89.「兄さん、どっから来たの?」
「兄さん、どっから来たの?」
宮司と名乗った、その老人は、
私の前を歩きながら、そう尋ねた。
「都内です」
「都内?。
何で都内の人間が、こんなとこにいるんだ」
「えーと、実は仕事でトミヤマに来てまして・・・。
で、
せっかくこっちに来たんだから・・・ってことで、
さっき、クロバダムを観光してきまして。
今は、その帰りです」
「あぁ、クロヨンか。
アルペンルートで行ってきたわけだ」
「?、アルペンルート・・・ですか?。
えっと、タチヤマ駅からケーブルカーでウツクシダイラまで行って、
そこでバスに乗り換・・・」
「あぁ、もう!。
兄さん、それ全部ひっくるめてアルペンルートって呼ぶの!」
「あ、はい、すみません・・・」
「・・・混んでたろ?」
「はい、多少」
「多少?。・・・あぁ、そうか、
まだ紅葉は早いもんな。
その子は?、兄さんの息子?」
「いえ、従弟です」
「従弟?。・・・あぁ、なるほど。
仕事でこっちに来たから、ついでに連れていってあげたわけだ」
「そんなところです」
「いくつ?」
「え?。・・・あ、年ですか?。
26です」
「違う違う、兄さんのじゃない。そっちの子供の方」
「あ、すみません。・・・えーと、11です」
「11?。
俺はてっきり、もっと下かと思ってたよ」
「はい。
私も最初に見たとき、小学校3年か4年ぐらいだろうと思ってました。
でも何か、違うみたいで・・・」
「・・・えらい他人行儀な言い方だな。
それに最初って。
兄さん、今までその子に会ったことなかったんか?」
「え?。あ、いや、そうじゃなくて・・・。
えと、あの、その、
あ、私、こっちに来たのが4日前でして、
この子とは、そのとき面会しまして・・・」
「面会?。
何か、別れた親が自分の子に会ったときのような物言いだな。
たかが従弟だろ?。何も大袈裟な・・・」
「え?。あの、その・・・、
あ、はい、そうです。すみません。
ちょっと言葉を間違えました。すみません・・・」
「・・・」
「あの、宮司さん」
「・・・何だ」
「どちらへ向かわれる予定だったんですか?」
「俺か?」
「はい」
「向かう・・・って言うか、帰るとこだな。
兄さん、さっきファイヤードラゴンに行ったんだって?」
「あ、はい、行きました」
「中に、人相の悪い二人組がいたろ?」
「えーと、そう言えばタバコの棚の前に2人いたような・・・」
「そうそう、そいつら。
今日、そいつらと一緒に鮎釣りに出掛けてきたんだが、
その帰り、
近くを通るついでに、ちょいと社の様子を見ていこうと思ってよ。
車を駐めてもらって、
社に立ち寄って、
それでこれから仲間の元へ帰ろ・・・じゃねぇな、
また社に向かうところ、だな」
「すみません」
私が謝ると、
老人は、小さくため息をついた。
「・・・兄さん、いくつだっけ?」
「あ、えーと、26です」
「・・・そうか」
「・・・?」
「あぁ、いや、何でもないんだ。
兄さんと話をしてると、
何か、ウチの小倅と話してるみたいでよ、
それで、ちぃと気になったんだ」
「・・・息子さんは、おいくつなんですか?」
「今年で、ちょうど40」
「・・・」
「いや、そうじゃないんだ。
話し方って言うか、雰囲気って言うか、
上手く言えねぇけど、そういうのがちょっと似てるんだ」
「・・・」
「俺は、ちいせぇときからこんな調子でよ、
口は悪いわ、思ったことはそのまま口にするわで、
色んなヤツらと、
年中、問題起こしてよ。
親父やお袋とは、
もう、数えきれないくらいやり合ったし、
教官とも、医者の先生とも、
警官とも、氏子や余所の宮司とも、
しまいにゃ、
言葉の通じない、見ず知らずのどっかの外国人ともギャーギャー言い合ってよ、
そうやって、
