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Summer Echo  作者: イワオウギ
II
90/292

90.「え?。どうする・・・って?」

「え?。どうする・・・って?」


私は老人の方を振り向き、訊き返した。

老人は、

神社の方を見据えたまま、手に持ったライトをそちらに差し向け、

すぐに下ろし、

また、口を開いた。


「あんなとこで本当に良いのか・・・って、

 俺は、そう訊いてるの」


老人は顔をこちらに向け、私を見る。


「あ、そういう・・・。

 えーと・・・、」


私は、

鳥居の向こうにある、境内の奥へと目を向ける。

あんなとこ・・・と言われたヨモノ神社は、

確かに、やや寂れた外観をしていた。


神社の正面の、軒下には、

その軒を支える太い木の柱が2本、左と右で立っていた。

木の柱は、

年月を経たためか、

茶色というよりも、ぼやけた灰色が近く、

柱を受けている、それぞれの土台石からは、

湿ったような質感の黒色のシミが、少しずつ登ってきている。


その2本の柱の、軒に近い高さを水平に結ぶようにして、

太くて立派な、木の(はり)が渡らせてあった。

梁には、何も飾られていない。

雷のような形の、ギザギザの白紙(しろがみ)を垂らした注連(しめ)縄も無ければ、

大きな鈴や、それを鳴らすための鈴緒(すずのお)も無い。

賽銭箱も置いてない。

神社の縁側に上がるための、

数段ほどの、木造りの階段の上はガランとしている。


階段を上がった先の、

縁側の、その向こうには、

大きな格子戸があり、閉ざされていた。

縦と横に何本も走っている、碁盤の目のような木の格子を、

夕日の光が、明るく照らし出している。


屋根に目を向けると、

そこには、

すっかり(つや)を失った、くすんだ朱色の瓦が乗っていた。

軒先の方にある瓦は何枚か()がれていて、

下地の板が、顔を覗かせている。



私は、屋根に向けていた視線を下ろすと、

境内のあちこちを、

ざっと、遠目に見回した。

神社を指差しつつ、老人の方に顔を向ける。

口を開いた。


「あの、すみません、

 あそこの階段に腰掛けても大丈夫ですか?」


「階段?。

 ・・・あぁ、社に上がるキザハシのことか」


老人は、

そう言って、顔をこちらに向けた。

私は、指していた手を下ろす。


「はい、

 座れそうなところが他に見当たらないので・・・」


「あぁ、まぁ、

 どうせ誰も来ねぇし、いいけどよ・・・」


老人は、

そこまで言ってから、ひとつ大きく鼻息を漏らした。

そして、


「じゃ、行くか・・・」


と呟き、

ひとり、神社に向かって歩き始めた。


「え?。あ、ちょっ・・・。

 ・・・ほら、行こう?」


少年とともに、慌てて後を追う。


「ふたりで、ゆっくり話していくんだろ?。

 さっさと行こうや。

 俺だって、そんなにヒマじゃないんだ・・・」


「あ、はい。すみません・・・」



こちら側に、ときどき大きくはみ出しているササの枝葉を蹴飛ばしつつ、

ササ原の中央に延びる、枯れ葉の小道を進んでいく。


太陽と月の、石の置き物の間を通り抜け、

更に少し行くと、そこからは道幅が広がった。

両脇のササ原も、それに合わせて途切れ、

地面に近いところで葉を広げている、たくさんのシダたちと、

そのすぐ背後でそびえ立つ、鬱蒼としたスギの森へと変化した。

正面には、

剥き出しになった硬そうな地面が、まっすぐ向こうへ延びており、

ところどころに、

点々と、スギの枯れた枝葉が落ちている。


一帯を、ずうっと広く覆っていた影から抜け出て、

日の当たる、明るい場所を進むようになると、

老人は端に寄った。


「参道の真ん中は神様の通り道なんで、譲るのが作法なんだ。

 ・・・一応な」


「そうなんですか。知りませんでした」


老人に続き、私も端に寄る。

道に沿って、

畑の(うね)のような、枯れ葉の山が延びている。

その近くを歩いていく。

顔を僅かに上げる。

視線の先に、

石造りの、大きな鳥居。

高いところに、

ほんの少し()り返った、太い梁が横たえてあり、

その上を、

緑色のコケが、モコモコと厚く覆っていた。

コケは、

鳥居のテッペンから、こちら側へと、

多少、(こぼ)れ落ちてきており、

夕日が黄色く照らす梁の、

その、こちら側の表面を伝うようにして、

緑色のモコモコを、下に伸ばしている。


次いで、

足を動かしつつ、鳥居の柱に目を向ける。

細い蔦が1本、長く。

同じ大きさの、かわいらしい小さな葉を、

交互に左右に、ひとつずつ広げながら、

まっすぐ高く上っていた。

