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Summer Echo  作者: イワオウギ
I
71/292

71.薄暗い階段

薄暗い階段。

コンクリートに閉ざされた、単調な景色の続く階段。

狭く、どことなく窮屈さを感じさせる階段。

下りていく。

私の靴の、乾いた音。

すぐ後ろを付かず離れずついてくる、

小さくて、やや控えめな靴の音。

1歩1歩、

1段1段、下りていく。


自分の中学時代を語る私の声。

下りの、長いトンネル内に響き渡っていて、

それが途切れると、

すぐに、その続きを催促する少年の声が響き、

辺りには、

再び、私の声が響き始める。


部活の朝練の話をしつつ、下りていくと、

もう何度めかは分からない、階段の踊り場が近付いてきた。

正面は、

また、壁に突き当たっている。

私は踊り場へ足を下ろし、

そのまま、2歩、3歩と前に進み、

4歩めと5歩めで右を向く。

階段の下り口が現れ、

足を差し出すと同時に、僅かに視線を起こす。

長く続くモノクロの風景の、一番奥に、

赤茶色のレンガの、明るい床が、

小さく覗いていた。

どうやら、

階段は、あそこでようやく終わりのようだ。

視線を足元に戻した私は、

引き続き、自分の昔話を後ろの少年に語り聞かせつつ、

段を、ひとつずつ下りていく。



踊り場を4つ越えた後、

程なくして、レンガの床に下り立った。

顔を上げる。

眼前には、

天井の高い、広々とした通路。

明るい。

まっすぐ向こうへ、ずっと続いている。

床は、

少し先で、赤茶色のレンガから白いタイルに切り替わっていて、

その上を、

観光客たちが、ポツポツと歩いていた。


私は立ち止まると、顔を左へ向けた。

こちら側にも、通路が短く延びていた。

すぐのところで、別の通路の横腹にぶつかっていて、

その向こう側で、壁に突き当たっている。

人影は全く無い。

ひっそりとしている。

通路の中央には、立て看板がポツンとひとつ。

硬貨の投入口のようなデザインの、進入禁止を意味する真っ赤なマークとともに、


《降車口》


と、書かれている。

電気バスを降りた観光客たちは、ここを通って、

それから、ダムや展望台へ向かうのだろう。


私の視界の(ふち)に、

不意に、黒い何かが映った。

そちらに目を向けると、

少年が、いつの間にか隣に来ていた。

通路に置かれた立て看板を、じぃっと見ている。


「・・・行こう」


私は、

そう言ってから、体の向きを変え、

階段の正面に延びる、まっすぐ長い通路を歩き始めた。

少し遅れて、私の横に少年が並ぶ。

返事は、聞こえてこなかった。



その通路の壁は、

木の匂いが漂ってきそうな、暖かみのある色合いの板で覆われていた。

美しい木目模様の風景が、

雀斑(そばかす)みたいな、あちこちに散らばっている(ふし)とともに、

通路の、ずっと向こうの方まで続いている。

ポスターは、ほとんど貼られていない。

通路が、ちょっとだけ広く感じる。


天井には、蛍光灯が、

左と右の2列で、

向こうへ、道なりに連なっていた。

点灯しているものは半分だけ。

2列とも、

ひとつ置きに明るい蛍光灯が並んでいて、

間のものは、

皆、蛍光管が取り外されている。

節電のためだろう。


新幹線でも走っていそうだな・・・。


天井にまっすぐ延びる、白黒の連なりに目を向けつつ、

そんなことを考える。

地図上での記号が、確かこんな感じだった。



通路の突き当たりが、徐々に近付いてきた。

足を動かしつつ、視線を僅かに上げる。


《→チケットうりば クロバダム》


天井の案内標識を確認した私は、視線を戻す。

少し歩いて、

それから、

横目で、少年の様子をそっと窺う。


視界の隅、項垂れた少年の頭。


私は、すぐに見るのをやめた。

前を向き、

何事もなかったかのように、そのまま歩く。

重苦しい感情が、

私の心を、ジリジリと容赦なく締め付けていた。



突き当たりまで来た。

足を止め、

一応、左の道を確認する。

奥に改札口。

上を見ると、《アオギサワゆき でんきバスのりば》という案内標識。

銀色のラッチが、

通路いっぱいに横に4つ、等間隔で並んでいて、

駅員がひとり、立っている。

こちらの様子を、じっと窺っている。

人影は他に無かった。

観光客たちの姿は無い。

改札の扉は、もう開いている。


私は、

何も言わずに、その改札口に背を向け、

足を踏み出した。

少年が、小走りになって私に追いつき、

隣に並ぶ。

そのまま、黙って歩く。


正面には、

さっきまでと同じような広々とした通路が、まっすぐ30mほど延びていた。

両端の壁沿いには、

木製の長いベンチが、奥の方までずっと備え付けられており、

観光客たち数人が腰掛けている。

突き当たりの左隅に、やや幅狭(はばぜま)の出口があり、

