 もっと違った学校に入っていれば、まだ場違い感を覚えずに済んだのだろうか?


「遊園地にいちおくまん票。んで、ももこ姉さんはどこ行きたい?」

「もうっ、気が早いわよ……。テスト近いんだし」

「ン、そんな現実突きつけて貰わなくて結構だよこの優等生がー」

「そう……。ならカフェ巡り、とか?」


 と、何となく顔を上げると――すぐそこにいた橘とパッと目が合う。

 その一瞬、彼女はニコッと優しげに微笑んできたので胸の中がヒヤリとした。“ガリ勉、こんちは”って。晴れの日で窓の外が明るいほど、こいつの長い金髪はよく映える。

 

 うっ……。今日はもう一回顔上げたし、ノルマ達成だろ……。

 お前は知らんだろうが、この距離でその笑顔は精神年齢十四歳な男の子には色々きついっての。

 

 とはいえマジでテストは近いんだし、俺も周りのことに気を回していられない。この前は無理に集中モードに入ろうとして散々な結果に終わったからな、うん。今回こそ結果を出さねばというプレッシャーを胸に、今日も基本問題の反復を――――と。


「見事に割れちまったねえ。じゃあココは第三者の意見として……ねー、一条?」


 突然名前を呼ばれたので、俺は身体ごとビクッとさせてしまう。

 左前を陣取っていた氷堂が、パーマのかかった黒髪をくりくりいじりながらジトーっとした目を向けてきた。


「あんたに決めてもらおっか。海、遊園地、カフェ……ウチら、てんでバラバラでさー」


 はぁ!? 何言ってんのこいつ?

 あんまり脈絡がなかったので、俺も「ふぇ?」って変な声が出てしまった。


「あ、賛成賛成ー! ガリ勉の意見とか、超気になんじゃん?」


 ここぞとばかりに、雑な相槌を打つ橘。ちょっと目がキラキラしている。


「確かに……ちょっと気になるかも」


 おい……委員長まで涼しい顔で悪ノリに加担してんじゃねーよ。

 あんたはクールに眼鏡をくいっとさせながら止めなきゃ駄目なみんなのオカン・ポジションだろ。じゃなきゃ歯止め聞かねーぞ他の二人は。


「おいおい、突然すぎないか……?」

「いーから。海、遊園地、カフェ……夏に行くならどれよ? 野生のガリ勉ならではの意見とか、あんじゃん?」

「あんじゃん、じゃねーよ……。野生のガリ勉的には勉強しろとしか言えないんだが。安い国公立大でも行って、親孝行しろ親孝行」

「うげえ……聞いたあたしがバカだったよ」


 全くもってその通りだ。もう聞くんじゃねーぞ、ジト目女め。


 とまあ、その後にやり取りが続いたというわけでもないのだが。

 だがその日だけでなく、別の日でも同じようなものだった。つまりこいつらが何かの拍子で会話に詰まると、いっつも近くにいる一条君って変な男子にとりあえず振っとけっていうのが慣例になってしまったのだ。


 良いように使いおってからに。これがお前らのやり方か。


 だが俺の方も、何だかそういう芸風の人って感じである。

 普段は勉強しているけど時々意見を求められてぼそっとコメントする人、みたいな。


 そしてそういうことが起こる度に、前の金髪女が勝ち誇ったようにニヤける……までが大体のテンプレである。ぼっち一時休業のお知らせ。この席になってからというもの小松君もめっきり教えを請いにやってこなくなったし、どうしろっていうんだ。


 それに何故だか、橘の機嫌も日に日に良くなっている気がする。


 勉強が終わって学校の外を一緒に歩いている時などは、肩と肩の間の距離が気持ち近くなったみたいで今更ながらキョドってしまう。もう何度も身体が触れあってしまったが、こいつは気にもしていないようだ。

 歩いている時などは、甘くささやくような声で、


「あたしらさ、二人っきりだと教室の十倍くらい仲良くない……?」

「やめろ……言うな」

「二人でいるところ見られたらさ。ちょっと……ヤバイ、かもね……♪」

「心配ないだろ。部活終わりでも中央駅までは流石に来ない、誰も」

「でも見られたら……マジメに…………どうしよっか……?」


 頭がぐるぐるしそうだ。

 お前はおちょくる側の人間だったろ、そんな切ない顔……マジでやめろ。


「今日も送って……よね? ゆっくり歩こ?」

「お、おう……」


 言わなくても送るのに、彼女は心配そうにそう言うのだ。

 別にどこにも逃げないっての。


 席替え以後は、教室の中でも外でも一日の半分以上は橘の近くにいる。

 後ろに座っていても、すぐ近くにこいつが座っている。髪を後ろで縛っている時なんかは、肌の綺麗なうなじが見えてしまうので授業なのに前すら向けなくなっちまった。


 確実にこの女を意識している。残念ながらもう否定しきれない。

 でも、まだステージ1……だったよな? 叔母さん……?


 そして――この由々しき問題と並行してだが、教室での振る舞い方も確実に変えられつつあった。決定的な出来事は昼休みですらなく、授業と授業の合間の僅かな中休みに起こった。


 勿論、俺は安心し切って勉強していたので全ては不意打ちだ。

 でもあれは流石に驚いた。なにせ突然肩をちょんと叩いてきたのが、意外な人物だったからだ。


「えと、一条君っ。少し……」


 左隣の天樹院だ。彼女の席の向こうでは、同じクラスの女子がもう一人、心配そうな顔で突っ立っている。

 ロングヘアーの委員長は遠慮がちに、何やらノートを一冊差し出してきた。


「これ、貴方の意見も聞きたいの。私もちょっと自信がなくって」

「あ、ああ……」

「貴方のほうが、よく知ってると思ってね。いい、かしら……?」


 どうやら、この優等生な女子は他のクラスメートに軽く勉強を教えていたようだ。それでちょっと自信がなかったので、たまたま隣だった俺を使ったのだろう。


 どれもこれも、あの氷堂がふっかけてきたクソみたいなやり取りが悪しき前例になってしまったみたいだ。少しでも話し始めた――これが天樹院としても大きかったのだろう。

 そしてこういうことは、一回では終わらなかった。


「ごめん一条君。また……お願いっ」

「いいよいいよ、見せてみろよ」


 加えて天樹院を頼ってくるのは女子だけでなく、むしろ男子もひっきりなしで。

 それで、やがて俺に直接聞きに来る奴も現れるようになった。しかも時期が時期だ。テスト一週間前ともなると、何人も捌かなきゃいけない日も出てきた。


 ――そして、気付かない内に。

 昼休みに聞こえていたはずの、あの嘲りは聞こえなくなっていた。


 その代わりに、あの中村と目が合った時、奴はあからさまに俺から視線をそらすようになってしまったのだった。まるで、怯えた子犬のような面持ちで……。


 何かがおかしい――俺はそう感じ始めていた。

 その違和感の正体だけは、まだ説明がつかないのではあったが。

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