86.自動ドアを開け、外に出ると
自動ドアを開け、外に出ると、
私の顔に、ひんやりとした風が当たった。
さっきより、一段と涼しくなった気がするが、
多分、気の所為だろう。
店内にいたのは、せいぜい10分で、
太陽だって、まだ沈んでいない。
そんな短い時間で、急激に気温が下がるとは思えない。
店内との温度のギャップにより、
単に、今は余計に涼しく感じているだけなのだろう。
駐車場に出た私は、
すぐに左へ寄り、足を止めた。
腰を曲げ、まずはカバンを前に下ろし、
次に、反対の手に提げていた白いビニール袋を、
中のペットボトルがちゃんと立つように気を使いつつ、そうっと下ろしていく。
それから、その場にしゃがみ、
カバンのファスナーを開けると、
脇にある白いビニール袋を拾い上げ、
中身の商品ごと、カバンの中へと押し込んだ。
私は、そのまま後ろを振り向く。
「ほら、そっちのも」
開いた手をそちらへ伸ばしつつ、少年に声をかける。
「いい。自分で持ってる」
「・・・手で持ってると、すぐに冷えちゃうぞ?」
「・・・」
「ほら」
私は、
少年の方に伸ばした手を僅かに持ち上げ、催促した。
少年は、その手に目を向けたまま、
しばらく、じっとしていたが、
やがて、
持っていたペットボトルを、静かにこちらへ差し出した。
それを受け取った私は、黙って向きを戻す。
カバンの中の、白いビニール袋の口を少しだけ広げて、
少年のレモネードも、そこに突っ込む。
袋の口を、雑にクシャクシャと閉じ、
その周囲に、紺色の作業着を巻きつけようとしたところで、
私は手を止めた。
「・・・寒くない?」
振り向かずに訊いてみると、
少年の声が、少ししてから返ってきた。
「・・・へいき」
「そっか」
私は再び手を動かし、
白いビニール袋を自分の作業着で完全に包むと、
最後に、勢い良くファスナーを閉めた。
カバンの持ち手を握って立ち上がり、
顔を少年の方に向ける。
「じゃあ、行こうか」
「・・・」
「・・・どうしたの?」
「あの・・・」
「・・・うん」
「・・・」
「・・・」
「やっぱ、何でもない・・・」
「・・・そっか」
「・・・うん」
「行こっか」
「・・・うん」
”ファイヤードラゴン”の駐車場は、
隣に建つ平屋のものと、ひと続きになっていた。
平屋は、茶色い瓦屋根の建物で、
その玄関の、閉じた引き戸の上へ目を向けると、
壁に、赤い字で大きく《トンガリ山》と書かれていた。
民宿か何かの施設だろう。
中は暗い。
人の気配も感じられない。
私は、平屋側の駐車場に足を踏み入れた。
車が1台も駐まっていない、ガランとした駐車場を、
そのまま、斜めにまっすぐ突っ切っていく。
片側一車線の道路に、再び戻ってくると、
その道路の端に延びている、狭い歩道を進んでいった。
森の中にあるというヨモノ神社を、ふたりで目指す。
道の、こちら側の際に立つ3段パイプの柵が近付いてきた。
柵の全長は、およそ5m。
2段めと3段めのパイプ間に据え付けられた金属プレートを見ると、
《ヨモエ谷橋》と彫られている。
どうやら、橋の欄干らしい。
欄干の、もう片方は、
道を挟んでの真向かいの場所には無く、
今、私が歩いているところの、ちょうど横にあった。
要するに、
この1対の欄干は、前後に多少ズレて据え付けられていた。
下をくぐり抜けている水路が、道路に対して斜めに横切っているためで、
その水路は、橋を通ってこちら側に現れたあとは、
今度は道に沿って、向こうへ流れていた。
私は、
足を動かしつつ、歩道の先へ目を向ける。
歩道は、
橋の半ば辺りから、背の低い雑草たちによってほぼ覆われていた。
そして、橋を越えてからは、
その雑草に覆われた歩行スペースの中央には、水路への落下防止用のガードレールが立っていて、
道なりに、向こうへ長く延びていた。
私は、
ヨモエ谷橋に差し掛かったところで足を止めた。
道の向かい側へ目を向け、
それから、後方を振り返る。
車は来ていない。
すぐに正面へ向き直し、
前からも車が来ていないことを確認すると、
そのまま道路を斜めに、
真下を流れているであろう水路とクロスするようにして、渡っていく。
そうして、向かい側に行き着くと、
また、歩道を進んでいった。
こちら側は、水路もガードレールも無く、
更には、
道に近いところに生えている草は、キレイに短く刈り込まれていた。
ゆったりとした広い歩道が、
前方に、ずうっと続いている。
私は、
足を動かしながら、後ろを振り返った。
少年は、
少し離れてはいたが、ちゃんとついてきていた。
自分の足元の、ちょっと先の路面に視線を向けたままで、
真剣な表情を浮かべて、静かに歩いている。
