98.「確か、2月の中頃だった」
「確か、2月の中頃だった」
「彼女の投稿を見付けた」
「ただし、
そこは、いつもの談話室では無かった」
「相談をする場所だった」
「彼女は、
私の知る限りでは、談話室以外を利用したことは無かった」
「談話室以外の場所では投稿もしないし、返信もしない」
「だから、
私がそこで彼女の投稿を見付けたのは、たまたまだった」
「今日はどれに回答しようか・・・と、いつものように相談を探していたとき、
たまたま、目に入ったものだった」
「最初は、少しだけ気が引けた」
「でも、やっぱり気になった」
「それで、
飛ばさずに読んでみることにした」
「どうやら彼氏に酷いことを言われ、フラれたようだった」
「この人なら信じられるかもしれない、と思い始めた矢先のことだったらしい」
「耐えられない、どうしたら良いか分からない・・・と書いてあった」
「正直なことを言うと、
そのときの私は、チャンスだと思った」
「ここで点数を稼げば、彼女ともっと仲良くなれる・・・と思った」
「でも、すぐに思い直した」
「他人の不幸を喜ぶなんて最低の人間だし、
それに付け込むのは、もっと最低な人間のやることだ・・・と」
「回答するかどうか、少し迷った」
「付け込むようで、嫌だったのもある」
「ただ、それよりも、
自分が彼女のことを気にかけていることを知られるのが嫌だった」
「勿論、ここで彼女の相談を見付けたのは偶然だけれど、
でも、
こんなところまで私を追って探しに来た・・・と思われるのが嫌だった」
「しばらくして、
私は彼女の相談をそのまま流し、別の人の相談を読み始めた」
「他の人に任せようと思った。
私でなくても、きっと誰かが良い回答を寄せてくれるだろう・・・と思った」
「数時間後、
彼女の相談を見てみると、いくつか回答が付いていた」
「そんな男は最低だ。
さっさと忘れて、新しい人を探せば良い」
「その男の悪口を言おう。そうすればスッキリするよ」
「悪いことするヤツは、きっといつかバチが当たるから安心して」
「そういった回答ばかりが並んでいた」
「違う・・・と、私は思った」
「彼女が望んでいる回答はそれじゃない、違うんだ・・・と」
「彼女は自分の相談を、出来るだけ客観的に書いていた」
「自分の感想や感情を一切挟まず、
フラれた状況を、ただ淡々と説明していた」
「彼氏の印象を悪くするような言い回しは、意図的に避けていたし、
悪口自体、そこにひとつも記されていなかった」
「私には、すぐに分かった」
「彼女は、
そんな酷い仕打ちをした男のことでさえ、嫌いに思いたくなかったんだ」
「悪く言いたくなかったし、憎みたくもなかった」
「裏切られ、フラれたという現実を、
そのまま、冷静に受け止めたかった」
「理解したかった」
「でも、今の自分にはそれが出来ない」
「出来そうもない」
「受け止めきれない」
「つらい」
「苦しい」
「耐えきれない」
「どうしたら良いか分からない」
「助けて・・・と」
「私は、すぐに回答を書いた」
「慌てなくて良いんだ。
まずは、そのことは横に置いておいて、
体を動かしたり、自分の好きなことをしたりして、
時間を潰すんだ。
何でも良い。
とにかく、何かに没頭するんだ。
それで時間が経って、少し元気になったら、
それから、ゆっくりと振り返り、
少しずつ受け入れていけば良いんだ。
慌てる必要はない。
ゆっくりで良いんだ」
「そんな内容だった」
「そして、最後に迷ったけれども、
あなたのことは人間的に好きだ・・・と付け足した」
「最低なヤツだと思った」
「でも、
絶望し、極度に自信を喪失している人には、
誰かからの好意の言葉が、一番効くんだ。
一番、元気が出るんだ」
「私は、それを知っていた」
「だから、書くことにした」
「少しだけ、後ろめたかった」
「私は、
その回答を送信したあと、すぐにノートパソコンを閉じた」
「部屋の電気を消して、布団の中に潜り込む」
「送った回答のことは、なるべく考えないようにし、
ひとり、布団の中で、
静かに目を瞑った」
「その次の日。
布団から抜け出し、ノートパソコンを開いた」
「相談サイトを開き、
まずは談話室の、自分の投稿に付いた返信をチェックすることにした」
「勿論、彼女の反応は気になっていた」
「でも、怖かった」
