83.駅のホームの、先っぽのところまで来た
駅のホームの、先っぽのところまで来た。
ここからは、
スロープのような、緩い下り階段になっていた。
平べったい広めの段が、眼下に8つほど続いている。
段の縁は、
それぞれ、ところどころが欠け落ちており、
土ぼこりの溜まりやすい端っこや、上面のヒビ割れた隙間には、
小さな何かの草が、
抜け目なく、根を下ろしており、
自身の細い茎を、
空へと向かって、精一杯に伸ばしていた。
辺り一帯に響き渡る、虫たちの鈴鳴りの中、
踏み出す足元の、その傍らでは、
草の葉っぱが、
風で、音も無く揺れている。
ふたり並んで下りていく。
階段のあとは、
道は、すぐに右へと折れていた。
路面は、
階段と同様、草が生えたコンクリートだったが、
しかし、
その曲がり角の途中から、およそ3mほどの短い区間だけは、
アスファルト舗装になっていた。
ヒビ割れは無い。
比較的新しい。
この部分は、
以前は、2番線を横断するための踏切だったのだろう。
私は、
アスファルトの上を進みつつ、顔を右に向けた。
視界の先には、無人のホーム。
脇に、
まっすぐ奥へと延びる、草の道。
枕木は、
その草に埋もれて、ここからでは確認できない。
茜色の、体のトンボたちが、
上を、
あてもなく、フラフラと飛んでいる。
かつての踏切を、そのまま渡り終えると、
すぐの突き当たりには、小さな花壇が設けられていた。
ピンクや白、オレンジ色の花が植えられており、
駅舎は、その背後にあった。
駅舎の見た目は、
先ほどの待合室を一回り大きくし、それに窓を付けた感じの、
つまりは、
農村部でたまに残っている、古い民家のような、
そんな感じだった。
瓦の屋根。
そのすぐ下の、壁の木板は、
もう、すっかり色褪せており、
あちこちが僅かに歪んでいて、あちこちが僅かに波打っていた。
窓は、壁にたくさん並んでいた。
サッシは木製で、
窓ガラスの端っこの方は、どれも薄っすらと白んでいる。
室内に、明かりは点いていない。
もしかしたら、
ここは、夜になっても点かないのかもしれない。
駅舎の近くまで来て、
私は足を止めた。
眼前に、建物内への入り口があり、
その数m先は、すぐに出口。
砂利道が、出口の向こうに覗いてる。
中には、誰もいないようだ。
暗いし、
それに、静まり返っている。
入り口の幅は、およそ二人分。
しかし、
腰くらいの高さの、
ペンキの剥げかけた、白色の木の柵が、
その入り口の右半分を封鎖していた。
柵には、
郵便受けのような形状の、金属製のボックスがぶら下がっている。
恐らく、切符を回収するための箱で、
昔はここに、駅員が立っていたのだろう。
もう、ずっと使われていないようだ。
ところどころ、錆びついてしまっている。
私は、
少しの間、その場で黙って待っていたが、
少年が、ちっとも前に出ないので、
顔を、左隣にいる少年の方に向けた。
少年は、
駅舎の中の様子を、じぃっと窺っている。
「ほら、
ひとりずつしか通れないから、先に行って」
私が促すと、
少年は、
すぐさま、顔をこちらに向けた。
私の顔をしばし見つめて、
また視線を、駅舎の中へと戻す。
真剣な眼差し。
歩き出す気配は無い。
「どうしたの?」
少年の横顔に、尋ねてみる。
「さっき、中で何か動いた」
「え?、ほんと?」
「うん」
私は顔を上げ、駅舎の方に目を向けた。
入り口や窓から斜めに射し込んだ夕日の光が、
建物内の薄闇の中、
壁に貼られたポスターを、いくつか三角に明るく照らしている。
その向かい側の壁際には、木製のベンチ。
誰も座っていない。
何もいない。
「・・・どこら辺?」
