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第十一話 初デート④

 それで俺たち二人は、服を選ぶのには何時間も掛けたくせに、今日来た当の目的の方は手早く終わらせてしまった。


 だが、それもこれも橘があれから言葉少なだったからだろう。

 いつも勉強している時ほど、変なちょっかいかけられたり無駄話ばかりだったりで時間が過ぎていくというのに。一体何がどうしたっていうんだ。


 さて、ともあれ、そんなわけで。

 俺たちはただ黙って歩いていた。


 ――夕日が沈んだばかりの、仄暗い道。

 ――薄く伸びきった雲が、うっすらと赤ずんでいる空の下で。


 いつもなら降りないような駅で降りて、今までなら決して話すこともないような少女と、普段ならまず歩かない道をただ歩いていたのだ。


 買った食材は橘邸まで運ぶ算段だった。

 俺はパンパンに詰まったビニール袋を片手に持ちながら、彼女の二、三歩後ろを行く。


 もとより今日の俺は荷物持ちということで来ているし……。


 勿論あれだ、橘には少しも持たせたりはしていないぞ。

 その辺は、あの元気でサイコな叔母さんにみっちり教育されたから問題ない。

 いくら俺だって空気は読める。むしろ普段から喋らず観察ばっかりなので、自分でも嫌なくらい読め過ぎるくらいだ。それでも自分の席に張り付いて勉強ばかりしているのは、全部分かっていて読んでいないだけなのである。


 だから今も例外でなく空気は読めてしまうのだが……その空気が少しだけ重いのは、おそらく気のせいじゃない。

 ついさっき服選びしながら馬鹿笑いしていた橘はどこへやら。

 中村君とのことがあってから、今までずっと押し黙っているではないか。


 彼女の長い金髪が、数歩前で揺れていた。

 その歩調の方も微妙にどすどすと、ヒールの音を立てている。


 もしや怒ってる……のか?

 別に、俺が怒らせたわけじゃないけどさ。


 俺が怒るのならまだ分かるのだが、なぜこいつが悩まなければならない?


 こっちもこっちで複雑である。

 今まで嫌われたことは何度かあったけど、悩ませたことなんて多分ない。

 家族でもない奴が自分のことで悩んでくれるっていうのは、何だかもどかしいやら、申し訳ないやら――――変な話、ちょっと嬉しいやら。胸の中がもやもやとムズついて、どんな顔をすればいいのか分からないのだった。


 そして、どんな言葉をかけてやればいいのかも分からなかった。


 でも本当に、なんて言えばいい?

 ――俺は全然気にしてないぞ。

 ――別にさ、怒るほどのことじゃないって。

 ――あんな小っちゃい奴らの言うことなんて、どうでもいいだろ。

 どうにでも言えただろうが、何一つ口をついて出てこない。


 俺はいつでもそうだった。だからこそぼっちだった。

 言葉に困ってるわけでもないのに。それでも大事な用がない限り、自分から他人に話を振ることはまずない。相手が話してこない限りは沈黙だけが流れていく。妹相手ですらその調子なんだ、いわんや他人をやって所だろうか。


 つーか、そんなんだから俺は他人の名前一つ満足に覚えてやれないんじゃないのか?

 話しかけないってことは、そりゃ呼びかける必要もないわけだよ。


 それで結局、俺は黙って歩いていた。

 だがこうして黙っている限り、心臓のあたりがどんどん切なくなってくる。

 楽しかったことの後でこの静かな夕方の帰り道は、ちょっとエモ過ぎんよ……。


 やがて日は沈み、街頭の光を強く感じるような暗さになった。

 見上げてみると、これが本当に見慣れない地区だったので改めて驚く。

 辺りは大きめな邸宅が立ち並ぶ、立派な住宅街だった。


 ――と。


「ねぇ……」


 橘が立ち止まり、俺も足を止めて「ん?」と返す。


「あのさ。あたし、やっぱり納得してないから。キミにウザがられても、なんとかするつもりだから。クラスでの、キミの扱い。今日の中村のことだけじゃない……よね?」


 とにかく荷物が重くて左手の指がちぎれそうだった。

 俺は答えず歩こうとしたが、橘はそれにムッとした顔をしたので身体が釘付けになる。


「……別に、どうしてお前が気にするんだよ?」

「はぁ? 大事な人が悪く言われるの、誰でも嫌に決まってんじゃん」


 あんまり突然だったので、流石にこれにはドキリとした。

 大事……? 俺が?

