96.「年が明けた」
「年が明けた」
「でも、私は動き出さなかった」
「まだ、世間は正月休みだから。
まだ、学校は冬休みだから。
まだ、休みが明けたばかりで忙しいだろうから」
「そうやって、
どんどん自分にとって都合の良い理由を作り、
先延ばししていき、
最終的には、こう開き直った」
「そうだ。
4月の新学期に合わせて動き出せば、ちょうど良いじゃないか。
だから連絡するのは、3月の終わりくらいにすれば良い」
「ただ、それでも、
今までどおり、ずっと好きなサイトばかり見て遊んでいるのも気が引けた」
「だからネット上で、自分の悩みを相談することにした」
「私が誰か分からないよう、匿名で相談し、
それに答えてもらって、
そうやって、より良い情報を集めよう・・・と思った」
「まずは、その相談サイトを探した」
「すぐに、いくつか見つかった」
「早速、それらのサイトに、
自分のアカウント・・・じゃなくて、ニックネームを登録してみた」
「いきなり自分の相談をするのは気が引けたので、
まずは試しに、
既に投稿されている、誰かの相談に答えてみることにした」
「数時間かけ、やっとのことで回答を作成し、
あとは送信ボタンをクリックするだけ・・・というところで、
私の手が止まった」
「送信することが出来なかった」
「本当に、この回答で良いのだろうか。
これで、相手の悩みを解決できるのだろうか。
逆に、更に悪化させてしまうのではないだろうか。
そもそも、この文章は大丈夫だろうか。
相手を傷付ける文章になっていないだろうか。
見ず知らずの誰かから、
お前の文章は日本語がおかしい、と笑われないだろうか。
悪意ある人たちから、汚い言葉で罵られないだろうか。
嫌な思いをするのではないか」
「怖かった」
「私は、相談内容を変えてみた。
また時間をかけ、一生懸命に回答を書いた」
「でも、ダメだった」
「相談内容を、いくら変えてみてもダメだった。
どうしても、送信することが出来なかった」
「何も出来ない自分が情けなかった」
「そんな中、
他とは少し違う感じの、相談サイトを見付けた」
「そこは、サイトのオーナーと、
そのサイト内で募った、管理人と呼ばれるボランティアたちが運営しているところで、
利用者たちの、あらゆる投稿は、
オーナーや、
管理人たちの審査を通らなければ、掲載されないシステムになっていた」
「要するに、
掲載される文章は、ある程度のマナーが保証されており、
それが、このサイトの一番のウリらしい」
「投稿のルールを読んでみると、
攻撃的で乱暴な言葉遣いや、誰かを傷つけるような発言は禁止されており、
あまりに酷い場合は、その人の利用停止処分もあり得る・・・とのことだった」
「試しに、サイトに寄せられている投稿をざっと眺めてみると、
荒れた文章は、確かにどこにも見当たらなかった」
「たくさん並んだ、それぞれの相談に対して、
誰もが親身に、真剣になって答えていた」
「他人の悩みをバカにしたり、笑ったりするような、
そんな感じのマナーの悪い回答は、ひとつも無かった」
「ここなら大丈夫そうだ」
「ルールには、他にも、
本名や住所などの、個人を特定できる情報や、
電話番号やメールアドレス、他のサイトへの誘導など、
利用者間で直接連絡を取れる手段を載せる行為も禁止されていた」
「つまり、利用者同士が、
そのサイトを通じて会おうとしても、会えないようになっていた」
「他人になかなか言えないような悩みを、
誰もが安心して相談できるように・・・というサイト側の配慮と、
あとは、
利用者同士のトラブルを避けるという意味合いも、多分あった」
「私にとって、それらのルールは好都合だった」
「不登校で引きこもり、という引け目もあり、
誰とも、そこまで深い付き合いをするつもりが無かった」
「ネット上での関係は、
あくまで、ネット上だけで終わらせたかった」
「リアルに持ち込みたくなかった」
「私は早速、
そのサイトに自分のニックネームを登録した」
「まずは軽めの相談を探し、
それに1時間以上かけ、回答を書き、
念のため、その相談に関することをネットで検索し、
合ってることを確認し、
何度も何度も自分の文章を見直し、細かく修正した。
それから、
送信ボタンのところにカーソルを持っていき、
散々躊躇した末に、ようやく何とか押し、
すぐさまノートパソコンを閉じて、
布団の中に潜り込んだ」
「その次の日、昼過ぎに起き、
そのサイトを恐る恐る確認してみると、
私の回答は、
そのまま、ちゃんと掲載されていた」
「ホッとした」
「それに対する、相手からの返信もついていた」
「ありがとうございました」
「ひと言だけの、素っ気ないものだった」
「でも、嬉しかった」
「すぐに、別の相談を探した。
同じように長い時間をかけて回答を書き、送信し、
そして、
また、次の相談を探した」
「それから、
私は、その相談サイトに入り浸るようになった。
見ず知らずの、悩める誰かのために一生懸命に回答を考え、
そうして、1日の大半を過ごすようになった」
「1週間ほど経ったある日、
私は、そのサイト内の、
相談とは関係ない場所を、覗いてみることにした」
「そこは、談話室と呼ばれる場所で、
利用者同士が、自由に雑談を行えるスペースだった」
「勿論、管理人による審査はある」
「でも、相談以外の投稿も許されていた」
「日々の愚痴からアンケート、小説や詩など、
ありとあらゆる、様々なものが投稿されており、
それに対する返信も、
それぞれ、数多く寄せられていた」
「悩みとは程遠い、ほのぼのとした雰囲気で、
みんな、楽しそうだった」
「最初は、その談話室を利用するつもりはなかった」
「自分は相談するために、このサイトを訪れているんだ。
楽しむために来ているわけじゃない」
「私は、談話室に並ぶ投稿をひと通り眺めたあと、
すぐに、そこを抜けた」
「また、誰かの相談に答える作業に戻り、
その回答を考え始めた」
「けれども、しばらくすると、
談話室のことが、再び気になってきた」
「やっぱり、ちょっとだけ見てみよう。
この回答が終わったら見てみよう。
気分転換に見てみよう」
「そうして、結局、
相談に答える傍ら、談話室にも頻繁に訪れるようになり、
しばらくすると、
私も、色々な人たちとの他愛のない雑談に興じるようになった」
「仲の良い人も出来た」
「談話室に私が投稿すると、それに気付いて、
毎回、何人かが返信をしてくれた」
「私も、その人たちの投稿には欠かさず顔を出し、
出来る限り言葉を返すようにしていた」
「こちらは、朝から雪が凄い降ってます。
憂鬱です。
そちらはどうですか?」
「こちらは雪が降ってません。
でも、憂鬱です」
「そんな、どこにでもあるような普通のやり取りが、
とても楽しかった」
「そして、
談話室での、そうした交流を続けるうちに、
やがて私は、少し気になる人を見付けた」




