第十五話 根暗のサッカー
それでなんやかんやを終えて元の班に戻ると、天樹院さん謹製のパエリアが待っていた。
これがパプリカやらズッキーニやらが入りカラフルな仕上がりとなっており、適度に塩味も効いていて非常にうまい。何でも器用にこなすスーパー委員、ついでにエプロンも様になっていると来た。だがそれだけじゃあない。
俺と小松君が帰ってきて直後、紙皿によそってきた時なんか、
「二人共、ご苦労さまっ」
「あ、ありがとう……」
ほんのりとした笑みで根暗にも受け答えがしやすいコメントを寄越してきた。
おいおい完璧かよ。
これならこっちも通り一遍な返事だけで済んでしまうので気が楽だ。
大海のような優しさよりも水一杯分くらいの気遣いの方が時にぼっちには心地良かったりするという事実は、世間でもあまり知られていない。
ともかく俺はそれを受け取った後、敷物の端っこで食べていた。
あの女子たち三人が談笑しているのを背に、クラスの他の班の様子を眺めながら。
ちょいと疲れたな。学校行事特有の身体の重さというか……。
小松君とさえ距離がぽっかり空いているのは、今は彼と話すことすら疲労を溜めそうだったからだ。知っている人と話すのでさえ脳みそをいじめているのに、今日に限っては、ほぼほぼ初対面っていう絡みが多すぎたしな。
こういう時、心労が丸ごと背中にのしかかってくるのが根暗の辛いところだ。
まあ委員長のパエリアで、割りに合っていると考えるとするか。
……俺はぼんやりと前を眺め続けた。
青空の下の、透明な空気。湿った土の匂い。
クラスの連中の笑い声だとか大騒ぎだとかが、耳の上っ面をはねて過ぎていく。
いい雰囲気だった。そんなに嫌いじゃなかった。自分がその中に居ない限りは。
はぁ……。昼飯が終わったらどうしようか。
班と言っても一緒に昼飯を作るだけの関係で、これが終われば自由時間だ。
正直全くプランが無いのだが……ここはベンチでも見つけて一人で勉強でもしようか。幸い単語帳だけは持ってきてるし。
何より、ちょっといつも通りの自分に戻りたい気がした…………のだが。
ここに、そんなぼっちの機微をまるで察しない女が一人。
優しさでもなければ気遣いでもなく、まるで自然災害のような奴がいた。
俺はいきなり柔い手で肩を揉まれて、ビクッとして後方を振り返ると、
「えへへ、さっきは色々ご苦労さま♪ ちょっと……疲れてる?」
うん、あれだ、お前の存在そのものが疲労の主な原因なんだけどな!
橘かれんは俺の肩をもみもみしながら満面の笑みだった。
嬉しそうなのは良いんだが、肩とか普段は絶対触れられない場所なので本当にびっくりしたよ……。それと長い金髪が上から首筋に当たってくるのは非常に勘弁して欲しいっていうか……俺もついそっぽを向いてしまった。
「何すんだよっ。心臓に悪いっての」
「あいつら、そんな悪い奴じゃなかったっしょ?」
「別に、普通だったけど……」
でもこういうノリ、二人でいる時だけじゃなかったのか?
それとも、気持ちひそひそ声なのはこいつなりに気を使ってくれてるのだろうか?
でも、さっきマジで見られてたことが判明したばかりなんだからな。
ほら、また小松君もちらちら見てんじゃねーか。心なしか後ろの女子二人からも視線を感じるので最早金縛りも同然である。遠足よ早く終われ。
と、橘は俺の肩から手を離すや隣にしゃがみこんできた。
どうやらいつになくご機嫌モードのようで、歯を見せてにっこりしている。
「やっぱ面倒見良いよね、キミ。あの状況で手伝いに行っちゃうとかさ」
「そんなんじゃない。火をおこしたらやることがなかったしな」
「ガリ勉が傑たちと仲良しになればさ、あたしも自然に絡みにいけるね? 教室とかでも」
どうも橘に聞く所によると、さっきのクールな方が荻野傑、騒がしい方が飯塚翔太というらしい。このクラス唯一のサッカー部コンビだとか。
……何か、今日は新しい名前ばかりだな。
明日には全部忘れてる自信があるよ、ほんとに。
「でさ……もしそうなれば、キミを悪く言ってた男子も見返せるじゃん?」
「お前、まだそんなこと気にしてたのかよ……。いい加減忘れろ」
橘は握りこぶしを作ると、俺の二の腕にぐっと押し付けて。
“やーだね”――まるでそう言っているみたいに「にしし」と笑う。
だが俺は――中村君とその一味が特別悪いとは思っていないのだ。
あいつらは他の奴より酷くもなければ上等でもない。問題があるのは俺だって同じだ。俺が空気も読まず勉強ばかりしているのは事実だし、それで不快に思う奴がいても当然なわけで。
その程度の軽い衝突、よもやこのクラスが始めてだったわけではない。
でもどういうわけか、この女は俺に変に肩入れしてくるのだった。
じゃあ、何がそうさせるんだ?――――それがずっと気になっているが、未だに答えらしいものは見つからなかった。
単に勉強で世話を焼いているからだろうか? 本当にそれだけで?