そのすぐ上には、《↓クロバダム》と書かれた案内標識。

出口の向こうには、

奥へと下っていく仄暗い天井と、そこに点々と続く白い蛍光灯が覗いてる。


私は足を動かしつつ、

さり気なく、視線を少し右へ向ける。

《チケットうりば》と書かれたプレートが、そちらにあった。

窓口が4つ、

突き当たり近くの、通路の右手側に並んでいる。

私は、すぐに視線を戻す。

前方を見据えたまま、

進路が曲がらないよう気を付けて、出来るだけまっすぐ歩いていく。


窓口が並んでいる場所に差し掛かった。

私は、

歩く速度を緩めたが、すぐに戻す。

通路を、そのまま進んでいく。

そして、

突き当たりにある、幅の狭い出口の近くまで来ると、

また、歩く速度を緩め、

今度は、そこで足を止めた。

息を短く吐き捨て、

窓口の方を、ゆっくりと振り向く。


そこの窓口は、

開いているのは1つだけだった。

3番窓口だけだった。

他は、どれも厚いカーテンが引かれている。

係員の姿は無い。

代わりに、

手前に、卓上ベルがひとつ置かれている。

窓ガラスには、白いステッカー。

大きな字で、


《でんきバス乗車券 発売・引換口》


と、書かれている。

私は、顔を上に向けた。

窓口の上に、

電気バスの発車時刻表と運賃表が記された、巨大なパネルがあった。

私は、

そのパネルを、黙って見つめる。

通路を行き交う、観光客たちの足音。

遠くの方から響いてくる、色々な人の明るい話し声。

すぐ隣にいるはずの少年の音は、

何ひとつ聞こえてこない。


私は、少ししてから、

視線を再び、窓に貼られたステッカーに戻すと、

次いで、

窓口の奥を見つめて、

それから、

最後に、少年の方を振り返った。

少年は、

顔を俯け、静かに佇んでいた。


「・・・行こう」


声をかけると、

少年は、すぐに私を見上げた。


「え?」


そして、

口を小さく開き、何かを話しかけ、

少し間を置き、

そのまま、口を(つぐ)んだ。

無言のまま、

私の目を、

その、少し細めた両目で、

こぼれだしそうな潤んだ両目で、じっと見つめる。

懸命に(こら)えている。

私は、

しばらくしてから、おもむろに口を開いた。


「・・・ダムを」


「・・・」


「最後にもう一度、ダムを見ておこう」


「・・・」


「一緒に」


「・・・」


「・・・だめ、かな?」


少年は、

その私のひと言のあと、更に目を細めると、

鼻をすすって、

それから、首を横に振った。


「・・・ううん、行く」


かすれ気味の声で、そう答えた少年は、

顔を下に向け、

目元を両手でゴシゴシと擦り始める。


「行こう」


そう言った私は、向きを変えた。

出口に向かって歩き出し、通り抜け、

その先にある薄暗い階段を、

ひとり、下り始める。

心の中で、

自分に対して舌打ちをひとつ。


「待ってよー」



私は、

すぐに足を止め、後ろを振り返る。

そして、

少年が私の横に来たの見計らい、

再び、前に向き直し、

階段を、ふたりで一緒に下り始める。


「ごめんごめん、

 ちょっと考え事してたから・・・」


「・・・」


「・・・どうした?」


「ごめんね・・・」


「え?。何で?」


「僕のために、帰るの遅くしてくれたんでしょ?」


「いや、その・・・」


「ごめんね・・・」


「・・・」


「・・・」


黙ったまま、階段を下りていき、

ひとつめの踊り場に差し掛かったところで、私は足を止めた。

少年も、遅れて立ち止まり、

こちらを振り向く。


「ちょっと、ここで待ってて」


私は、

少年の顔を見ながら、そう言った。


「え?、急にどうしたの?」


「やっぱ行ってくる」


「どこに?」


「チケット売り場」


少年は、一瞬だけ目を大きくし、

それから、

顔を、ゆっくりと下に俯けた。


「・・・うん」


「すぐに戻ってくるから」


「うん。

 ・・・僕、待ってる」


私は、

項垂れた少年の姿を、じっと見つめた。

少ししてから、

顔を上げ、横を振り向く。

壁際に近付いていき、腰を曲げ、

自分のカバンを、そこの床に置く。

頭を上げ、

再び、少年の方を振り向き、

声をかける。


「カバン、ちょっと見といて」


少年は、無言で頷く。

私は、階段を振り返る。

視線を上に。

少し先。

階段の、最上段の向こうに、

さっき歩いてきた通路の天井。

その蛍光灯の白い明かりが、強い光で輝いている。


私は、見上げるのをやめた。

足元にある、1段めに目を向けると、

そこに片足を乗せる。

息をひとつ。

そして、

そこからは2段飛ばしで、勢い良く階段を駆け上がっていく。

後ろめたい感情を、振り払うようにして。

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