第二十一話 ランダムイベント爆弾
席替え以後だろうか、それとも遠足が終わった時からそうだっただろうか。
まあいつからにせよ、俺の学校生活はよう分からん方向に少しずつ変わりつつあった。ぼっち休業とでも言えばいいか、さりとて根暗というのは元から俺の性根なので変わりようがないし……一体全体どうしろっていうんだ。
だがともかく、色んなことが謎だった。
例えば、教室での俺の立ち位置とか。
廊下側から二列目の最後尾。
この座席そのものが、厄介なランダムイベント爆弾だということが判明したのだ。まあ主な原因はあの派手な隣人によるんだけどな。キングボンビーかよ。
さて、意外でも何でもないが橘は人を集める体質があった。
こいつ、座っているだけで他の奴が群がってくるからやはり違う世界の人間なんだなあと痛感する。リア充なら窓側にでも行けよって思うのだが橘にその気は無いようで、むしろそれとなく俺を話に巻き込んでこようとするから胃が痛い。
席替え後、何日か後の昼休みなどは――
「ちっす、かれんー。ももこー」
ローテンション気味にとぼとぼこちらへやって来たのは氷堂弥生。
あの遠足の時で同じ班だった、橘の親友ポジみたいな女子だ。
彼女は橘の左隣が空いているのを見つけるやそこに腰をかけた。そのすぐ後ろが元から天樹院さんの席なので、こうして仲良し三人組が俺の左側にL字のブロックを作ってだべり始める。席変え以降はこれが基本パターンだった。
「テスト無理ー、マジ死ぬ。ももこ氏ヘルプ。超ヘルプ」
などという脱力した片言で、お洒落な黒髪の女がメガネ委員長の机に突っ伏す。
「もう、このままじゃまた追試になっちゃうわよ……?」
「む……そうなったら相棒と乗り切るし。な、かれんー?」
そう言われた時の、橘の「にしし」というニヤケ声が前から聞こえた。
聞こえたというのは、俺は問題集に釘付けで下を向いていたのでこういう表現なわけだが、今前を向けば絶対目が合う気がするので死んでも動けん。というか何度か顔を上げたが、十に八か七くらいの割合できっちり目が合う。石化モノだ。
「えー……でもあたし、今回は順位表に載るし♪」
「はあー? かれんの癖に五十位以内? それは流石に片腹痛てーよ、今からその金髪黒染めすんぞおらー」
「きゃー、ももこ助けてー。この追試ぼっちがー!」
「うふふっ……触られると追試が移っちゃうかもね」
と、前でわちゃわちゃし始める女子勢。
やってること自体は普通だが――俺の席はこのL字ギャルブロックの凹んだ部分にあるわけで、至近距離で半ば包囲されているわけである。尋常ならざる疎外感だ。これがリア充であれば天国とでも思えたのだろうが、うんともすんとも反応できない俺からすれば地獄以外の何物でもない。
無論、このままでは勉強になどはなりはしない。
ギャル三人衆の横でも集中モードに入る策が大至急必要だ。こいつらがキャッキャウフフし続けている横で、俺は脳みそをフル回転させてみた。
よーし、ここは幾年もガリ勉ぼっちを続けてきた俺の真価を見せてやろう。
さて、これならどうだ……。
ミスターガリ勉による、脳内スーパーイリュージョンショー!!
では、今から心の中でこのコーラを一気飲みして、ゲップをせずに歴代ローマ皇帝を全部暗唱したいと思いまーす! せーのっ、アウグストゥス、ティベリウス、カリグラ、クラウディウス、ネロ――
「かれんってさー、最近付き合い悪くね?」
……ゔぉえ!! 脳内でゲップしちゃったよ。
だが今のは、それだけ破壊力のある一言だった。
「えへへ……そう、かな…………?」
と、濁すように答える橘。
これは失念していた……。
勿論と言うか、この金髪女はここ数週間の放課後をずっと俺と過ごしているわけで、となると他の用事に時間を割いていないことになる。つまり俺もまるっきり関係者なのだ。橘のことだから、普段は仲の良い奴らとカラオケにでも行っていたのだろう。それがめっきり途絶えるのだから、突っ込まれて当然である。
あれ、物凄く居づらいぞ……。
今まで『自分の席から離れぬこと山の如し』とかいう大ぼっち原則に拘り続けてきた俺ですら、これは流石に居づらい。
「男か? 新しい男なの? おうおう、かれんちゃんよー」
「やー、やめてよ……。他の人に聞かれちゃうじゃん」
「ほうほう。そんな今更なことでも、聞かれて困る人がこの教室にいると……」
「まあまあ、弥生。かれんも困ってるみたいよ」
氷堂は面白がったような声色で聞いているが、追求を緩めない構えだ。
そりゃもう橘はすぐには答えられず……言い知れないビミョーな空気が辺り一帯を支配した。会話に加わっていないはずの俺が巻き込まれているのはどうしてだ。
はぁ……。
でもこれ、どう考えても俺は居るべきじゃないよな。こいつもやり辛かろう。
だが空気を読んでしれっとその場を後にしようとすると――ガシッと。橘は笑顔を氷堂の方に向けつつも、去り際だった俺の手首だけ掴んでいた。
え、何してんのお前……?