だがそれ以外、俺が何かしただろうか……?
場合によっては、橘たちが俺を嫌う可能性だって十分にあったはずだ。
はぁ……。
何だかこの女といると、恥ずかしくなったりエモくなったり深読みしたりと忙しい。
と、そうやってだらだらした時間を過ごしていると――
「よっ、仲良しのお二人さん」
そろりとこちらに寄ってきたのは、先ほどのサッカー部コンビ。
荻野――あのクールな方の男子がこっちにサッカーボールを投げてきたので、俺が半ば慌ててすくい取る。
「……ナイスキャッチ」
「おーい一条君、サッカーしようぜ! あと小松君も!」
騒がしい方の飯塚は無邪気な目をしていた。むしろサッカーと言うより野球少年っぽい。セリフ的にも、むしろそこは野球に誘えよという感じである。
だが、俺と小松君は困惑からお互いを見合わせる。
何で俺らなんだ? そう言おうとしたのを察したのか、荻野は肩をすくめた。
「他の奴らは野球しててさ。それに、こっちはもう二人いれば丁度いいし。さっきのお礼……みたいな?」
「お礼で一緒にサッカー? ははっ、何だよそれ……」
横にいた橘が背中をポンと叩いてきて、“行けばいいじゃんよ!”と歯を見せて笑う。
まぁ……こうして女子と話しているよりは気楽だけどさ…………。
断るほど嫌でもなかった。どうせやることもなかったし。
この公園にはデカい砂利の空き地があり、周りを見るとキャッチボールをする者、同じくボールを蹴り合っている者――様々だった。だが学校にもグラウンドがあるのだからやっていることは普段とさして変わらない。
本当に例外的だったのは、俺たちぼっちコンビが自由時間に普通にスポーツをすることになったことだろう。
二対二のゲーム。
無論向こうは二人共サッカー部員なので、バラけてペアを組む。
俺と荻野、小松君と飯塚という陣容だった。まあサッカーと言っても、コーンを狭いスペースに置いてゴールと見立てただけのことだったのだが。
とゲームを始める前、隣を歩いていた荻野がぼそりと、
「一条はかれんにいいとこ、見せないとな」
“はぁ?”という顔をしてしまう。ただのサッカーだろ――と。
よく見ればグラウンドの端っこで、橘の他の二人が突っ立ってこちらを見ているではないか。あの金髪女のニンマリ顔がここからでも見える。
「……変な勘違いすんな。さっさとやんぞ」
「ムキになんなよ、さっき仲良さげだったくせに。今度どんな接点あるのか、教えろよな」
「おい、サッカーすんだろ。それ以上言ったらマジで戻るかんなっ」
「はいはい(笑)」
俺は何も考えず走った。
腹ごなしのつもりで、面倒事は全部忘れるつもりで何十分も走り続けた。
とはいえ、俺も小松君も下手くそだ。
自分じゃまともに前に運べないので、ボールを持たされるとまずワンタッチでのパスを考える。いい場所で受ければシュートするが、まあ入らない。
そのはずだったけど……。
「ガリ勉、がんばー!」
……っ!
うっせーよ、他の男子を応援しろよな……!
だが、心の中で悪態をつきながらも身体がふわりと軽くなった気がした。
いつになく集中していた。らしくなく熱くなっていた。
攻撃じゃ何も出来ない分、相手がボールを持った時は走りまくる。
そして飯塚のシュートが自陣のゴールの間めがけて転がっていった時――俺は考える前に弾かれたように走り出していた。
クソが、間に合え! 間に合え!
もう間に合わないと判断すると足を出して――砂利の上に派手に身体を投げ出してザザァーと。スライディングでクリアを試みたが、ボールは足先数センチをかすめてコーンの間に吸い込まれていったのだった。
はぁ……。何を必死に頑張っちゃってるんだよ、俺は。
ばかばかしい…………。
汚い砂の上に寝っ転がりながら、仄暗いほど真っ青な空をただ見つめていた。