7.河原の石の上を、バランスを取りながら
河原の石の上を、バランスを取りながら、
ときどき、よろけつつも、
何とか歩く。
何て声をかけようか。
少しだけ、緊張していた。
すぐ後ろまで来た。
やはり、あの少年だった。
大きな石の上で、
ひとり、体育座りをしていた。
両膝を抱え、
使い古されたような、くすんだ白色のスニーカーのツマ先の、すぐ向こうの川面を、
じぃっと見ている。
後ろに誰かが立っていることを、
恐らく、少年は気付いているだろう。
影ではない。
さっき、よろけたとき、
少し大きな音を立ててしまった。
私は、息を吸い込んでいく。
「お茶、2つ買ってきたからさ、
一緒に飲まない?」
そのまま、
私は、しばし待つ。
少年は、こちらを見ない。
返事は無い。
逃げられてしまうかな・・・と、少し心配したけれども、
大丈夫そうだった。
私は、口を再び開く。
「ここに置いておくから」
近くに寄って、
少年が座っている石の上に、持っているお茶を置いた。
少年はこちらをチラリと見て、
また、すぐに川の方に向き直した。
「隣に座るよ」
そうは言ったものの、
少年の近くには、
私が座れるような、手頃な大きさの石が見当たらなかった。
立ったまま話そうか・・・と、
一瞬だけ思ったが、
何となく、座って話した方が良い気がした。
カバンを足元へ、立たせて置くと、
それから、
腰を、細かい石の上へ慎重に下ろしていく。
体育座りをすると、お尻の肉に小石が食い込んだ。
ちょっと痛い。
何かの健康のツボだと思って、前向きに考える。
スーツの腰のポケットに差してあった、ペットボトルのお茶を取り出した。
表面には、細かい水滴がいくつも付着している。
私は、
その水滴の上から、改めてペットボトルを握り直し、
反対の手でキャップを掴み、そのまま力を入れる。
キャップを開けた私は、
お茶をちょっとだけ口に含み、キャップを戻す。
渋みのある味。
さっき飲んだ湧き水よりも、少しだけ冷たい。
川は、
ただ穏やかに、さらさらと流れていた。
心地よい、せせらぎの音が、
絶え間なく、耳に入ってくる。
川辺の空気は、ひんやりとしていて、
風が吹くと気持ちが良かった。
目の前にある川の流れを、ぼーっと眺めていた。
ここは特に浅い。
5cmもない。
水は透き通っていて、
川底の石は、そのままの色だった。
私は、なるべく少年の方を見ないようにした。
お茶には、
多分、まだ手を付けていないだろう。
キャップを開ける音が聞こえきていない。
私は、
ペットボトルのお茶を、また飲んだ。
キャップを閉め、
自分の脇に置くと、おもむろに口を開く。
「何か、嫌なことでもあったの?」
対岸に茂る、森の木々を見つつ、
そう尋ねた。
何となく、ブロッコリーを連想した。
「お父さんやお母さんは?」
続けて訊いてみたが、少年は黙ったままだった。
水の流れる音しか聞こえてこない。
そう言えば、セミの声も聞こえないな・・・と、
ふと気付いた。
標高のせいだろうか。
ときどき弱い風が吹き、私の前髪を揺らす。
私は地面に手をつき、腰をちょっとだけ浮かせ、
座り直した。
脇に置いたペットボトルに手を伸ばし、
お茶を少量、口に含む。
仕方ないので、自分の話をすることにした。
「私は都内に住んでいてね・・・」
一人称を僕にしようか迷ったが、
私で通すことにした。
「こっちには4日前に、出張で来たんだ」
「・・・うん」
小さく、相槌が聞こえた。
かすれていた。
少年は、すぐに何度か咳払いをした。
声を急に出したので、喉の居心地が悪かったのだろう。
私は、
それが収まるのを少し待ち、話を続けた。
「会社のパソコンで仕事してたら、
いきなりトミヤマに行けって言われて」
「うん」
「それは午前中だったんだけど、
お昼ごはんも食べずに、すぐに会社を飛び出してさ」
「うん」
「それから飛行機に乗って、
こっちには午後2時に着いた」
「うん」
「急に来ることになったから、
着替えとか全く無くてね」
「うん」
「コンビニで、
パンツとかシャツ、靴下を買って・・・」
「うん」
「毎日、ホテルに帰ってくるたびに、
下着をお風呂場で洗って、部屋に干してたんだ」
「うん」
特に、何か考えがあって話し始めたわけでもなかった。
こんなの聞いても退屈だろう、とも思ったが、
途中でやめるわけにもいかなかったので、そのまま続けることにした。
「今朝、その仕事が終わってね」
「うん」
「ホテルに干してあった下着をカバンに突っ込んで」
「うん」
「ホテルを出て」
「うん」
「電車に乗って」
「うん」
「で、これから帰るところ」
私は、
ペットボトルに手を伸ばし、お茶を飲んだ。
何のオチも無い、つまらない話だったな・・・と、
自分の話を評価した。
「・・・何で飛行機で帰らなかったの?」
少しして、少年の声が聞こえた。
「ん?。
あぁ、えーと、帰りにダムを観ていこうと思ってね」
本当は、
もともと新幹線で帰るつもりだったのだが、その話は省いた。
「何てダム?」
「クロバダム」
「知ってる」
「行ったことあるの?」
私は、少年の方に顔を向けた。
日に焼けた横顔。
俯き、目の前にある川面を見つめている。
体育座りなのは変わらなかったが、
さっきよりも深く、足を抱え込んでいた。
腿を体にピッタリくっつけ、
背中を丸め、
両膝の間に顎先を、ちょこんと小さく埋めている。
お茶には、やはり手を付けていないようだ。
「ううん、行ったことない」
少年は、
私の問いに、そう答えた。
「そっか・・・」
会話が終わった。
私は、そのまま顔を正面に戻し、
また、対岸の森を眺めた。
心の中で、ため息をひとつ。
「面白いの?」
また、少年が尋ねた。
「何が?」
「ダム」
「・・・いや、
多分、面白くないと思う」
私は正直に答えた。
すぐに、少年の笑い声が返ってきた。
「面白くないのに、
何でわざわざ観に行くわけー?」
声が、こちらを向いた。
明るい、元気な声。
今、
少年は、私の横顔を見ているのだろう。
「ん?、あぁ、えっと・・・」
適当に、はぐらかそうと思った。
ただ、何となく、
この少年に対して、私は隠し事をしてはいけないような気がした。
少し、迷った。
私は、脇のペットボトルを手に取り、
ひと口飲んだ。
続けて、もうひと口。
静かに息を吐く。
対岸の森を、少し眺める。
少年は、
何も言わずに待っている。
私は、
ペットボトルのキャップを閉めると、脇に置いた。
そして、
正面を見据えたまま、ゆっくりと口を開いた。
誤魔化さないことにした。
「世の中って面白いと思う?」
「・・・」
返事は、聞こえなかった。
水の流れる音が、少しだけ大きくなった。