「あっち。奥の方」
少年は、
まっすぐ前を見ながら、駅舎の中を指差した。
私は少年の指の先を、目で辿っていく。
「ベンチの端っこ?」
「その下」
「・・・うーん、何も見えないけどなぁ」
「すぐに見えなくなった」
「どんなだった?」
「えーと・・・。
これくらいの、ちっちゃくて黒いヤツ」
「黒猫じゃないの?」
「違う。もっと小さかった」
「じゃ、黒猫の子ども」
「猫じゃなかった」
「・・・」
私は少年の顔を、
しばらくの間、じぃーっと見つめた。
それに気付いた少年が、
やがて、顔をこちらに向け、
口を開いた。
「なに?」
「・・・怖いんなら、私が先に行っても良いけど?」
「こ、怖くなんかないよ!」
「別に強がらなくても・・・」
「強がってなんかない!」
「・・・」
「じゃ、僕、先に行くから」
少年は、駅舎の入り口に目を向けると、
一度、大きく深呼吸し、
そのまま、足を前に踏み出した。
私も、すぐ後ろをついていく。
入り口を通るとき、
少年が、こちらを振り返った。
「手、握っててあげようか?」
「!。へいき!」
少年は、
顔を、プイッ・・・と前に向けた。
少年に続き、屋内に足を踏み入れると、
その途端、
匂いが、
ややホコリっぽい感じの、いかにも古い建物らしいものに変わった。
私は、
入ってすぐの右手側、間近に迫っている壁に目を向ける。
時刻表や路線図、ダイヤ改正の案内。
地域振興を促す、山のイラスト付きのカラフルなポスター。
写真も、いくつか飾られていた。
緑に覆われた、山々の遠景。
幅広の川に跨って設けられた、真新しいコンクリートの堰と、
その上に架かる橋。
畑に植わった沢山のカブと、
それを手で収穫している、老夫婦の姿。
路傍に生えた、
名も知らぬ野草の、色鮮やかな花々。
駅舎の中は、とても清潔に保たれていた。
ゴミは、ひとつも落ちていないし、
塵だって、
床上には、ほとんど溜まっていなかった。
しっかりと掃かれている。
窓や木製のベンチも、
定期的に拭かれているのが分かる。
そう言えば、花壇の花もキレイだった。
誰かが毎日、
水をやりに来ているのかもしれない。
駅舎を抜けて、外に出た。
正面には、
砂利の小道が、木立に挟まれてまっすぐに。
少し先で、
左右に延びるアスファルト道の横腹に突き当たっており、
その道路の向こう側では、
畑に整然と植えられた何かの農作物が、葉を立派に茂らせている。
私は、顔を左に向けた。
こちらにも、砂利の小道。
先ほどと同じく、
少し先で、アスファルト道に突き当たっていたが、
その向こう側には、
畑ではなく、背の高い木々が茂っている。
「トイレは?」
そちらをそのまま眺めつつ、
そう尋ねながら、少年のいる砂利道の分岐まで進み出て、
そこで足を止めた。
小道の脇の、木立の向こうに、
何かの建物の茶色い壁が、チラリと覗いている。
あそこに、公衆トイレがあるのだろうか。
「へいきー」
「・・・あった?」
「なにがー?」
私の、すぐ前にいる少年が、
こちらを振り返る。
「お店」
「あれはー?」
少年は、駅舎の左手側に延びている砂利道の方を向くと、
私が見ていた、茶色の建物を指差した。
「うーん、あれは違うんじゃないかなぁ。
幟も看板も近くに無いし、それに明かりだって点いてないし・・・」
「じゃあ、なし!」
「自販機は?」
続けて訊くと、
少年は、
そのままそちらを、じっくりと眺めたあと、
次に、
駅舎の正面方向に延びている砂利道の方へと、向きを変え、
キョロキョロと見回し、
それから、こちらの方を振り返った。
首を左右に伸ばして、私の背後を覗き込むと、
最後に、私を見上げた。