石でできた、その柱の表面は、

ザラザラとしてはいたが、凹凸はそれだけだった。

蔦は、空を目指し、

その僅かな凹凸の表面を伝って、まっすぐ上っている。


鳥居の真下辺りまで来ると、

老人は歩きながら、小さくお辞儀をした。

これも、作法なのだろう。

私は老人に倣い、お辞儀をした。

3人、順番に鳥居の下をくぐっていく。



「参道の話で思い出したけどよ・・・」


老人の声が聞こえた。


「え?。あ、はい」


すぐさま視線を起こし、返事をする。


「ガキンチョの頃、親父に訊いたことがあったんだ。

 たくさんいる神様たちの中には、謙虚なのもいるんだろ?。

 その神様が参道の端っこを歩いてたらどうするんだ。

 ぶつかっちまうじゃねぇか、ってな」


「あぁ、確かに」


「だろ?。

 したら親父のヤツ、俺の頭をポカッと殴りやがって、

 そんで、こう言ったんだ。

 そんなんだからお前はダメなんだ。

 いいか、こういうのは気持ちが大事なんだ。

 実際の行動じゃなくて、

 神様に道を譲ろう、という心がけが大事なんだ。

 謙虚さを忘れないためにやっているんだ・・・って」


「なるほど」


「だから俺、親父に言い返したんだ。

 だったら、心の中でだけ端っこを歩いていれば良いじゃねぇか。

 謙虚な気持ちで堂々と真ん中を行けば良いじゃねぇか。

 わざわざバカ正直に、端に寄る必要ねぇじゃねぇか・・・ってな。

 したら親父のヤツ、

 話の途中で、また俺の頭を殴りやがってよ・・・。

 いいから、お前は黙って端に寄ってれば良いんだ!、

 つべこべ文句言うな!、そういう決まりなんだから仕方ないだろ!、

 だいたいお前はいつもいつも・・・って、顔真っ赤にして怒り始めやがってよ。

 謙虚な気持ちとやらは、どこに飛んでったんだよ?。

 決まりなら決まりって、始めからそう言・・・あ、兄さん」


「え?。あ、はい、何でしょう」


笑いを堪えつつ、話を聞いていた私は、

顔を上げる。

老人は立ち止まり、こちらを振り返った。


「着いたぞ」


そう口にした小柄な老人の、その顔の向こうに、

私は目を向ける。

私たち3人の影が、

木造のキザハシを上り、縁側の床を伸び、

西日が照らし出す神社の格子戸に映り込んでいた。



少年と私は、老人を待っていた。

老人は、

ちょっと、ここで待っててな・・・と言い残し、

すぐそこにある神社の角を曲がって、裏手の方へと歩いていった。


「ほら、座ろう?」


私は、そう言いながら、

後ろを振り返る。


「・・・」


そんな予感は、

何となく、していた。

さっき、

標識のところで声をかけたとき、元気が無かったし、

それに、参道を歩いている途中、

足元に映り込んだ、少年の影の頭が、

ちょっとだけ短かかった。


私は、

目の前で立ち尽くす少年を、黙って見つめた。

ツクツクボウシたちが、

辺りの森で、その大きな声を絶え間なく響かせている。


もう一度、声をかけようか迷った。

しかし、

少ししてから、息をひとつ吐くと、

何も言わずに、神社の方に向き直した。

そのまま歩いていき、

縁側の手前にある、キザハシの1段目の、

右の端っこにカバンを下ろす。

顔を上げたついでに、

閉ざされた格子戸の向こう側を覗き込む。


一番奥にあるはずの祭壇の姿は、ほとんど確認できなかった。

下の方だけが、

闇の中に、薄っすらと見えている。

祭壇の前には、

人が立ち入れぬよう、

柵のような、木でできた低い衝立(ついたて)が置かれており、

衝立の足元には、

この格子戸にはめられている、薄汚れたガラスを透過した太陽光が当たっていた。

敷き詰められた、お座敷の畳の上に、

まるで都会の夜景に浮かび上がるビルのような、たくさんの四角い明かりと、

その中に、

表情の無い、私の影の頭が映り込んでいる。


ふと、視界の片隅で、

何かが動いた気がした。

そちらに目をやると、

マス目状に並んだ夕日の窓の、下の方に、

影の頭が、小さくちょっとだけ映っていた。

そのまま黙って見ていると、

影は、もそもそと動いて、

やがて手前に、ゆっくりと引っ込んだ。

座ることにしたのだろう。



「おーい、兄さん、持ってきたぞー」


声が聞こえた。

振り向くと、

神社の角から出てきた老人が、こちらに歩いてきていた。

手には、もともと持っていたライトと、

反対の手には、アイスホッケーのパックをひと回り大きくしたような、

厚みのある白い円盤が握られていた。

私は老人の元に駆け寄り、それを受け取る。


「すみません、助かります」


円盤の上半分は、

見ると、半透明の白いプラスチックで覆われていた。

この部分が光るのだろう。