 こうしてよく話し初めてから大して経ってないんだぞ、まだ……。


 解釈の仕方は色々あるだろう。

 中には“大事”の範囲がとんでもなく広い奴もいる。こういうリア充がそういうタイプだというのは特に不思議じゃない。男の噂がしばしばつきまとうような女なら尚更だ。

 だがそれを差し引いても……やはり俺はいつもみたいに目を合わせてられなくなって、こんな風にむすっと返してしまう。


「む……あれだ。嫌われる奴には必ず理由があるもんだぞ。お前が気づいてないだけで」

「確かに、そんなこと言う癖に自分のことを出そうとしないとこはマジで嫌い。こんなに見えない壁ばっかり作ってる人だとは、思わなかったけどねっ」

「さいですか……。随分ハッキリ言いおるな……」

「でも……キミがそんなでも、良い所、もうたくさん知ってるよ? 面倒見いいし、ツンツンしてる割には全然怒らないし、たまにあざとくデレるし、それに…………あたしと初めて会った時のこと、覚えてないの?」

「何……?」


 初めて会った時。図書室で初めて話した時って意味か?

 正直、特別何かがあった記憶はない。初めて話したって意味じゃ特別だろうが、最近と比べて印象深いかと言えばそうでもない。


「ふーん、覚えてないんだ。ま、キミには大した事じゃなかったのかも知れないけどさ」

「なんのことだよ。普通に気になるっての」


 橘は「ふーんだ!」と、わざとらしくぷいっと顔をそむけてしまう。


 でも……そういう顔するってことは、もう機嫌は直したんだな?


「はぁ……もう行こうぜ。あとどれくらいだ? 指が痛くてさ」

「あ、えっと……ここッス…………」

「ん……?」


 ここって、()()……?


 俺の眼前にあったのは、これまた中々の豪邸だった。

 そりゃ屋敷ってほどじゃないけど、上階には立派なテラスに、玄関先の庭は青々としている。車庫も横に長いし、三台分くらいといったところか。


 マジか…………。こいつ、一体どんな身分だよ。

 遊び倒していると思いきや門限とか普通に厳しいやつか、これ?


「あ、えっと……なんかオシャレな家っすね…………」

「やー! なんかハズいなー、もう!」


 おお、こいつ、珍しく顔を赤らめてやがる。

 いっつもコケにされている分はからかってやろうと思ったが……今日はいかんせん疲れた。根暗にはきっつい一日だった。休日なのに、軽く二週間分も体力を使った気がするよ。


 それでも……そんなに嫌じゃなかったけど…………。


「玄関まで運ぶか? かなり重いぞ」

「いいよ……。なんか恥ずかしいし。今日はありがとね」

「俺からすれば、今日はごめんなさいだ。のっけっからやらかしてさ」


 俺は袋を手渡して、そのまま行こうとした。

 流石にもうお開きだろってところで……袖をちょんと引っ張られた。


「な、何だよ……?」と、振り返ってみる。


 しかし橘はというと、いくらか恥じらったような面持ちで、


「そ、その……今日は童貞のくせにマジで楽しかったっていうか、色々意外だったっていうか、その…………ありがと。また一緒にどっか行こーよ。百回くらい」

「お前はこれから俺の休日全部潰す気かっ! まあ、楽しかったけどさ……」


 帰ろうと思った所で、袖を引っ張られたり小突かれたり――何だか、いつもの図書室での去り際と一緒だ。

 ついそれがおかしくて、少し頬が緩んでしまう。


 橘はまだ袖を離さなかった。それがどういう意味かも、もう俺は知っている。


「……まだ何かあんのか?」

「えっと……えっと…………」

「別に明後日学校で会うだろうよ。その時でいいだろ」

「やっ、今じゃなきゃダメなの。ほら、これ……」


 そう言ってバッグから取り出したのは小さな紙の袋だった。

 突き出してきたので思わず受け取ったのだが、橘はその袋をじっと見つめてくる。どうやら開けろということらしい。

 それで中に入っていたのが――


「へ? ネックレス?」

「そ、キミがトイレ行ってた間にね。今日選んだコーデ、ちょっと首元が寂しいからさ。モノトーンで揃えたし、カットソーとか真っ白だし」


 黒い紐の先には、小さい金の指輪のようなものが括り付けられていた。

 ってこれ、アレだろ……。もしやフ◯ドがぶら下げてた指輪じゃ――


「む。今、また残念なこと考えてたっしょ! そんな顔、」

「別にそこまでじゃねーよ。まだマシな方だし? というか、ちょいとチャラ過ぎやしないか? 少しばかり恥ずかしいな……」

「いいの、キミにはそれくらいで。慣れるもんだよ、きっと」

「つーか、金。いくらした?」

「ふふっ、いいの!」


 そして橘は重いポリ袋を肩にぐいっとかけて、門の方に身体を向けると、


「毎日勉強教えてくれてるお礼! じゃ、明後日ね!」

「お、おう……」


 しっかし持て余しそうなお礼だよ、全く。

 俺がこれをいつ付けてくって言うんだ?


 その日はそれでお開きだった。悪くない気分で家に帰った。

 まあたまにはこういうのもいいかなって……そんな風に思えた。


 ――大事な人、か。

 ――俺は一体どれだけそのままでいられるだろうか……?

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