第十六話 ステージ1
俺だって男だし、やはり勝負事に負けるのは死ぬほど嫌いだ。
ただそれは、自分が勝負していると認めた時に限る。
具体的には、テストの点では一位以外は全部クソだと思っているが、体育の時間で自分にパスが回ってこないのは何とも思わないといったような意味だ。人間一度に全てに勝つことは出来ない。それに、負け戦に突っ込まないことも勝負の重要な一部だ。
だというのに……。
昨日の遠足――あの飯塚が放ったシュートをゴールの寸前でクリアできなかった悔しさ。
横から響いてきていた、橘の『がんばー!』という快活な声。
それで胸の底から沸き上がってきた謎の――全身が急かされた感じ。
らしくなく、俺は次の日まで引きずっていた。
大体の悩みは寝れば忘れるので本当にらしくなかった。小学校の頃にいじめられて泣きべそで帰ってきた時ですら一晩でどうでも良くなったのに。
なのに昨日のことが頭をついて離れない。胸のいちばん奥で、酷いもやもやが広がって晴れる気配もない。これは余程のことだ。
しかしこれ、悩みとしてはかなり些細なことにも見えるから不思議だ。いや悩んでいる時点で些細なのかという話でもあるが、冷静に頭の中で反芻してみると真面目な話、実に小っちゃい。
どうでも良いことじゃないのか?
あれは単なる食後の遊びだった。勝負でも何でもないのに――どうして?
だが、本当にどうでも良いならば尚のこと頭から処理せねばなるまい。いいか一条君よ、テストはもう近いんだ。このような事で悩んでいられない。
というわけで、俺は近くの大人に相談してみた。
ほらほら、どっかのスカイウォーカー君だってちょっと変な夢を見たくらいでジェダイ・マスターのお偉いさんと面談したりしてたしな。災いの芽は早期に摘み取るに限る。
だが、そこで――うちのマスター・アリカの丸メガネがきらりと光った。
「恋ね、それは。それが恋なのよ、純くん!」
土曜日の朝飯時だった。相変わらず食卓には豪勢な品目が並んでいる。
叔母さんはどうも最近原稿の調子がすこぶる良いらしく、それで今日はテンションが高めの日のようだ。今日もこの人の鼻息は荒い。
――いや近くの大人って時点で色々と察しが付くけどさ。
いい人だとは思っているが、周りにこのド変人しか頼れる大人がいない環境ならばそりゃ多少は残念な子供に仕上がって当然というものだ。
でも、何……恋だって…………?
俺はその一瞬だけでは飲み込めず、気の抜けた声を出してしまった。
「は、はあ……これまたけったいな。恋、ですか…………」
「そうよ。その人はね、きっと恋をしているの」
その人。
勿論と言うか、俺の話という体で相談はしていない。
あくまで友達に起こった話ということで、その人であった。だが友達なんて最初からいないので食卓に上がる話は嘘っぱちだらけである。
「でも……その段階だと、まだまだステージ1ねぇ」
「それ、何だか重病みたいな言い方っすね……」
「ステージ2になると本番ね。その子がちょっと気になるくらいじゃ済まないから。気づいたら目で追ってるの。でも油断大敵よ、ステージ3ともなるとその人のことばっかり考えてポエムとか書いちゃうから要注意! がっつき過ぎは嫌われるから」
「はぁ……では友人に教えときます。早期発見なんで治るでしょうし」
「あら、絶対に治しちゃダメよっ。必要な病なの」
叔母さんの眼は血走っていた。
俺の相談に大いに興味を惹かれたようで、心なしか早口だ。
「好きな女の子の前ではね、良い所を見せたくなっちゃうものなの! いいこと? 男の子も女の子も人類皆、ラブコメの主人公なのよ。それはもう性格は人それぞれだけどぉ~、変わらないモノっていうのも、あるものだわね」
この人に聞けば必ず色恋めいた答えが返ってくる。
まともな答えを期待していた俺が愚かだったよ。
だが……恋だと? 俺が、あのズケズケした女に?