「こんなところまで追いかけてくるなんて気持ち悪い。
そんなに熱くなって、真面目に回答することないのに。
これで私の気を引こうとして、あざといヤツ」
「そうした感じの、拒絶反応が怖かった」
「談話室の自分の投稿を開くと、
そこには、いつもの人たちの返信が並んでいた」
「そして、その最後に、
彼女からの、追加の返信が付いていた」
「私は、呼吸を整えたあと、
ドキドキしながら、画面を徐々にスクロールさせていった」
「ありがとーーーー・・・って書いてあった」
「バケツいっぱいのプリンを作ったところを一生懸命に妄想して、
あれから、しばらく過ごしてた。
まだ、完全には立ち直れないけど、
でも、あんなに優しい言葉をかけてもらったんだから、
私、頑張らないと。
ありがとね」
「いつもと違う感じの、
ちょっとハメを外した、明るい口調で綴られていた」
「元気が出たみたいだった」
「そして、嫌われたわけでも無さそうだった」
「ホッとした」
「私は、いつも通りの文章になるように気を付けながら、
すぐに、彼女のために返事を書いた」
「彼女と私は、
それから、今まで以上によく話をするようになった」
「彼女の投稿には、欠かさず顔を出すようにしたし、
私の投稿にも、彼女は必ず返事を書いてくれた」
「たくさん書いてくれたし、
私も、たくさん書くようにした」
「あるとき、
彼女の真似をして、談話室に詩を投稿してみたことがあった」
「生まれて初めて書いた、自分の詩だった」
「残念ながら、みんなの評価はイマイチだった」
「彼女も、返事に困っている感じだった」
「私は彼女に訊いてみた」
「いつも、どうやって詩を書いてるの?。
詩の書き方がよく分からない・・・」
「少ししてから、返事が付いた」
「詩は言葉のお絵描きだと思って、好きに書いてるよ。
心の中に浮かんだ景色を、ただそのまま文字にしてるだけ。
そんなに難しく考える必要ないと思う」
「言葉のお絵描きかぁ。難しそうだなぁ。
こっちは絵心が、ほとんど無いから。
昔、トンボの絵を描いたらさ、
これ、何の絵?・・・って友達に訊かれて、
で、
トンボ・・・って正直に答えたら、いきなり腹を抱えて笑い始めて、
猫が廊下で、脚を4本とも広げて伸びてるところだと思った・・・とか、
そんな酷いことを言われたこともあったし。
そっちは絵心がありそうで羨ましいなぁ」
「私のこと?。
絵心があるかどうかは分からないけど、
でも、確かに描くのは割と好きかも。
今も、コンテスト用の絵を描いてるし・・・。
あと、
その、笑えるくらいに独創的なトンボの絵、私も見てみたいかも」
「別に、無理して慰めなくても良いよ・・・。
下手なのは分かってるし・・・。
ところで、
コンテストって、どんなヤツなの?。
どこかの美術館主催のヤツ?、
それとも、交通安全のポスターとか?」
「詳しくは書けないけど、絵本のコンテスト。
あと、無理して慰めたんじゃなくて、
絵を見たいのは、私の本当の気持ちだよ。
どんな絵を描くのかな・・・って」
「どんな絵・・・って、
だから、
廊下でペシャンコに伸びてる猫そっくりのトンボの絵だってば・・・」
「この前ね、友達から冷血女って言われた」
「え?、何で?。
そんなことないと思うけどなぁ・・・」
「何かね、この前ね、
お好み焼き屋さんに友達4人で集まったんだけどね、
そのとき、ある子が自分の話を始めて、
途中で、話しながら泣き出してしまって・・・。
で、
その話を聞いてた友達も、一緒に泣き出してしまったんだけどね、
私だけ泣いてなくて・・・。
それで、冷血女って言われた。
こんな話を聞かされて、どうして泣かないの?。
何で泣いてあげないの?。
この子のこと、可哀想に思わないの・・・って」
「その子の話を聞いて、どう思ったの?」
「私も、可哀想だとは思ったんだけどね、
でも、泣けなかった。
それに私、
泣いてあげる・・・って言葉の意味が、実はよく分かってないんだ。
誰かに泣かれて嬉しかったことがないの。
その姿を見ると、
自分の昔のことを、何となく思い出しちゃうから・・・。
ねぇ、
泣く・・・って、どういう意味なの?。
泣けない私は、
やっぱ、みんなの言うとおり冷血女なのかな・・・」
「あくまでこれは、私の個人的な意見だけれども、
泣く・・・という行為は、
