78.列車の、向かい合わせになったシートに座り
列車の、向かい合わせになったシートに座り、
出発を待っていた。
今朝と同じく、2両編成の短い列車で、
その、後ろの車両に乗っていた。
中は、それほど混んでいない。
半分くらいの席が、まだ空いている。
窓の向こうは、タチヤマ駅構内のプラットホームだった。
幅は3mほどしかなく、
更に中央には、
コンクリートの四角い柱が、点々と立ち並んでいるため、
やや窮屈に感じる。
その四角い柱と構内の壁の、狭い隙間を、
大きなザックを背負った一団が、
まるで山道を歩くときのように、縦に並んで通り抜けていく。
皆、少し疲れた表情をしていたが、
しかし、満足そうだった。
今日は、ずっと天気が良かった。
山頂からの眺めも、きっと良かったに違いない。
壁際を歩く登山客たちの列を眺めつつ、
私は、スーツの内ポケットに手を入れた。
スマートフォンを抜き出し、画面に目を落とす。
17時21分。
あと4分か。
そのまま指で操作し、乗り換え案内のアプリを呼び出した。
起動を待っている間、足を組み直す。
しかし、すぐにまた組み直す。
私は、シートの通路側に座っていた。
靴の先っぽが、はみ出てしまう。
アプリが起動したのを確認すると、
出発地に《タチヤマ駅》を入力。
次に、到着地の欄に指を伸ばしたが、
途中で動きを止め、
少し考えてから、路線図を開くボタンを押した。
トミヤマ駅の1つ手前の駅名を、念のために確認する。
すぐに乗り換え案内に戻り、
到着地のところに《イナミ町駅》と入れる。
検索実行。
到着時刻は、18時40分だった。
多分、日没の少しあと。
明るいうちに帰したかったが、仕方ない。
続けて、都内の自宅までの経路を検索。
軽く目を通したあと、
スマートフォンを、また内ポケットに戻した。
そのまま顔を、窓の外に向ける。
駅のホームを眺めつつ、足を組み直そうとしたが、
すぐに思い止まる。
そして、
少ししてから目だけを動かし、
向かい側のシートの、窓側の席をそっと覗き見た。
ひとり俯く少年の姿が、目に入った。
両手をお尻の下に敷き、
背中を丸め、
自分の腿の辺りを、
静かに、じぃっと見つめている。
私は、視線を窓の外に戻す。
手前に柱。
少し奥に、ところどころが黒く煤けたコンクリートの壁。
ポスターも何もない。
その、味気ない壁の前を、
リュックを背負った3人の若者たちが、
列車の先頭の方へと、小走りで駆けていく。
楽しそうだ。
敢えて、ホームを移動しているのだろう。
私は、
窓の向こうに目を向けつつ、胸のポケットに指を入れた。
チケットを引き出し、それを見る。
ダムの写真付きの、薄緑色のチケット。
中央に、大きく《クロバ湖駅→トミヤマ駅》と印字されている。
まとめて購入できる、と窓口で言われたため、
何も考えずに買ったものだった。
ダムの写真を少し眺めたあと、ポケットの中へ戻したが、
その指を放すことなく、チケットをまた外に出す。
表の面をじっと見つめて、しばらくしてから裏返す。
途中下車は、どうやら可能なようだ。
《下車前途無効》の文字が、どこにも見当たらない。
私は、
チケットの表の面を、もう一度確認すると、
それを、胸のポケットに改めて戻した。
窓の方へ、顔を向ける。
そして、
少年に聞こえないよう、小さく息を漏らした。
少年は、あれから一言も喋らなかった。
ケーブルカーの中でも、
各駅の構内でも、
ロープウェイの中でも、
バスの中でも、終始無言。
私が声をかけても、返事をしなかったし、
頷きもしなかった。
ずっと下を向いたまま。
ずっと押し黙ったまま。
何も言わない。
出会ったときのように、互いによそよそしく、
出会ったときのように、互いに他人だった。
ただ、少年は、
それでも私の言うことには、ちゃんと従ってくれた。
ここで待ってて、と私が言うと、
そこで待っててくれたし、
ここにしよう、と空いてる席を手で促すと、
黙ってその席に座ってくれた。
クロバダイラの通路の先で、遅れて歩く少年を待っていると、
少年は、
その後の道中では、私のすぐ後ろを歩くようになった。
離れずに、ついてくるようになった。
そういう子だった。
今までずっと、そうだった。
誰に対しても。
少年との、これまでのやり取りを思い出しつつ、
窓の向こうの、駅のホームを眺めていた。
四角い柱。
何も貼られていない、灰色の壁。
蛍光灯の、無機質な白い光が、
辺りを薄く、ぼんやりと照らしている。
もう、誰も歩いていない。
出発は近い。