冗談じゃない。俺に限っては絶対にありえない。
もし万が一、仮にそうだったとして――叔母さんの言葉を借りればステージ1。まだまだ早期発見と言える。臓器を差し出してでも切除せなばならん。まあ万が一どころか億に一つもその可能性はないけどな。
「でも純くん、何で今更そんな事聞くのかしら? あなたは仮にも男の子の端くれなんだから、いくらでも経験あるわよね? ね? ね?」
「い、いえ……。それは…………ないです」
「もうっ、ダメじゃない。あれよ、そこは無理にでも恋しなさい! 高二は特権なのっ。黙っているとあっという間に手から滑り落ちていっちゃうんだからね、もう! ふんふん!」
朝飯が全然進みませんよ、こんなの。相談するのは間違いだったか。
そうして……朝のこういうやり取りは、妹が横から冷たい目で見てくるまでがテンプレである。
「あのさぁ~」
と、ジト目混じりのニヤけ顔な欅。
その目を見ればすぐに分かる。俺のしょーもない嘘を察して、それとな~くカマかけてくるやつだ。実に危険な妹である。俺は瞬時に臨戦態勢になった。
「友達――っていうかそれ、明らかに自分の話だよね? 昨日の帰りに砂だらけだったことと全部繋がる気がするんですけどー?」
オウフ。
カマかけるどころかド直球だなおい。とんだ火の玉ストレートだよこれ。
「お前なあ……あれはちょっと派手に転んだだけだ! そう言っただろ……」
「はぁ…………」
「何だよそのクッソわざとらしいため息! マジでそんなんじゃないからな」
「兄貴に彼女かー。これで私も一人かー。あー、さみしーなー」
「その棒読み加減は、暗に俺なんかじゃ例え望んでも彼女なんて出来んだろーなーって言ってるんじゃなかろうな……?」
「んひひ。何だ、分かってんじゃん(笑)」
ははーん、マジで憎たらしい奴である。
しかし今の会話の後で、叔母さんが手に顎を当てて何か考えるような素振りを見せた。そして俺の方をちらちら見ながら、
「純くん……この間のは、結局デートだったのね?」
「いいえ違います」
もう知りません。変なこと聞いてすいませんでした。後は自分でなんとかします。
俺はそっぽを向いて、飯を口いっぱいに突っ込む。
早く食べて二階に上がろう、でなきゃ尋問は終わらないし。
あ、ちなみに前のデートもどきで帰宅した時はそろーりと自分の部屋に戻ったので買った服はまだ見られてないんだこれが。あのバカげた額のお小遣いも貯金を崩してちゃんと返したし、絶対に抜かりないと俺は断言する。
「お洗濯物取りに純くんの部屋に行ったらねぇ……なんか見慣れない服があったのよ♪」
「ぐふぅ……!」
さっと水を飲み込んで、喉に詰まった飯を胃に押し込んだ。
抜かったわ……いつもの服とごっちゃにしてしまったよ。あの日は疲れ過ぎて隠し方も雑だったのが災いしたか。
「ふふっ……随分おしゃれな服だったわねっ。一体誰が選んだのかしら? いやー、どんな子なのかしらー!?」
「む……そりゃどういうことよ、兄貴?」
「黙秘権を行使する……! ええい、話はこれで終わりだ! ごちそうさまでした!」
結局……その日、件の胸の中のもやもやは勉強でごまかした。
いずれは消えるものだろうし、まだ医者(笑)に頼むのは早かったのだろう。もう少し経過を見ることにしようと思う。
それにほら……あれだ。
俺はぼっちとガリ勉の二足のわらじなので、両方のルールに従わねばならん。
ぼっち的には恋愛なんてチャンスがあれば好きにしろよって所だが、ガリ勉界はジェダイやアイドルと同じで恋愛禁止。結果が全てのスポーティー世界なので、遊び過ぎはご用心なのである。そんなことで点数を落としてからでは遅い。暗黒面に落ちないよう注意せねばならん。
ふふ、後で橘にも教えてやろう。ビッチとガリ勉は両立できんとな。
言うなれば――我はジェダイ・ナイト、ガリ勉世界の守護者なり。
世のクソ真面目野郎たちが、フォースとともにあらんことを……。