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第十八話 延長戦①

 だが、その日はこれで終わらなかった。

 帰り際、俺が要らん一言を発してしまったせいで延長戦が始まってしまったのだ。


 図書室にも閉館時間というものがあり、遅くなる前に出なければならない。

 が、それで椅子を立って行こうとした時。袖が後ろからくいっと引っ張られた。


 はははっ……。

 俺は少しおかしくなって乾いた笑みをこぼしてしまった。


 何だか、これが俺たちの間でお決まりの挨拶みたいになっている。

 橘は最後に言い残したことがある時、いつもこうするから。


 だから俺は振り返って“何だよ?”と顔だけで聞くと――彼女は珍しく、いくらか恥じらったように顔を背けていた。ちらちらと俺と目を合わせては外して、


「えと、あのさっ……マジで嬉しいと思ってるから。それだけ言いたかった」

「嬉しい? どうした、いきなり」

「キミにまた友達ができたことっ! なんで分っかんないかなあ……」


 橘はムッと口を引き締める。

 それについてはさっき話したろ、今更改まって一体どうしたっていうんだろう。


 しかし問題が一つだけあった。

 …………また? またって何だ……?


 それではまるで、俺に元から友達がいたみたいな言い方だ。まあ小松君や荻野だって、今日の事を以て友達と言えるのかはひじょーにびみょーなところなのだが。だから俺は考えが追いつかず……素直にも、そんな疑問をぼろっと口に出してしまったのだ。


「また……って…………?」


 何秒かの間が俺たちの間に流れる。しーんと。

 すると――今の気の抜けた一言で、こいつを怒らせでもしたのだろうか。

 橘はなぜだか、厳しげに目を細めた。


「むーん……」

「な、何だよ……?」

「アタシ、キミの、トモダチ」

「え、ああ……そうだったんだ。そりゃ初耳だ…………」

「童貞のばーか……」


 童貞――会った時は何度もそう言われたものだが、今は少し違ってきた。

 近頃は、キミかガリ勉としか呼んでこない橘がその言葉を使うのは、おちょくって遊んでいる時か怒っている時だけになった。遠慮でもしているのだろうか。別に気にせんのに。


 つまり今はちょっとどころではなく、おこである。


 いやでも別に、俺だってこいつの事を軽んじていたとかじゃないぞ。

 ただ……友達って何だ? 一体どっからどこまでが友達なんだ?


 記憶が確かなら、俺たちはそんな宣言をしたことはない。遊びに出かけたことすらない。この前のは業務用の理由があったので俺のシマではノーカンだ。そもそもまともに話し始めてから一ヶ月も経っていないのに。


 むしろ、俺なんぞが橘の友人を名乗って良かったのだろうか?

 何だか迷惑な気がしてならない、というのが正直なところだ。

 しかしそういう根暗にありがちな遠慮は全く伝わらなかったらしく、金髪女は俺の袖を握る手をぐしゃりと強くした。


「でも今のはさ……マジで傷ついた」

「はぁ!? 別にお前のことが嫌いとかじゃないからな。そうじゃなくてさ、俺なんかがって意味でだなあ……」

「あたし、傷ついたの……」

「だーから悪かったって。普通に友達だから、とりあえず離せよ」

「やーだっ! ほんとに、今のはないわ…………」


 橘はぷいっと横を向いたが、その癖に俺を離そうとしない。

 かといって何か言ってくるわけでもないので、時計の音だけがカチカチと聞こえてくる。誰もいない図書室で、そうして二人でずっと突っ立っていた。


 けど、一体どうしろっていうんだ?

 こんなのもう根負けだ……。俺は肩を落として、


「はぁ…………。で、俺は何すりゃいいんだ? 許してもらうためにさ」


 自分でも不思議だった。妹以外の、他人のご機嫌取りをしようだなんて。


 橘はまだ黙りこくったが、その後むすっとした目をこちらに向けてくる。

 片方の頬を膨らませた後に、ぼそりとつぶやくには――


「…………詫びデート」

「詫び石よこせみたいに言うなよ! 俺がメンテばかりのクソ運営だってか!?」

「残念要素だらけのクソ童貞……」

「はぁ……分かったよ。じゃあ、今週ってことで良いか?」


 やっと満足してくれたのか、袖を離してくれる橘。


「やーだ。今すぐ行こ……?」

「へいへい……」

「よーし、じゃあ……許す!」


 というわけで……今日はひょっこり延長戦が始まったのである。


 外では雨がすっかり上がっていた。

 分厚い雲の間からオレンジ色の光が一瞬だけ差し込んで来ては、また隠れたりした。


 そんな夕方、駅へと続く歩道を二人で歩いていた。

 駅に近いとはいえ、そこまで賑やかな通りというわけでもない。むしろ辺りの雰囲気は寂れて陰鬱な感じがする。学校から駅へと続く道は朽ちたアパートやマンションが立ち並び、時々コンビニを通るくらいだった。


 だが橘はというと、さっき怒っていたのが嘘みたいで表情は晴れやかだ。歩きながら鼻歌を歌っていやがる。いつものご機嫌モードが戻ってきたらしい。何なら遠足の時よりも明るい顔をしているから不思議なものだ。


 ――いや、本当に不思議だった。

 いつも流石にそこまではご機嫌じゃないだろ、お前。


「えへへ……あたし、童貞と制服デートしてる♪」

「やめろ、わざわざ口に出して言うな……」

「照れんなってー! ほら、こっちこっち」


 と、器用に飛び跳ねて水たまりをひょいとまたいでいく金髪女。小学生かよ。


「おい、待てよ。はしゃぎ過ぎだっての」


 すごく変な感じがした。

 学校から出ればいつも一人で歩いていたから、この時間帯に誰かと一緒にいる事自体が新鮮だった。


 それも、橘かれんと。

 アリカ叔母さんに言わせれば、俺が『恋愛病:ステージ1』を患っているその対象とだ。そんな奴が俺の近くでこんなに嬉しそうにしていると、勿論そわそわしてしまうもので――


 俺はニヤけそうになってしまうのが嫌で、あいつから視線を外した。

 ステージ2になると、好きな人を知らずの内に目で追ってしまうそうだ。なんと恐ろしい。だが教室でも俺の席は廊下側の真ん前で、あいつのは窓側の後ろ。まだその心配はなかった。


 でも今に限っては、後ろ姿が見える位置にいる……。


 最低限これだけは言える。俺は多少なりともあの女を意識していた。

 こうして頑張って見ないようにしている事自体が、多分、その揺るがぬ証拠だ。


 そうやって、とぼとぼと歩いていると。ぷにっ――と。

 橘の人差し指が、俺の右頬ににゅっと突き刺さっていた。


「疲れてそうな顔、してたからさ」


 金髪女の笑顔が間近にある。だがいつものおちょくる時のニタニタ顔とは少し違う、優しげな笑みだった。

 でも……気でも使ってくれているのだろうか?


「あ、ああ……済まんな。つーか、もう指離せよ」


 と言うと、いつものバカにしたような笑みにパッと戻して、


「やーだね。ほれ、ぐりぐりぐり~」

「~~っ! お前なあ!」

「きゃはははは。ほら、ここまでおーいで!」


 と言って駆け出していく橘。やっぱお前、小学生だろ。


 ……あれだ。別にドキドキなんてしてねーからな。

 叔母さん……やっぱあんたのあれは誤診だ、絶対に。

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