日々毎日、俺は誰かとぶつかりながら生きてきたんだ」
「・・・」
「ウチの倅はよ、
俺が何か言っても、ちいせぇ頃からひと言も言い返してこねぇんだ。
代わりに、
父ちゃん、ごめん・・・って謝るんだ」
「・・・」
「そうなると、こっちだって調子が狂っちまうじゃねぇか。
おぉ、そうか・・・って、そのままサッサと奥に引っ込んでよ、
ひとり静かに、ムスッとしながら煙草をプカプカ吹かすんだ」
「・・・」
「倅が高校3年になったときだった。
父ちゃん、僕、神道が学べるところに行くよ・・・って言ってきたんだ。
俺は倅に、そうするよう勧めた記憶は無かったし、
それに、
倅自身、興味があるようには思えなかった。
倅は、機械いじりが大好きでよ、
どっかの通販で取り寄せた電子部品を組み立てて、
よう分からん、ピーピー鳴る機械やらピカピカ光るのを熱心に作ってた。
家の縁側にひとり座って、
倅はよく、自分の小遣いで買ったハンダゴテを握っていたよ」
「・・・」
「で、訊いてみたんだ。
お前は、電気や機械の道に進むんじゃないのか。
何で急に神道を目指すことにしたんだ・・・って」
「・・・」
「そしたら、こう言ったんだ。
神社は今、どんどん人手が少なくなっていて大変そうじゃないか。
父ちゃんだって、あっちこっちの神社の宮司を兼任してるじゃないか。
だったら僕、神主になるよ。
僕が、これからは父ちゃんを助けるよ」
「・・・」
「俺はそれを聞いて、カチンと来た。
ばかやろう!。神職は、そんな同情されて就くような職業じゃねぇ!。
お前はお前がやりたいことをすれば良いんだ!」
「・・・」
「したらよ、
父ちゃん、ごめん・・・って。
それ聞いたらよ、何か情けなくなっちまってな・・・。
もう口利いてやんねぇ!・・・って、つい怒鳴っちまったよ」
「・・・」
「俺はガキンチョの頃からずっとよ、子供は親の所有物じゃねぇって思ってたんだ。
だから、
親父にもお袋にも散々反抗したし、噛み付いてきた。
確かにちいせぇ頃は、
知識も無いし、経験も無いし、力も無いし、体も弱いし、
大人に比べれば、出来ることは遥かに少ねぇよ。
たかが知れてる。
でもよ、
子供だって、足りない力なりに一日一日を懸命に生きてるんだ。
ほんの些細な失敗でさえも、それこそ自分の人生が終わっちまうような、
そんな大それた覚悟で日々を過ごしているし、
ほんの些細な幸運であっても、それこそ世界中の幸せが自分のとこに舞い降りたような、
そんな顔して、そこら中で大騒ぎしやがる。
あんなちっこい体して、
あらん限りの力で、常に全力で生きてやがんだ。
どの大人たちよりも、
誰もが真剣に、今この瞬間を生きてやがんだ。
それを頭ごなしに、ただ子供だからって理由で自分に従わせるのは、
俺はどうしても納得がいかねぇ」
「・・・」
「でも、そんときの倅を見てたらよ、
俺は、知らず知らずのうちに無理やり自分に従わせてたんじゃないか・・・って、
そんな気がしてな・・・。
何となく、自分の昔を思い出しちまってよ・・・」
「・・・」
「倅は、それから都内にある大学の工学部に進んだよ。
そこで電気のことを勉強して、
今は、ちっちゃい電機メーカーの主任をやってる」
「・・・」
「お盆休みのとき、
倅が、自分の家族を連れてウチにやって来てよ、
来年は、このままだと課長に昇進してしまうかもしれない・・・って俺に言ったんだ。
良かったじゃねぇか・・・って、酒を倅のお猪口に注ぎながら言ったらよ、
何かアイツ、あんまり嬉しそうじゃないんだ。
会議とか打ち合わせとか、そういう面白くない仕事ばっかりが増えて、
手を動かす時間が減っちまうのが嫌なんだとよ。
その分、給料増えるから良いじゃねぇか、って返したら、