私は、前に向き直した。
少ししてから、
顔を、おもむろに右へ向ける。
空き地が広がっていた。
高さ1mくらいの土管が、ポツンとひとつ立っていて、
その、真上を向いた円形の口からは、
背を高く伸ばした草が、先っぽだけを覗かせている。
目の焦点を、そのまま奥へ移すと、
そこには、
屋根も壁も灰色のトタン板で覆われた、殺風景な小屋が建っていた。
窓はあったが、中の明かりは点いていない。
真っ暗。
その小屋の、すぐ向こうには、
背の高い立派なスギが、
何本も何本も、
たくさん、そびえ立っていた。
鬱蒼と生い茂っている。
神社の姿は、全く見えない。
十字路をひとつ過ぎ、更に進むと、
道沿いにあった人家や畑が、めっきりと姿を消した。
代わりに、ススキの原っぱが、
道の両側に、ずっと向こうの方まで延びていて、
夕日色に染まったフワフワの穂を、
それぞれが、気ままにサワサワと揺らしている。
少年と私は、
その、ススキたちの穂の間を進んでいく。
ともに、自分の長い影を引き連れ、
車通りの無い、閑散とした道路の端っこを、
ただただ、まっすぐに歩いていく。
「あの・・・」
少年の声が聞こえた。
私は足を止め、後ろを振り返った。
「ん?、どうしたの?」
訊いてみると、
少年は下を向いたまま、
「あの、えと、その・・・、
僕、トイレ行きたい」
と、辿々しく答えた。
「えーっと、どっち?。
大きい方?、それとも小さい方?」
「小さい方」
「じゃあ、そこら辺の草の中ですれば良いよ。
近くに誰もいないし」
私がそう返すと、
少年は、しばし沈黙した。
そして、
「あの、やっぱ大きい方も・・・」
と言った。
「え?。
あぁ、それは・・・、」
私は、
道端に広がるススキの原と、その向こうにそびえ立つスギの森を眺め、
少し考えてから、
「まぁ、でも、やっぱり店の方が良いか。
どうする?、戻る?」
と訊いて、
少年の方に、改めて目を向けた。
「うん、戻る」
少年は、すぐに頷いた。
「分かった。
じゃあ、一緒に戻ろう」
私が、そう言って道を引き返そうとすると、
少年は、パッと顔を上げた。
「え?。
いいよ、僕ひとりで戻る」
「うーん、そう?」
「うん・・・」
「・・・まぁ、いいか。
分かった。
じゃあ、私はここで待ってるから、
早く行っておいで」
「うん。
じゃあ、行ってくる」
「あ!、ちょっと・・・」
こちらに背を向け、1歩目を踏み出していた少年は、
2歩目で勢いを殺しきれずに、3歩目を大きく前に出してから止まった。
路上で、左右の足を前後に開いたまま、
上半身だけをクルッと捻り、こちらに顔を向ける。
「・・・なに?」
「ちゃんとお店の人に、ひと言断ってから借りるんだぞ?」
「あ、うん。分かった」
また、店の方に向き直した少年は、
そのまま腕を横に振って、パタパタと走っていった。
私は、
その、元気よく遠ざかっていく後ろ姿を少し見送ったあと、
視線を足元に落とした。
カバンを下ろし、
頭を上げつつ、手をスーツの内ポケットに。
スマートフォンを抜き出し、地図アプリを呼び出す。
神社は、
どうやら、
もうちょっとだけ歩いたところの横道に入って、
そこを進んでいった先の、脇にあるらしい。
私は顔を上げ、
その、横道があると思しき方へと目を向ける。
横道は、
しかし、群生するススキたちの陰になっていた。
確認できない。
ただ、
ここからちょっと行った先の、道の脇に、
四角い棒状の石碑が建っていた。
高さは、
だいたい、私の腰の位置くらい。
石碑の上に、
ススキの細長い葉が、ドサッと覆いかぶさっている。
脇道への分岐は、
多分、あの辺りだろう。
私は、
石碑に目を向けたまま、スマートフォンをスーツの内ポケットに戻すと、
その手を、今度はズボンのポケットに突っ込み、
そのまま、
見えない脇道を辿るように、顔を右へと向けていく。
たくさんの穂が小さく揺れるススキの原の背後には、スギたちの深い森。
立ち並ぶ幹の奥は、どこも一様に暗く、
何も見えない。
私の近くでは、
数え切れないほどのバッタたちの声で、相変わらず賑わっていた。
ツクツクボウシも、遠くのどこかで鳴いている。
バッタたちの声に押され、途切れ途切れにしか聞こえない。
目の前に広がるススキの原と、その向こうにそびえ立つスギの森を眺めつつ、
虫たちの声に、耳を澄ませていると、
遠くの方から、バイクの音が近付いてきた。
すぐに大きくなり、
私の後ろを、
音が3つ、次々と通り過ぎていく。
あぁ、そう言えば・・・。
遠くで、まだ微かに鳴っているバイクの音に耳を傾けていた私は、
今更ながら、ふと気付いた。
ハンカチ渡すの、忘れてた。