その人の精神状態を平静に戻すための、体のひとつの機能に過ぎない・・・って、
そう思ってる。
心の中が、
怒りや悲しみ、嬉しさなどの、
処理しきれない、何らかの感情でいっぱいになってしまって、
冷静でいられなくなってしまったとき、
泣くことで、涙と一緒にその感情を一気に外へと押し出し、
そうやって、
出来るだけ迅速に立ち直るために長年かけて進化した、人間の体の機能だと思ってる。
出来るだけ早く、
身の回りにある脅威に対処出来る状態に、心を戻すためのもの。
泣いたあとって、気分がスッキリするでしょ?。
そういうことだと思うよ。
涙自体は、
別に、神聖でも特別なものでもない・・・って思ってる。
大切なのは、
多分だけど、心の方だよ。
泣くか、泣かないか・・・よりも、
何を感じ、何を思ったか・・・の方が、きっと遥かに大事。
お好み焼き屋で話をしてくれた子のことを、
他の友達と同じように可哀想に思い、それで同じように心を痛めたのなら、
たとえ泣かなかったとしても、
涙を流さなかったとしても、
あなたも一緒だよ。
泣いた他の友達と同じく、
あなたも心の優しい、温かい人だと私は思うよ。
心の中は見えないから、
どうしても、冷たい人間として見られちゃうけどさ」
「何か・・・うん、何か分かった気がする。
ちょっとスッキリした。
ありがとね」
「良かった。
実は、小難しいことを長々と言う変な人だと思われそうで、
それで、ちょっとだけ書くのを迷ってたんだ。
そうならなくて良かったよ」
「変な人・・・っていうか、
ちょっと変わってる人だなぁ、とは実は少しだけ・・・」
「あれ?、おかしいなぁ・・・。
心の温かい人は、一生懸命に返事を書いてくれた人に対して、
そんなことは絶対に言わないはずなんだけどなぁ。
おかしいなぁ」
「ごめんごめん、冗談だってば。
ちゃんと嬉しかったから。
ありがとね」
「彼女とは、何となくウマが合った」
「私の性格を、誰よりも把握してくれてた気がしたし、
私も、彼女の考えていることがよく分かった」
「文章を読んでいて、
彼女がどれだけ私に気を配って書いているかが、何となく伝わってきたし、
逆に、
私がどれだけ気を遣い、文章を書いているか、
彼女は、それをしっかりと分かっているようだった」
「私が、
あなたの文章は結構前から読んでいた・・・と言うと、
彼女も、
実は、私のことはかなり前から目を付けていた・・・と、
楽しそうに返してきた」
「まるで、
ショーウィンドウに並ぶ私という商品を、こっそりずっと狙っていたかのような、
そんな表現が、ちょっとだけ面白かった」
「そうした感じで、互いに会話を重ねていき、
どんどん仲良くなっていき、
そして、いつからか、
私は、ちょっとおかしくなった」
「誰かの相談に対する回答を書いているとき、
知らず知らずのうちに、手が止まってしまうようになった」
「彼女のことを、ぼーっと考えていた」
「ダメだ。
まずは、この相談の回答を書かないと」
「頭を振り、気を取り直し、
回答を書く作業に戻っても、
気付くと、
いつの間にか彼女のことを考えていた」
「ゲームをしていても、
食事をしていても、
トイレのときでも、
眠っているときの夢の中でさえも、
少しでも気を抜くと、常にそうなってしまっていた」
「彼女のことしか考えられなくなってしまっていた」
「このままではマズイ、と思った」
「危険だ、と思った」
「このサイトは、
利用者同士で直接連絡を取り合うことを禁じている」
「会いたいと思っても、それが出来ないシステムになっている」
「好きになったとしても、
せいぜい、このサイトで毎日話し合うことぐらいしか出来ない」
「それ以上のことは、何も出来ない」
「会うことが叶わなくて、
いつかそれで、どうしようもなく思い苦しむことになる」
「これ以上はダメだ」
「これ以上、彼女のことを好きになってはいけない」
「でも、そんな理性とは裏腹に、
私の中での彼女の存在は、どんどん大きくなっていった」
「膨れ上がっていった」
「より一層、好きになっていった」
「堪らなく、好きになっていた」
「好きで好きで、好きで好きで仕方なくなっていた」
「それ以外の感情が存在しなくなっていた」
「もう、歯止めが全く効かない状態になっていた」
「そして、
多分、それは私だけのことでも無かった」