酒をひと口だけ飲んで、何だか難しい顔して黙っちまって・・・」
「・・・」
「したら突然、後ろの襖がガラッと開いてよ、
倅のガキンチョどもが入ってきて、笑いながら俺の頭をペシペシと叩き始めたんだ。
このクソガキども!・・・って怒鳴ったら、このクソジジィ!・・・ってすぐに言い返して、
襖を開けっ放しにしたまま、そのままドタドタと母親のもとへ行っちまいやがった。
おい、てめぇンとこのガキの躾はどうなってやがる!、って、
倅の方に向き直して、文句言ったらよ、
父ちゃん、ごめん・・・って、
ひとり満足そうなツラして酒飲んでてよ・・・」
老人は、
そこまで話すと、黙り込んでしまった。
3人の足音が、ザクザクと小さく。
私たちの頭上で、
たくさんのツクツクボウシたちが声を嗄らし、鳴き続けている。
鬱蒼とした、スギの森。
まっすぐ延びる、細い道。
薄く積もった枯れ葉の上に、
木漏れ日の淡い光が、ときどき疎らに落ちており、
その明かりの中へ、自分の革靴の先を差し入れつつ、
黙々と歩いていく。
少し進むと、
古道の右手側に立ち並んでいたスギの幹が、段々と遠退いていった。
代わりに、
私の膝下くらいの高さの、丈の短いササが、
そこにひしめき合って茂っている。
そのササの原っぱは、
鬱蒼とした森にぽっかりと空いた、開けた場所だったが、
日は、ほとんど当たっていない。
森の薄暗い影が、
ササたちの向こうで並び立つスギの、かなり高いところまでを広く覆っており、
暮れかけの太陽は、
スギの、そこより上の僅かな部分を、
暖かみを帯びた優しい色合いで、穏やかに照らしている。
古道は、
ササの群生地の端っこを、緩くカーブしながら延びていた。
しばらく、3人で歩いていく。
やがて、
道の脇に立つ、古びた木の標識が近付いてきた。
標識は、
地面に突き立てた棒の、先端に近い部分に、
行き先をそれぞれが指している、3枚の板が組み付けられただけの簡素な作りで、
古道の奥と手前、
そして、ササ原の広がる右手側の、
3方向を示していた。
文字は書かれていない。
いや、
正しくは、”確認できない”だろう。
板は、かなり傷んでいた。
左右のそれぞれの端から、大きな亀裂が横に何本か走っていて、
そうした板の表面も、
文字が書かれているか分からないほどに、満遍なく黒ずんでいた。
老人は、
その古びた標識のところまで歩いていき、足を止めた。
一息ついてから、黙って体を右に向ける。
私も、
少し遅れて、そちらを向く。
辺りの地面を覆うようにして葉を茂らせている、ササの海を分かち、
ササの枯れ葉が厚く積もった、1本の茶色い小道が、
向こうの方へと、まっすぐ延びていた。
小道を少し行ったところの、
左右の脇に広がる、それぞれのササ原には、
少年の背丈ほどの大きさの石が、ひとつずつ置かれている。
左の石は、
坊主頭のような、丸みを帯びた石。
小道を挟んだ反対側にある石は、
Dの字を右にちょっと傾け、地面に埋めたような、
あるいは、斜めになった刀の切っ先のような、
そんな形状の石。
恐らく、太陽と月を表しているのだろう。
その、
ササ原の中に置かれた、太陽と月の向こうには、
夕日に照らされた、石造りの大きな鳥居が、
スギの、高い木立の間に挟まれて立っていた。
奥では、一対の狛犬の像が、
体の表面に這わせた蔦の間から、こちらに睨みを利かせており、
更に向こうには、コケに覆われた石燈籠。
神社は、それらの背後に建っていた。
周りにそびえ立つ、スギの木々に見守られつつ、
境内の最奥で、ちんまりと佇んでいる。
「あれが、そうですか」
神社に目を向けたまま、尋ねてみると、
すぐに隣から、
その答えが、質問とともに返ってきた。
「そう。
あそこがウチの社、ヨモノ神社。
で、兄さん方、どうするよ?」