ひっくり返し、裏側を確認する。

円形の、大きな凹みがあり、

その中央には、

黒色の、小さな四角い突起物があった。

指先を当て、

パチンと、スライドさせる。

ひっくり返した円盤の下半分が、パッと明るくなる。

オレンジ色の、淡い光。


「燈籠に使うLEDだよ。

 意外と虫も寄ってこねぇし、便利なんだぜ、それ。

 ・・・ほら、兄さん、こいつも」


差し出された老人の手には、

いつの間にか、燈籠用のLEDがもう1コ握られていた。

ダウンジャケットのポケットにでも、入れていたのだろう。


「え?。

 あ、いや、1コだけで充分ですよ。

 2コなんて、そんな・・・」


手を広げたまま、

体の前で、左右に細かく振り、

断ろうとすると、

老人は、


「途中で電池が切れたらマズイだろ?」


と言って、

ほらよ、と、

持っていたLEDを、私の広げた手の前へ突き出した。


「すみません。

 ありが・・・あ、ちょっと待って下さい」


「何だよ、早くしろよ・・・」


私は、掴みかけた手を引っ込めると、

自分の手元にある、

光ったままのLEDのスイッチをOFFに戻した。

改めて、老人の持つLEDへ手を伸ばす。


「ありがとうございます」


お礼を言いつつ、受け取ると、

老人は、大きく鼻息を漏らした。


「・・・じゃあな」


そう言い残し、

私の横を通り過ぎていく。


「あ、ちょっと・・・」


私は、慌てて呼び止めた。

老人は足を止め、こちらを振り返る。


「何だよ。まだ何か用か?」


「あ、いや、そうじゃなくて・・・、」


私は、

両手のLEDを僅かに持ち上げ、更に続けた。


「これ、返すとき、

 どうすれば良いのかなって思いまして・・・」


「あぁ、そういやそうか。

 ・・・まぁ、そこら辺のどこかに適当に置いときゃいいよ。

 またいつか、ここに来たとき、

 戻しておくからよ」


「え?。

 でも、それだと()られませんか?」


「こんなの誰も盗らねぇし、そもそも人なんか立ち寄らねぇよ。

 タヌキとかネズミとか、あとはフクロウとか、

 それくらいしか、ここには来ねぇよ」


「でも、一応・・・」


私が食い下がると、

老人は顔を右斜めに俯け、その後頭部の辺りを左手で乱暴に掻いた。


「あぁ、もう、

 だったら社の裏のどこかに置いといてくれ。

 それで満足か?」


そう言った老人は、私の顔を見上げた。


「あ、はい。すみません・・・」


私は、小さく頭を下げる。


「・・・じゃあな」


「あ、ちょっ・・・。あの、すみません」


参道の方へ向き直ろうとしていた老人は、すぐに動きを止めた。

顔だけをこちらに向ける。


「何だよ、兄さん」


「あの、ここで飲み食いしても大丈夫でしょうか」


「あ?。あっちの息子と・・・じゃなかったな、

 従弟の小坊主と、ドンチャン騒ぎでもしようってのか?」


老人は、

そう言いながら、首から下もこちらに向けた。


「いえ、そうじゃなくて・・・。

 その、お茶なんかを飲みながら話したいな・・・って」


「別に良いけどよ。

 ただし、ゴミはちゃんと持ち帰ってくれよ?」


「分かりました」


「・・・」


「?。

 えっと、何でしょう・・・」


「他は?」


「え?、他って?」


「まだ俺に用があるか、訊いてるの」


「あ、はい。えーと・・・」


「・・・無いなら、このまま帰るからな。

 俺だって、そうヒマじゃないんだ」


「あ、ひとつだけ」


「なんだ、あるのかよ・・・」


「はい・・・」


「・・・本当に、ひとつだけだろうな?」


「はい」


「泣こうが(わめ)こうが、

 これっきり、俺はもう振り返らねぇぞ?」


「はい、大丈夫です」


「・・・何だよ?」


「色々と親切にして頂き、ありがとうございました」


頭を下げると、

老人は大きく鼻息を漏らし、私に背を向けた。


「じゃあな。

 遅くならないうちに、とっとと帰れよ」


ライトを持っていない方の手を、その肩越しで左右に揺らしつつ、

ひとり、夕日の射す参道の端っこを、

小柄な老人は、長い影を引き連れて戻っていった。

作中に出てくる『鳥居の太い梁』は、

調べたところ、ちゃんとした名称があるようです。

下にある真っ直ぐのものは(ぬき)と呼び、

上にある少し反ったもの(真っ直ぐなものもありますが)は、

こっちは実は2本を上下に重ねたものになっており(写真で見ると、よく分かります)、

土台の方を島木、

その上に乗っている屋根の部分を笠木と呼ぶようです。

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