「なーし!」
「・・・どっちに行く?」
「うーん・・・、」
少年は、ゆっくりと背を向けると、
二手に延びる砂利道を順に見比べ、
「ちょっと見てきて、いーい?」
と言って、
再び、私の顔を見上げた。
「良いよ。
でも、遠くまで行っちゃダメだよ」
「遠く?。
あそこの広い道のとこまでなら、行っても平気でしょー?」
「うん」
私が頷くと、
少年は、
すぐに、茶色の建物がある左手側の道の方に向き直り、
腕を横に振りながら、元気よく駆けていった。
私は、
その少年の背中を見送りつつ、カバンを足元に下ろした。
スーツの内ポケットに手を伸ばし、スマートフォンを取り出す。
視線を手元へ。
画面の一番上にある小さなアンテナ表示と、その隣の電池マークを確認し、
続けて、地図アプリを起動する。
遠くでセミの声。
ツクツクボウシが、鳴いている。
駅舎の前の分岐に立ち、
ひとり、スマートフォンを指で操作していると、
ザッザッザッ・・・と、
砂利の上を走る、軽快な音が近付いてきた。
私のすぐ傍を通り過ぎ、
その勢いを保ったまま、
今度は、もう片方の砂利道の方へと遠ざかっていく。
私は、
僅かに顔を上げ、少年の背中を確認すると、
手元に視線を戻した。
ときどき指で操作しながら、その画面をじぃっと眺める。
少ししてから、
地図アプリを終了させると、目線を起こし、
正面に延びる砂利道の方を確認しつつ、スマートフォンをポケットに戻した。
少年は、突き当たりにある道路の手前で、
左を向いて立っていた。
首を色々と動かして、何かを熱心に見ている。
私は、
カバンを拾い上げると、少年の方へと足を踏み出す。
「ねぇ、あっちにお店があるよー」
足元の砂利を、
1歩1歩、踏みしめつつ歩いていると、
少年の声が聞こえてきた。
すぐに、目線を起こす。
こちら向きの少年が、
右の手を、
自分の真横へと、ぴーんと伸ばしている。
「何てお店ー?」
「えーと・・・。
待ってー。ちょっと見てみるー」
少年は、上げていた手を下ろすと、
その手で指していた方へと、改めて向き直した。
横向きのまま、道路側に1歩踏み出し、
それから、急に後ろを振り返る。
微かにバイクの音。
近付いてくる。
少年は、
首から上は音のする方に向けたまま、体の向きを変えていき、
こちらに背中を向けたところで、動きを止めた。
音が、すぐにハッキリと聞こえるようになり、
大きくなり、
バイクが3台、次々と横切っていく。
少年は、
自分の目の前を通り過ぎていく、3台目のバイクに合わせて首を左に振り、
それを見送ると、
少ししてから、
再び、
右、左、右・・・と、素早く視線を走らせ、
その後、
駆け足で、道路を横断していく。
向こう側へ到達すると、
そのまま左を向いて立ち、そちらの遠くをじぃっと眺める。
程なくして、
顔を、ゆっくりとこちらに向けた。
「何てお店だったー?」
もう一度尋ねると、
少年は何も言わずに、
また、顔を左に戻してしまった。
そして、少ししてから、
改めて、私の方に顔を向け、
納得のいってなさそうな表情を浮かべて、口をおもむろに開く。
「んーとね・・・。
何か、変な名前なんだけどね・・・」
「・・・どんな名前なの?」
私は、その先を促す。
「ファイヤードラゴン・・・だってー。
変な名前ー」
ヨモエ駅は、富山地方鉄道の横江駅をモデルにしていますが、
公衆トイレは、
実際は上で登場する茶色の建物の、その向こう側にあるようです。
あと、この先、
元となるモデルの無い架空の場所(と言うか、この小説は基本的に全て架空ですけど)が出てきます。
現地に赴く際には、ご注意下さい。




