金剛は駆ける①
幼稚園にケンジ君を迎えに来たお母さん。その帰り道、近所の親しい別のお母さんと出会って立ち話をし始めました。退屈になったケンジ君は近くにあった地面の土でお山を作り始めます。もちろんコンクリートの地面が多い今現在ですが、辺りにはこうした砂場もまだ残っています。ケンジ君はもっと山を大きくしようと、大きく広げた両手で砂を集めていました。
「ケンジ、帰るわよ」
お母さんはいつもより早く会話を切り上げて、ケンジ君を呼びました。
「今日はハンバーグよ。帰ったら手を洗いなさいね」
「うん!」
暖かい夕日が二人の帰り道を照らしています。ケンジ君の作りかけた砂山は細長い形で残ってしまいました。ではここで、これを縦にして見てみましょう。周囲を奈良県の地図に見立てると、ケンジ君の作りかけた細長い山は金剛山地にあたり、左に大阪府側、右に奈良県側と分ける県境の役目を果たしています。砂山で最も盛り上がった山、つまり金剛山地の中でも一番高い山を『金剛山』と呼びました。
金剛山への登山口の一つである高天彦神社には広い駐車場があります。そこに一人の高校生。入学してまだ二ヶ月の高鴨姫乃は目の前にそびえる金剛山を見上げていました。
「来たよ、金剛山」
なぜか金剛山に挨拶して、一人凛々しい目で姫乃は呟きました。
「はぁ、思った以上に大きいなぁ……」
何か後悔した様な言葉の響き。凛々しかった目は一瞬に女々しい目に。でも姫乃は首を左右に振りました。
「いや、弱気じゃ駄目だ。よし! 登るぞ!」
今度は決意の言葉を胸に、そしてやや緊張気味に姫乃の足が動き出します。
「(この山を登って足腰を鍛えるんだ!)」
― どんな道も軽々と駆け巡る『忍者』(のような)姫乃 ―
そんな自分を想像しながら意気込む姫乃。
「パパッと登って! すぐに帰ろう……」
情緒不安定な人ではないのですが、気持ちが不安で揺れたまま、語気も弱まったと同時に、姫乃の行く道は登り坂へと変わりました。更に進み、鬱蒼とした杉の道に入る頃、姫乃の息はもう切れ始めていました。
「はぁ、はぁ、はぁ……。茶色い土、杉の木の影、そして岩がゴロゴロ!そんなのばっかり!ずっとこんな道が続くの? 山ってもっと景色が良くって、清々しい所じゃないの?」
まだ登り始めたばかり。姫乃はもう不満を漏らしますが、山は何も答えてはくれません。
しばらく進むと姫乃の横を、イノシシかと思うほど、山中をものすごいスピードで駆け上っていく者がいました。見ると女の郵便局員さんでした。
「え!? 何!?」
郵便局員さんがスピードはそのまま、Uターンして戻ってくると、姫乃の前でピタリと止まりました。速すぎるスピードに距離感がまるでつかめず、それ以前になぜこんな山にいるのか理解も出来ず、すぐ目の前にいる郵便局員さんに姫乃は言葉が出ませんでした。
「高鴨姫乃さんですね?」
突然話しかけられ、姫乃は音らしき声を発しました。
「えっ、あっ・・・・・・」
郵便局員さんは全く息を切らせていません。姫乃はつばを呑み込むと、ようやく意味のある言葉が出ました。
「そ、そうですが……」
「えっと、ですね」
郵便局員さんは黒く大きな鞄の中をガサガサと探すと
「失礼しました! 今回郵便物はありませんでした!」
郵便局員さんは深々とお辞儀をして、再び山道を身軽に駆け上がって行きました。姫乃は呆然として、その背中を見送りました。
「……何?」