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Summer Echo  作者: イワオウギ
III
97/292

97.「その人は、決まった名前を持っていなかった」

「その人は、決まった名前を持っていなかった」


「事あるごとに、しょっちゅう変えていた」


「名前の前後に何かの文字や記号を付け加えたりとか、

 読みをローマ字に直したりとか、

 そういった、分かりやすい変更ではなかった」


「毎回、全く別の名前になっていた」


「跡形もなく変わっていた」


「そして、

 その変更を知らせることも無かった」


「何の前触れもなく、

 ある日、忽然(こつぜん)と変わっていて、

 以前の名を誰にも明かさずに、そのまま活動していた」


「それを、何回も繰り返していた」


「理由は、よく分からない」


「でも、いくら名前を変えたとしても、

 それがその人なのは、書いた文章を見ればすぐに分かった」


「多分、誰にでも分かる」



「その人の書く文章は、やたらと漢字が多かった」


「びっくり、バネ、サイコロ、ガス、どこ、よそ、つもり・・・」


「全て、漢字で書かれていた」


「他にも、

 台詞や馬鹿、慌てる・・・などは、

 普段、目にしない方の漢字が宛てられていたし、

 楽しい、来る、尽きる・・・などは、

 見たことのない古い字の方が、わざわざ使われていた」



「とにかく読みにくかった」


「分からない単語が出てくるたびに、いちいち調べる必要があった」


「読むのに、

 普通の人の文章の、何倍もの時間と手間がかかった」


「そして、そこまで苦労して読んだとしても、

 書いてる内容はごく平凡なもので、他と特に大差なかった」


「ありきたりな文章」


「単に読みにくいだけ」


「何だ、こいつは・・・と思った」


「はっきり言って面倒だったし、

 それに、

 自らの漢字の知識を鼻にかけているようで、私は気に食わなかった」


「その人とは、直接やり取りをしていたわけではなかった」


「私が仲良くしていた人の投稿の、返信の中に、

 その人の書いた文章が、私のものと一緒によく並んでいた」


「ただ、それだけだった」


「私の投稿に、その人が返信をすることもなく、

 また、その逆も無かった」


「交流は無かった」


「なので、

 最初のうちは、私はこの人の文章を飛ばしていた」


「読まなかった」


「でも、そうやって読み飛ばしていくうちに、

 段々と、その人にバカにされてる気がしてきて、

 それが悔しくて、

 いつしか飛ばすのやめていた」


「漢字だらけの、そのサイトの誰よりも読みにくい文章を、

 毎回、ひとつひとつネットで調べつつ、

 自分の中に少しずつ知識を蓄えながら、読むようになった」


「そして、たまたま目についた返信だけでなく、

 その人自身の投稿も、チェックするようになっていた」


「理由は分からない」


「ただ何となく、

 いつの間にか、気になるようになっていた」



「その人は、どうやら女性のようだった」


「自分でそう言っていたわけではない」


「でも、彼女が書いた内容と、

 その彼女に対する、周囲の接し方で、

 何となく分かった」


「年は、

 多分、私と同じくらい」


「若そうだった」


「談話室で自分の誕生パーティーを開き、

 みんなに、無邪気に祝ってもらっていた」



「そして、そうした雑談の冒頭には、

 大抵の場合は、彼女の書いた詩が載せられていた」


「丘の上の、動いていない風車や、

 夜間の、波のない海にポツンと浮かぶヤシの実など、

 遠い、どこかの風景をモチーフにしたものが多かった」


「当時の私は、詩には興味が無かった」


「良さが全く分からなかった」


「談話室には、詩を投稿している人が彼女の他にもたくさんいたが、

 私は、そのほとんどを読み飛ばしていたし、

 ときどき、気まぐれに読むことがあったとしても、

 途中で退屈になってしまい、

 すぐに、次の投稿へと移ってしまっていた」


「けれども、彼女の書いた詩は飛ばさなかった」


「最後まで、キチンと読んでいた」


「何故かは分からない」


「明るい詩は、ひとつも無かった」


「静かで、悲しげなものばかりが、

 冒頭には、いつも載せられていた」



「彼女も、私と同じく、

 何かトラブルを抱えているようだった」


「家族がみんなで楽しそうにテレビを見ている中、

 私だけ、

 台所でひとり、冷蔵庫に入った残りものをコソコソと食べている・・・とか、

 自分の過去を他の誰かに話すと、みんなが泣き出してしまって、

 それを見ている時間が堪らなく嫌だ・・・とか、

 そんなことを、たまに呟いていた」


「私は、

 ときどき、彼女の投稿に返信をするようになった」


「漢字ばかりの、特徴的な文章が返ってきた」


「彼女も、

 ときどき、私の投稿に返信をするようになった」


「私も、それに言葉を返した」


「他の人たちと変わらない感じの、

 素っ気ない、普通の返事を書いた」


「そんなやり取りを、

 互いに、

 しばらくの間、続けていた」


「私は、その頃になると、

 彼女の文章に、すっかり慣れてしまっていた」


「彼女が好んで使う漢字を、ほぼ全て覚えてしまっていた」


「ネットで調べることなく、

 他の人の書いた文章と同じくらいに、スラスラと読むことが出来た」


「もう、読みにくいとは思わなくなっていた」



「別に、何かキッカケがあったわけではない」


「気付いたら、いつの間にか、

 談話室の彼女の投稿や、誰かに宛てた返信を探すようになっていた」


「見付けると嬉しかったし、それを片っ端から読んでいた」


「時間を空け、

 繰り返し繰り返し、何回も読んでいた」


「彼女のことをもっと知りたい・・・と思うようになっていた」


「色々なことを話したいし、仲良くなりたい・・・と思うようになっていた」


「いつの間にか、好きになっていた」

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