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Summer Echo  作者: イワオウギ
I
72/292

72.少年と別れた私は

少年と別れた私は、

ひとり、階段を上りきり、

広々とした、明るい通路に戻ってきた。

顔を左に向ける。

4つの窓口。

係員の姿は、やはり無い。


私は、そのまま歩いていき、

カーテンが開いている、3番窓口の前に立った。

顔を近付け、中を覗き込む。

左奥の方に、ワイシャツを着た男性の背中が見えた。

髪に、少し白髪(しらが)()じっている。

パソコンの前に座って、

モニターと手元のキーボードを交互に確認しながら、

少しずつ何かを入力している。


私は、顔を窓から離した。

手前に用意されている卓上ベルに目を向け、

テッペンにある小さな突起を、

指で、そっと押し込み、

控えめに鳴らす。


・・・。

・・・。

・・・。


音が、小さ過ぎたようだ。

今度は、もう少し強く鳴らしてみる。


・・・。

・・・。

・・・。


仕方ないので、顔を窓口に近付ける。


「すみませーん」


大きな声で呼びかけると、

係員と(おぼ)しき、白髪交じりの男性は、

すぐに作業を止めた。

左右の手をこめかみの辺りに持っていき、かけていた眼鏡を外し、

つるを折り畳んで、それを胸ポケットに差し入れるような動きをし、

それから、顔を横に向けた。

視線の先にある制帽を拾い上げ、頭にかぶると、

その制帽を両手で正しつつ、立ち上がり、

こちらを振り向く。

小さな丸顔。

クリクリとした2つの目。

黒くて太い眉。


「あ、どうもお待たせしましたー。

 今、そちらに行きますのでー」


やや大きな声で、明るく返事をした係員は、

両手を下ろし、目尻にシワを寄せ、

ニコッと、人(なつ)っこそうに微笑んだ。



「あの、ちょっとお伺いしたいのですが・・・」


窓口の向こうに係員が座るなり、私は話を切り出した。


「あ、ちょっとお待ち下さい」


係員は、

そう言いつつ、腰を浮かせ、

席に座り直す。

机の上で両手を組み、

顔を上げ、

その、クリクリとした目を私に向けると、


「はい、何でしょう?」


と、用件を改めて尋ねた。

この係員は、声が少し大きいようだ。


「ケーブルカーのチケットって、ここでも買えますか?」


「あぁ・・・、」


係員は目を伏せ、

すぐに、また私を見上げて、

こう続けた。


「えっと、

 クロバダイラ行きのチケット・・・ですよね?」


「はい、そうです」


「申し訳ありません。

 こちらで取り扱っているチケットは、アオギサワ方面だけなんですよ・・・」


「あぁ、やっぱりそうですか・・・」


「そうなんです・・・、すみませんねぇ。

 えっと、ちょっと待ってて下さい」


席を立った係員は、右へ歩いていく。

そちらを見ていると、ドアの開いた音が聞こえて、

閉まった音が聞こえて、

4番窓口の向こうにある角から、再び現れた。


「そこの階段を下りていってですねぇ・・・」


係員は、そう言いながら正面を指差し、

こちらへ近付いてくる。


「え?。

 あぁ、その、あの・・・」


私が、まごついていると、

係員は、私の前をそのまま通り過ぎていき、

階段のある出口の方へと、歩いていった。

仕方ないので、私もついていく。


「ほら、ここに階段があるでしょ?。

 ここを下っていくと、通路に行き当たりますので、

 そこを右に曲がって下さい。

 ダムに出ます。

 チケットは、ダムを渡った向こう側でお求めになって下さい」


階段の上に立った係員は、

その、少し大きめな声を辺りに響かせながら、

そう説明した。


「あ、はい・・・。

 ありがとうございます・・・」


「もう一度、説明いたしましょうか?」


「いえいえ!。

 も、もう大丈夫です」


慌てて断った。


「そうですか。

 では、ごゆっくりお楽しみ下さい」


こちらを見て、そう言った係員は、

それから、

階段の方に、また目を向けた。

じぃっと下を見ている。


「あの、従弟(いとこ)です。私の」


「あぁ、なるほど。

 お利口さんですね」


その、愛嬌のある顔を私に向けると、

ニッコリと微笑んだ。



ワイシャツを着た、年配の係員の背中が、

4つ並んだ窓口の、角の向こうに消えると、

私は、息をひとつ吐いた。

階段の方に向き直し、階下を窺う。

薄暗い踊り場。

その、端っこの壁際。

私のカバン。

隣に、少年の姿。

俯いたまま、

ひとり、立っている。

私は、視線を足元に落とし、

階段を、ゆっくりと1段ずつ下りていく。

鼓動が、少しだけ大きくなっていた。


踊り場に下り立った。

少年は、顔を上げない。

じっとしている。

私は壁際に行き、カバンを拾い上げると、

少年の方を向いた。


「お待たせ。行こう」


出来るだけ平静を装い、声をかけた。


「・・・」


「・・・行こう?」


もう一度、声をかけると、

少年は、俯いたまま、


「・・・うん」


と、小さく返した。


「・・・」


少しの間、そのまま黙って見ていると、

やがて少年は面を上げ、私を見た。


「・・・何?」


「え?。

 ・・・あ、いや、何でもない。

 行こう」


そう返した私は、次の下り口を見据えて、

そちらに向かって足を踏み出した。

少年が、少し遅れて隣に並ぶ。

私は、階段を下りていきながら、

横目で少年の様子を、そっと窺う。

少年は、

下を向いたまま、

次の段へ、足を交互に淡々と下ろしていく。

変わった感じは、特に見受けられない。

私は、視線を足元に戻す。


響き渡る、革靴の音。

すぐ隣からは、小さくて軽い靴の音。

後ろの、遠くの方で、

誰かの、甲高い笑い声。

その音は、

余韻を残しつつ、通り過ぎていき、

辺りには、

また、私たちの足音だけが鳴り響く。

それ以外、音は聞こえない。

少年も私も、ひと言も喋らなかった。

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