「え、何……?」
「ねーねー聞いてよ一条クン……弥生がいじめてくるのー」
華奢な背中から伝わってくる――“おい、逃げんなよ童貞。あたしら友達だよなあ?”って。ちょっと不良めいて怖い。
「あはは……」
当然、俺は頬が引きつっていた。
他二人の注目がまたたく間に俺に集まる。クソ、教室から出るまでもう少しだったのに。でもこれどうしろってんだ。居ないほうが、ひょっとしてお前にとっても良いかと思ったのに。
「えーと、ほら、バランスだろバランス。友達も大事にしな……きゃな…………って」
言っている途中で言葉が変に途切れたのは、橘の手首を握る手が強くなったからだ。一体何が気に食わなかった。
だが他の二人は今ので納得したらしい。
「ほらー、野生のガリ勉もイイこと言ってんじゃんよ」
「確かに……最近、かれんを放課後に見ないよね」
うんうん、と共感ムードの氷堂と天樹院。
というか野生のガリ勉ってネタ、まだ覚えてたのかよ。
しかし橘も最初は『めっちゃ仲良くする』とか言っておきながら、蓋を開けてみればかなり控えめである。ちらちらと何か言いたげに目配せをしてはくるが、あからさまに突っ込んでは来れないらしい。
ははん、もしや気でも使っているのだな……とか思っていたのだが。
むしろ逆だということが判明したのがその日の放課後だった。
「ガリ勉、ちょっと絡みにくい。ずっと勉強してんだもん……たまにはこっち向いてくれても、いいじゃん。目も全然合わせてくれないし……」
日が差し込むいつもの図書室でそっぽを向く橘。
むすっと不満そうだ。どうしたものか。
「もしかして……マジで教室では嫌なの? 話したくない、とか? だったらやめるけど、さ……」
そうやって心配そうに言われると、俺としてもいたたまれなくなる。
……でも、なぜだ?
俺も俺で、こいつを傷つけたくないとでも思っているのだろうか?
教室ではマジで嫌だ、残念ながらそれが正直なところだ。橘が嫌なわけではないが、一人で勉強しているのが一番楽だし何より慣れている。
でも……なぜかそう言えない。
今までなら、誰が相手でも容赦なく本音を言えたのに。
他人にこれほど気を使うのは、多分初めてだった。
俺はどうして良いのか分からず、ただ肩を竦める。
「別に、嫌ってわけじゃねーけどさ。でも俺は、ずっとこうだったし」
「なら少しずつでいい……。最初は今日みたいにちょっとした感じでも、いいからさ? たまにはこっちに入ってきてよ」
「む……。お前が気を使うことないぞ。俺は一人でハッピーだしな」
「はあ? あたしが絡んで欲しいって言ってんの。ただのお願い……だよ? 話したいよ……折角近い席になったんだもん…………」
橘はよく表情を変える少女だ。
バカにするような笑顔とか、逆に優しげな笑顔、他にも怒った顔とか。
だが近頃はそういうのに加えて……こういう少し切なげな、甘えるような目も見せるようになった。それが俺には、どういうわけか一番苦手な顔だった。一秒も目を合わせてられない。
「明日はさ、ちょっとだけでいいから顔を上げて、目も合わせてよ。そうすればお互い言いたいことも大体分かんじゃん」
「……まあ、そんなもんならいいけど…………」
そして――その表情が笑顔に変わるとほっと安心してしまう。
教室内での立ち位置もそうだが、こいつとの関わり方も段々謎な方向に変わりつつあった。
俺たち、ただの友達……だったよな?
「えへへ……ありがと。じゃあさ、今日はお礼デートしたげる……」
「随分と飛躍したなあ、おい!?」
「いいじゃん。教室で構ってくれない分、ね? 週に四回は行きたいよ」
「む……二回!」
「わかったわかった三回で許す♪」
結局、女の子は夜道は送らにゃならんだろって理屈で週五になったんだけど。
詫びデート、お礼デート、お疲れデート……口実は日替わりだ。
最近になって、本気でよう分からん学校生活になり始めていた。